圧し掛かる未来
根掘り葉掘り訊かれてしまえば恥ずかしさで空でも飛んでしまいそうな身勝手な仮説を俺が独りでに胸の内で決め込んだ後、できるだけ暗い内容にならないような他愛のない話をいくつか交わした。
妹の事だったり、最近読んだ本の話だったり…………冬休みの前にある定期考査の話になった時は少し暗くなってしまったが。
鏡の八重歯が見える度に心がリズムを刻んでいる自分に内心で苦笑いしながら、あんまり長居しても仕方がないだろうと思い、最後にとっておいた一番気になることを訊くことにした。
「鏡、昨日
深月との本当の別れ際の、最後のヒントだ。
その
「え、会った人はたくさんいるけど……」
鏡は困惑顔で首をひねった。
「いや、そうじゃなくて、なんていうか……」
しまった、せめて昨日の何時頃なのか、何処でなのかも聞いておくべきだった。
一般的に登校する学生な以上、会う人間が少ないとは限らない。
それにクラスメイトにも部活動でも慕われている鏡の事だ、これでは特定が難しいかもしれない。
といった心配は杞憂で終わることになった。
「あー、もしかしてあの人かな」
「あの人? やっぱり誰かにあったのか!?」
「うん、なんか変な人。そういえば昨日は帰り道で変な人に会ったわ」
鏡は顎に人差し指を当てて黒目を上に動かした。
その仕草ちょっと可愛いな……じゃなくて!
「そいつはどんな奴だ!? 是非とも詳しく教えてほしい!!」
「……夏樹、熱が凄いわね。あの人と知り合いなの?」
「分からん! そして知らん! だから教えてくれ!」
「何それ、意味分からない…………まあいいけど、とりあえず座ったら?」
いつの間にか俺は体勢が前のめりを越えてベッドの柵にまで手をついて鏡に近づいていた。
鏡はそんな俺に対し仰け反るようにして距離を保ちながら布団を両手で握りしめていた。
らしくもなく熱くなっていた自分を宥めるように首の後ろを
「夏樹がどんな期待してるか分からないけど、私が会ったその変な人は夏樹が好むような可愛い人じゃなかったわよ?」
「どんな人だった?」
「……ちょっとカッコイイ感じのおじさん」
「おじさん?」
「そ、おじさんね。五十代とかかしら。いきなり背後から私の肩を叩いてきたから、ビックリしちゃった」
おじさん……。
「ちょっと怖くて間合い取ってから、私が何か用か聞いた途端、そのおじさんいきなり泣き出したのよ」
「えっ」
「しかも号泣よ。わんわん子供みたいに、見っともなく鼻水まで垂らして泣いてたわ。私もどうしていいか分からなくなって、とりあえず近くの座れそうな石塀に座らせて、話だけでも聞いてあげようって思って泣き止むのを待ったわ」
きっと鏡の事だ、ポケットティッシュなりハンカチなりを差し出したのだろう。
背中まで摩ったかもしれないな。
見ず知らずの人へでも当たり前のようにそういった配慮をするのがコイツだ。
……おじさんでも少し妬けるな。俺も泣こうかな。
「五分くらいしたら泣き止んで、一応事情を聞くことにしたんだけど……そのおじさんが言うには、亡くなった奥さん? に私が似てたらしくて思い出して泣いたって……新手のナンパかと思ったわ」
そんなナンパがまかり通るのはあだ○充先生の世界だけである。
いや、国見君のお父さんも失敗してたっけか。
「それでその………………」
鏡は急に言葉に詰まり、指遊びを始めた。
「その?」
「……夏樹はその人のこと知ってるの? そのおじさんと話した事、全部話さなきゃダメ? ちょっと恥ずかしいことも話したんだけど」
恥ずかしいことだとッ……。
穏やかな心を持って、静かな怒りに打ち震えそうになるのを押さえて、
「できれば、全部話して欲しいよ。知らなきゃならないんだ」
俺の言葉に鏡は少し
「分かったけど……。泣き止んだから帰ろうとして立ち上がったところで、君には好きな人はいるのかい? って唐突に言われて……。私、普段なら絶対知らない人にそんな話したりしないのに、なんでか分からないけど素直に答えてた。名前も聞かれて、アンタの名前も言っちゃった……ごめんね」
「いや、それは別に全然いいけども…………」
そいつはきっと元々俺の事を熟知しているだろうしね。
「おじさんは、そっか、って言ってとても優しそうに笑ってた。青春でも思い出していたのかしらね。あ! そうそう! そうよ、思い出した!」
話し途中、急に声を大きくして鏡は手を合唱のように合わせた。ぱちんと控えめな破裂音が病室に鳴った。
「あなたの好きなその夏樹君とやらはきっと今頃駅で困っているはずだから、急いで助けに行ってやりなさい、っておじさんが脈絡なく言い出したのよ。あれ、本当なんだったのかしら? 駅に着いてみたら本当に夏樹に危険が迫ってたし……預言者? 予知能力でも持ってるおじさんだったのかな」
ここまで聞いていた俺の背中と頬に、汗がつうっと垂れるのを感じる。
そして体も強張っていく。
――あーでも、夏樹さん馬鹿だから気付けないかも。
深月の言葉を思い出す。
……だったらまだ馬鹿でいた方が絶対良かった気がする。
そうしたら何も考えず、そのまま、思うが儘生きていけた気がする。
俺には、未来で深月に俺を救うよう指示を出す人間が誰なのか分かってしまった。
気が遠くなるような感覚が脊髄を貫く。
人間、知らない方が幸せって事はいっぱいあるもんだね。
「夏樹、どうしたの? やっぱりあのおじさんと知り合いなの?」
「いや……
ここにきて、天使ノートの意義も分かった。
そしてもう一つ。
俺の仮説が正しかったという事も判明したな。
怪訝な顔を続ける鏡に、優しそうに見えるよう笑いかけた。
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