白き妖精

 小一時間ほど待っただろうか。

 手術室の前で煌々とした「手術中」の文字を見ながら今か今かと成功を待ちわびる、といった事はなく、ただ普通に緊急用入口に近い待合所の横長の椅子に座っていた。


 勿論の事成功を待ってはいるのだが、感情が三パーセント程しか込められていないような話し方のやたら背の高い看護師が言うところによると、鏡は命に別状はないらしい。


 それを聞いた時、心の底よりもさらに深い所から安堵感が湧き出て、同時にドバっとした疲れに襲われた俺は、へなへなと最寄りの椅子に腰を落とし、そこから現在までそのままの格好だ。


 数十分前に看護師に言われた質問を思い出す。


かがみ 夢鏡ゆみさんとは、どういったご関係ですか」


 いや、ほんと。どういう関係なんだろう。

 普通に考えれば……クラスメイト? とか友達とか、そんなもんなんだろうけどね。

 なんでだろうか。そんな細くて薄い答えをしたくなかった。

 マジでなーんだろうねこの気持ち。


 結果、俺は即答できずにおどおどし、訝しげな目で見られたのであった。

 本当、最近あんまりいいことがない。


 そんな思考で何度目かの溜息をついて、最近溜息ばっかりついているなと自覚した頃合いで、


「夏樹さん、お疲れ様です」


 と声が掛かった。

 物音せずにいつの間にか俺のすぐそばまで来ていたのはいつもと違う格好の深月だった。

 白のタートルネックセーターの上にベージュの長めのピーコート、えんじ色のスカートからは黒タイツの細い足が伸びている。

 深月らしくない、少し大人っぽい格好だった。そういや、もう大人なんだっけ。


「大丈夫ですか?」


 右片方だけ胸辺りまで伸びているもみあげを指先で弄りながら心配そうな顔をする深月。


「なあ、一つ訊いていいか」

「……なんですか」


 気を付けの姿勢に直った深月が真剣な表情で俺を見つめてくる。

 俺も合わせてできるだけ真剣な顔を作って問う。


「なんで片方だけもみあげ伸ばしてるの?」

「えッ、な、な」


 深月は目と口を大きくしてから、両手でもみあげを隠すよう握りしめて、顔を赤くした。


「なんでもいいでしょ! 夏樹さんにオシャレのこと口出しされたくないです!」


 ひええ、辛辣ぅ。

 ただ本当に純粋に疑問だっただけなのに。


「もう……折角ひとが心配してるのに……私自販機で飲み物買ってきます!」

「おう……」


 ズカズカと大股で歩く深月を見て、ほんの少しだけ元気が出た気がする。

 あらあら、でも深月さん、どこかのウンディーネ曰く、女の子は髪型を変えると歩き方まで変わるものなんですよ。うふふ。


 少し遠くでガコンッと音が聞こえ、すぐに深月が戻ってきた。

 そのまま大股で俺のもとまで来て、俺の顔の前にブラックコーヒーを突き出しながら隣に座った。

 俺はそれを左手で受け取る。


「サンキュ」

「百三十円です」

「…………」


 変なとこできっちりしているのね、ケチ。

 俺が尻ポケットの財布を取り出そうとすると、隣の深月が正面を向いたまま口を開いた。


「今回も、規定事項通りの結果となりました。夏樹さんに鏡さんの怪我について、事前にお伝えできなかったのは本当に申し訳ありません。心苦しかったのですが、規則なので言えませんでした」


 言いながらココアの缶のプルタブを開ける深月。

 今までの俺だったらここいらで深月に八つ当たりをしていたかもしれない。

 しかし今は怒る気にはなれなかった。


 音を立てずにココアを飲む深月を横目で見て、迷子な感情を込めた息を吐いてから、


「まあいい。代わりにひとつ教えてくれないか」

「なんですか。私の答えられる範囲でなら」

「深月が俺に言わせたかった、『俺の関わる、俺の知らないこと』ってのは結局何のことだったんだ?」


 深月はもみあげを揺らしてこちらを見てから、小首を傾げた。


「それは夏樹さんが正しく言ってたじゃないですか」

「正しく……? あれで合ってたって事か」


――俺が鏡を助けたことがあるってのは、本当なのか!?


 そう、あの瞬間、涼川に包丁を振り下ろされそうになった瞬間、必死に思考の履歴を辿って見つけ出した一つの疑問だ。

 修学旅行の帰りの飛行機。

 そこで鏡に言われた、「私は、アンタに助けられたことがあるからよ」という俺の記憶にない事象だ。


「そうです、それで合ってます。尤も、鏡さんの名前さえ出していれば時間稼ぎができたので本当はそれだけでもよかったんですけど」

「……時間稼ぎ?」

「はい。『一瞬でもいいので涼川さんを動揺させる』ことができれば今回は規定通りになると言われてこの時代に来ました」


 そう言って深月は両足を交互にプラプラさせた。


 …………。

 いややっぱり最初から最後までよく理解できないんだけど、俺が頭悪いだけなの?

 俺は缶を開け、雑多な小疑問を掻き消すようにブラックコーヒーを流し込んだ。


「じゃあ、どうして涼川は俺を殺そうとしたんだ? 俺、自慢じゃないけど涼川に恨まれる様な華やかな学校生活も送ってないし、てかそもそもほぼ関わりなかったと思うんだけど」

「友達もいないですしね」

「んな! いるよ! いるいる、友達くらいいるし!」


 いや、強がってる場合じゃない。


「……じゃなくて、俺が初めて事故で死にそうになった時も、一酸化炭素中毒を起こした時も、多分まだ一回も涼川と会話すらしていなかったと思うぞ? なのに涼川アイツは俺に殺意があったのか?」

「そうですね。詳しいことは多分、鏡さんなら知っていると思います」

「鏡が?」


 まあ確かに親友……みたいに見えるアイツなら事情を知っているかもしれないな。

 でも涼川はあの時、鏡に『様』つけて呼んでたけど……あれは一体?


「さて」


 深月はココアをグイッと飲み欲し立ち上がる。


「夏樹さん、そろそろお別れです」

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