第二章 狩りの始まり 其の二



 無事に教会へと帰りついた三人は、そのまま夜が明けるのを待った。

 そして東の空が薄っすらと明るくなってきたころ、エミリアはやっとほっと息を吐く。

 日中では狼男も動きが鈍る。おそらく襲撃はないはずだ。

 そして心配そうにマリクに尋ねた。

「傷、大丈夫ですか?」

 傷口は布で縛ってはいるものの、そこから滲む血が傷の深さを物語っている。

 しかしマリクはいつものように笑ってみせた。

「血は止まったみたいだ。もちろん痛いけど、今すぐどうにかなる傷じゃあない」

「でも」

 そう言葉を続けようとするエミリアを、けれどマリクはやんわりと遮った。

「ありがと。でもここで痛いーなんて言っちゃ男じゃないでしょ。かっこつけさせてよ」

 そんな風に言われてしまえばそれ以上は何も言えない。

 困った顔でマリクを見るしかないエミリアに、マリクはちょっと楽しそうに付け足した。

「でもエミリアちゃんが看病してくれるなら、甘えちゃおうかなぁー、なんて」

 しかし言った途端、ヴァイセの冷たい視線に射抜かれた。

「そうか、そんなに酷いか。なら俺が縫ってやる」

「……………それって、確実に麻酔とかないよね。しかも傷口わざとえぐったりするよね、君」

「腕の確かさは貴様も承知していると思ったが?」

「知ってる。けど、君の性格はもっと良く知ってる」

 非常に嫌そうな顔をしてマリクはやれやれと息を吐いた。

「まあ、冗談はここまでにして、一旦宿にもどるとするよ。さすがに、これじゃあ戦えないからね」

 そんなマリクにエミリアは即座に言った。

「送っていきます」

「いや、いいよ。大丈夫」

 もちろんマリクは首を振ってそれを断ったが、こればかりは譲れないとエミリアは言い張った。

「駄目です! そんな身体の人を一人でなんて行かせられません。マスター、いいですよね?」

 必死な顔で懇願するエミリアにヴァイセは眉間にしわを寄せ、けれどけっきょく溜息を一つ吐いて許可した。

「かまわん。行ってこい」

 その主の優しさに思わず笑顔になる。

「ありがとうございます!」

 そう頭を下げた彼女に苦々しい顔をして、ヴァイセはそっぽを向いた。

「ただし、寄り道はするな。すぐ帰ってこい」

「はい、マスター!」

 その不機嫌そのものの声に今一度姿勢をただし、エミリアはしっかりと頷いた。



 主の許しを得たエミリアは、宿への道をマリクに付き添って歩いていた。

 その途中でふと思いついたようにマリクがエミリアに言った。

「いい機会だからエミリアちゃんに質問したいことがあるんだけど」

「………………あんまり馴れ馴れしくすると、またマスターに睨まれますよ」

 エミリアは困った顔をしてマリクに釘を刺した。けれどマリクはそれに苦笑いをするだけで諦める気はないようだ。

「それは困るけど、どうしても疑問があってさ。それ、エミリアちゃんに聞くしかなさそうだから」

 そんな風に言うマリクに、エミリアは苦笑いをしながらも同意する。

「それはまぁ……………マスターは確実に答えないとは思いますけど」

 ヴァイセがマリクの疑問に答えることなど皆無だ。おそらく黙殺されるか、一笑にふされるか、どちらかだろう。

「だろ? ね、お願いだから、君が答えてよ」

 だからそう頼んでくるマリクに、エミリアは困りながらもけっきょく「いいですよ」と頷いてしまう。何だかんだ言いつつ、可愛がってくれているこの青年には弱いのかもしれない。

 そんなエミリアにマリクはにっこりと微笑むと「じゃあ質問ね」と疑問を口にした。

「エミリアちゃんってどうしてヴァイセの従者になったの? というか、いつから?」

 しかしエミリアが答えたのはたったの二文字だけ。

「さあ?」

 そうこてんと首を傾げた少女にマリクは唖然とした。

「さあって…………」

 そこで不意に思い当たった。もしかすると、この少女は。

「まさか、覚えてないの?」

 そのマリクの問いに、エミリアはこくりと頷いた。

「私が目を開けたらマスターがいて、私はマスターの従者だと言われました。それが一番最初の記憶です。たぶん、六年くらい前だと思いますけど」

 やはり彼女はヴァイセの従者になる以前の記憶がないのだ。けれど彼女にとって、そのことは疑問ではないらしい。

「でも私はマスターに作りだされたので、それが当然なのでは?」

「あー、まあ、そういう見方もできるよね」

 当然のことのようにそう言う彼女に、マリクは曖昧に頷いた。

「どうかしました?」

 その不思議そうな顔はどこまでも素直だ。

 だからマリクはそのままの笑顔で首を振った。

「いや、いいんだ。答えはやっぱりヴァイセしか知らなそうだなーと思って」

 そしてぼやくように呟いてみせる。

「答えてくれるかなーーー」

「答えてくれるといいですね」

 力なくそう言うエミリアにマリクは乾いた笑いを漏らした。

「あはは、期待はしないけどねー」

 けれど、そう言う彼の瞳は、深く不穏な色を滲ませて輝いていた。



 エミリアはマリクが無事に宿へともどったところを見届けると、来た道を引き返した。

 ちょっと町の中を覗いていきたい気持ちもあるが、あまり遅くなってはヴァイセに何を言われるかわかったものではない。

(きっとお仕置き確実。人体実験台百連発だわ)

