第一章 森に潜むモノ 其の二
森はうっそうとしていて、昼でも薄暗い。
それでも細く続く道は程よい歩きやすさで、警戒心のない旅人はうっかり入り込んでしまいそうだ。
「なるほど、よくできてる。これってたぶん街道につながってるんだろ?」
「だろうな。旅人を誘い込む為に、な」
近道にとここを通り抜けた旅人は、哀れな末路をたどることになったろう。おそらくこの道の何処かに痕跡が残っているはずだ。
周囲にそれとなく気を配りながら二人は奥へと進んだ。そうしてどのくらい歩いただろう、ふいにマリクが足を止め、上を見ながら言った。
「あった」
何が、とは聞かずにヴァイセはただマリクの視線をたどり、目を細めた。
その視線の先、仰ぎ見なければ気がつかないような木の枝の先に、青い布が縛り付けられていたのだ。
「どいつの物だ」
そう尋ねるヴァイセにはもうそれが何か分かっているのだろう。マリクは首を傾げて近くにある岩場に足をかける。
「さあ? 確認してみなきゃ判らない」
そして「よっ」という声と共にその枝に手を伸ばし、それをむしり取った。
その青い布はハンター達に配られている認識番号の入れられた、いわば緊急用の目印のようなもの。ハンター達を追跡する時にも使うそれがここにあるということは。
嫌な予感はますます強まるばかりで、それを広げ見たマリクは、何とも言えないような顔をヴァイセに向けた。
「ここに出発したハンターで、一番最近のヤツの物だ」
「貴様の予感が的中したな」
「全然嬉しくないけどね」
台詞通りの非常に嫌そうな顔でそう言い返し、マリクは布を懐に仕舞いこむ。
「この分じゃあ全員お陀仏って線も濃厚かなぁ。だとすると、ハンター達の形跡を慎重に消しながら始末してるってことか」
「だろうな」
マリクは頷くヴァイセを探るように見た。
「君、さっき言っていただろ、狼男に新説だって。あれ、どういう意味? この森にいるのは狼男じゃあないのか?」
そんなマリクにヴァイセはくだらないとばかりに簡単な答えを返した。
「ここにいるのは間違いなく狼男だろう」
しかしマリクはなおも納得がいかないと首を捻る。
「じゃあ何で墓場から死体がなくなっている? それにハンターの痕跡を消しながら始末するなんて芸当どう―――――」
しかし話はそこで中断となった。
オォォォオォォォォォォォン! と、森全体が鳴いたような獣の声が響いたかと思うと、ざ、ざざざざ、ざっ、と草を掻き分ける音が四方八方からとマリクとヴァイセに向かって聞こえてきた。
「どうやらしびれを切らしたらしいな」
くくっと面白そうに喉を鳴らすヴァイセのその姿は、とても今から襲われると分かっている者とは思えない。
対してマリクは険しい顔で懐から拳銃をとりだし、ヴァイセと背中合わせの姿勢をとる。
迫ってくる音と気配。そして、がさっという音が二人の目の前の藪で止まった。
その奥には赤い光が一つ、二つ、三つ……………。
「そら、くるぞ」
ヴァイセがそう言った途端、四方から狼が躍り出るように二人に襲い掛かった!
