未熟な頃はクリームに目がいったけれど
留置所からの帰り際、小腹の
「え、あ……い、え、う、うん。いいわよ」
帰ってきた鏡の返事は発声練習みたいな肯定だった。
鏡が、らしくもなく動揺するのも無理はない。
俺だって今になって自分の言ったことが恥ずかしくて恥ずかしくて叫びたくなるのを必死で抑えている状況だ。勢いってのは怖いね。
駅ナカにはしっかり食事のできそうな飲食店は無く、意見を求めようとするも、鏡はもじもじと俯きながら俺についてくるだけだったので、仕方なく俺は駅のはずれの方にひっそりと佇む「喫茶よしむら」という店に入った。
木目調で統一された店内は昼過ぎだというのに薄暗く、席もあまり多くない。
そしてどことなく既視感があった。
コスプレといわれても疑わないオレンジ調の制服を着たショートボブのウエイトレスが俺達を窓際の席に案内してくれた。
「さて。腹減ったなー。今なら何でも食える」
「…………」
「鏡はどうする? 軽食ならあるみたいだぞ。お、ハンバーグスパゲティか、美味そうだな」
「…………」
自身の恥ずかしさを抑え込むために饒舌になっている俺は、とりあえずメニューの向きを鏡に見えるよう置く。
しかし鏡は俯いたままで、一向にメニューを見ようとはしなかった。
「よし、俺は決まった。鏡はどうする?」
「…………」
「おーい、鏡さーん?」
「…………夏樹」
「はい」
鏡の顔が僅かに上げられ、その切れ長の瞳の中で黒い丸が頻りに動き回っているのが見える。
ほんのり頬が赤いのも窺えた。
「さっきの……さっき夏樹が言ってたことだけど」
「おう?」
「その…………楓の前で……言ってたことだけど」
「おう」
「それって……その…………どういう意味かなって」
「おう?」
オットセイの鳴き声みたいな声しか出せていない俺は、やっぱり先程の言動について言及されてしまうようだ。そりゃそうよね。
鏡はおそるおそる、といった感じで上目遣いに俺を見つめている。
「あー、えーと、なんだろうね、あははは……は……」
俺は乾いた笑いで誤魔化そうとしたが、鏡の視線がヒャダルコばりに凍てついてきたので、一度咳払いをしてから深呼吸をし、
「言葉のままの意味だ」
と言ってやった。
俺の言葉に鏡は両眼を見開いて、
「え、でもアンタは雪の事が――」
「俺もそう思ってた。だけどそうじゃなかった。って、フラれた時に気付いたんだ」
俺はメニューの「メロンクリームソーダ」の写真に目を落としながらさらに続ける。
「自分でも上手く言えそうにないんだが、俺が好きだと思っていた雪は存在しなかった。言ってしまえばそうなるように誘導されていただけなんだ。それが分かった瞬間、胸にストンと落ちる感じがしたし、自分の中でもすげえ納得がいったんだ」
「はい? アンタ何言ってるの?」
「簡単に言えば、幻に恋をしていた、そう誘導されていたって事だ」
「いや全然簡単に言えてないしわけがわからないわよ」
鏡の表情が段々と怪訝な面に変化していくのを見ながら、俺は口に出すことで改めて自分自身で納得のいく爽快感が生まれていることに気付いた。
そして雪が言っていた言葉を思い出していた。
――だって、好きだから。その人と居られなくなるのは嫌。
損得勘定や定石を抜きにして、そう思える人こそが、
「要するにだな…………」
いい加減、ハッキリ言おうぜ、俺。これ以上
一つ大きく深呼吸をしてから、鏡の怪訝な斜め顔に向けて、
「俺は鏡、お前が――」
「ご注文はお決まりでしょうか?」
俺の決死の意思表示は、コスプレオレンジショートボブに邪魔をされてしまった。
俺の前世は間違いなく小悪党だったに違いないね。
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