第一章 森に潜むモノ 其の一
この町唯一の宿、モーテル・ウッドの、これまた唯一の女性スタッフ、マーテルは盛大な溜息を吐いた。
「ああ、もう。深夜に叩き起こされたってのに、朝の仕事は時間通りなんて!」
おまけにその飛び入り客は部屋の位置がどーたら、寝る方角がなんちゃらだとか、みょうちきりんなことばかり言って、面倒くさかったことといったら!
寝不足のうえ、今日も彼らの相手をしなくてはいけないと思うと頭が痛くなる。
それでもマーテルはぶつぶつと文句を言いながらも記帳台に立った。
そこにひょっこりとあらわれたのは、金色のクセっ毛頭だ。
「おはよう。朝からずいぶんご立腹だ」
「あら、おはよう、マリク。貴方ずいぶん早いのね」
この宿に四日前から滞在している、そのモスグリーンの瞳を持つ青年は、人懐っこい性格のためかもうすっかりここに馴染んでいた。
ちなみに滞在の目的は観光。こんな辺鄙な町に酔狂なことだ。
そんなマリクは実に朝に似合う爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「ちょっと朝の散歩にね。それより昨晩は妙に騒がしかったけど、どうかした?」
きっとあの騒ぎのせいで目が覚めてしまったのだろう。そんなことさえ想像がついてしまうくらい、昨夜の飛び入り客はやかましかったのだ。
マーテルはすまなそうに謝った。
「騒がしくしてごめんなさいね。いきなり客がきたのよ。まったく、信じられない。あんな時間に外を出歩くなんて」
そこではたと気付いたようにマーテルはマリクを見た。
「そういえばマリク、貴方も昨晩、外に出て行っていたわよね? 無事だったからほっとしたけど、よしたほうがいいわよ。危ないのよ、本当に」
心配が滲む彼女の言葉に、マリクは「そうなの?」と笑って、
「心配してくれてありがとう。でもそんなに危険があるとも思えなかったけど」
と、警戒心の欠片もなさそうに言った。
しかしマーテルはそんなマリクに顔をしかめて忠告した。
「そう言って出歩いて、帰ってこない旅人が多いから言ってるの」
それにはマリクも興味を引かれたようだ。
「へぇ、実際に帰ってこなかったひとがいるんだ。けど、そもそもこの町、そんなに旅人がくるようなところとも思えないんだけど?」
首を傾げてマリクは素直に疑問を口にする。それにマーテルは頷きながらも、ちゃんと説明してくれた。
「まあね。それでもまったくいないわけじゃあないのよ。
貴方のような観光客ってのはまずいないけど、この町を抜けて東の街道へ行くって人とか」
「ああ、なるほど。街道に近いっていえば近いものね、この町」
納得するマリクにマーテルは声を落として続けた。
「でもってそうした旅人がうかつに北の森に近づいて、襲われるのよ」
「襲われる? もしかして、獣とか?」
マーテルはそんなマリクの言葉にこくりと頷いて、ものすごく怖い顔をした。
「そう、狼よ。でも、アイツは普通の狼とは違う。とびきり頭よくて、狩りが上手いの。北の森に行って生きて帰ってきた者はいないわ」
「………………まるでバケモノか何かみたいに言うね」
そんなマーテルの様子に、マリクはまるで笑えない冗談でも聞いたような半笑いを浮かべた。だが彼女は真剣そのものだ。
「そうよ、化け物。あの森にいるのは狼男よ。死にたくなかったら、近づかないことね」
そして二人の間に沈黙が下りた。
しかし、その沈黙を破ったのは以外にもマリクの方だった。
「ご忠告、痛み入る。十分に気をつけるよ」
思いの外真面目なその声に、マーテルは驚いて彼をまじまじと見た。
「この話を信じた旅人、貴方が初めてだわ」
「まぁね。職業柄、そうしたことは信じてかかることにしてるんだ」
そのマリクの台詞を聞いてマーテルはさらに驚いたような顔をした。というよりむしろ、こちらの発言のほうが衝撃的だったようだ。
「職業柄? 貴方、仕事なんてしてたの?」