ガァン! ガァン! という銃声と、ヒュッというナイフが空気を切り裂く音が重なる。
マリクは襲い掛かってくる狼を端から順に撃ち落し、ヴァイセも細いナイフをまるで林檎に当てるかのような気安さで狼に命中させていく。けれど狼の襲撃は止むことがない。
狼達は幾ら傷つけられようとも、次から次へと飛び掛ってくる。
「数が多いなッ。でもこれ、普通の狼じゃないかッ?」
「ああ。だがこの群れを統率しているヤツが近くにいるはずだ」
延々続くかと思われた狼達の攻撃だったが、しかし徐々に緩急をつけるようになってきた。
一定の距離を保ってはいっせいに襲ってきて、そしてまた退く。実に統率のとれた動きだ。
「どうやってこの狼を操っているんだ?」
何らかの指示がなくてはこんな攻撃はできないだろうに。いぶかしんだマリクにヴァイセは小さく言った。
「声だ」
その言葉にマリクは攻防の手を休めることなくヴァイセに聞いた。
「声?」
「ああ。鳴き声、それもおそらく獣にしか聞こえないものだな」
「なるほど、犬笛のようなものか」
そして二人は注意深く気配を探る。
「いるな」
「うん。向こうの茂みだ」
目配せをし合い、一気にそちらへの攻撃を強める。
そして狼を蹴散らし気配に近づこうとした二人だったが――――――。
がさりと、いきなり現れたまったく異なる背後の気配に、二人ともバッと後ろを振り返った。
果たしてそこにいたのは――――――二人の神父だった。
一人は浅黒の太っちょで、一人は青白いひょろ長の男だ。
その二人の神父はそろって頭はスキンヘッドで、身にまとっている黒のローブがいかにもそれらしい。
その二人はマリクとヴァイセを見つけるなり、高笑いした。
「はーっはっはっはっ! ついに! ついにこの時がきたな! ブラザー!!」
「ああ、待ちわびた日がついにだ! ブラザー!!」
「今日というこの日が!」
「貴様の最後となるのだ!」
そして二人はびしりとヴァイセに指を突きつけ叫ぶ。
「「覚悟しろ、この銀の悪魔め!」」
狼に襲われていたことも忘れ、そのやり取りを見つめること、しばし。
「………うわぁ、最悪なタイミングでもっとも厄介なのがきたぁ」
マリクは思わず額に手をやって呟いた。
そしてそんな台詞を突きつけられたヴァイセはといえば、黙殺を決め込んであさっての方向に目をやっていたりする。
そんなヴァイセに浅黒の太っちょが叫ぶ。
「やい、聞いているのか、そこの悪魔!」
「……………」
青白いひょろ長も叫ぶ。
「よもや俺達にここで会うとは思ってもいなかっただろう!」
「…………………………」
そして二人は声をそろえて。
「「今日こそ貴様に正義の鉄槌を―――――――」」
「五月蝿い」
しかし台詞を最後まで言い終える前に、二人とも眉間にナイフの柄をくらった。
さらにヴァイセは、太っちょには喉もとに、ひょろ長には鳩尾に、それぞれ手刀と蹴りとをお見舞いする。
「「ぐ、ぐふぅぅうぅぅぅぅっ」」
最後の声までかぶって、二人は昏倒した。
その一部始終を見守って、マリクは溜息を一つ。
「あのね、やりすぎだよ、君。この二人を誰が森の外まで運ぶと思ってるの」
それにヴァイセは面倒臭そうに吐き捨てた。
「そんなヤツら転がしておけ。どうせ死にはしない」
「いや、死ぬでしょ、確実に。この町じゃあ、神父だって狼に食い殺されてるんだよ?」
気絶している状態で狼に襲われては、間違いなく命を落とすだろう。そもそもこの森から二人を庇いながら逃げることができるのか。
そんな不安に駆られたマリクに、しかしヴァイセはつまらなそうに言った。
「だがヤツ等は逃げたようだぞ」
見渡せば狼男どころか狼一匹すらいなくなっていた。どうやらこの神父達の出現に向こうも様子を見ることにしたらしい。
ほっと息を吐いてマリクは気絶している男二人を眺める。
「まあ、この二人が出てきちゃあ、狼男も手を出しにくいだろうけどさぁ」
今は地面で伸びている二人だが、こう見えても一応神聖なる神の御使い、悪魔祓いのエクソシストなのだ。うかつに手を出せばそれなりのダメージを追うことになる、けっこう厄介な人物達なのである。
まあ、その神聖なる者に手刀やら蹴りやらを平気でくらわせるような輩もいるのだが。
それでも命を奪うようなうかつな真似はしていないところを見ると、この二人を軽視しているわけではないのだろう。
ヴァイセはそんな気絶している二人を、とてつもなく面倒臭そうな顔で見ると、
「引き上げるぞ」
溜息をついておもむろにコートからロープを取り出した。そしていきなりそれでエクソシスト達の足を縛り上げはじめる。
何をするんだ?とマリクが怪訝に首を傾げたところでヴァイセがぱんぱんと手を叩くと、縛り終えた二人を見てとんでもないことを言った。
「よし、これで運びやすくなっただろう」
「えっ?」
マリクは思わずぎょっと目をむいた。
まさか、これを引きずっていけと?
