スクリーンフェイス

 受付のパッツンマスク姉さんに言われた病室の番号に到着し、スライド式のドアの大きな取っ手を掴みながら、表札に鏡の名前があることを確認する。

 昨日と同じ部屋な筈なのに初めて訪れたような感じがしたが、中に入ると見覚えのあるL字のカーテンが目に入り少し安堵した。


 もし眠っていたとしたら起こしたくはなかったので、スリッパを引き摺る音にも細心の注意を払って歩んだが、無駄骨に終わった。

 カーテンから覗いたベッドには誰もいなかったからだ。

 検査か御手洗か、出払う鏡を取り敢えずは待つことにした。

 畳まれて壁に立て掛けられていたパイプ椅子に腰を掛ける。ギシリと音がした。


 ベッドの足元のスライド天板の上には数学の問題集とノートが置いてあり、脇の床頭台とうしょうだいには小さな英単語帳がポツリと乗っていた。

 こんな時まで鏡はまさしく鏡らしいな。


「あ、夏樹」


 そう俺の名を棒読みチックに呼んだのは点滴台を掴みながらペンギンのようによたよたと戻ってきた鏡だった。

 パジャマのようなピンクの病院着に、鏡の気鋭な長髪がなんともミスマッチで、我慢できずににやけてしまった。


「何ニヤついてるのよ……ハッ倒すわよ」


 ……鏡なら負傷状態でも本当にハッ倒してきそうだな。


「お疲れ、検査か何かだったのか?」

「ただのセルフリハビリよ。縫った所が痛いけど、早くまともに動けるようにならなくちゃと思って院内を散歩してたの」


 実に鏡らしい。破天荒なくせしていつまでも真面目な奴だ。

 痛むのか、頬に汗を一筋流しながらゆっくりと歩いてくる鏡。

 しかし何故か俺と一間いっけん程の距離で止まり、鏡が僅かに眉を寄せてこちらを凝視している。


「どうした?」

「ちょっと……そこを退けてくれないかしら」

「……??」


 俺が現在腰を下ろしている位置とベッドの間には、点滴台を持つ鏡くらいなら十分に通れそうなスペースがあるのだが。


「いいから、もっと離れてよ」

「なんでだよ、ちょっと近づくのすら嫌とか、俺そんなに嫌われてたのか」

「違うわよ! 好きだって言ってるでしょ! ……あ」


 みるみる赤面していく鏡は、それを隠すように俯いた。俺も顔が熱くなった。

 そして握りしめた拳をブンと振ってから、


「もう! 昨日からお風呂とかシャワーとか入ってないから、くさいかもしれないの!! 言わせないでよ、バカ!」

「なんだよ、そんなことかよ……気にする事ないだろ」

「私は気にするの!」

「鏡らしくもないな、乙女みたいなこと言って――」

「ハッ倒す!!」


 ヤバイ、眼がマジだ。

 これ以上は危険と判断して大人しく数歩ベッドから離れた。

 鏡を怒らせると、それこそ入院することになりかねないな。

 頬に朱を残してベッドによたよた歩む鏡を見ながら、一緒に入院ってのも悪くないかなんて思ったが、口に出すのはやめておこう。


 鏡はベッドにゆっくりと入り込み、布団を被ってから、


「よし」


 とだけ言った。俺はをされてた犬かよ。

 パイプ椅子を引き摺って鏡に近づく。


「それで、何か話があるんでしょ? そんな顔しているわよ、夏樹」


 ……やっぱりアレか、俺の顔には心境が映写されてるんだろうか。


 後頭部をガリガリと掻きむしってから、俺は雪にフラれるまでの流れを話すことにした。

 勿論、雪の為に詳らかにではなく、要所要所を掻い摘んでではあるが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る