アンデッドラバー

丘月文

プロローグ



 こつり、こつり、と硬質な足音の響く闇夜の裏路地。

 街灯もないその道を、何の障害もなくその男は歩いていく。

 ただ冷たく踵を鳴らし。三日月に似た長い銀髪を揺らして。

 そして男がたどり着いたのは、おどろおどろしくも静かな墓場だ。

 ぞっとするほど似合うその場所に、男は臆することもなく、まるで庭を歩くように足を踏み入れた。そして真新しい墓の前で足を止め、

「出てこい」

 ただ一言だけ言った。それで十分すぎるのだけれど。

「はい、マスター」

 くぐもった声は墓の下から。そして、ぼこ、ぼこりと、そこから何かが這い上がる。

「っつ――――――!」

 ぼこっと突き出た細い腕が、男の足を掴んだ。途端に。

「………………汚すな」

 げし、とすげなく男に蹴られた。

「えぇーーーーーーっ」

 次の瞬間に上がるのは甲高いの抗議。しかしそれも、「五月蝿い」の一言で、男の足蹴によって黙らされる。

「マスター、あんまりです。横暴です。せめて掘り起こすとかしてください。自力ってけっこうツライです」

「ふん、俺に墓荒らしなどという下賎なまねをしろと?」

「今してるのは、じゃあ何なんですかぁ」

 弱々しく抗議を上げているのは彼の足元の小さな人影だ。

 今しがた墓から這い出てきたばかりのそれは、メイド服を着たツインテールの女の子の姿をしている。一見すれば主とその使いのメイドとしか見えない。―――――泥だらけの彼女の身体と、そして地面に埋まっていた時間を考えなければ。

