第四章 望みの果てに 其の二



 一方、その頃のブライドはというと、森に身を潜めながら考えを巡らせていた。

(まったく、あの青年ときたら、本当に何から何まで噂通りですね)

 ゾンビを全滅させた破格な魔力といい、その徹底ぶりといい。ただ、ブライドの誤算は彼があれほど人に執着をみせたということか。

 だがそれも解せない。何故、彼はあんなに人を擁護するのか。

(人の命など取るに足らないものだというのに)

 彼にとって人など実験台にすぎなかった。この町とてただの隠れ蓑。狼男を掌中に抑えたブライドがこの町の人心をつかむ事は容易かった。

 狼男に襲われない対策と表向きは町人を導き、その裏でディーンに入れ知恵をして旅人だけを襲わせたのだ。そして彼はこの町にきて一年もしないうちに今の地位を手に入れた。

 あとはやりたいようにするだけだった。邪魔者を排除し、ハンターを巧妙に殺して追っ手を欺き、死体を使って実験を続けた。

 愚鈍な人々に、利用されていることも気付かぬ馬鹿なモンスター。すべてはただの駒に過ぎない。彼の良いように使い捨てられるモノ。

 そうすることができるのが、力を持つ者の権利だというのに。

(彼はそんなことも解らないのか? いいや、彼はそんな生温い考えの持ち主ではないはず。ならば、何故?)

 しかし彼はふぅと息を吐き、その堂々巡りの考えを止めにした。どうせあの青年を分かる必要などない。

 その『人でも魔物でもない』という境遇に惹かれはした。だが結局、自分とあの青年は違ったわけなのだから。

 ブライドは皮肉げに笑う。

(所詮は格が違う、ということなんでしょうかね)

 町中を包んだ黒い影はことごとくゾンビを切り刻み、それは例外なくこの町から逃亡しようとしていた彼にもおよんでいた。

 その影を祓って、彼は呻く。

「これほどの力を持ちながら」

 何故、彼は望まないのだろう、と。魔物としての地位を。

 彼ならば魔物の世を蹂躙することなど容易いだろうに。自分はその力こそ欲して止まぬというのに、あの男は!

 そんな自分の手を撥ねつけた。同じだと思っていたのは自分だけだったというわけだ。

(ひとにも魔物にもなれぬモノ)

 理を捻じ伏せることができるのは力だけ。

 彼は力が欲しかった。誰にも何者にも、口出しできない、見下されない、確固たる力。

 散々自分を馬鹿にしてきた人間共などどうでも良い。所詮は人から成ったものだと見下す魔物共よ、見るがいい。これが私だ、と。

 私の力にひれ伏すがいい。

(そうだ……………私はそうあるべきなのだ)

 ヴァイセの言っていたことは正しかった。

 彼は間違いなく狂っていた。どこからそうなってしまったのかなど判断できないし、もはやそれを知ったところでどうにかなるものでもない。

 彼はもう止まることなどない狂気を突き進むしかないのだから。

(こんなところで、死ぬわけにはいかない)

 影の攻撃が止んだところを見計らい、彼は森の中を走った。

 だがすぐに気付いた。自分を追跡している何者かがいることに。

 ああ、きっと彼だ。彼は自分を見逃す気などない。

(では―――――戦わなくては、なりませんねぇ)

 たとえ勝てなくても、逃げ延びることはできる。その策に必死で頭を巡らせながら、彼は笛を取り出し吹いた。

 その音は狼を従わせるもの。この森の狼を調教したのも、ディーンをそれが使えるようにしたのも彼だ。狼を操るなど、彼にとっては造作もないことだった。

 しかし、その直後。ウォォォオオォォォォォォォォン! という、一鳴きの咆哮に、森が震えた。

 びりびりと感じられる、その殺気に。森のすべてが萎縮する。

 もちろん、狼達を操ることもできなくなっていた。ブライドがどんなに指示を出しても、彼らは一向に集まってくる気配はない。

 そんなブライドに低い声が忠告した。

「獣は縦社会、強者に従うものだ。お前のそれはもう使い物にならない」

 その姿は確認しなくても分かる。彼に追いつかれたのだ。

「そぉですねぇ。では! これは、どうでしょう!!」

 ブライドは小瓶の中にの液体を地面にぶちまけた。

 途端にそこらに生えていた草木が、まるで意思をもったかのようにうねり、ヴァイセの行く手を阻む。

「くだらんな」

 だがヴァイセはそれをあっさりばさりと切り捨てた。

 しかし「それはどうでしょう?」と、ブライドはにやりと笑った。

 すると、切り捨てたはずの蔓がうぞうぞと虫のように動き、ヴァイセの身体に纏わり突いてくる。

 ヴァイセは無言でそれも切り捨てたが、どんなに切り刻んだところでそれは終わらない。むしろ執拗にそして周りの草木は勢いを増してヴァイセの身体を締め上げた。

 それを満足げに眺めブライドは言った。

「ふふふっ、私でも貴方の足止めをする程度の力はあったようですね。では、また」

 そして彼はその場を去ろうとしたが、

「この程度で、か?」

 ヴァイセの馬鹿にしたような声に思わず振り返った。

 その瞬間、ちりっと空気が揺れる。

(まずい!)

