歪な楕円

 軽度の一酸化炭素中毒。


 もみあげだけ異様に長い四十代そこそこの医師が、ベッドに仰向けになる俺にそう告げた。

 念の為一日入院、症状がなければ明日そのまま退院していいとも告げ、去って行った。


 心配なのは妹の彩だ。

 俺より症状が重く、搬送された時は意識がなかった。


 教えてくれた看護師は捲し立てる様な早口だったので良く覚えてはいないが、高圧酸素なんたら療法がとられたらしい。

 ただ、命に別状はない、との事で胸を撫で下ろす限りだ。

 今は別の病室で眠っているとの事だった。


 カーテンの隙間から窓が見える。

 黒い空に十日夜とおかんやの月が浮かんでいる。


「こんばんわ、夏樹さん」


 ベッドを区切るカーテンから深月が現れ、ベッド傍のパイプ椅子に座った。

 手には数種類の果物。前回のもコイツのお見舞いだったのか。


「今回も、無事生きててくれて本当にありがとうございます」


 言うと同時に茶髪の頭を深々と下げる深月。


「なあ、天使様」

「てッ!! 天使はもうやめてください!」

「じゃあ、予知能力者様」

「…………それもなんか嫌ですね」


 本当に嫌そうな顰めっ面を飛ばしてくる。

 そうだ、からかっている場合ではない。


「結局、何がどうなっていたのか教えてくれるか」


 大体の予想はついてはいるが、心と記憶の整理の為、俺は深月に改めて問う。


「はい。夏樹さんと彩さんはガスコンロの空焚きにより、室内に蔓延した一酸化炭素による中毒を起こしました。幸い、お二方とも早期に外の新鮮な空気を取込むことができ、軽度で済みました」

「どうしてつけたはずのコンロの火が消えたんだ?」

「夏樹さんの家のコンロですが、かなり旧式のものですので、恐らく何らかの不具合が発生しのではないでしょうか」


 たしかにここ最近、調理の際なかなか火が付かないことがあるのを思い出した。


 しかしおかしい。

 こいつはどうして知っているんだ?


 その答えは一つの疑念となって俺の頭の中に現れた。


 深月はいつになく穏やかな表情で俺を見つめている。


「でも夏樹さん、咄嗟に妹さんも助けるのは本当に立派だと思います。柄にもなくかっこよかったです」

「…………」


 ダメだ、考えていても仕方がない。

 それに思った事を内に秘めるなどそれこそ柄じゃない。


「深月はこうなる事が分かってたんだよな?」

「こうなること、ですか?」

「俺と彩がガスで死にかけるってことだよ」


 敢えて剥き出しの言葉で訊いた。


「はい。正確にはそのまま死んでしまっていました」

「起こる時間も、原因も、全部わかってたんだよな?」


 ベッド脇のナイトテーブルに置いてある携帯電話を見ながら下瞼がヒクつくのを感じた。


 一呼吸程沈黙の後、


「はい」


 と控えめな声を出した。


 ダメだ、どうしても苛立ちが抑えられない。

 冷静さを欠くのは性に合わないが、こちらは命がかかっているのだ。


「分かっていたならどうして詳細を事前に教えてくれないんだ?」

「ですから、それは規則で――」

「規則ってなんだ? 予知能力だか何だか知らないが、人の命より大切な規則ってなんだよ。俺も彩も、死ぬところだったんだぞ」

「そうなんですけど、だから私がこうして助けに――」


 ――ガンッ!


 苛立ちからベッドの柵を殴ってしまった。我ながら短気だなと思う。


「ああ、お前のおかげで助かったさ。前回も助言が無ければ死んでいたかもしれない。今回もそうだ。いつかは知らないが、お前が俺の携帯にアラームを設定したんだろ? そのおかげで助かったさ」


 命の恩人に対して声を荒げる俺は醜いだろうか。

 それもこれも、先ほど発生した一つの疑念のせいだろう。


「夏樹さん……」

「深月、もしかしてさ」


 自分に言い聞かせるように俺は言った。


「お前が俺を殺そうとしているのか?」

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