第二章 狩りの始まり 其の三
教会へ帰り着いたエミリアは、恐る恐る扉を開けてそっとなかを覗き込んだ。
急いで帰ってきてはいるものの、行く前の不機嫌さを考えれば迂闊な行動はできない。慎重になかを確かめると、問題の主は長椅子に足を投げ出して目を瞑っていた。
どうするか迷うところではあったが、このまま何もせずにいるのも後で叱られそうだ。仕方無しにエミリアはなるべく音をたてずにヴァイセのもとへといくと、
「マスター、もどりました」
そっと報告する声に、ヴァイセは薄く目を開いて少女を見る。
そして一言。
「遅い」
「………………すみません」
予想通りの叱責に思わずしゅんとなる。いつもと同じこととはいえ、主に咎められるのはあまり嬉しいことではない。
それも、先ほど思い出してしまったあの微笑みのことを考えたら。
(ああああ、先は長そうぅぅぅ)
少しばかり落ち込んでしまうのも仕方がないだろう。
しかしそんなエミリアにヴァイセは不審そうな顔をした。
「どうした? アイツは無事送りとどけたんだろう。何かあったのか?」
「いいえ、何でもありませんよぅ」
半泣きのようなエミリアの返事に顔をしかめたものの、ヴァイセはそれ以上そのことについて追求はしてこなかった。
ただ気だるげに身体を起こして聞く。
「それで、あの役立たずは?」
その「役立たず」とは間違いなくマリクのことだろう、エミリアは弱った顔をしながらも主の質問に答えた。
「しばらくは宿で休むそうです。後はマスターに任せるって」
「そうか」
そんな主にエミリアは首を傾げた。
「で、マスターはどうするんです? 今夜また森に行くんですか?」
それにヴァイセは当然のように言った。
「ああ。ヤツにそう約束したからな」
だとするなら従者のエミリアのとる行動はただ一つ、頷くだけだ。
「分かりました、マスター」
そこでエミリアは、「あ」と気がついたようにマリクに渡されていた布袋を取り出した。
「そうだ、これをマリクさんから預かってきてました」
そう言ってエミリアが差し出したのは、拳銃一丁と銀の弾丸一ダース。つまり狼男を狩る為の道具だ。
「あんまり無駄遣いはしないでほしいって言ってましたけど」
なにせ銀。いくらハンター協会が太っ腹と言っても、そうそう乱発はできないだろう。
現にマリクは拳銃を二丁所持していて、狼に向けて撃っていたのは普通の弾丸だった。それに気がついたヴァイセはにやりと笑うと、悪どい案をすらりと口にした。
「全部換金してやろうか」
「……………やめてあげてください」
平気でやってしまいそうな―否、彼女が止めなければ確実にやっているだろう―主に、エミリアは控えめに進言をしておく。
そんな彼女をヴァイセはつまらなそうに眺めると、不意に不可解なことを言った。
「ずいぶんヤツを庇うんだな」
それも、どこか拗ねた様な響きがあるような、ないような。
「ふえっ? そ、そういうわけじゃあないですけどっ。こう、同病相哀れむ、みたいな」
「そうか、お前とヤツは同病か」
そのどことなく冷たくなった視線に、エミリアは慌てて別の話題を持ち出した。
「そ、そういえば、さっきマリクさんに聞かれました。私がどうしてマスターの従者をしてるのかって」
ヴァイセの眉が怪訝そうにひそめられた。
「答えたのか?」
どこか真剣なその声に、エミリアはあっけらかんと答える。
「はい。分かりませんって答えました」
ただそれだけのやりとりだ。別に隠すこともない。身内の、ちょっとした世間話程度のこと。
そんな風にしか思っていなかったエミリアだったが、主は違ったらしい。
ヴァイセは少しだけ口を歪めて、
「知りたいか」
と、ぽつりと呟いた。
「はい? 何を?」
何を言われたのか分からずにエミリアは首を傾げる。そんな彼女にどこか苛立たしげにヴァイセは言った。
「どうしてお前が従者になったのかを、だ」
「あるんですか? 理由」