 ブライドは両手を前に突き出し結界を張ろうとしたが、その前に。

 ゴォォオオォォォオォォォォォッ!

 膨れ上がかった炎が火柱となって蔓を焼き尽くし、ブライドの両手を焼いた!

 かろうじて顔と身体は護ったブライドだったが、両腕はもう使い物にならぬほどの火傷を負うことになってしまった。

「ッツ―――――――!」

 だが彼は諦めなかった。なりふり構わず、使えるだけの薬をすべてばら撒いて逃げた!

 館の時と同じような煙幕だが一度吸えば常人ならば即死に至るものだ。だがそんな煙幕もヴァイセの起こす風にすぐに霧散する。

「ッハ、ハアッ、ハアッ、ハアッ!」

 必死で逃げるブライドだが、頭のどこかでは分かっていた。逃げられるはずがない。

 ヴァイセは確実に、しかしじわじわと彼を追い詰めていく。

「どうだ、追われる側になった気分は」

 低い声はどこまでも冷徹だった。

「これではお前はあの狼以下だな。アレの方がまだし手ごたえがあった」

 ザザザザッという音と共に、閃く斬撃がブライドを襲う。

「っく!」

 ザシュザシュッ! と、それが彼の身体を容赦なく切り裂いて、ブライドはとうとう足を止めた。

「何だ、もう観念したのか」

 そして彼の目の前に、銀の髪を揺らし赤い目を光らせて。その魔物が現れる。

「何故……………何故なのですッ!?」

 ブライドは叫んだ。

「これほどの力を持ちながら、さらに力を欲しながらッ! 何故、私の手を取らないのです!!」

 最後の足掻きとは違ったそれにヴァイセは目を細めた。

「俺にも俺の目的がある」

 そしてそれは彼とは相容れぬもの。だがそれがブライドには解らなかった。

 彼はさらに言い募った。

「ならば共に成そうではないですか!」

 目的があるというならば! 達成する為の力を共に求めたらよかろう!

 自分には彼を支える知恵も野心もある。そう、きっと、自分こそが彼の良き理解者となれる!

 生き残るための弁だけではない彼のそんな狂信的な言葉に、ヴァイセはただ静かに淡々と言い放った。

「ああ。だからこそ、貴様はその礎になれ。俺の目的のために」

 すっと取り出したナイフが何の為の物なのか、ブライドには判ってしまった。

 ああ、この男は自分を喰うつもりなのだ、と。その為に今まさに彼の命を狩らんとしているのだ。

「ま、待ってくれ!」

 それに気付いたブライドは上ずった悲鳴のような声を上げた。

 ヴァイセは嘲った。

「貴様自身がしてきたことだというのに、逆の立場となればそれを恐れるのか。滑稽だな」

 ゆっくりと近づいてくるヴァイセに、ブライドはごくりと喉を鳴らす。

 その冷たく光る鋭利なナイフからは逃げられない。解っている。

 抵抗も、もはやできない。自分はここで死ぬ。それでも。

 汗がだらだらと出て止まらない。そうか、これが―――――――恐怖というものか。

「………………悪魔」

 呟いたブライドに、ヴァイセは唇を歪めた。

「今更だな」

 そして彼は躊躇わずナイフをブライドの胸に深々と突き立てた。

「ぐぁっ!」

 だが痛みは長くは続かない。

 すっと引き抜かれたナイフに、傷つけられた胸からは大量の血が吹きだし。

「がはぁっ!」

 ごふりと血を吐いて、人から魔物になった哀れな男は絶命した。

 その、もはや動かない彼を前にして。愚かだな、とヴァイセは嗤った。解るはずなどないのだ。この想いが。

 利己的に他者を切り捨てた彼に。思慕を踏みにじることしかできない者に、解かられてたまるか。同じであって、たまるか。

 ヴァイセは一息つくと、儀式のようにナイフを一振りしてそれを収め、その死体に手をかけた。










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