溜息と八重歯

 次々に乗り込んだ生徒らを乗せて、独特なにおいと共にバスが発進した。

 特段乗り物に酔いやすいわけではないが、今なら酔ってしまいそうな気分だ。


 担任教師である岩塚いわつか 次郎じろうの説明はこうだった。


 権田ごんだ ゆきは昨日の夜から熱を発症し、今朝まで休養したが一向に良くならない為、本日から始まる修学旅行には不参加となる。行けなくなってしまった彼女の為にも、彼女の分までしっかり楽しみ、しっかり学ぶといい。


 以上である。


「あーあ、雪が来れないなんて本当に残念ね」


 隣の座席のかがみが窓の外を流れる景色を見ながら呟いた。

 本当に残念だ。ショックがでかい。


「体調不良なら仕方ないさ」


 俺の力なき声に、鏡はこちらを向いて薄ら笑いを浮かべた。


「夏樹は本当に本当に、残念よねー?」

「どういう意味だよ」

「そういう意味よ」


 鏡が悪戯に笑いながら白い歯を見せる。

 少し大きな八重歯がコイツの性格によく似合っている。


「てかどうして私の隣がアンタなのよ。普通こういう座席って男子同士、女子同士で座るんじゃないの?」

「さあ、それはアイツに聞いてくれよ」


 俺はそう言って前方座席に座る担任教師を顎で指した。

 座席の間の通路挟んで向かいに座るバスガイドと何やら楽しげに話しているのが見える。


「次郎ちゃんも、もう少し柔らかくなってくれればねえ。固すぎるのよ。一生に一度なんだから席くらい自由にさせてくれてもいいのに」


 俺を睨みながら言うなよ……。


 確かに、岩永教諭は校則、規則らを遵守するタイプの堅物である。

 修学旅行今回に関しても例外なく、班はクジ引き、飛行機やバスの座席も班ごとに纏めて、とのことだ。

 背は小さいがそれなりに二枚目な顔を持っており、一部の生徒には人気があるらしいが、その固さ故に不満を持つ生徒も多い。


 まあ俺はその堅物の提案のクジ引きのおかげで雪と同じ班になれたので文句は全くない。

 なかった。んだけどさ……。


 本来は、俺の右に雪が座る予定だった。

 急遽欠席した結果、一列後ろで同じ班の鏡が、空いた席に詰めて座る形になった。

 後ろの列にはもう一人同じ班の涼川もいるが、「楓を夏樹アンタの隣に座らせる訳にはいかないわね」と鏡が自ら志願したのだ。


 ちなみに山目は、通路挟んで反対の席で魂が抜けた顔をしている。

 気持ちはわかるぞ山目君。


「ところでアンタ、何かお菓子持ってないの?」


 鏡は両目を眩しく輝かせて訊いてきた。


「ああ、いや一応持ってきてるけ――」

「何何!? みせてみせて!」


 鏡の幼稚な好奇に気圧けおされて、俺は足元のリュックサックを膝の上に置きファスナーを開ける。

 お菓子の入ったコンビニのビニール袋を取り出すか出さないかのところで、驚く程の速さと強さでぶんどられた。


「どれどれ……」


 眉をVの字にして俺のお菓子袋を物色する鏡に、俺は大きめの溜息を吐いた。

 ピッと眉と目が上がった鏡は中から一つの箱を取り出し、残りの袋を投げるように俺に寄越してきた。

 俺がそれを仕舞う前に、鏡はぶっきらぼうに箱を開けだした。


「あのー……夢鏡ゆみさーん?」


 既に内装袋も開け、チョコレート付プレッツェルを一本咥えた鏡が、露骨に嫌な顔をし、


「勝手に下の名前で呼ばないでよ!」


 咥えたそれを親の仇のように噛み砕いた。


 俺は再び大きめの溜息を吐き、もしも今、隣に雪が座っていたらな……と考えて三度みたび溜息を吐いた。


 俺がリュックサックに目を落としていると、


「そんなに落ち込まないの! こっちまで滅入るじゃない……。ほら、これあげるから元気になりなさい!」


 俺の手を強引に掴んで引っ張り、掌に何かを握らせてきた。

 ゆっくり手を広げると、そこには個包装の小さな穴の開いたパイン味の飴が一つ。


 鏡を見ると、無垢な笑顔で白い八重歯を見せてこちらを見ていた。

 瞬間ドキッとしてしまった自分が情けない。

 弱みに付け込まれる女性はこんな気持ちなんだろうか、等と考えながら、


「そうだな。楽しむしかないか!」

「そうよ! 期待してるわよ、班長!」


 鏡は奪った戦利品俺のお菓子を満足げに食べながら俺の肩を叩いた。


 でもさ。

 この飴一粒と、俺のポ○キー一箱じゃ、釣り合わないと思うぞ夢鏡さん。

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