第三章 闇に生きるモノ共の晩餐 其の一



 狼男の死体を前にして、マリクは困った顔でヴァイセに聞いた。

「で、これを俺にどうしろと?」

「どうしろも、お前の仕事じゃあないのか、記録が」

 対して答えるヴァイセの顔はまことに意地の悪いもので。

 マリクは深い溜息を吐くしかない。

「だからって、こんなのをわざわざ見せなくたっていいじゃないか」

 昨夜討ち取った狼男をわざわざ教会まで運び入れ、何をするかと思えば、マリクを呼びつけ検分させているのである。嫌がらせ以外の何でもないと思う。

 眉間にしわを寄せてそれを眺めているマリクにエミリアが近づいてきて、心配そうに聞いた。

「マリクさん、傷はもう大丈夫ですか?」

「ああ、ずいぶん良いよ。薬も効いてて痛みもそんなにないし。

 そういうエミリアちゃんは? 怪我しなかった?」

 逆に尋ねられ、エミリアはにっこり笑うとちょっと両手を広げてみせた。

「傷はあったんですけど、ほらこの通りぴんぴんしてます」

 狼男に食い千切られた喉も、今朝起きてみればすっかり元通りだったのだから驚きだ。

 その姿を微笑ましげに見つめて、マリクは素直に賛辞を口にした。

「さすがはヴァイセだ」

「でしょう?」

 自分の力ではないことは百も承知の上で、エミリアが誇らしげに胸を張る。その姿がまた、なんとも言えずに可愛い。

 主への賛辞を素直に喜べる、この純粋さ。

(ほんと、彼が作ったとは思えない)

 心の底からそう思ったマリクの隣から、「ほう」と感嘆の声が上がった。

「これがあの森にいた狼男ですか」

 そう、狼男の死体を検分していたのは実はマリクだけではなかった。

 興味深そうにしげしげと狼男の死体を見ているその中年の紳士に、ヴァイセはマリクに胡乱な視線を投げかけるだけ。

「…………………」

 何も口にしないがその瞳はありありと、説明しろ、と言っている。

「ええーっと、この人はブライドさんといって、この町の町長さんだよ。

 エミリアちゃんが俺を迎えに来たときにばったり会ってね。長年この町を苦しめた魔物を見てみたいって言うから連れてきたんだけど、駄目だったかい?」

 その答えは溜息一つ。そして関わり合いになりたくないとばかりに、ヴァイセはふいっと彼らから遠ざかる。

 それは彼らしい行動といえばそれまでなのだが、妙な気配があってマリクは首を傾げた。

 だが紹介されたブライドはそんなこと意にも介さない笑顔でヴァイセに声をかける。

「これを仕留めたのは貴方ですか?」

「………………ああ」

 てっきり無視するものと思っていたら、ヴァイセはぴたりと動きを止めてそう答えた。そしてその赤い目をすいとブライドへと向ける。

 だがその冷たく鋭利な視線にも、けれど目の前の紳士は怯んだりしなかった。

「よろしければ、お名前を伺っても?」

「貴様に名乗る名などない」

「おやおや、警戒されてしまったのかな」

 ヴァイセの低い声音さえ苦笑いで受け止めると、彼は今気が付いた、というようにエミリアに向き直った。

「ああ、そうでした。お嬢さん、この間のお詫びにお茶でもどうですか。ぜひ、この町の特産品で作ったケーキを食べていってもらいたいのですが」

 そうにこやかに誘ってくるブライドに、エミリアは笑顔で首を振った。

「いいえ、お気になさらず」

「ああ、残念。こちらにもふられてしまいましたか」

 そう言って眉を下げる彼には申し訳なく思うけれど―正直に言えばケーキにも魅力を感じるものの―ヴァイセがそれを許可しないのは明白だ。

「ありがとうございます。お気持ちだけいただいておきます」

 そうエミリアが頭を下げると、彼は残念そうに、しかし穏やかな笑みは浮かべたまま会釈した。

「そう言われてしまってはしかたがありませんね。私は退散いたしましょう。お仕事中、お邪魔をいたしました。では、また」

 そして彼は教会を出て行った。

(何をしにきたんだろ?)

 ブライドに会った時から感じるひっかりと共に、エミリアは首を傾げてしまう。

 本当に狼男を見物しにきたのか、はたまた別の目的があるのか。しかし町長の彼が、何の目的があって?

