気づけない同族好意

「あれあれ、僕ァ、お邪魔だったかなー?」

「のワッ!」


 いつの間にかL字カーテンの隙間から男が顔だけ出してこちらを覗いていた。

 またしても悲鳴チックな声を上げてしまいながら慌てて握りしめた鏡の左手を離し、行き場のなくなった俺の両手は自身の足の付け根に帰還する。

 一体どこから見てたんだ?


夢鏡ゆみちゃん、大丈夫ー? 生きてるー?」


 なんとも軽そうな、それはもう鼻息で飛びそうな声色で男が俺のすぐ横までスリッパを鳴らして近づいてくる。髪の毛はやたらに長く、無精髭もうっちゃるままの中年、きっと四十そこそこの、しかしながら顔のパーツだけはやたらと整った男だった。

 鏡は一瞬男の顔を見るなり、すぐに勢いよくそっぽを向いた。


「なんだよー、つれないねぇ。折角、麻雀終わってこれから得意の花札ってところでわざわざ抜けて来たってのにさー」

「別に良いわよ、後で病院でかかったお金だけ払ってくれれば。戻って花札でもやってれば?」

「本当につれないねー。わかったよ、お金ね。父親としての義務だけはちゃんとしますよー。ボーイフレンドとの逢瀬の邪魔して悪かったねー」


 父親……なるほど、この人が鏡のろくでもないと言う父親ね。


「うるさい! どっかいってよ!」

「ひぇー、夢鏡ちゃん怖いねー。はいはい、消えますよー」


 鏡の父親は殆どの言葉が感情がこもっていないような棒読みだった。

 そっぽを向いたままの鏡を無言で数秒見つめた後、鏡の父親はちらりと俺を見て一瞬優しい顔をした。

 だがすぐに無気力な顔に戻り、パスパスと音を立てて病室から去っていった。


 その音が聞こえなくなるのを待ってから、


「鏡、麻雀には負けたけど、花札には勝てたな」


 黒めのジョークのつもりで俺は言葉を吐いたが、聞こえなかったのか鏡は魂が抜けたような顔をしていた。

 

「鏡?」

「夏樹…………私、びっくりしちゃった」


 何がだ?


