日帰り手術

 歩きながら聞いた話だが、山目の父親は総合格闘技のプロ選手らしい。

 幼い頃から頭と体に格闘の何たるかを仕込まれて育ったと教えてくれた。


 仏頂面で喋る山目の口からパンクラチオンだのサバットだの一般的ではない単語が飛び出し、俺は宇宙人と未知の会話をしている気分だったが、つまりは父親の影響で戦い慣れている、と山目が纏めた。


 更に、高く舞い上がった絶叫マシンから俺と女の子が一緒に走っていく姿を発見し、興味本位で慌てて俺が絡まれている現場に来たという事も話してくれた。

 助けに来たとか言いやがって、実質は下心だったようだ。


「それにしてもさ、夏樹は女の子に後ろから抱きしめられてるのに、俺はヤロウ二人と汗くさいやりとりしただけだぜ? 俺がヒーローだっつのに、役得ねえなぁ」


 山目は俺に肩を貸しながら文句を垂れる。


「誰に見られてる訳でもないのにクラスメートを助けちゃう俺ってやっぱりイイ奴? 夏樹、この事をいろんな奴に他言して回ってくれよな! そうすりゃ俺もモテモテ……でへへへ!」


 下心と緩んだ顔が無けりゃマジでモテてたかもな、と言いかけたが思いとどまる。

 助けられた恩もあるし、今日は此奴の顔を立ててやるとするか。


「あ、でも夏樹に抱きついてた女の子さ、顔は良く見えなかったけど雪ちゃんに雰囲気似てたなー。まあ雪ちゃん修学旅行に来てないからそれはないだろうけど。でも絶対美人だなありゃ。夏樹、いいなあ……」


 俺は目の奥がチリチリと焼けるように痛んだ。同時に頭部がぞわりとした。

 俺がホールドされた瞬間聞いた女の声は、確かに聞き覚えがある気がしたからだ。

 言われてみれば、雪の声に似ている気がする。


 ――いや、まさかな。


 心に妙なしこりを残したまま班員の待つ場所に辿り着いた。

 そこは俺が小学生版雪もどきに声を掛けられたベンチだった。


 俺の鼻血まみれの顔を見るなり、鏡は俺に駆け寄り「大丈夫!?」「どうしたの!?」を連呼し、涼川は血を見たショックなのかその場で半卒倒した。


 鏡は涼川をベンチに寝かせると、すぐさま形成外科をスマホで検索してくれた。何とも頼りになる奴だ。


「タクシーも呼んだから、それで行きましょう。悪いけど山目君は楓を看ててくれる? 私は夏樹に付き合うから。連絡はするから携帯の電源は入れておいてね」


 鏡が手際よく指示を出し、山目は気圧されてかシチュに満足してか敬礼のポーズで応えた。


 やっぱりどう考えても班長にふさわしいのはリーダーシップを正しく発揮できる鏡だな。


 タクシーが病院に向かう間、俺は事の顛末を話した。

 鏡は深刻そうな顔で聞いていたが、結局どうしてそうなったのか分からないからだろう、最後には「なにそれ」と怪訝な顔を向けてきた。

 そりゃそうだろう。俺だってどうしてこうなったのかよく分からない。


 俺の話を聞き終えた鏡は、俺の顔面の血をウェットティッシュで拭いてくれた。

 真剣に俺の顔面を見つめながら血を拭き取る鏡の顔がとても近い。


 つり目がちで大きな瞳、その割に小さな鼻と口、ツルツルの肌、そしてサラサラの長い髪。

 時折かかる吐息に、胸が高鳴るのを感じる。


「鏡は、優しいんだな」

「はあ? あんた何言ってるの」

「こんな情けない状況の俺を気遣って病院まで付き添ってくれるしさ」

「そんなの当然でしょ! 同じ班だし、義務ってやつよ、義務!」


 鏡は少し照れくさそうに顔を赤らめてそっぽを向いた。


「それでも、俺は優しいと思うよ。ありがとうな、鏡」


 俺は鏡に向け笑顔を作った。

 と言うよりは自然と笑顔が出てきた。


「…………」


 鏡は俺の顔を見るなり何故か困ったような顔色だったが、不意に片眉が上がり、


「まあポ○キーももらったし、その分のおかえしよ」


 そう言うと眼を閉じて腕を組んだ。頬は相変わらず赤い。

 ……コイツこんなに可愛かったっけか。


 お昼時が幸いしてか、病院は空いていた。

 受付を済ませて診察待ちの間、鏡は教師に電話してくると言って外に出て行った。

 それから、七十インチくらいの巨大なテレビで三つほどニュースが流れたくらいで俺の苗字が呼ばれた。


 軽度の鼻骨骨折。

 日帰りでできる局所麻酔での形成手術をすることになった。


 手術――生まれて初めての経験だ。

 局所とは言え、身体に麻酔を打つのも初めてで、俺はまたしても別の恐怖を感じる事となった。


 準備の為再び待合室で座っていると、電話を終えた鏡が戻ってきた。


「どうだった?」

「……鼻の骨治す手術だとさ」


 声が震えてしまった。情けない。

 怯える俺の姿を嘲笑されてしまうと思ったが、鏡は「そう」とだけ呟き、俺の隣にくっつく様に座った。


 それから、驚くことに鏡は突然俺の手を優しく握った。


「大丈夫よ、すぐ終わるわ」


 鏡は撫でるような柔らかい声で俺の顔は見ずにそう言った。


 全身の恐怖が軽減される感覚と、少し別種の緊張感が生まれた。

 鏡は本当にいいやつだ。

 絶対にいつか恩返しをしなきゃ。


 そんなふうに思考していると俺の苗字が二回呼ばれた。

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