こんな辺鄙な町をぷらぷら観光しているような青年が、いったいどんな仕事についているというのか、という疑わしげな視線が実にイタイ。
マリクはかりこりと頭を掻いて苦笑いした。
「ちょっと……………書きものを、ね」
その答えにマーテルは納得したというように頷く。
「ああ、作家さんなの。道理で」
変わっているはずだ、とはさすがに言いはしない。一応はお客様なので。
マリクはそんなマーテルににっこり笑うと、
「まあ、そんなとこ。そんなことよりさ、今朝のご飯って何? お腹すいちゃったんだけど」
そう話を切り上げたのだった。
そして朝食を食べ終えた後、マリクはマーテルの忠告通り北の森には近寄らずに、町の外れの教会を目指していた。
教会といっても町の墓地の隣にある建物のことで、神父がいるわけではないらしい。
いや、その昔はいたそうなのだが、立て続けに狼に襲われて命を落とし、ついにはこの町にこなくなってしまった、というのが真相のようだ。
(何だか、どこもかしこも怪しすぎるんだよな、この町)
彼の嗅覚は早くもこの町に潜む闇を嗅ぎ取って、背筋をぞわぞわとさせている。
こんな風になる時は大抵大きな―それこそ命に関わる―危険が襲ってくる前兆だったりするものだが。
(でも逃げ帰るってわけにもいかないしなぁ)
これからこの町で起きることを記録することがマリクの仕事だ。放棄すれば当然報酬はもらえない。どころか仕事を失うかもしれない。
それに命の危機程度で逃げていたら、到底勤まらないものだったりもするのだ。
(まあ、だからって死ぬ気はないんだけど)
たどり着いた教会を前に、マリクは面白そうに目を細めた。
「さてさて、どうかな? 今日はいるかな?」
覗きこむようにして建物の中を窺えば、微かにだが気配がある。しかしここでいきなり建物に立ち入るような真似はしない。
そんなことをしたら即座に攻撃されることをマリクは知っているからだ。
「おーい、エミリアちゃん? いるかなー? いたら出てきてほしいんだけどー」
崩れそうなその教会を前に声をかけること、しばし。
キィッと軽い音がして、教会の扉から亜麻色の髪がちょろんと垂れ、そこからメイド服を着た少女がおずおずと顔を出した。
その少女にマリクは満面の笑顔を向ける。
「やっぱり! 昨日のはエミリアちゃんだったんだ。街道で女の子の死体が見つかって埋葬したって聞いたもんだから、そうかなって思ってたけど。
久しぶりだね~、元気にしてた? って、あれ? 背、伸びた?」
気安げに彼女に近寄って、確認するかのようにその頭に手を伸ばすと、
「へぇ~~~~、ちょっと見ない間にずいぶん女の子らしくなっちゃって!」
まるで久々に会った親戚の小父さんのような台詞を言いながら、マリクはそのエミリアと呼ぶ少女の頭を撫ぜた。
「はい、お久しぶりです、マリクさん」
小さな頭をくしゃくしゃすると、彼女の特徴的な赤い目がくすぐったそうに細められる。
その様子にマリクは穏やかに目を細めて、それから「ああ」と思いついたようにひょいと扉の奥を覗き込んだ。
「そうそう、ヴァイセは中?」
そしてすっと少女の脇を通り過ぎて扉をくぐろうとする。
そんな彼にエミリアは慌てて、
「あ、まだ入らないほうが」
良いですよ、と静止しようとしたが、それよりも先にマリクが建物に足を踏み入れてしまった。
その瞬間。
ヒュッという音と共に、ナイフがマリクの頬をかすめて見事に扉に突き刺ささる。それを投げつけたのは建物の奥のベンチに座っている男だ。
長い銀髪にエミリアと呼ばれた少女と同じ赤い色の瞳。同姓から見てもぞっとするくらいの美貌の持ち主だが、怖ろしいのはむしろなかみ―つまり性格ーで、言ってしまえば容姿のやたら良い性格最悪の男という、実に嫌な人物なのだった。
そんな彼にもマリクは親しげに話しかけた。
「やれやれ、相変わらずの挨拶だなぁ、ヴァイセ」
そして何事もなかったかのようにすたすたと教会へと入る。
だいたいナイフを投げつけられるくらいで―当てられたわけでなし―ひるんではいられないのだ、この男相手には。
