更に潰れる赤い箱

 俺は頼んだナポリタンを、あまり味を感じる事のないまま平らげ、食後のコーヒーを啜りながら必死に恥ずかしさを何処かへ追いやろうと思考を違う事に巡らす。

 けれども思考君はどのルートを行っても短い紆余曲折の後に最終的に鏡に辿り着いた。中途半端に言い掛けているのも相まって尚更恥ずかしさがしんどい。

 鏡もさっきから恥ずかしそうな表情で頼んだパンケーキをちまりちまりと啄んでいる。


 俺はブラックのままの温くなったコーヒーをちびちびしながら、そういえばここ数日まともに鏡の笑顔を見てないな、等と考えていた。

 修学旅行の行きのバスで俺のポ○キーを奪った時のような、あの悪戯な、無邪気とも言える笑顔が、コイツには一番似合うのにな。


 ん。ポ○キー?

 こっそりと自分のカバンを漁ると、端っこから少し潰れたポ○キーの箱が出てきて思わず苦笑してしまった。

 鏡のお見舞い品のつもりで購入し、渡すのを忘れたまま眠っていたようだ。


 鏡が食べ終えて一呼吸を吐くのを見計らって、俺は小さく「いくか」と呟いて伝票を取り上げ、会計を済ませて店を出た。

 鏡も来た時と同じようにもじもじと俯きながら俺の後をついてくる。先程までの言及を改めてしてくる様子はなかった。

 

 改札前のベンチに並んで座り、何とも気まずい沈黙が俺と鏡に訪れる。

 電車が来るまで二十分。

 流石にこの宙ぶらりんな状況のまま帰るってのも気が進まないな。


「鏡、コレ」


 俺は鞄から潰れた箱を取り出し、鏡に差し出した。


「え、なに? ポ○キーじゃない」


 鏡は浮かない顔のままいびつな箱を受け取り、数秒見つめたのち、視線を俺に向けてきた。

 これが何? と言わんばかりの視線だ。


「やるよ」

「え? ありがとう……? なんで?」

「鏡、お前明日誕生日だろ?」

「えっ」


 これには確信はなかったが、鏡のメールアドレスに「1116」という数字が入っており、俺なりに安直な推理をした結果のちょっとした賭けであった。

 本日は十一月十五日。


「なんで知っているの……」


 どうやら正解らしく、鏡はあからさまに驚いている様だった。

 自身のメールアドレスに自身の誕生日を入れてしまうのが実に鏡らしい。

 しかしながらアドレス交換を自分から提案しておきながら、そこに自分の誕生日を入れ込んでいるのを忘れて知っていたことにびっくりしている鏡は間抜けとも言えるな。直接言ったら俺の太腿が危険だから言わないけど。


「まあプレゼントがそんなしょぼいもので申し訳ないけど、明日は日曜だし会えなさそうだから今直接言うよ。誕生日おめでとう」


 恥ずかしくてじかに鏡の顔を見れずに床のタイルを向いて言ったが、十秒ほど経っても返事がなく、気になった俺は鏡の方を向いて、驚愕した。

 鏡は驚いた顔のまま音もなく泣いていたのだ。


「かか、鏡!? どうした!?」


 俺が焦りながらそう言い切るか切らないかくらいで、鏡はゆっくりと両手で顔を覆い、前かがみになって嗚咽を漏らして子供のように泣き始めてしまった。

 どうしよう、誕プレにポ○キーはやっぱりまずかったですよね。


「大丈夫か!?」


 無人駅でもあり幸い辺りに人は見当たらなく、鏡の号泣を誰かに聞かれずには済んだが、俺にはどうして鏡が泣いているのか分からなかった。育児ってこんな感じなのかな。

 優しく抱きしめたい衝動が無かったといえば嘘になるが、自分で招いた宙ぶらりんな状況にある以上、俺には何もすることができなく、ただ鏡が泣き止むのを待つ事しかできなかった。

 ただ、普段負けん気が人一倍強く、お姉さん気質なイメージの鏡が幼子のように泣きじゃくる姿には、こう何か心に響くものがある。いや、変態的な意味ではない…………と思いたい。


 一分程して鏡は泣き止み、顔を濡らしたまま口を開いた。


「わたし、っく、誰かに、誕生日を祝って、もらったのは初め、てで……」

「初めて!?」


 嗚咽を時折漏らしつつそう告白した鏡に、俺は驚きのあまり声が少し裏返ってしまった。


「ずっと、誰かに……誰かが、祝ってくれ、ないかな、って、思ってて……」

「え、でも、初めてって……ほら親とか、涼川とかは? 祝ってもらったことないのか!?」

「ない、ないの。本当に、夏樹が、初めて」


 鏡は顔に付着する涙だか何だかの水分を掌や袖で拭い、時折しゃくりをあげながら深呼吸をしている。

 そうか……コイツの家庭は以前聞いたように一筋縄ではいかない環境であったし、実際誕生日を祝ってもらっていない事も口走っていたな。

 それにしても、涼川も涼川だ、盲信するくらいなら誕生日くらい祝ってやればいいものを。中学からの付き合いらしいのに今まで祝ってきていないのは何故なのか。甚だ疑問だ。

 何にせよ、誕生日はせめて家族くらいには祝われて当然であった俺の中の常識も、鏡にとっちゃこの上なく待望した感極まる嬉しいことだったのだろう。それこそ、慟哭するほどに。

 至極当たり前な事を経験できていない鏡に、俺は率直にこう思った。


「これから、俺でよけりゃ何度でも祝ってやるよ」


 思った、に留まらず口にしてしまった。

 鏡は俺が差しだしたショボい誕プレを両手でぎゅっと握り締めながら、


「ありがとう、夏樹、本当にありがとう……」


 涙声で俺のほうを向きニカリと笑った。

 久しぶりに純白の八重歯がお目見えし、俺も心音が加速するのを感じた。

 やっぱり、おまえにはその顔が似合う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る