最終話

誕生日を入れるタイプなのね

 あの日から一週間が経った。


 とは、俺が雪に告白し、雪が壊れ、涼川に襲われ、鏡が刺され、深月と別れた、あの日だ。

 ついでに言えば鏡の過去と想いを知った日でもある。

 ついで、なんて言ったら鏡は憤慨しそうなものなので直接口にしたりはしない。

 いや、無論俺にとってもついでで収まるような出来事でもないのだが。


 鏡は二日前に退院した。

 それを知ったのは本人からのメールであり、お見舞いに行ったあの日に鏡の提案でアドレス交換をしたのだった。今般のSNSでは簡単に通話やチャットができるというのに、それに頼らないのは鏡らしい。

 そうして俺はクラスメイトのメールアドレスを初めて獲得するに至ったのだった。

 初めてが鏡でよかった……いや変な意味ではなく。


 そして土曜日の本日、現在正午を過ぎた頃合いの俺は、鏡と一緒に電車に揺られている。

 土曜日ということもあってか流石に乗客は少なく、鏡とともに座席に座ることができた。

 コーデュロイのブラウンのスカートから黒タイツの長い脚が伸びていて、カーキに近いベージュのセーターの上にムートンタッチのブラウンのブルゾンを羽織っており、ボキャ貧な俺は「オシャレ」と言う単語しか出てこないのだが、鏡の私服はそう、要するに凄く似合っていて可愛かった。

 対して俺はノーマルなジーパンにシャツ、の上に紺のカーディガンだ。ザ・普通だ。普通だと信じたい。

 左隣に座る鏡から意識が揺らぐほどの良い匂いを感じながら揺られること十五分、目的の駅に到着した。


「改めてお願いなんだけれど、夏樹は怒らないであげてね。私から言うから」

「お、おう……」


 改札を抜けて、鏡は申し訳なさそうに歩いている。

 俺もそれに並んで、ペースを合わせて歩く。

 いざ目に前にすると俺自身もどんな反応をしてしまうか分からない。

 恐怖してしまうか、憤慨してしまうか。

 情緒不安定をここまで自覚したのは生まれて初めてだ。


 俺と鏡は現在、涼川がします留置所だか拘置所だかに向かっている。

 勿論のこと面会の為だ。提案は鏡で、俺も快諾した。

 鏡とした約束のうちの一つを守るためにも、彼女との面会と和解は避けられない事象である。

 ……まあ、ほとんどが鏡の言われるがまま、なんだけどね。本当、人を引っ張るのが巧いやつだ。


 目的の場所は駅からかなり近かった。

 退院したて病み上がりの鏡の為にもこれには助かったが、なにせ自身の心の準備をする時間はなかった。何をびくついているんだろうね。

 面会の手続きを窓口で済ませてから俺と鏡は面会室に入り、やけに小さいパイプ椅子に並んで座った。

 涼川の到着を待つ中、自身の腕時計の秒針の音だけが聞こえる程の静けさを破ったのは鏡だった。


「私ね、楓の気持ちは痛いほどわかるの。自分のことを救ってくれた人が、その存在が自分の生きる意味になってるって気持ち」

「……また、歯の浮きそうなセリフを」

「うっさいわね!」


 鏡は即座に顔を赤らめてそう言い、俺の太腿を強めに叩いた。痛ぇ。

 そして前に向き直り、俯き加減で長髪を弄り始めた。

 最近分かったことだが、こいつは照れている時この動作をするようだ。

 俺が「すまん」と呟くと、鏡はわざとらしい咳ばらいをしてから、


「だから、その存在が何かのせいで不確かになりそうになった時、私は妥協することができるけど、あのこは恐怖因子を取り除きたいって考えちゃったんだと思うのね」

「お前にしてはわかりにくい説明だな」

「要するに、私の為ならどんなことも厭わないでするってこと。だから、事前にしっかり律せなかった私のせい。楓、私以外のことになるとてんでポンコツなくせにね」


 そう言って鏡は寂しそうに笑んだ。

 俺は普段の涼川を想像し、パンフを凝視する姿や山目の猛追を俺に相談する困惑顔を思い出して、確かになと思った。

 その後に、ナイフを構えるあの時の身の毛もよだつ表情の涼川がフラッシュバックして鳥肌が立ち、俺は小刻みにかぶりを振った。


「そもそもなんで、涼川はお前をそんなに盲信しているんだ?」

「前も言ったでしょ。あの子の為にも、それは私からは言えないの。でも、いつか必ず楓からちゃんとした謝罪も含めて夏樹と二人で話す機会を設けさせるわ。約束する」

「……おう」


 二人きりで話す機会……また殺されませんかね?

 というのは冗談だが、鏡が「気持ちが痛いほどわかる」という以上は、涼川にも少なからず暗い過去があり、何かしらで鏡に救われたのだろうな。

 だとしたら、俺がこいつに与えた恩義――当人おれは無意識だったが――はすでに別の人に涼川に返しているということになる。

 その上俺の命まで救い、更には自覚なしで多数を救っているであろう鏡には、溢れんばかりのお釣りがあっていい筈だ。


「何よ」


 考え込んでいた俺はいつの間にか鏡を凝視していたらしく、鏡は困り気味のジト目を向けてきた。

 その顔に自然と笑ってしまいながら、


「お前は本当いいやつだな」

「はあ?」


 鏡は困り顔を胡散うさん顔に変えて首を傾ける。

 艶のある長髪が控えめに揺れた。


「いいやつ、というかさ…………俺――」


 ガチャン!という大きな音が俺の言葉を遮り、アクリル板の向こうの重そうなドアから二人の人物が入ってきた。

 一人は背の高いへんちくりんな帽子をかぶった男。留置官だろう。

 そしてもう一人は涼川だった。

 しかしながらその表情は涼川のそれには到底見えないほど異質なものだった。

 中途半端に空いた唇、目の焦点はあっておらず、髪もぼさぼさで顔色は土気色だった。


「面会時間は十五分です」


 へんちく帽子がそう告げると、ふらふらと涼川は向こう側の椅子に腰を下ろした。


「久しぶり、楓」


 面会最初の発声は鏡だった。

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