Lovable idiot

 日付変わって月曜日の昼休み。

 生憎、朝から冷たい雨が降り頻るもので屋上で過ごすことは叶わなかったが、そもそもでなかなか耐え難い気温になりつつある時節でもあるので、そろそろ教室で過ごすのも慣れていかねばならない。

 どうしてもキャピつく女子やウェイウェイする男子の小うるささが苦手なので、俺は両耳にイヤホンをぶち込んで机に突っ伏した。


 後から鏡から聞いた話だが、涼川は留置されて以来暫くの間、支離滅裂な供述を繰り返して本来三日間の留置期間が延長となっていたようだ。

 それも一昨日の面会を機に、全てを認めて、全てを自白したとの事だった。

 序でに過去の余罪についてもすべてを話し、後は裁量や采配を待っているらしいのだが、少年法がギリギリ適応となる為、刑務所に入れられるような事はないだろう、との事だった。

 鏡がどのようにしてその情報を得たのかはよく知らないが、剣道を嗜んでいる以上は知り合いに警察官が居ても不思議ではない。まあ普通守秘義務ってのがあるだろうけどね。


 面会の日、終わり際に涼川は「時間が掛かると思いますが、風林君には必ず償いをします」と俺に言った。

 俺は生返事をする事しかできなかったが、その時の涼川の表情は、以前のどの表情よりも真っ直ぐで熱を帯びていた。

 一度決めた事を変えない頑固なところがあると鏡が言っていた以上、涼川の言葉を信じても良さそうだ。

 ただ捻くれた変化球な償いをしてこないことだけを祈っておこう。


 あとは――。


 俺は腕に埋めていた顔を少しだけ上げ、教室入口近くの席に視線をやる。

 姿勢よく正面を向きながら一人で小さなお弁当をつつく長髪の姿がそこにあった。

 普段なら涼川と一緒に机をくっ付けているそいつは、背筋を伸ばしているのに今日はなんだか小さく見えた。

 俺はとっくに購買のいつものパンを平らげ終わっていたが、部活なのか委員会なのかそいつは昼休みの前半は教室に姿が無かった。

 つい先ほど帰還して、食事を始めたようだった。ようだ、っていうか見てたんだけど。


 俺は机の角に置いてある無くなりかけのコーヒーの紙パックを手に立ち上がり、イヤホンを乱雑にポケットにしまった。

 そのままそいつの元まで歩いて、隣の席に座った。

 病院でも留置所でも駅でもそうだったが、いつまでも中途半端は格好がつかないし、ここいらで一つしっかりと話しておこうと思ったからだ。

 俺が隣の席に座るなり、即座にそいつは俺のほうを向いた。

 そして驚く程形の綺麗な卵焼きを箸で摘まんだまま硬直している。


「よう、鏡」

「…………何よ」


 ツンとした態度で鏡は卵焼きを口に運んだ。


「鏡って、案外泣き虫だよな」


 俺の意地悪な会話の切り出し方に、鏡は眉を寄せてから一旦箸を置いた。

 次の瞬間には机の脚の隙間から鏡の足が飛び出し、見事に俺のすねに命中した。


「いっでぇええ!!」

「アンタって意外に性格悪いわよね。嫌いになっちゃおうかしら」

「いっつつつつ、ごめん、悪かったって!!」


 俺は痛みで涙目になりながら鏡に必死に謝った。嫌うなんていわないでくれぇ。

 鏡は置いた箸を取らずに弁当箱を見つめたまま、


「んで、何の用かしら。もしかして茶化しにきただけ?」

「ちがうって。その、ずっと中途半端になってたから、ちゃんと言っておこうと思ってさ」


 俺はすねを摩りながら言った。

 鏡は視線は変えぬまま両手で長い髪の毛を弄り始めて「うん」とだけ返事をした。


「その……あれだ、改めて言うのは、なんつーか恥ずかしいんだけどさ」

「うん」

「一緒に面会に行ったときに言ったことが俺の、その、気持ちっつーか、なんつーか」

「…………」

「まだ自分でも鮮明って訳ではないんだけどさ、まあその、でもこう……そういうわけで……」


 俺は詰まりながら、誤魔化すように手に持つコーヒーを飲む。空気が入りこみズゴゴゴと音が鳴った。

 いざ、何にも邪魔されずに思いの丈を伝えようとすると、逃げたくて逸らしたくて仕方がなくなるな。

 優柔不断で頼りなくてヘタレでチキン、そんな情けないフルコースが今の俺にはお似合いかもしれない。


「夏樹、お願い。ハッキリ、ちゃんと言って」


 鏡が耳まで真っ赤にしながら、俺のほうをしっかと見てそう言った。

 ……お前はいつも俺を助けてくれるな。

 会心の助言、本当にありがとう。これで心置きなく言うことができる。


「お前が好きだ」


 文字ことばにすればたったの七文字のこの短い意思表示が、今後俺達や周りの人々にどういった影響を及ぼすものかは今の俺には見当もつきはしないが、それでも、今、ここにいる俺が、何度も命を救われて生きている俺が、何よりも「ずっと一緒にいたい」と初めて思えた相手にこうして伝えることができて本当に良かったと、そう思うと自然と口角が上がっていった。


 鏡は真っ赤な顔のままゆっくりと俯いて、


「バカ」


 聞こえるギリギリの音量で髪の毛を弄りながら八重歯を出してそう言った。

 今まで言われた中で、一番うれしい「バカ」だった。


 今日だけは、俺の情けなくて恥ずかしい告白を俺と鏡の二人だけに紛れ込ませてくれるキャピやウェイの喧騒に感謝をしておくことにしよう。

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