 しかもねちねち嫌味を言いながら。

 過去何度それで夜を明かしたか。思い出しただけでぞわりと背筋が冷たくなって、エミリアの足は自然と速くなる。

 だいたい、主のヴァイセはエミリアに容赦がないのだ。

(そりゃ下僕ですし、生み出してもらっといて文句言えないんですけど)

 もうちょっと優しくしてくれてもいいじゃないですかー、とか言えるはずもないことを心で思ってみたりする。

(こう、もうちょっと、なんてゆーか…………笑ってくれるだけでも)

 違うのに、とか思ってしまうのは、きっと先ほどマリクがしてきた質問で思い出してしまったからだ。

 冷笑と嘲笑のオンパレードな主だけれど、たった一度だけ微笑みを見たことがある。そう、エミリアが目覚めた、あの瞬間。

「エミリア」

 目を開けたあの時、彼は優しく名を呼んで微笑んだ。

 その顔があまりに綺麗で、悲しくて、何も言わずに見つめていたら。

(…………つねられたんだよね)

 しかも頬をぐいぐいと、顔の形が変わるくらいに。

 その時にはもうすっかり底意地の悪い現在の顔になってしまっていて。

「痛覚は感じないようにしてあるが、こうも無反応だと面白みがないな」

 と、恐ろしいことを言ってくれた。

(ほんと、あれ以来あんな顔、見たことないんだけど。ちょっとくらい見せてくれも、バチは当たらないと思うんだけどなーーーー)

 まあそれを本人に言う勇気はとてもないのだが。

 しかし、こちとら不死身の身の上である。時間ならそれこそ死ぬほどあるのだ。万に一つの奇跡を気長に待ったとして問題はないだろう。

 だから、いつか、きっともう一度。

 もう何度目だか判らないそんな決意を胸に、エミリアは帰り道を急いだ。



 そんな風に考え事をしながら歩いていたせいだろうか、建物の角を曲がったところでエミリアはドンッと人にぶつかってしまった。

 勢いこそなかったが、自分よりも大きな身体にぶつかって思わずよろけてしまったエミリアを、大きな手ががしりと支えてくれる。

「っとと、すみませんっ」

「いやいや、こちらこそ」

 ぶつかったのは歳こそ中年過ぎのようだったが、物腰は優雅で紳士を思わせる優しげな男性だった。

 彼はぶつかってしまったエミリアを責めることもなく、逆に問いかけた。

「お怪我はないですかな?」

「あ、はい。大丈夫です」

 そう答えたエミリアを覗き込んで、

「おや? 見かけない顔ですな、お嬢さん」

 彼が首を傾げた。

 そんな彼の言葉にエミリアは少し焦る。

(あ、これってマズイかしら)

 何せエミリアは一度この町の墓地に埋葬された身である。それに気が付かれたらどうなることやら。

 どうにかして誤魔化さないとと冷や汗をかいたエミリアに、彼は幸運な勘違いをしてくれたらしい。

「旅の方ですかな?」

 そう聞いてくる彼にエミリアはこくこくと必死に頷いた。

「ええ! そうです。ちょっと連れが怪我をしてしまって」

 すると、彼はどこか納得したように頷いた。

「ああ、それでモーテル・ウッドからきたわけですね。

 あそこに泊まっているとなると、お連れさんはマリクさんか、ダスティン、フェルマン司教のお二人か、ということになりましょうか。どちらのお知り合いで?」

 正直に言えば、そのどちらもお知り合いには違いないのだけれど。

 そんなこと言えるはずもなく。

「え、えっと、………マリクさんです。よくお分かりになりましたね」

 内心をひやひやしながらも答えるエミリアに、にこりと微笑んで彼は不思議なことを言った。

「私はこの町のことならば何でも分かっているのですよ、お嬢さん」

「えっ?」

 それはどういう意味だろうと思わず勘ぐると、彼は「ああ」と気がついたように付け加えた。

「すみません、申し遅れまして。私はブライド・エイフマンといいまして、この町の町長をやらせてもらっております」

 なるほど、先ほどの言葉はそのことを指していたのか。

(それにしては何だか意味深な台詞だったけど)

 どこか不思議めいた雰囲気を持つひとだなぁと思っていたら、彼が不意に何かに気がついたように顔をしかめた。

「おや、すみません。お召し物が破けてしまったようだ」

 見ればぶつかった時に何処かに引っ掛けてしまったのか、エミリアの服の肩口が少し裂けてしまっていた。

「どうしましょう。何か代えでもあればいいのですが、あいにく私は一人やもめで。女性の服など縁もないですし、さて困りました」

 別に彼のせいというわけではないのに本当に困った顔をするので、エミリアは慌てて大丈夫だと手を振ってみせた。

「いいんですよ、このくらい! 自分で繕えますから」

「そうですか? しかし…………」

 彼はそれでも申し訳なさそうな顔をしていて。少し悩んだ後にこう言ってきた。

「機会があればお詫びさせていただきましょう。まだこの町に滞在されるのでしょう?」

「ええ……………たぶん」

 エミリアの返事を聞いた彼はふっと微笑んで、軽くお辞儀をすると、

「それでは、またお会いしましょう、お嬢さん」

 と、不思議な雰囲気のままに、そこを去っていった。

 その後姿をつい見送ってしまったエミリアだったが。

(って、そーだっ、こんなことしている場合じゃないんだった!)

 不機嫌そうな主の声を思い出し、顔色を変える。

寄り道をしていたなどと知れたらどうなることやら。

 そうしてエミリアは青い顔で来た道を全力で駆けもどっていった。










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