 彼の気配が完全になくなった頃、そんなことを考え込んいたエミリアにヴァイセが聞いた。

「ヤツに会ったことがあるのか、エミリア」

 その主の質問にエミリアはこくりと頷く。

「はい、前に町で少し話をしましたが。ブライドさんがどうかしたんですか? マスター」

 主の態度とブライドの持つ奇妙な空気が妙に気になって、エミリアは聞きかえした。

 だがヴァイセはいつも通り小さく鼻を鳴らして。

「何でもない」

 そう沈黙するだけだ。

 こうなってしまっては、ヴァイセがそれ以上語ることは絶対にない。

 エミリアは傍らにいるマリクと視線を交し、肩をすくめ合うしかなかった。



 その教会から少し離れた場所で。

「く、くくくっ」

 ブライドは堪えきれずに忍び笑いを漏らしていた。

「ははははッ」

 よもやこんな辺鄙な町にあんな人物がこようとは。自分の予想を上回る展開に彼の笑いは止まらない。

「ははは、まさかあんな大物が、とはねぇ」

 あの麗しすぎる青年は間違いなく。

「まったく、駒を一つ潰したかいがあったというものです」

 彼はひとしきり笑い終えると、ふっと目を細め首を傾げた。

(さて、どうしましょう)

 あの青年とじっくり話をするには。

 そこで思い当たったのは、彼の傍にいたあの少女。

(ああ、あのお嬢さんを使いましょうか)

 それはとても良い案に思えた。仕込みはすでにしてあるのだし、何より彼の持ち物をじっくり拝見できるというのが良い。

 あの噂を超えて伝説にまでなってしまった血族の力を直に見ることができるなんてまたとない機会だ。

(しかし扱いには気をつけなければなりませんね)

 気を損ねられては元も子もない。彼と敵対したいわけではないのだ。

 むしろ―――――――。

(きっと同志になれるはず)

 先ほど目にした青年は、確かに噂通りだった。

 傲慢で冷徹で孤高の魔物。あの赤い瞳はすべてを暴き、彼の力は理さえ捻じ伏せるだろう。

 ああ、だが、しかし。

(彼は私と同じだ)

 確かに感じ取った気配に彼はまた笑いを浮かべる。

 そう、何から何まで、噂通り。

「くくっ、これ以上ないくらい良い出会いです」

 いや、こうなるとむしろ、自分と彼は出会うべくして出会ったというところか。

 彼の望みは自分のそれと同じはずなのだから。

(ああ、楽しみです)

 くつくつと笑いを漏らし、彼は信じて疑うことなく足を進めていく。自らの過ちに気付くこともなく。

 彼と自分は同じ。それは確かなことだったけれど。

 望みまで同じとは限らないことを、この時の彼は理解していなかった。



 さてその頃の教会はというと、これまた別の珍客の訪問をうけていた。

 狼男検分もすませ、さてこれでお終いか、というタイミングで現れた実に厄介なその訪問者は。

「「このバチ当たりめがーーーーーーーーー!」」

 教会の外からあらん限りの声で怒鳴った!