「まさかあの父親が私のお見舞いに来るとは思わなかったから」


 鏡は左手で顔を隠すように前髪を摘まみながら喋る。

 隙間から見える口角は上がっているように見えた。


「まあ、だいぶ遅れての登場ではあったけどね」


 妹に連絡を入れさせて四時間以上、まあ我が子を心配する親にしちゃだいぶ遅い到着だな。


「でも来てくれないと思ってたから……あの人私に興味ないと思うし。本当びっくりして……私あの人にひどいこと言ってなかった? 大丈夫かな?」


 慌てふためく鏡が取り詰めた目で俺に訊いてくる。

 なんだ。あげつらう割には鏡も父親に心を寄せたがっているんじゃないか。


「まあちょっとひどかったかなとは思うけど、今度ちゃんと謝ったらいいんじゃないの?」

「いやよ、直接言うなんて……」


 またしてもそっぽを向いた鏡は、ほんのり頬が赤い気がした。

 素直じゃないねぇ。

 まあ、そういうお前がいいと思うけども。


 * * *


 二十一時半を過ぎ、ナースコールを押した俺と鏡のもとに看護師と二人の警察が現れた。

 看護師が点滴をスタコラ弄っている間に五十歳くらいの頭の薄い警官に俺と鏡は質問攻めにあった。

 駅での状況、本日の行動、涼川の最近の動向などを根掘り葉掘り聞かれ、もう一人の若い警官が俺と鏡の返答をひたすらにメモを取る。

 三十分程で満足したのか、今日のところは云々と、悪役の去り際みたいな台詞を吐いてから帰っていった。


 途中から棒立ちで見ているだけだった看護師に「お連れ様もそろそろ本日は退院ください」と言われ、俺も帰宅を余儀なくされた。

「また明日見舞いに来る」とだけ鏡に言い、「別に無理して来なくてもいいわよ」と疲れ切った顔で鏡が答えて、俺も病室を出た。


 緊急用搬入口に舞い戻り、深月と話した椅子にちらりと目をやると、そこには先程鏡をおとないた鏡の父親が座っているのが見えた。

 何となく挨拶をしてから帰ったほうがいいような気がして、俺はできるだけ静かに近づいて、


「すみません、お先に失礼いたします」


 柄にもなく馬鹿丁寧に言葉をかけた。

 俺の声に鏡の父親はゆっくりと顔を上げ、俺の顔を見るなりさっき見せた優しい顔を再び見せた。


「夢鏡ちゃんの、彼氏、かな?」

「いえ! ……違います」

「そっか。夢鏡ちゃんの想いは成就しないのかー」


 どういう意味だ。


「夢鏡ちゃん、本当に凄くいい子だよ?」


 それは知っているさ。本当にそう思う。

 でもあなたが言うと親バカになってますよ。


「あの、失礼を承知で伺いますが……鏡……夢鏡さんとはあまり親子の仲は良くないのでしょうか」


 俺は何を訊いているのだろう。どうして突っ込んでいるのだろう。

 無意識に暴走するのが癖になってきている気がする。


「あー。うーん。違うのさ。僕がね、夢鏡ちゃんに嫌われているんだよ。昔ひどい事をしてしまったからね。それはそれはもう取り返しのつかないことをしちゃってね」


 鏡の父親は憂いを帯びた笑顔を作る。

 つり気味の目元が鏡にそっくりだった。


「直接謝ったらいいんじゃないですか?」

「いやだよ、直接言うなんて……」


 ……。

 似たもの親子だな。


「でも、夢鏡ちゃんが無事で本当に、本当によかったよ。夢鏡ちゃんの通う道場の先生から連絡が来てさ。もうびっくりして慌てて飛行機に飛び乗ってきたけど、どうしても時間がかかっちゃった。でも無事で本当に良かった」


 なんだって? 飛行機?


「あの、麻雀をやられてたから遅くなったのでは……」

「そんなわけないでしょー、そんなの嘘に決まってるよ。仕事で出張に出ていて、どうしてもここに来るのに時間がかかっちゃてね。いくら僕でも、自分の娘が大怪我してるのに呆けて遊んでたりはしないさ」

「どうして嘘をついたんですか?」

「いやだって、その、なんでだろうね、夢鏡ちゃんを前にすると正直に言えないっていうか、ふざけちゃうんだよね。僕の悪い癖なんだけど」


 鼻頭をポリポリと掻きながら黒目を斜め下に移す鏡の父親。

――素直じゃないねぇ!!

 なんだよ、マジで似た者親子じゃねーか!


「それで、君の名前は?」

「はい、風林 夏樹といいます」

「じゃ夏樹君。夢鏡ちゃんについていてくれてありがとう。あの子もきっと本当にうれしかったと思う。できることならずっと仲良くしてあげてほしい」


 鏡の父親はそれだけ言うと立ち上がり、右手を怠そうに上げてから出口に向かって歩いていった。


 取り残された俺は定位置から携帯電話を取り出す。

 二十二時十分の表示と、おめかしに目覚めた生意気な妹からのメールが一件。

 俺は歩きながらそのメールを開封する。(歩きスマホはやめようね)


『鏡先輩は大丈夫だった? 落ち着いたら連絡して』


 緊急用搬入口から病院を後にし、辺りを軽く見まわした後に妹に返信を打つ。


『鏡は無事だ。けど俺が無事じゃない、ここがどこだかわからん。名沙なさ総合病院ってところだけど、ここからどうやって帰ればいいんだ?』


 俺の助けを求める返信に帰ってきた妹のメールは、


『気合』


 の二文字だった。

 アニマル浜〇かよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る