第二話

見えなくて消えない跡

 神無月の下旬。


 大川高校の二年次生徒が大抵待ちに待つ行事がある。

 修学旅行という名のそれは、普段の機械的な勉強の日々を忘れられるまたとないイベントであると同時に、見知らぬ地を訪れ、見聞を深めるという名目の学生たちのバカンスだ。


 基本億劫がりな俺も、少なからず楽しみにしていた。


 そのハッピーな行事の参加資格を、俺は危うく失うところだった。

 患ったインフルエンザが完治し、外出許可が出たのが昨日だったからだ。


 本日はその修学旅行の前日であり、帰りのHRの今現在、担任教師による明日への最終確認が行われている。

 昨日まで欠席していた俺は、いつの間にか班長という責務を押し付けられ、当日の行動の指揮と執らねばならないことになっていた。

 普通病欠中の人間にそんなことを押し付けるか? 全く無責任且つ酷い連中だ。


「まあ、そう拗ねるなって! どうせ大してやる事なんてねえからさ!」


 後ろの席から俺の肩を強めに叩き、そう言ったのは同じ班となった山目やまめ 雄策ゆうさくという男だった。

 丸刈り頭でギョロッとした目が少し気味悪い、確か野球部だ。


「俺は休んでたから詳しく分からないんだが、自由行動の日はどこへ行く事になってるんだ?」

「へへ、そりゃもちろん――」


 山目は突然こぶしを突き上げ、目を閉じる。

 そして突き上げたそれを俺の顔の前に突出し、親指を立てた。


「USJさ!」


 顔の前に出すな顔の前に。


 USJ……。

 アルティメットスタジオジャパンの略称で、テーマパーク、遊園地だ。

 高校生にもなってUSJくらいではしゃいでるんじゃねえよ山目。


 HR終了の本鈴が鳴り、担任教師が「最後に班ごとに集まって確認してから下校するように」という言葉を残し教室を後にした。


 同時に始まる喧騒の中、俺の元に計四名が集まる。

 その中の一人を見て俺は心拍数が上がるのを感じた。


「ああ! 雪ちゃんと同じ班だなんて俺はなんて幸せなんだろうか! 神よ、感謝します」


 片膝を突いて祈りのポーズで目を潤ませている山目の言葉に、雪は苦笑していた。

 苦笑すら可愛いですよ、本当です。


「とりあえず、初日は班での行動は殆どない。二日目の自由行動から、俺が休みの間みんなが決めてくれた予定通りに行動する。特に疑問等はないか?」


 俺の問い掛けに、雪は無言で首を振り、他の二人、鏡と涼川という女子も異議なしといった顔でこちらを見ていた。

 山目はまだ潤んだ目で神に祈りを捧げている。


「それじゃ、解散で」


 俺の号令に鏡と涼川は自然に去っていき、雪は俺に少しだけ近づき、


「USJ、楽しみだねー」


 シリウスの輝きのような笑顔で言った。

 ええ、USJ、楽しみですとも! いくつになってもはしゃいでしまいますとも!


「じゃー、明日ねー」


 雪は妖精でも舞いそうな笑顔のまま手を振って去っていった。


 雪と同じ班――それだけでこの修学旅行は俺にとって最上級の楽しみなイベントとなった。

 まだ天に祈る山目を無視し、俺は帰路に就くことにした。


 昇降口で靴を履きかえ、駐輪場に向かう。

 流石に風が冷たい。もうすぐ霜月だ。

 母親の御下がりであるこのボロ自転車とも、そろそろ別れを告げてバスの定期券を買わなくてはならない。


 川沿いを自転車で下校する最中、俺は深月の事を考えていた。

 ガス中毒で一日入院したあの日以来、姿は見ていない。


 未来からの来訪者、どうやら本当にそうらしい。

 インフルエンザのことをと称した意図はよく分からないが、発症の日にちをピタリと当てている。

 

 その未来がどのくらいの未来なのか、俺をどのような理由で救済するのか、その辺はさっぱりわからないのでもう一度深月に会って問いただしたいところだが、深月アイツが俺に会いに来るという事=俺が死に瀕するという等式がある以上、もう二度と会わない方がいいのは明確ではある。


 ただ、胸の奥底で巣食うもやがありスッキリしないのも事実だ。

 

 しかし今は忘れよう。

 目先の修学旅行たのしみを優先し、謳歌することにしよう。


 人間いつ死ぬか分からないしね。 いや、本当に。

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