第二章 狩りの始まり 其の四



 夜の森は相変わらずの不気味さで、エミリアは少しだけ身体を震わせた。

 だが主のヴァイセはどこ吹く風、意地の悪い顔でにやりと笑った。

「役立たずはこなくて正解だな」

 そのざまあみろとでも言いたげな満足げな顔に、エミリアはちょっと困った顔で一応フォローを入れておく。

「そもそも、マリクさんは戦うのがお仕事じゃあないですし」

 すると主の冷ややかな視線が降ってきて。

「ええとっ、そういえば! あのエクソシストさん達、この町にいるんですよね! また邪魔しに来たりしないですかね!? あの人たち」

 エミリアはまた慌てて話題を変えた。

 ヴァイセはそんな彼女を軽く睨んだが、変わった話の矛先はそのままにしてくれるようだ。

「来ない。あいつ等が夜に悪魔祓いすることはない」

「へ? そうなんですか?」

 その間抜けな声にヴァイセは呆れたように言った。

「思い出してみろ。日が落ちてからアイツ等と遭遇したことがあったか?」

「そういえば……………ないです」

 よくよく思い返してみたが、不思議なことに夜、あのエクソシスト達に追いかけられた記憶はなかった。

「アイツ等はどこかの馬鹿と違って慎重だ。夜に魔物と戦うのがいかに不利か分かっているのさ」

 そう皮肉げに笑って言う主に、エミリアは前々から疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

「だいたい、何でマスターはあの人たちにあんなに目の敵にされてるんです?」

 答えてくれないだろうか、と思っていたら、あっさりヴァイセはそれに答えてくれた。

「前からあのエクソシスト共は弱いくせにしつこくてな。一度死ぬほど怖い目にあえば諦めるかと思ったんだが、逆効果だったようだな」

「…………………ちなみに、何をなさったんで?」

 恐る恐る聞いたエミリアにヴァイセはしれっと言った。

「まあ、大量の毒蛇がいる穴に落とすような」

「悪魔ですか!」

 そう叫んだエミリアに、ヴァイセは心外だとばかりに眉を歪める。

「そういう幻覚を見せただけだ」

 いや、それでも十分酷いような気がするのだが、どうだろうと考え込んだエミリアに、さらにヴァイセは驚くべき事実を教えた。

「それがもとであいつ等の毛が全部抜け落ちたらしい」

「えっ? あのスキンヘッドって、神父だからじゃないんですか? 素でハゲなんですか!?」

「ああ。まあ聖職者だ。ちょうどいいだろう」

 そう悪びれることもなく言う主に、エミリアはがっくりと肩を落とす。

 そりゃあ恨まれもするだろう。

(何だか可哀相になってきた)

 何度も何度も襲撃されてきた身だが、思わず同情的になってしまうほどの事情だ。というより、むしろあのしつこさに納得してしまうエミリアだった。

 その憐憫に満ちた表情のエミリアを半眼で眺めると、ヴァイセは低く問うた。

「何だ、俺のやり方に文句でもあるのか? 聞いてやらないこともないぞ」

 もちろん立場の弱い従者はそんなことできるはずもなく。

「イエイエイエ、そんなことは――――――」

 ぶんぶんと首を振って言い訳しようとしたが。その時。

 がさりと藪の揺れる音が響いて、エミリアはさっと身構え、短剣を引き抜く。

 そこに現れたのは昨夜の獣。だがヴァイセは余裕なものだ。

「ほう、単体で出向いてくるとはずいぶん残念な頭だな、ウルフマン。それともまだ俺の力が分かっていないのか?」

 だがそんなヴァイセの強気な発言さえ狼男は愉快なようだ。

「あはっははぁ、分かってるよぉ、オマエが強ぃなんてぇことはぁ。でも、大丈夫なんだぁ。ボ、ボクはぁ、不死身なんだぁから」

 へらへらと嗤うウルフマンにヴァイセはひどく冷たい視線を送った。

「そうか、不死身か」

 その声はぞっとするくらい低かった。

(お、怒ってる?)