 彼らは確かに主従関係にあった。けれど、彼らのソレは人間のそれとは、明らかに違うもの。

「別に俺は荒らしてはいないだろう。死体が勝手に出てきたというだけの話だ」

「だから、それを命じたのは誰なんだってコトなんですケド…………」

 恨みがましく元凶を見上げてそんなことを言う少女に、男が冷ややかな視線を落とす。

「ほう…………この俺によくもそんな口がきけたものだな? ああ、今すぐその口を閉じてほしいという催促か?」

 まるで甘い展開を予感させるような台詞だったが、彼女はもうとっくに知っている。

 その言葉が、事実以外の何でもないことを。

「イヤイヤイヤイヤ、めっそうもゴザイマセン。黙ります。すみません。ほんっと、すみませんってば! って、やめて。裁縫道具出すのとか、本気でヤメテクダサイ!」

 懐に手を突っ込んだ男に大慌てで懇願すると、彼はそんな彼女を一瞥し、つまらなそうに「フン」とだけ鼻を鳴らした。

「だったら黙っていろ」

 そして男はそれ以上言うことはないとばかりに背を向けて、すたすたと行ってしまう。

 とりあえず彼が懐から何も取り出さなかったことにほっとしつつも、この扱いはどうなのかと少女は眉間にしわを寄せて考え込んだ。

 そんな動かない彼女を振り返り、男が怒鳴る。

「おい、早くこい! 足まで腐っているのか、この愚図が!」

 容赦のよの字もない非情な言葉に思わず握り締める拳。けれど彼女はにっこりと微笑んで立ち上がった。

「はい、マスター!」

 もちろん、今にみていろ、と心の底に誓って。少女は主のもとへと駆けていった。



 同時刻、蝋燭の灯りがゆらりと揺れる室内で、ある青年はぱたりと本を閉じた。

 彼の欲している情報は、あらかたを把握することができた。一番知りたいことは、判らなかったのだが。

「さて、どうしようかな」

 窓越しに見える町を眺めて、彼は首を傾げた。

 外はいかにも田舎町らしく、適度に寂れていて物悲しそうだ。

「いかにもって感じだけれど、どうだろう? ああ、そろそろ彼らも来るのかな?」

 独り言をぽつりと漏らして、ふうと溜息を吐く。

 いつもながらこうして呟くのがクセというのは、何だか寂しい気がする。というよりこれを周りに聞かれたら、同情的な目で見られそうなものだ。

「治んないかな、これ」

 とか言いながら、もう口に出している時点で重症だ。

 かりかりと弱り顔で頬をかいて、青年は本の内容を書き留めた手帳を見る。そしてまた溜息を一つ。

「治んないよなぁ……………これ」

 だって見たことを言葉にすることが彼の仕事なのだ。つい思っていることを口にしてしまうのは、もはや職業病だろう。

 だったら、仕方が無い。彼にはこの仕事を辞める気は、さらさらないのだから。

 たとえ寂しい独り言が増そうと―――――その身が危険にさらされようと、止める気などない。

 男は手帳を撫ぜて笑うと、本をもとあった場所にもどして蝋燭を吹き消した。



 その町の入り口に、影が二つ。

「やっとたどり着いたぞ、ブラザー!」

「ああ、エルドバルド、まさにここだな、ブラザー!」

 黒のローブに身を包んだその旅人達は、町の看板を前に歓喜の声を上げた。

「ここにヤツはいるはずだ。そうだろう、ブラザー?」

「そうだ、ヤツはここにいる。そうだろう、ブラザー!」

 そして二人はがしりと手を組んで。

「「今回こそは、ヤツを仕留めてみせる!」」

 そう高らかに宣言し――――――。

「で、とりあえず宿はどこだね、ブラザー」

「君が知らないことを僕が知っているはずがないんだがね、ブラザー」

「とりあえずは行こうじゃないか、ブラザー」

「そうとも、行かなくてはすべて始まらないさ、ブラザー」

 そして二人は意気揚々と町へと入っていった。



 森の奥深く。

 ソイツは風に混じる臭いを嗅ぎつけて、低く唸るように嗤った。

「ぁあ、臭ぅ。ひどぃ、臭いだぁ。まぁた町にひとがやってきたんだぁ。

 今度のヤツはぁ、強ぃのかなぁぁあ? 前のは、ちょおっと弄くっただぁけで、死んじゃったかぁら。ひぃ、ひ、ひひひ、可哀相に。でもしょぅがぁないよ。だって、生きる為、だ。しょぉおぉがない。殺すしかぁなぁい。

 臭い、臭い、臭ぃ、人間だからぁ、死んで役に、たってぇもらわなぃとぉ。生き残る為にぃ、やらないとぉ。ひ、ひひひひひっ。

 あぁ、臭ぅ、臭ぅ、臭ぅよぉ。楽しぃみだぁ。ひひひひひひひひひひひひっ」

 罠にかかる獲物を待つように、ソイツは夜の闇で舌なめずりをした。



 夜の闇の中、梢はざわざわと音をたてて揺れ、ぞっとする不気味さをかもしだしている。今夜は風が強い。

 深夜の来訪者を見送って、男はそのまま夜の町を眺めた。

 どうも今夜、この町にちょっとした異変があったようだ。そのことを察知した彼はほんの少し目を細め、それから笑った。

 今しがた帰っていった青年と、町に堂々と入ってきた二人の旅人と、ひっそり入り込んだ何者か。

「さて、どうしたものでしょう」

 おそらく森の奥に潜むものに関係しているのだろうが。はたして、それだけか。

 彼の本能は警告している。気をつけろ、何かがこの町にやってきた。この本能が警鐘を鳴らすほどの、何かが。

「やれやれ、次から次へと厄介な」

 けれどそう言う男の顔は、依然笑みを浮かべたまま。その瞳は楽しげに輝いている。

「でもまあ、こうでなくては面白みがないというものでしょうかね」

 好戦的で残酷な、ゲームを愉しむ者の目。

 狩るものと狩られるもの。その二つを分けるのは、唯一つだけ。

 強いか、弱いか。前者は狩るものとなり、後者は狩られるものとなる。

 さて、彼らはどちらだろう?

 男は何かを見定めるように、夜の町を眺め続けた。



 舞台は整い、役者はそろった。

 そして朝日が小さな田舎町を照らし出す頃、このお話の幕は上がる。

 後に『エルドバルドの恐怖の一夜』と呼ばれる事件が、今まさに始まらんとしていた。














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