(いやいやいや、そんな拷問の様な真似は)
頬を引きつらせたマリクに、しかしヴァイセは不満げに顔をしかめた。
「何だ、これでも不満なのか? 仕方がない、一人は運んでやるか」
そしていかにも渋々といったていでひょろ長い男の方のロープをつかむと、ヴァイセはさも当然のように引きずった。
足を引きずられているので当然頭は地面にこすり付けられるような形になり。がつんがつんと、ところどころで何かに頭をぶつけているような気がするのは気のせいか。
(…………………気のせいってことにしとこうか)
その容赦なくずるずると引きずっていく姿を見ているうちに、何もかもがどうでもいいような気になってくるから不思議だ。
だからマリクも祈るように十字を切ると。
「ほんっっっとーーーーにっ、スイマセン」
ヴァイセに引き続き太っちょの男をずるずると引きずると、早々に森の外へと退散したのだった。
そして無事に森を抜け町にもどってくると、まるでゴミを捨てるような気安さで、ヴァイセは引きずっていたひょろ長い男を町の入り口に投げ捨てた。
「町では襲われない、だったな?」
「ああ」
そう頷きながら、さすがにそこまで乱暴にできないマリクは―引きずってきている時点で同罪だとは思うが―投げられた彼の隣に引きずってきた太っちょの彼をもたれかけさせて、二人の足のロープをほどいてやる。
そして手を叩いて、
「これで大丈夫かな」
ぼっろぼろになっている彼らを眺めマリクは半笑いでそう言った。
何をもって大丈夫とするかは彼らしだいだが、命を落としたわけではないので良しとしてもらいたいと切に願う。
(まあ、たぶん、ってゆーか絶対、許してくれなさそうだけど)
そうは思うものの、こればかりは仕方がないとマリクは彼らに背を向けて、気持ちを切り替えるようにヴァイセに尋ねた。
「さて、仕切りなおしだね。今夜、また行くんだろ?」
そんなマリクの言葉にヴァイセは頷いた。
「ああ。面倒だが、エミリアを連れて行く。貴様は宿にもどって寝ていろ」
だがマリクはふっと笑って首を振った。
「ここにきて仲間外れなんて本当に君は冷たいなぁ。僕も行くに決まっているでしょ。一応これでもハンター協会の一員なんだよ? 自分の身くらい守れるさ」
「……………後悔してもしらんぞ」
低く響くヴァイセの忠告に、マリクはにやりと口の端を上げる。
「言っただろ、望むところだってさ」
それは命知らずなのか、それすら彼の計画の一部なのか。
図りかねる、そんな青年をじっと見つめると。
「好きにしろ」
ヴァイセはただそれだけを言った。
そんな彼らの会話は森の奥で耳を澄ませていたソレにも届いていた。
耳をぴくぴくと動かして、ソイツはにたりと笑った。
「ひ、ひひひっ、い、命知らずの、奴らだぁなぁ。今ので、逃げちゃうかと、思ったのに。
あぁ、嬉しぃなぁ。ま、また、肉を裂けるぅ。血ぃが、いっぱい、でぇると、いいいいなぁぁぁぁ」
だらだらと涎を垂らして獲物を待ち構えているその獣は、潜んで見ていた今日の闘いを思い出して舌なめずりをする。
あの動きに、あの力。
「あぁぁ、アイツラならぁぁ、いっぱぁい、遊べそぉだぁ」
その瞳は楽しみで仕方がないというように。
ぎらぎらと光り、その時を待っている。獲物を引き裂く瞬間を思い浮かべながら。
「あ、はははぁ、た、楽しぃみだぁなぁあぁぁぁぁ!」
森の奥深くでソレは本当に嬉しそうに、にぃっと目を細めた。
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