243.3倍

 特に意味はないが深呼吸をし、深月の方へ真っ直ぐ向き直る。


「まず、私は天使ではありません」

「はぁ?」


 それは知ってるってか自分で否定していただろ。


「そして、予知能力者や超能力者でもありません」

「はぁ」


それだと、やっぱり君が全てを企てた人間、ってのが一番筋が通るんだけれども。


「ましてや夏樹さんを殺そうとする殺人者でももちろんありません」

「………………」

 

 深月は更に何かを続けようとして口を開けたまま数秒停止していた。

 そして急に俯き、肩で深呼吸をし、再びこちらを向く。


「私は、未来からこの時代へ来ました」

「…………はぁ」


 …………はぁ?

 何言っちゃってるのこの人。


「詳細は規則で言えないですが、訳あってこの時代の夏樹さんを助けるために私は派遣されています」


 天使ときて予知能力者ときて、今度は未来からの使者か。電波もほどほどにしてくれよ。


「正確には言えませんが、夏樹さんが死ぬことを回避するのが私の役目で、どのような事が夏樹さんに起こるかは全て知っています。ですから、今回も睡眠薬を珈琲に混ぜられることも、ガスコンロが不具合を起こすことも、こうして夏樹さんが私に疑いを向けてくることも知っていました」


 俺は言葉が出なかった。

 呆れてしまったからってのもある。

 未来からのタイムトラベラー、何と都合のいい立場だろう。

 しかし同時に合点がいく。確かに辻褄は合う。


「本来、これから起こる事を他人に教える行為は法律で厳重に禁止されています。ですので夏樹さんの身に起こる事も詳しいことは話せませんでした。それでも、ある事情で夏樹さんを絶対に死なせる訳にはいかないんです。なので、それとなく夏樹さんが死なないように導いていくのが私の役目というわけなんです」

「……ある事情って?」

「それは今は絶対に話せません! というか夏樹さんならいずれ解る事ではありますけど」

「それが本当だとして、どうやって未来から来たんだ?」

「それも話せません!」

「深月、じゃあどうして三日前にそのことをそのまま話してくれなかったんだ?」

「……三日前?」


 突然きょとんとした深月は、小首を傾げる。


「三日前の交通事故の時は、天使だの予知能力だの言ってたぞ。その時に最初から本当のことを話してくれなかったのは何故なんだ」


 深月は黒目を上に動かし人差し指を顎に当てていたが、思い出したかのように小刻みに首を縦に振った。


「あの時の私には、絶対的守秘義務がありましたから。どんなことがあっても未来から来たことは言ってはいけなかったんです。でもあれから二年たって、どうしても必要な時は未来からの来訪を限定して告知していいことになったんです」

「なんだって? 二年!?」

「はい、二年です」


 深月は立ち上がり、俺の傍まで来た。


「だから屋上で再会した時言ったじゃないですか。お久しぶりですって」


 そう言うと深月は柔らかく笑い、自身の毛先を指に絡めていた。


「夏樹さんにとっては三日かもしれませんが、私にとってはすごく久しぶりだったんですから」

「……それを信じろってか?」


 言われてみれば確かに納得のいく事が多い。

 急に伸びた身長や大人びた顔もそうだ。


「信じてください。それに私は今十九歳ですから。年上なんですよ、夏樹さんより!」


 深月はどうしてか照れくさそうに眼を閉じていた。


 怒涛の二つの事件で頭がこんがらがりそうになりながらも、俺は目の前の未来人に改めて言う。


「それが本当だとするなら、理由は不明にしろ御礼を言わなきゃならないよな。本当にありがとう」

「あ、まだ完全に信じてませんね? もう、夏樹さん少しは私のこと信じてください! 今回は本当に本当のことです」


 むくれ面で腰に手を当てる深月は、なんだか少し可愛く見えた。


「どちらにせよ、間接的に俺を殺そうとする奴がいるってことは間違いないんだよな?」

「はい、それも含めて私が夏樹さんを守りますし、それもいずれ分かる事です。それに、生きてくれて本当に感謝するのはこちらですよ。夏樹さん、ありがとうございます」


 深々とお辞儀をする深月。この光景は何度目だろう。


 俺は深いため息をつき、ベッドに仰向けになった。


 未来から来た、なんて簡単に信じることはできそうにないが、またしても命を救われたことに違いはない。


 天井を見つめながら考えていると、視界左からヌッと深月が顔を出した。


「あ、その顔はやっぱりまだ信じていませんね!? じゃあ、最後に信用を得るためにひとつ教えます」


 深月の髪の毛先が俺の顔にかかる。痒い。


「夏樹さん、六日後に大きな風邪を引きますよ。死にはしませんけど」


 深月は俺の顔上で小声でそういうと、ニカリと笑って素早く顔を引っ込めた。

 それが未来から来てる証明ってか?


「それではお別れです、夏樹さん。妹さんもお大事に。さよなら」


 いつの間にか窓の傍に立っていた深月は、俺が返事をする間もなく病室の入口の方に向かって去って行った。


 * * *


 翌日、体調が回復した妹とともに退院した俺は、自室で深月の事を考えていた。

 未来から来た俺の命の恩人。信じられないがそういうことらしい。


 もう会う事はないのだろうか。

 いやまた会うという事は再び俺が死にかけるという事でもある。

 きっともう会わない方がいいのだろう。


 認めたくない、信じられない、しかし信頼のできる、この名前の付けられない複雑な感情を抱きながら、心の中で三度深月にお礼を言った。



 その五日後、俺はインフルエンザに罹った。

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