「遅かったじゃないか。こっちは四日も前からこの町についてたっていうのに」
陽気に喋り続けるマリクに反してヴァイセと呼ばれた男は剣呑な視線を返すのみ。
その後ろでエミリアがどことなく困った顔をしながら二人のやりとりを見守っている。
「知ってるかな? エクソシストの二人組みがきてるよ。もちろんターゲットは君だろうけど。でもこの町についても、何か勘ぐってるんじゃあないかな」
べらべらと話すマリクに嫌気がさしたのか、ヴァイセが口を開いてそれを止めた。
「で、貴様はこの町に何の用だ」
低く簡潔なその言葉にマリクは笑った。
「あはは、それを聞いちゃう?」
そして意味深げにヴァイセを見やって告げる。
「ウルフマンさ」
しかしその視線を逆に嘲笑うようにヴァイセは皮肉げに言った。
「ほう、狼男が墓荒しか? そんな頭がアイツ等にあったとは、新説だな」
「ん? 墓荒し?」
途端にマリクの顔が怪訝そうなものになった。
それをヴァイセは実に満足そうに眺めて。
「何だ、気付いていなかったのか? 墓から幾つか死体が消えているぞ」
得意満面というようにそう教えるのは、言外に『先に着いていながらその程度か』という皮肉を強調したいが為だ。底意地の悪いことこの上ない。
「そうなのかい?」
マリクが後ろの少女にそう振り返って聞くと、
「はい。昨日、確認しました」
彼女が頷くので、思わずマリクは首を傾げた。
「あれぇ? おかしいな、ハント標的はウルフマンってことだったと思うけど」
「ああ、そうだったな」
「でも―――――そうじゃないから君がここにいる、と?」
探るようなマリクの目にヴァイセはただ嗤うのみ。
しばらくそんな彼をじっと見つめていたマリクだったが、ヴァイセから聞き出すのを諦めたのか、ふうと息をついて肩をすくめた。
「まあいいさ。いつも通り僕は僕の仕事をするだけだしね。君達は君達の仕事をするといい」
「ああ、そうするさ。貴様に言われずとも」
対して、ヴァイセは涼しい顔でそう言ってみせる。
マリクの言う仕事というのはモンスターハント―人間が魔物に対抗するために作られた『ハンター協会』なるものが行っている懸賞金制度のことだ―であり、ヴァイセはそのハンターで、マリクはハンター協会の一職員だった。
つまり彼らは――――――モンスターを狩る為にこの町にきた。
「で? 君達はどこまでを把握してる?」
マリクが聞けば、ヴァイセは当たり前のようにすらりと答えてみせる。
「狼男は森にいるんだろう」
すでにターゲットの居場所は把握済み、と。マリクは手帳を取り出して頷いた。
「うん、そうだよ。僕も調べてみたんだけどね、過去、五年遡ってざっと二十八人が狼男に襲われている。しかも年々被害者が増えている傾向みたいなんだ。昨年の被害者は六人。今年はもう八人もやられている。
ああ、そうそう、その今年の被害者のなかに派遣されたハンターの名前も入ってたよ」
調べ上げた情報を読み上げたマリクに、ヴァイセは冷静に聞いた。
「死亡が確認されているハンターは何人だ」
「ああ、それが…………二人なんだよね」
その答えにヴァイセが眉をひそめた。
「二人? この町には少なくとも五人はハンターが送り込まれているはずだろう」
「だよねぇ。一応、町に来た形跡はあるんだけど、その後の足取りがさっぱり分からない。
森で野垂れ死んだか、びびって逃げちゃったか――――まあ、あまり良い方には想像力が働かないんだけどね」
言葉通りあまり良い表情でないマリクは、調べた事実と自分の予想とを口にして「ああ」と付け足した。
「あとちょっと気になるのが、この町の住人が襲われてないってことなんだ」
それには驚いたようにエミリアが口を挟んだ。
「襲われてないんですか?」
何時訪れるか判らない旅人が襲われていて、始終いる町の住人が無事というのは、どこか違和感がある。
当然、マリクだってそこを不審に思わないはずがない。
「過去に襲われたって例はあったよ。でもここ数年はさっぱり」
