忘却の訓戒

 駅に入った俺は軽い放心状態のまま、すぐに改札を通らず、近くの背凭れの無いベンチに落ちる様に腰掛けた。

 そのままぼうっと床のタイルを見つめながら冷静に何が起こったかを振り返る。


 起承転結で綺麗に纏めるとするならこうだ。


 起で俺が傘を忘れる。

 承で雪と相合傘をすることになる。

 転で俺が告白……。 あーあやっちまったなーマジで。

 そして結で雪が壊れた。


 ……いやどこも綺麗じゃなくね?

 俺が迂闊にも傘を忘れた事で想い人が壊れたとか、ローレンツも失笑レベルのバタフライエフェクトだ。


 誘導(なのか?)されたとはいえ自分から人生初の告白をしたことに関しては自分を褒めちぎってやりたいところだが、返事が有耶無耶どころか泣かせてしまう始末である。

 女を泣かせる男は駄目な奴だと死んだばあちゃんが言ってたっけ。


 雪の頬に零れ落ちた大粒の雫を思い出して訳も分からず心が痛くなりながら、駄目な奴なりに思考する。


 あの涙は恐らく、きっとだが、雪の本当の感情なんだろう。

 詳しい事情は知らないが、雪は雪なりに何かを抱えて生きていたのだ。

 俺が好きなあの無感動な笑顔は、その何かを隠そうとして生まれた表情なのかもしれない。

 翳りのみを密かに垣間見せて、その深淵には俺の知らない何が眠っているのだろうか。


――雪様の事、ちゃんと見てあげてください。

――雪様の本心を見てあげてください。


 二日前に風花ちゃんに言われた言葉が不意に俺の頭で蘇った。


 風花ちゃんとその姉が何を画策しているかは解りあぐねるが、雪が何かよくわからないものを抱えている以上はそれをどうにかしようとしているのだろう。

 

「本心ねえ」


 小さく呟いて短く息を吐く。

 しかしながら雨の中、雪を追いかけたところで、追いついたところで、無知な俺には何もできないだろう。

 雪の事はもちろん理解してやりたい。

 そりゃ、多分。好きだから?


「嘘…………」


 雪の言う「嘘」の意味は、有体に言えばの為に作った自分自身なのだろう。

 喋り方や行動、性格も、かもしれない。

 そのが分からない以上どうする事もできないのだが、それとは別に一つ、思い切り引っかかる事を言っていたのを思い出す。


 修学旅行。

 雪不在のあのちょっぴりセピア色な修学旅行についても雪は涙を流しながら口にしていた。

 修学旅行に行けなかった理由も嘘、と。


 風邪じゃないとするなら一体どんな理由があるのか、皆目見当もつかない。

 それもやはり修学旅行先に現れた風花が関係している……とかか。


 目的地を目視できない思考迷路を彷徨った俺は、いつの間にか倒れていた傘を拾い上げて立ち上がる。

 左腕に巻きつく安物の時計は十六時過ぎを差していた。

 そのまま左手に持つ濡れた傘に目を移す。


 明日、何と言って返せばいいんだろう。というか明日雪は学校に来るのかな。


 苦い感情を一先ず置いておき、改札に向かおうとしたところで、


「風林君」


 と俺の名前を呼ぶ声がした。

 女の人の声だ。

 傘を持つ側の、ちょうど駅の入口の方から聞こえた。


 失意の底とメダパニ状態から、すっかり忘れていた緊張感が一気に流れ込んでくる。

 まるで自分が針金でできているかのように動かしづらくなった。

 軋む首をゆっくりと、声のもとへ向ける。


 本日、五人目の女の人の方へ、だ。

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