第七話
現れない慟哭
翌日の朝。
とはいっても、満足な睡眠がとれたわけでもなく、昨日との境目も曖昧なままひたすらに左脳を酷使し続けた俺にとっては翌日の朝というよりも終わらない昨日のエクストラタイムを過ごしているような、何とも宙ぶらりんな
ベッドから出てリビングに向かう。
制服に着替えた妹がソファの上で体育座りをしながら食パンを齧っている。
淡い水色のパンツも丸見えで、パンくずをぽろぽろと零しながらテレビの芸能ニュースを眺めている。
「彩、おはよ」
俺が声を掛けると、彩はもひもひ咀嚼するのを止めぬまま片眉をずり上げた。
「兄ちゃん、いつもだけど今日は一段と酷い顔だよ。どうしたの」
「食べながら喋るんじゃありません」
「良いじゃん、家なんだし。兄ちゃんしかいないし」
「パンくずを零してるんじゃありません」
「うわっ、過干渉出た……」
「パンツが丸見えですよ、はしたないですよ」
「……見んなよ、キモチワルイ」
ぐっ……キモチワルイはやめてぇ、妹だろうがそれなりにメンタルにくる。
「ひとが親切心で注意してやってるのに……あのなあ、それら一つ一つのミスの蓄積が、ユーを敗北へと導くのデスよ?」
「は? 敗北? 何それ意味わかんないしミスじゃないし、別にいいじゃん家なんだしどうでもいい兄ちゃんしかいないんだし」
……ペガサ○様の偉大な忠告にも動じないとは、さてはお前も
「てかもう八時になるけど兄ちゃん出なくていいの? 遅刻するよ?」
「…………やべ」
マジでそろそろでないと遅刻だ。
慌てて自室に戻り制服に着替え、鞄を片手に玄関に向かう。
そこには既に靴を履き終えた彩が居た。
一緒に出てから俺が施錠をしていると、
「兄ちゃん」
先に数メートル歩いていた彩が俺を呼んだ。
振り返ると彩はすぐにアンダースローで茶色い何かを俺目がけて投げた。
お手本のような放物線を描きながら俺のトルソー目の前に届き、難なくキャッチすることができた。
我が妹ながら素晴らしいコントロールだ。
「無理しないで居眠りでもしなよ! じゃあね!」
彩はそれだけ言って、綺麗なフォームで走っていった。
やはり運動部は違うな。
掴んだ茶色い物体はリポなんちゃらDという名の栄養剤だった。
あらゆる意味でまともに眠りにつけなかった俺に向けた、妹なりの気遣いなのだろう。
どいつもこいつも素直じゃない。
でも今はその迂遠な応援も心に響き、少し泣きそうになった。
* * *
足と肺を痛めながらも何とか始業時間には間に合ったが、霜月もそろそろ半ばに差し掛かるというのに俺は汗だくだった。
ほぼ睡眠を取れていない身体には酷な高速通学だったが、それもこれも何とか耐えられたのは彩がくれたリポDのおかげかもしれない。
まあ、この手の栄養ドリンクが効果を発揮するには消化吸収される数十分後らしいので、ただの気持ちの問題ではあるのだが。プラシーボは人類が習得した思い込みの勝利ってやつだな。
間もなくして岩塚が入ってきて、HRとなる。
素早く視線を一周させると、空席が三つ見つかった。
入口側から順に、鏡、涼川、雪の席だ。
……まあ、そりゃそうだよなって面子だ。
「おいおいおいおいおいおいおい!! 夏樹どういう事だよ! 愛しの雪ちゃんも、いい感じの涼川ちゃんも、休むはずのない鏡まで休んでるってのは……さては夏樹、お前だな? お前が俺の愛しのガールズを誑かしたんだな!?」
例の如く山目が後ろから俺の肩を揺らしてくる。
なんだよ、愛しのガールズって。
「知らねえよ」
俺は山目のゴツい手を払いのけて吐き捨てた。
いやまあ、ある程度は知ってるし、俺が関与はしているんだけども。
話すと長いし面倒くさいし、口にすると精神が持ちそうにない気がする。
「んだよ……ああ、でもでも山仲ちゃんは今日も綺麗だし、小泉ちゃんも相変わらずの美人だし、川守田ちゃんなんて最近俺とよく目が合うんだぜー?」
言いながら山目はきょろきょろと鼻の下を伸ばして丸刈り頭を振っている。
お前は本当に人生楽しそうでいいな……。
岩塚はいつも通りの淡々とした口調で、昨日の涼川や鏡の事には触れず、何事もないといった感じでHRは終わった。
若干の喧騒が教室を支配する中、俺は雪の事を考えていた。
鏡や涼川と違い、明確な理由のない欠席。
その原因は俺にあるのかもしれないのだ。
――嘘つきなの。
何が嘘だ。どういう嘘だ。何のための嘘だ。
俺はそれを理解したいようで、理解するのは怖いような、振り子運動を心の中で決める事しかできない。
きっかけは――俺の告白。
それは概ね間違いない、しかしながらどうしてそう繋がるのかは全く理解できない。
またしても、だ。
思考迷路に彷徨いこみ、誰かの手助けや答え合わせ無くして自力で脱することのできない自分に、今日はより一層落胆した。
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