愚劣に敗する愚鈍

 雪は俺が先程まで視界一杯に入れていた西側の空を見ながら続ける。


「風花と瑞花が暮らす未来で、あの子たちは相当不自由な生活を送っているらしいの。あの子らが言うには、原因はおじいちゃん、なんだって」


 そう言うと雪はくるりとこちらに向き直り、片方の足の爪先でコンクリートの地面をつつきながら、


「要するに、私の結婚相手」


 と続けた。

 結婚相手……。

 俺は、一昨日の朝に教室で天使ノートをせかせか書いている時に雪に将来について突如尋ねられたのを思い出した。


「具体的に不自由っていうのはどういう事なんだ」

「うん、端的に言えば貧乏って事なんだって。まともに学校に通うお金すらままならないみたいで、あの歳で二人とも働いてるんだって」

「あの歳って…………風花と瑞花はいくつなんだ?」

「瑞花は十七歳、風花は十五歳」


 ………………嘘だ!! (凄い眼力で)

 瑞花はまだ分かるとして、風花はどう見ても小学生だぞ……。

 未来では発育スピードが今と大きく異なっているのか?

 深月の初対面の時は十七歳らしかったが、中学生にしか見えんかったし。


「詳しくは話してくれないんだけど、要するに私が結婚する相手を変えたかったみたい。そうすれば現状の困窮した生活が変化して不自由から抜け出せるかもしれない、って事なんだって」

「それでどうして俺に接近することになるんだ?」

「詳しくはやっぱり教えてくれなかった。でも私と夏樹君が将来結婚に向かうように、その為にここに来た、ってあの子たちは言ったの」


 という事はだ。

 やはり俺は雪と共になる将来は無い、という事だ。

 規定事項が揺るがないという深月の師 (?)の考え通りならば、最初から、そしてこれからもそうはならないということだ。


 雪は風にはためく髪とスカートを押さえながら、


「本当に、尋常じゃないくらいお願いされたの。今まであんなに必死でお願いされたことないってくらい。二人して土下座みたいな感じで顔までぐしゃぐしゃにして、風林夏樹さんと一緒になってください、って。自分そっくりなあの子たちの一週間にもわたる懇願に、私は根負けしちゃった。だから、それから夏樹君と付き合えるようにゆっくり近づくことにした」


 胸の中に鈍い圧力を感じる。

 雪が俺に見せてくれた笑顔は、掛けてくれた言葉は、全てがアイツらの思惑による義務だったって事か。


「それから時間を掛けて、夏樹君に好いてもらえるように好かれる自分を作った。喋り方も、真面目に見える性格も、笑顔さえも作ったの」


 雪は言いながら、いつもの無感動な笑顔をした。

 自分の中に染み込んでいくように合点がいく事が増えていく。


「私は本当は、基本良い人間じゃないの。大抵の事は億劫だし、人の為に何かをする偽善や慈善が好きじゃない」

「まあ、ある程度の人間はそうじゃないのか」

「ふふ、ありがとう。でも多分私はその中でもかなり自己中心的なんだと思う。私は私がしたいことをしていたいし、欲しいもの欲しい。それでも、わざわざ人を騙すってのは流石に違うとは思ってるから、この半年ちょっとは夏樹君に物凄い罪悪感があった。風花と瑞花は私じゃないし、人の為に何かをするのは嫌だけど、自分の家族、直属の子孫の為に、なんて言われたら私もどうしたらいいか分からなくなっちゃって。それでも、未来の孫の為って自分に言い聞かせて嘘の自分を演じつづけた」


 雪は今度は寂しそうな笑顔でそう言った。

 いつもの笑顔とは明らかに違い、俺は胸がざわつく。


「でも、やっぱり駄目だったの」


 ウィスパーボイスで雪がそう呟いた。


「昨日、私が一生懸命夏樹君に嘘の私で迫って、夏樹君が好きって言ってくれて。あとは私が返事をすれば風花と瑞花の望む未来に改変されるゴール、ってなった時に、限界が来ちゃった。これから一生、嘘を吐いて生きていかなきゃいけないとか、夏樹君は恐らく本当の私の事を好いている訳じゃないとか、騙している罪悪感とか、そんなのが一気に膨張して、我慢できなくなっちゃった」

「…………」

「それにね」


 雪が小さな足取りでこちらに近づいてくる。


「私、ずっと前から好きな人がいる。全人類で一番好き。その人は傍から見ればクズ、というかかなりのダメ人間でどうしようもないような人。教えてくれなかったから多分だけど、あの子たちが言ってた不幸の原因のおじいちゃんが、その人なんだと思う。きっと、一緒になったら不自由で不幸になるなって思うし」


 雪は俺と一間いっけんほどの距離で立ち止まった。


「それでもね。昔から、私はその人がずっと好きなの。好きで好きで仕方がない。だって好きなものはしょうがないの。好きなんだから。どんなクズでも、未来に不幸が待っていても、未来の子や孫たちに不自由を強いることになっても、この気持ちだけは変えられない。だって、好きだから。その人と居られなくなるのは嫌。だから――」


 雪はその場で深く頭を下げた。

 艶のある茶髪がゆるりと揺れる。


「ごめんなさい。夏樹君の告白には答えられません」


 こうして俺は、俺の知っている雪とは違う雪にフラれた。

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