「何年前からだ?」
そのヴァイセの質問にマリクは手帳に視線を落として答える。
「だいたい三年前くらいから。狼男も宗旨替えしたってことかな?」
そして声を低めヴァイセを窺った。
「何か気になることでも?」
「―――――――いや」
けれど彼はそう言ったきりまた黙り込む。そんなヴァイセの様子に業を煮やしたのか、マリクは呆れたように言った。
「あーもー、いつものことだけどさ、君って本当に秘密主義だよね。もうちょっと打ち解けてくれてもよくない? こうした協力関係なんだし?」
途端にヴァイセの顔に嘲笑が浮かんだ。
「ハンター協会の犬が、ずいぶんふざけたことを云う」
つまらない冗談でも聞いたかのようなヴァイセの調子に、マリクは肩をすくめた。
「確かに僕の仕事は君達ハンターの監視と記録だけどね。でも君達と上手く付き合っていきたいと思ってるのも、ほんとだよ?」
ちょっと笑ってみせる青年に、ヴァイセは冷たく言い放った。
「相変わらずのイカレ具合だな」
マリクの言葉がそのままの意味ならば相当の命知らずということになるが。彼の言った『協力関係』の本当の意味合いをヴァイセは解っていた。
目の前にいる彼は単なる命知らずではなく、抜け目のない油断ならぬ男だということを。
「そうかな? でも、まあ、同僚には同じ事を言われたよ。おかげさまで君達の仕事ばかり回されてるんだよね」
そしてそれこそが彼の目的でもある。
笑いながらマリクは底の読めない瞳でヴァイセを見た。
「僕はけっこう賛成なんだよね、毒をもって毒を制すって。だからなるべく君達とは仲良くしておきたい」
そのすっと細められる深い緑の瞳をヴァイセは冷ややかに見る。
彼と彼の背後にある『ハンター協会』は、すでにヴァイセとエミリアの正体を把握しているのだろう。彼の者達が人ではないことなど。
自分達が狩るべき『モンスター』に属していることなど、とっくにマリクも『ハンター協会』も心得ており、その上で利用できないかと考えているのだ。
人間とはかくも逞しく狡猾な生き物かヴァイセは思い知る。だからこそ、距離を間違えてはいけないということも。
「生憎、俺達はその必要性を感じない」
ヴァイセが冷たくそう言い捨てると、マリクはむぅと口を尖らせて後ろを振り返った。
「達? エミリアちゃんまで?」
引っかかっているのはそこなのか。
どうなの? というマリクの視線にエミリアは困ってしまった。だって、否定するのは怖いし、肯定するには気が引ける。
「ええっとぉ」
言葉を濁すしかない彼女に、けれどマリクはにっこりと笑って、
「まあいいさ。僕の意思と君達の思惑が一緒である必要はないからね。利害が一致しているならそれでいい。違うかい?」
エミリアの言葉の続きを聞かずにそう言った。
それを面白くなさそうに眺めて、
「……………ふん」
と、ヴァイセが鼻を鳴らし、ふいっとそっぽを向いてしまった。
その沈黙を肯定と受け取ってマリクは話を進めていく。
「とにかく、君達がこの村に来たのなら僕のやることは決まっている。動くのは今夜かい?」
マリクの確認にヴァイセは不機嫌をそのままに首を振る。
「いいや、貴様がここにいるなら話は早い。今から森に行く。エミリアはここにいろ」
その意外な言葉にマリクは少し驚いた顔をした。
「おや、連れて行かないのかい? 君の優秀な従者を」
いつでも主の傍らに少女がいるような印象があったから、なおのこと以外だった。
よく考えればそんなことはないのだが、どうしてかこの二人は片時も離れず傍にいるような空気を感じさせる。それはやはり特別な主従関係がそうさせるのか。
しかしヴァイセは特に何の問題もないようにあっさりと言った。
「どうせ出番はない。お前は休んでいろ」
そして命じられた少女はただ頭を垂れて、「はい。いってらっしゃいませ」と二人を見送った。
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