第三章 闇に生きるモノ共の晩餐 其の二



 エミリアは意識を取り戻したとき、自分がどこにいるのか、さらに言えば何が起こったかすら把握していなかった。

 ただ、そこが教会ではないこと、そして自分がふいに意識を失ったことだけは分かった。

 何故かひどく身体が重くて、冷たかった。

(何が起こったの?)

 わけが分からず頭をめぐらせようとしたところに、声がかけられた。

「お目覚めですか? お嬢さん」

 声のした方を向けば、そこには見知った顔。

「ブライドさん?」

 どうして、と言いかけてエミリアは気付いた。自分の両手が枷に繋がれていることに。

 見渡せばそこは石造りの部屋で、両手の枷はその壁に埋め込まれている。

「これはどういうことです?」

 その異様な状態に、エミリアの声は自然と警戒心が込められる。だが目の前の紳士はにこやかに笑うだけだ。

「どうも何も。お茶に誘ったじゃありませんか、お嬢さん」

 だがその表情がむしろ状況をさらに浮き彫りにした。

 何かがおかしい。そう、目の前の人物そのものが。

「何をしたんです」

 教会にいたはずの自分が、どうして捕まっているのか。そもそも、こんな状況をあの主が許したというのか。

 そんな疑問いっぱいのエミリアに、ブライドはまるで悪戯を成功させた子供のように言った。

「何、ちょっとした暗示をね。貴方の主と話がしたかったもので」

 つまり意識を操られた、とそういうことなのだろう。しかし、そんなもの一体どこで―――――――。

 そこでエミリアは思い当たった。

(もしかして、一番初めに会った時?)

 あの主がそんな細工することを見逃すはずもなく、それ以外で彼と接触したのはあの場しかない。だとするならば、彼は初めからこうなることを狙っていた?

 険しい顔で自分を睨む少女にブライドは少し驚いた。

「ほう、貴方はそれなりに察しが良いのですね。さすが、あの人の従者というべきでしょうか」

「…………マスターに何の用です」

 そのエミリアの問いに、ブライドは「嘆かわしい」と演技がかった声で首を振った。

「もの覚えは悪いのですね、可哀相に。ああ、この可哀相とは、貴方の主のことですからね」

「質問の答えになっていません」

 戯言に付き合う気はない。

 そう問い詰めるエミリアに彼は少し鼻白ろんだが、それでも思い直したのか笑みを浮かべた。

「だから、先ほど言ったばかりじゃあないですか。貴方の主と話がしたい、とね」

「その内容を伺っています」

「おや、主への話を前もって従者にお話しせねばならないと?」

 エミリアは押し黙った。

 確かに用があるのはヴァイセになのだろう。

 それもエミリアがこうして無事ということは、話がしたい、という彼の言もあながち嘘とは言い切れない。だとするなら、彼の言うように従者ごときの自分が口を挟むことではない。

 ないけれど。

「私が個人的に聞きたいと申しましたら、いかがいたします?」

 エミリアの意識を操りあの主を呼び出すやり方が気に食わない。ひいては、そんな彼が主にどんな話があるというのか。気になっているのは従者としてではない、と。

「―――――ははっ、貴方の個人的な興味?」

 その馬鹿正直な言葉にブライドは思わず笑ってしまった。

 個人的、なんて言葉をこの少女が使うなんて。ただの人形にすぎない、彼女が。

「ははは、かの公爵は変わった趣味をお持ちなのだな」

 そう笑う彼の言葉にエミリアは首を傾げた。

「公爵? マスターが?」

 途端にブライドの笑みが深くなる。

「おやおや、従者ともあろう者が、主がいかなる存在か知らないと」

 それは獲物を弄ぶ獣と同じような、否あの狼男以上に狡猾で残虐な目。精神的に相手をいたぶって弄ぶ者の顔だ。

 エミリアはそんな彼を睨んだ。

「マスターの何を知っているって言うんです」

 それにブライドはにんまりと目を細めた。

「少なくとも、貴方より彼のことを分かっているかと思いますよ」

 その態度は何かを確信している、そんなもので。ぞわりとエミリアの心に闇が這い上がる。

(マスターの、何を……………知っている?)

