俺×2<鏡

 俺がどのくらい鏡が目を覚ますのを待っていたのかというと、それはもうちゃんと数えてみると左右で睫毛の数が違うなとか、左耳の耳珠じじゅに薄い黒子ほくろがあるんだなとか、多分もう目を閉じてもくっきりと寝顔を脳裏に描けるなとか、そのくらいだった。


 要するに二時間だ。

 

 いやマジで結構待ったよ? お尻痛いよ?

 麻酔の量ちゃんと合ってたのか? ちゃんと生きてるよね?


 小説の一冊でも持ってきていたらなと後悔しながらその場でストレッチをしていると、ピクリと鏡の口角が動いたように見えた。

 慌てて俺は声を掛ける。


「鏡?」


 もぞりと布団が動き、鏡の切れ長の両眼がゆっくりと開いた。


「だ……れ……」

「誰って、俺だ。風林だ」


 鏡は薄目のまま小さく口を開けて何かを言おうとしているのだろうか、しかし言葉はない。


「大丈夫か? 無理して喋るな」

「……んー……」


 ゆっくりと首肯した鏡は再び眼と口を閉じる。

 そこから更に五分程経ったころ、今度はぱっちりと目が開き、鏡の釣り目は確実に俺を見据えていた。

 

「夏樹……」

「お疲れ様、痛むか?」

「よく分からない……ずっとここに居たの?」

「まあね。俺暇ですし」

「……友達いないものね」


 おいおい。どっかで聞いたぞその台詞。


「冗談。……夏樹、疲れたでしょ? あれなら無理しないで帰っても大丈夫だから」


 こんな時まで人の心配するとか、お前ってやつは本当に。


「疲れてはいるけどさ、行きがかり上、な。それに鏡の親とか? が来るまではいようかなって」


 そう言うと、鏡は顔を俺とは反対側に背け、


「来ないわ」

「来ないって……親がか?」

「そ。あの人、私に全く関心ないから」

「いやでも自分の娘が刺されて大怪我して手術だぞ? それなら普通――」

「普通はね。でも、普通じゃないから。というより、これがあの人にとって普通なの」


 向こうを向いていても物憂げな表情をしているのが分かる声だった。

 普通、ね……。

 人によって何が当たり前で何が普通かなんてそれぞれだ。

 自分の価値観が一般的だと断定する事は広い意味で稚拙なのかもしれない。


「……なんかごめんな。気を悪くさせたいわけじゃないんだけど」

「大丈夫、気にしないから」


 鏡はこちらに向き直り、掠れた笑顔を向けた。

 そのまま布団から左手を出して、


かえではどうしてる?」


 と訊いてきた。


「すまん、涼川のあの後のことは俺もよくわからない。ずっとここに居たからさ」

「そう……」


 分からない、と言ったものの予想はつく。

 事件である以上、何らかの形で警察に保護なり補導なりをされているのだろう。

 当事者の俺も鏡も、その内事情聴取? ってやつをされるんだろうな。


 その前に、だ。


「鏡、教えてほしいことがあるんだけど」

「何かしら……あんまり頭働かないから、思考力半減でもいいなら答えるわよ。それでも夏樹よりは回転速いと思うけど」

「あのなあ……まあ、それだけ冗談言えるなら大丈夫そうだな」

「冗談言ったつもりはないけど」

「おい! そんなに俺頭悪くねえぞ!?」

「あはは、悪いじゃない。…………私との出会いも忘れちゃってるくらいだし」

「えっ」


 鏡は眉をハの字にして薄く笑っている。

 心臓が跳ねたのを感じた。


「それってもしかして、俺が鏡を助けたってやつか?」

「…………覚えてるの?」


 いえ、全く。


「面倒かけて申し訳ないけど、話してくれないか? それについて」

「……うん。いいけど、結構長くなるわよ?」

「全然かまわないよ」


 身体の至る所で脈打つのを感じながら俺は足の付け根に両手を乗せて背筋を伸ばした。

 それを見た鏡は何故か鼻で笑ってから、左手をおでこに当てて、


「小学校六年生の時の話」


 と言った。

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