 その声に驚いて窓の外を見れば、見知った顔の神父が二人。教会の前で仁王立ちしているその二人組みに、マリクは「あちゃぁ」と顔をしかめた。

「やい、銀の悪魔め!」

「なんて所に立て篭もっている!」

 浅黒で太っちょの司教ダスティンと青白でひょろ長の司教フェルマンが、教会の敷地ぎりぎりの所で怒鳴り散らしていた。

「うわぁ、どうする? アレ」

 厄介そうにそう言うマリクに、ヴァイセはどこか楽しげに言った。

「ほおっておけ。どうせ何もできん」

「ん? 何故?」

 首を傾げたマリクにヴァイセはくくっと笑うと、実に底意地の悪い顔で説明した。

「教会の周りに結界が張ってあっただろう。あれを無理に壊すと教会が崩れるように細工してある」

 そういえば、確かマリク達がここに入る時に「いったん結界をときますから」とエミリアに待たされたような。だとするなら進入を阻む系統の結界なのだろう。

「つまり、彼らが君のところに来る為には結界を破るしかなくて、でもそれをすると教会が壊れる……………と」

 それは結界というよりむしろ、敵の特徴を踏まえた上での葛藤を計算した、巧妙な嫌がらせというのではなかろうか。

 そんな策にまんまと嵌まってしまった二人は、

「なんて下劣なヤツなんだ!」

「よりにもよって神聖なる教会にいるなんて!」

 ヴァイセの思惑通りに結界を壊すことを躊躇って、ぎりぎりとところで罵声を浴びせている。

 そんな彼らをにやにやと満足げに眺め、ヴァイセは彼らを―しかもわざわざ扉まで開けてやる意地の悪さだ―挑発した。

「だったら奪い返したらどうだ。もっとも、それをしたらこの教会は壊れるがな。お前たちの言う、神聖なる場所が」

「「ぐ、ぐぬぬぬぬ!」」

 目の前に現れた―しかも憎たらしいほどの余裕な顔で―標的に、二人は鬼の形相で考え始めた。どうやったらこの現状を打破できるのか、と。

 そんな二人にエミリアは心の底から同情した。

「マスター、やりすぎです…………」

 思わずそう漏らしてしまうほどには。

 途端にヴァイセはそんな従者を睨んだ。

「何だと?」

 しかしその視線にもエミリアは負けなかった。

「だ、だって、こんなのあんまりです。嫌がらせ以外の何でもないじゃないですか」

 彼らが今のように執拗にヴァイセを狙うようになった理由を聞いてしまったからなおさら、エミリアは彼が可哀相に思えてならなかった。

「ほう、お前はただ嫌がらせの為に結界を張っていると?」

「それだけとは言いませんけど。でも嫌がらせで楽しんでる比重が多すぎやしませんかって言いたいんです!」

「そのどこが悪い。あいつ等の価値など、そのぐらいだ」

「マスターの価値観が世界共通なはずないでしょう! 世界はマスター中心に回ってるわけじゃあないんですよ!?」

「何を馬鹿なことを。世界は回ったりはしないぞ。動いているのは己自身だ」

「違います! そんな話をしているんじゃありません!」

「じゃあ、何の話だ。お前が馬鹿だという話か?」

「それも違います!」

 頭をまさに掻き毟らんばかりに苦悩しているエクソシスト二人と、不毛な喧嘩を勃発しはじめた主と従者に挟まれてしまったマリクだったけれど。

「ってゆーか君達、気付くのちょっと遅すぎじゃない?」

 そのあまりに素直すぎる彼の言葉に、ちょっと間の抜けた沈黙が下りて。

「「何だとーーーーーーーー!」」

 司教の二人は絶叫した。

「確かに! 何故気がつかなかったとは思う!」

「思うが、こんなことがあるか!」

 モンスターは宗教的なものに弱い、という思い込み。そこを突かれたのだという必死の弁明だった。

 しかし。

「でも教会がモンスターの根城になってたって例は、けっこうあるんだけどなぁ」

 冷静に突っ込みを入れるマリク。

「良かったな、お前たち。これでまた一つ学習したじゃないか」

 鼻で笑いながらヴァイセがそう言うと。

「「それ以上口を開くなーーーーーーーーー!」」

 再び二人の絶叫が響き渡る。

(そうですよね、そう言いたくなりますよね――――――って、あ、あれ?)

 思わず心の中で相槌を打ったエミリアだったが、その視界がくらり、と揺らいだ。

 けれど彼女の身体は立った姿勢のまま。エミリアはふらりと前に進み出た。

 そんな彼女の行動にマリクが首を傾げ。

「エミリアちゃん? どうかしたの―――――――って、えぇっ!?」

 だが彼がそう尋ねた瞬間。少女は自らエクソシストの二人目掛けて走り出したのだ!

「「おおっ!?」」

 そんなエミリアのいきなりの行動に対処し損ねた二人は、思わず退き道を開けてしまい。結果、せっかく倒すべき敵が教会の外に出てきてくれたというのに、捕獲もせずに素通りさせてしまうという失態となった。

 そしてエミリアは教会を振り返ると、事態を把握できずにぽかんとしている―約一人を除いてだが―彼らに告げた。

「この少女の身体は預かりましたよ。ああ、下手に手を出せば意識がもどらなくなりますので、あしからず」

 声は確かにエミリアのものではあった。だが確実に彼女の言葉ではないそれに。

「……………お前はどこにいる」

 ヴァイセが低く問う。

 それにソレはにっこりと笑って、

「貴方が思っている場所に。まあ、このお嬢さんが案内してくれますよ」

 そう言うと、エミリアはくるりとヴァイセ達に背を向けた。

 そして彼女はまた全速力で駆け出す。いったいどこへ向かっているのか、エミリア自身も分からないままに。

 彼女はひたすらに走っていった。










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