 それはそのまま、自分に当てはまる台詞だったから。

 ああ、認めたくない。けれど認めざるを得ないのだ。この男の言っていることは正しいと。そう、エミリアはあの主を知らなさ過ぎる。

 もやもやとした気持ちに唇を噛み締めた、その瞬間。

「くだらない世間話はその辺りで終わりにしろ」

 低い声が響いた。その声は間違えようもなく。

「マスター!」

 音もなく表れた黒い影にエミリアはほっと息を吐く。それと同時に、ブライドはヴァイセに満面の笑みを向けた。

「おお、来てくださいましたか。我が同志」

 そして慇懃にお辞儀をしてみせる。

 しかしそんな彼には目もくれず、ヴァイセはただ問いかけた。

「意識はあるな」

 誰に向けて言った言葉かは明白だった。

「はい、マスター」

 エミリアははっきりと答えた。そして、その赤い瞳で己が主をしかと見る。

「ご命令を」

 応えた瞬間、ヒュッという空気を切り裂く音と共に刃が少女の手首を切り落とした。

 そして主は一言。

「来い」

 命じられ、エミリアは屈んで落ちた両手をスカートの裾にしがみつかせると、すぐさまヴァイセのもとへと駆け寄った。

 その様子にブライドは目を見張りそれからからかう様に首を傾げてみせる。

「おやおや、まさかとは思いますが、その従者を助けるためにここへ?」

 意外だとばかりのブライドにヴァイセは面白くもなさそうに言い捨てた。

「自分のものを他人にどうこうされるのは気に食わない」

 するとブライドは「成る程」とどこか楽しそうに言った。

「それは申し訳ないことを。まあ、気持ちは判らなくもありませんよ? 私も、私の可愛いディーンを失いましたから」

 その彼の台詞を反芻してエミリアははっと気がついた。

(私のって、まさか!)

 よくよく考えれば分かることだった。この男があの狼男を利用していたのだということが。

 エミリアは思わず怒鳴った。

「だったら何故、使い捨てたんです!」

 名前まで―そうか、彼はディーンといったのか―つけておいて。お前は不死身だと、だから安心して戦えと、騙したままに死なせたことが許せなかった。

 だがエミリアの言葉にブライドは楽しそうに笑った。

「それは言いえて妙ですね。でもどうして彼を殺した側の貴方がそんなことを言うのです? ああ、そうか、貴方も彼と同じでしたっけ。でしたら、まあ仕方がありませんよね。自分の末路を、ディーンと重ねてしまっても」

「なっ!」

 使い魔など所詮はその程度。そう言い切られてエミリアは絶句した。

 たしかに彼に生み出された従者である自分は、そうあるべきなのだとは思う。思うけれど、信じたくはなかった。

 ヴァイセがそのように自分のことを考えているだなんて。

「貴様の僕と俺の僕の価値が同じだとでも?」

 冷たい視線のヴァイセにブライドはそれでも愉快そうだ。

「はっはっはっ、言ってくれますねぇ。まあ、確かにその通りなんですが。

 それでもあれは私の粋を尽くして作り上げたんですよ? 狼男を手懐けて、その肉体と知能を強化してと、けっこう手間がかかっていたんですよねぇ」

 まるで創作した物でも語るようなその口調に、エミリアは吐き気がするほどのむかつきを覚えた。

 狼男には感情があった。無邪気に、一途に、彼は信じていた。だというのに、この男はまるでそんなことはどうだっていいのだ。

 その証拠に、彼は声高に叫んだ。

「ですが! 貴方ではそんな恨み言も水に流すとしましょう!

 そう、ドラクル公爵の血を継ぐ、貴方ではね!」

 高揚した彼の顔は、嬉しくてしかたがないといったもの。

 そこに悼む心があるとは思えないし、むしろ狼男の死は彼の想定内だったに違いない。

「まさかこんなところで貴方に遇えるとは!」

 恍惚とした顔でブライドは喋り続ける。

「貴方の噂は方々で聞いていますよ。悪魔の血脈、ドラクル公爵の末裔である貴方の話は、それなりに有名ですからね」

「悪魔の……………血脈?」

 その言葉にエミリアは眉にしわを寄せた。先ほどブライドがヴァイセを公爵だとか言っていたが、それがどうして悪魔と繋がるのだろう?