 どこで怒りのスイッチが入ったのかは分からないが、主の不穏な気配は感じ取ってエミリアは首を竦めた。

 けれど残念ながら狼男にはそれが伝わらなかったようだ。

「そぉなんだぁぁあぁぁぁっ!」

 躊躇なく飛び掛ってくる狼男を避けて、ヴァイセはエミリアに命じた。

「ヤツの動きを止めろ」

「はい! マスター」

 そしてエミリアは躊躇わず狼男の懐へと飛び込んで切りつけた。

 だがそんな攻撃をくらう狼男ではない。やすやすと避けて、にたりと笑う。

「あはっ、ひどいご主人さまだねぇえぇぇぇ。こぉんな可愛い子に死ねってさぁあぁぁぁ!」

 明らかに自分より劣っている相手だ、引くこともせずに彼は爪を閃かせエミリアを攻撃してくる。

 だがエミリアとて闘いの心得がないわけではない。

「死ねとは命じられてはいませんよ?」

 爪を短剣で弾いて、再び狼男への身体に切りつける。

 だがそれも狼男は難なくかわした。

「同じこぉとだぁよ。君、とっても弱そぉだもの」

 そしてぺろりと唇を舐めて、狼男はにたにたとエミリアを見た。

 いたぶっても良いが今日の獲物は彼女ではない。早々に片付けてしまおう。そう決めた彼はエミリアに最後の言葉をおくった。

「ごめんねぇ、でもぉ、早く終わらせるからねぇぇぇ」

 けれど少女はにこりと微笑んだ。

「それはどうでしょう」

「あははっ、いいねぇぇぇ、好きだぁな、そういう子!」

 そして狼男は容赦なく少女に飛び掛り、エミリアの喉笛に喰らいつくと、細い少女の首を食い千切った!

 ザシュッ! という肉を引き裂く感触に恍惚を覚えた狼男は、けれど少女の小さな手がすっと持ち上がると、たちまち困惑した。

 だって自分の牙は、確実に少女の咽を掻っ切っているというのに。

「あ、あれぇ? お、おかしいな? 何で、何で、何で」

 それなのに、彼女は何でもないかのように微笑んで。

「何で! 死なないんだよッ!?」

 そっと狼男の身体に腕を回し、拘束したのだ!

「生憎、ソレはそんなことでは壊れないんでな」

 ヴァイセが呟いたその言葉を彼は聞いていたのかいないのか。

 チャキリという音と共に狼男に銃が突きつけられ。ガァン! と、逃げることもできない彼の足に銀の弾丸が打ち込められる。

「ぎゃぁぁああぁぁぁぁぁぁっ!」

 途端、彼は凄まじい悲鳴を上げて地面をのた打ち回った。

「あぁぁ、痛ぃぃぃぃぃ、痛ぃよぉぉおぉぉぉ。

 で、でもぉぉぉおおぉ、ボクはぁ、不死身なんだぁぁあぁぁぁぁ!」

 それでもなお死にはしない狼男を眺め、ヴァイセは淡々と言った。

「なるほど、確かに頑丈だ。だが、それだけだ。お前はここで死ぬ」

 しかし狼男はにやりと笑って。

「し、死ぃななぁいよぉぉぉ。死なないって、言ったんだぁ、あの人がぁ」

 そう言った。

 それは無邪気な子供が妄信的に言い張るような顔で。どこまでも拙いその彼に、不意にエミリアは悲しくなった。

 あの人と、そう、彼は言ったから。

「誰に何を吹き込まれたかは知らないが、お前は不死身なのではない」

 ヴァイセは真実を告げるとどこまでも冷酷に、清めてある銀のナイフで狼男の腕を切り落とした。

 あっさりと切断されてしまったその腕を呆然と眺めて。

「……………………うそだぁ」

 彼は信じられないように呟いた。その顔がエミリアには痛々しかった。

 彼は本気で信じている。自分は強い。自分は不死身だ。〝あの人〟が言うのだから、と。

 ヴァイセは何も言わず、ただもう一方の腕も切り落とした。

「ウソだ。ウソだ、嘘だ、嘘ダ、うそだ、ウソダ」

 そう繰り返す狼男が哀れに思えて。

(ああ、マスターはコレに怒ってたんだわ)

 エミリアは気がついた。

 どこまで主が事態を把握しているのかは見当もつかないが、きっと彼は初めからこの件に裏で糸を引いている人物がいることを知っていたに違いない。

 そしてその人物が狼男を使い捨てたことも。

 でも、きっと一番腹を立てているのは―――――――。

(心を弄んだ、そのやり方に)

 怒り狂っているのだ。

 静かに見守るしかないエミリアの前で狼男は吼えた。

「死なないって、いったんだあ! あ、あのひとがぁ! いったんだ!

 あのひとはぁ、ボクにうそなんて、つかないぃぃぃぃぃぃぃ!」

 両腕をなくしてもなお牙を剥いて突進してくる狼男に、ヴァイセは小さく呟く。

「気付きたくないというなら、それでいい」

 そして銃口を額へと突きつけて。

「もう眠れ」

 引き金を引く。

「…………ぁ」

 見開かれた狼男の目に映ったのは、細められた赤い目で。逸らさずに自分を見ているその瞳に彼は笑った。

 どうしてだか。その視線がひどく嬉しくて。

(なぁんだ。ボクはただ、見つけてほしかっただけ)

 こんな風に。誰かに見てもらいたかっただけなんだ、と。

 頭が撃ち抜けれるその瞬間に気付き、そして彼の意識はそこで途切れた。

 永遠に。










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