訊けなかったこと

 半分以上残っているブラックコーヒーの缶を無理をして一気に飲み干す。

 味はあまり分からなかった。


「言ってなかった、深月、今回も色々とありがとうな」

「いえ、鏡さんを傷付けてしまった以上、私はお礼を言われる資格はありません。そして――」


 深月は座る俺から真っ直ぐな方向にちょうど十歩大股で歩き、くるりと振り返ってこちらを見て泣きそうな笑顔で、


「――今回が、最後になります」


 ピリピリとこめかみ辺りに刺激がある。

 最後――って何だ?


「今まで、私、誘導とか下手くそでごめんなさい。でも、夏樹さんのおかげで私も本当に救われました。こんな奴の事を信じてくれてありがとうございました」

「待てよ」

「私は未来に帰りますが、大丈夫です。結構先ですけど未来でまた会えますから」

「待てって!」


 余りに短い期間で何度も会うから俺は麻痺していた。

 どこかでまたいつでも何かしらで俺を助けに現れるものだと思い込んでいた。


「最後って……もう深月は未来からは来ないってことなのか」


 深月は泣きそうな笑顔のまま頷く。


「今回のが夏樹さんの最後の危機、と私に指示をする人に言われました。ですので、私がこの時代に来るのは今回が最後です。長い間、色々とありがとうございました」


 長い間と表現する深月にとっては、俺の命が脅かされたこの数回の間に数年の年月が経っていたのだ。

 それもどうやら今回で終わりということらしい。


「待ってくれ、もう少しこっちに残ったらどうだ? 訊きたいことも話したいことも沢山あるんだよ。そうだ、深月、お前今何歳だ?」

「……二十一ですよ」

「へえ、あんまり見えないなぁ。童顔は相変わらずだ。じゃあ、そうだな、深月が現れる時、どうして周りに人がいなくなるんだ? 屋上の時も、露天風呂で俺が裸体を晒した時も、不自然に人が急にいなくなった、あれはどういう原理だ?」

「蜃気楼のメカニズムを利用した視聴覚阻害の空間を構築する道具を使いました。使用した人から三メートル二十八センチの範囲が有効です」

「へー、未来の科学ってマジですごいな、じゃあタイムリープの仕組みってどんな感じなんだ?」

「………………」

「それに、深月はどうして鏡を知ってたんだ? やっぱり未来で深月とも関わりがあるのか」

「…………夏樹さん」

「あとそうだ! 風花ちゃんのこと知っているか? あの子は誰なんだ?」

「夏樹さん」

「俺を守って、深月も救われるってどういう事なんだ? 深月に指示をする人って誰なんだ」

「夏樹さん!!!!」


「……嫌だ」


 これでもう会えなくなるなんて意味が分からない。

 同じ時間軸の人間じゃないのは分かっている。

 それでも、もう会えないって考えると嫌なんだ。

 どうしてそう思うのかは自分でもわからない。だけど。


「もう会えないってのは嫌だ」


 鼻の奥が痛い。喉がヒクつく。

 情けないことに視界がぼやけて、瞬きと同時に頬が濡れた。


「大丈夫です、私はもう今の夏樹さんには会えないですけど、夏樹さんは今の私にまた会えますから。結構先ですけどね」


 深月も細めた眼から涙を零した。

 少しだけ震える声で続ける。


「最後に、これだけ伝えて帰ります」


 深月は小さい掌で頬に伝う水脈を拭いながら、


「私のいる時代で、私に過去に飛ぶよう指示する人は、実は今日、鏡さんに会っているはずです」

「……鏡に?」

「はい。詳しくは鏡さんに聞いてください。それで、多分、誰かも分かるはずです。……あーでも、夏樹さん馬鹿だから気付けないかも」

「おい! また馬鹿って言ったな!」

「ふふふ、冗談です。それでは私は帰りますね。さようならです」


 言い終わるや否や似合わぬ小走りで立ち去ろうとする深月に俺はしつこく声を掛けた。


「深月」


 ピタリと止まった深月が何も言わずに顔だけをこちらに回した。


「本当に、今までありがとうな。また、その、未来で会おうな」


 俺の言葉に、深月は今までで一番子どもみたいな無垢な笑顔で、


「はい。百三十円、いつか返してくださいね」


 とだけ言って走り去った。


 追いかけようとは思わなかった。

 いつになるか分からないが、また会えるのは規定事項であるから。


 それがいつになろうとも、どれだけ先の事でもだ。


 あとは深月からもらったヒントを活かして、ちゃんと、本当の意味で現状を理解しなければならない。

 寂しがっている暇はないな。


 しかしながら今更ながら少し後悔したことがある。

 最後に深月の苗字を訊いておくべきだったかもしれない。

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