 いぶかしんだエミリアにブライドはご高説ぶって教えてくれた。

「ええ。巷ではドラキュラ等といわれていることもありますが、あんなものは単なる劣化版でしかありませんよ。

 かつてとある公国を恐怖で支配した一族がいるのです。それがドラクル公爵。ドラクルとは即ちドラゴン―――――悪魔を意味する」

 その末裔がヴァイセだと。

 ブライドはエミリアをじっとりと眺めると力強く言った。

「そう! その力は森羅万象を捻じ伏せ、禁忌すら可能にする! お嬢さん、貴方の身体はそうして作り上げられたものなのですよ!」

 まるで高笑いしそうな調子で彼の話は続く。だが肝心のヴァイセは沈黙を保ったままだ。

 しかし、それさえ気にならないほどブライドは興奮しているようだった。

「けれど悲しいかな、彼は魔物として―悪魔としてと言っても良いでしょう―重大な欠陥があるのです」

 それこそがブライドの切り札であり、エミリアの知りえないヴァイセの核心だというように。

「貴方は私と同志でしょう。目的も、望みも――――その叶え方も!」

 そう言ってヴァイセを見つめ、そしてブライドはまたもエミリアに意地の悪い瞳を向けた。

「モンスターは人を喰らえば強くなる。けれどそれ以上にもっと効率的に強さを求められる方法があるんですよ。お分かりですかな? お嬢さん」

「…………………何が言いたいんです?」

 硬くなるエミリアの声に、にやりと嫌な笑みを向けてブライドは答えた。

「力のあるモンスターを喰うことですよ」

「モンスターを…………喰う?」

「ええ、そうです。そうしてそのモンスターの力を我が物とするのです。

そしてその為に貴方はモンスターを狩っている。ハンター協会など隠れ蓑に過ぎない。違いますか?」

 ヴァイセはそれにも答えはしない。

 けれどブライドの口調も止まることもない。

「己が力を高める為にモンスターを狩りそれを喰らう。まさに弱肉強食!」

 自分の考えが正しいと信じて疑わない、そんな彼の様子と、沈黙を続けている主に、エミリアは不安を覚える。

 まさか、そんな。そんなおぞましいことを、ヴァイセはしているというのか。

「嘘ですよね? マスターがハンターをしているのは、そんな理由じゃあないですよね?」

 否定してほしいと願うエミリアの問いにも、しかしヴァイセは黙ったままだった。

 そこに畳み掛けるようにブライドは言う。

「いいえ、お嬢さん。彼にはそこまでしてでも力を求めたい理由があるのですよ。私には解ります。ええ、人から魔物へとなった私だからこそ!」

 そしてもったいぶった間をあけると。

「人の血が流れる、貴方のことがね」

 彼が真に言いたかったことを口にした。

「ひとの、血?」

 エミリアは一瞬何を言われたのか分からなかった。

 いや、それが何を意味するか分からなかった、というのが正解か。

「ええ、そうです。貴方の主は人と魔物の混血なんですよ」

 それは人と魔物の間に産まれた存在だということ。どちらにも属することのできない、異端者だ。

 けれど何故だろう、そのことを知ってもエミリアはたいして驚かず、むしろほっとしていた。

(何だ、知っているって、そんなことなの)

 そんな程度のことで、あんな知った風なことを言われていたのかと思ったら、脱力すらしてしまった。

 しかし彼にとってはそうではないらしい。

「分かります。それがどんなに屈辱的なことか。貴方はきっと私と同じだ。ええ、そのはずです!」

 熱に浮かされたようにそう言うと、彼はヴァイセに手を差し伸べた。

「さあ、一緒に成そうではありませんか、我が同志よ。貴方がいるならば、こんな町の一つや二つ壊滅してしまったとして問題ない。

 いいえぇ、むしろ貴方に捧げましょう。この町の人々をモンスターとして!」

 その手を一瞥して。そこで、やっとヴァイセは沈黙を破った。

「却下だ」

 たった一言。けれど紛れもない拒絶の言葉に。

「……………今、何と」

 ブライドは一瞬固まり、呆然と呟いた。信じられない言葉を聞いた、と、まさにそんな顔だったが。

 ヴァイセは容赦なく念押しした。

「却下だ、と言った。いったい何故、俺がお前ごときと手を結ばねばならん」

 きっぱりと覆りようもないその態度に。

 何をどう口にしたところで、どう行動したところで、ヴァイセがブライドの側につくことはないと。そうはっきりとブライドは悟った。

「……………そうですか。ふ、ふふふふふ、ふははははははははッ」

 彼は壊れたように笑った。

 笑って、笑って、笑って、そして鋭い眼光をぎらりと向けた。

「ああ、残念です。とても残念ですよ、ドラクル公爵」

 ヴァイセはいかにもつまらないことを聞いたといったように鼻で笑った。

「おかしなことをいう。俺はそんなもの継いでもいないし、継ぐ気もない」

 まるでいつも通り。そんな主の姿にエミリアは心底ほっとする。そう、彼はこうでなくては。

 逆にブライドはそんな彼に落胆したようだ。

「そうですか。まあ、そうですね。そんな従者を後生大事にされているようでは、大局など望みますまい」

「貴様も望めるような身の上ではないはずだがな」

 痛いところを突かれたのかブライドは忌々しげに顔を歪めると、それでも平静を取り繕い笑った。

「ええ、そうですねぇ」

 そして自虐的に言ってみせる。

「ふふふ、これでも私は己が力量というものを弁えているつもりです。私は貴方には勝てない」

 ヴァイセが赤い目をすいと細めた。

「ほう、ではここで消える覚悟があるんだな」

 取り出したヴァイセのナイフを愉快そうに眺めると、ブライドはにやりと笑い、

「まだ今は、ねッ!」

 そう言ってばっと手を広げると、机の上にある薬品のビンをなぎ払った!

 途端に強い刺激臭と紫煙が立ち込める。

「ふふふふふ、ではドラクル公爵、またいつの日かお会いしましょう」

 そんな台詞を残して、彼の姿が煙に溶けるように見えなくなった。








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