それは少し意外だった。この主のことだ、気まぐれで作ってみたとか、便利そうだったからとか、さして深い理由などないかとエミリアは思っていた。
だがどうもそうではないらしい。
「あるといえばある」
はっきりとそう言うヴァイセにエミリアは迷って、しかし首を振った。
「んぅ~~~~~~~、いや、やっぱり知らなくていいです!」
その答えにヴァイセは目を細め、ただエミリアを見つめた。
「何か知っちゃうとと後が怖そうで………って、別にマスターが怖いって言ってるんじゃありませんよっ? ただ聞かせてやるかわりにあれしろ、これしろってまた言われ…………じゃなくっ! そう! 知らぬが仏って言葉もあることですし!?」
「ほう、どうやらお前は刺激に飢えているらしいな?」
徐々に変わっていく剣呑な視線にエミリアは全力で首を振った。
「イエイエイエイエ! そんなことありません! 大丈夫です、間に合ってます!!」
ヴァイセは呆れたのか溜息を一つ吐くと、また身体を横たえた。
「じゃあ、休んでいろ。もう夜まですることもない。俺も寝る」
そして言葉通りに早々に目を閉じてしまった。
だからエミリアも同じように長椅子に身を横たえると、
「はい。おやすみなさい、マスター」
いつものように呟いて目を瞑ったのだった。
眠りに落ちたヴァイセは夢を見ていると自分でも分かった。懐かしい夢だ。
きっと眠る前に聞いたエミリアの言葉のせいなのだろう。まだ子供だったエミリアをヴァイセはただ見ている。
ガリガリで痩せぽっちな、少年と見間違えるほどだった、小さなエミリア。
森の入り口で足を折られて捨てられていたそれを前にして、ヴァイセはただ、これをどうしようか、としか思わなかった。
森の魔物にこうした供物を捧げて難を回避する。商人達がよく使う手だ。
さて、その供物を見つけた自分はこれをどうするべきか。喰ってしまってもいいし、見捨ててもいい。
まあ喰っても不味そうだな、などと考えていたら、それはぼんやりとヴァイセを見上げて言った。
「それ、ほんもの?」
その瞳にはヴァイセがはっきりと映っているようだったが、恐れる様子も助けを請う素振りもなかった。
ヴァイセはそれが何をしたいのか判らず―しかし興味をひかれたので―そのまま黙ってそこに立っていた。
そんなヴァイセに、どうしてか、それがふっと笑った。
「きれい………………夕焼けみたい」
それがヴァイセの瞳のことを言ったのだと、後に判った。しかしその時にはそんなこと思いもよらず、またそれがそのまま気を失ってしまったので、ヴァイセの思考は振り出しにもどった。
つまり、これをどうしようか、と。
そうして考えた挙句、ヴァイセはそれを隠れ家へ持ち帰った。
どうして笑ったのか。きれい、とは自分のことなのか。それが知りたかった。
きっと始まりはそこなのだろうけれど。
ヴァイセは自分に目覚めろ、と命じる。
幸せだった幻影はいずれ牙をむく。それに、何より―――――――。
静かな闇夜の中に小さな寝息が聞こえる。目を開ければ、そこには間抜け面をして寝こけている従者の少女がいる。
彼女は――――――そこにいるのだ。
目を開ければ辺りはもう闇夜に包まれていた。これからがヴァイセ達、魔物が支配する時間。
身体を起こして傍らを見れば、思ったとおり口を半分開けて寝ている少女がいた。涎が垂れていないだけマシか。
(相変わらずの間抜け面だな)
そう思ってそっとその頬を撫でそうになる。だがヴァイセはその手を寸でのところで引っ込めた。
そう、触れるべきではない。思い出は思い出のままに。この想いはただ、自分の胸のうちにあるべきなのだ。
ヴァイセはふっと息を吐き、そして気持ちを入れ替える。
自分は横暴な主で、少女はそれに扱き使われている従者。それ以外の何者でもない。
だからヴァイセはいつものように冷たい目で彼女を見ると。
「起きろ、この間抜けが!」
容赦なく眠っている少女を叩き起こしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます