金星

 妹に敗北を喫し、大人げない言い訳で次が本番だ、と言い続けて早三戦目のことだ。


 妙に目蓋に重みを感じていると、対戦相手側の画面が操作されていない事に気付いた。


「おい、もう飽きたか――」


 途中まで声を掛けて、彩は胡坐をかいたまま項垂れている事に気付いた。

 緩やかに上下している。どうやら眠ってしまったらしい。


 ゲームを中断し、ブランケットでもかけてやろうかと思ったところで、俺にも睡魔がきている事に気付いた。

 退屈な授業を受けている時のような、意識が飛びそうで飛ばないあの感覚だ。


 夢の世界に首を振って抗う。

 しかし着実に睡魔は強くなっていく。


 まあいいか。

 どうせ薬缶のやかましいビープ音で目が覚めるだろう。


 そう思って、少しだけ、ほんの少しだけ睡魔に身を委ねることにした。


 









 




 ――ブー!!!! ブー!!!! ブー!!!!


 またしても夢の世界に半分以上浸かっていた俺の意識は、聞いたことの無い巨大な音でリビングへと戻った。


 うるさい、何の音だ?

 同時に強めの頭痛が俺を襲った。なんだこれ。


 目をしっかり開けると世界が揺れている。身体が重い。


 明らかに何かがおかしい。

 一体俺の身体に何が起こっているんだ。


 爆音は俺のスラックス右ポケットからなっているようだった。


 車酔いにも似た感覚が胸を襲う中、少し痺れている右手で携帯電話を取り出す。

 ポケットから出すと更に爆音になった。


 画面を見ると【17:30】の表示。どうやらアラームが作動しているようだった。

 目覚まし時計を愛用している俺は自分の携帯電話にこんな機能がある事を初めて知った。


 画面には他に、下側に小さめの文字も表示されていた。

 歪む世界の中、目を凝らす。


 

【窓を開けて ベランダに出ろ】



 頭痛と眩暈を必死に堪え、設定した覚えのない爆音のアラームを止める。


 ふらつく足に鞭を打って謎の指示の通りベランダに向かう途中、ソファの上の妹を見て、俺はこの状況が只事ではないと認識した。

 さっきまで胡坐をかいて眠っていた彩は、今は横に倒れ右腕と両脚が痙攣しているのだ。


 ――さっきまで?


 さっきとはいつだ? さっきは何をしていた?


 徐々に朦朧としていく中、俺は妹を抱きかかえた。

 重たい。ものすごく重たい。

 面と向かって言えば罵声確実だが、なにせこの状態だ。

 全身に力も入らず、世界は周り、頭も割れそうだ。


 それでも引き摺るようにしてなんとか意識の無い彩とともにベランダへの大窓まで辿り着いた。


 痺れる腕で勢いよく片窓を開け、まずは彩を転がすようにベランダに落とした。

 続いて俺も前周り受け身のようにベランダに侵入。

 仰向けになった。


 オレンジの空に青紫の雲が流れている。

 くらつく視界の中一つだけ光るものが見える。宵の明星だろうか。


 激しい頭痛と車酔いのような気持ち悪さが少しずつ緩和されていく感覚の中、俺は救急の数字三ケタに発信した。

 混濁の中でもしっかり携帯電話を定位置にしまっている自分に感謝しながら。


 いやに冷静な電話口の男の執拗な質問に答えながら俺は思い出していた。


 カップ麺、対戦ゲーム、妹、強烈な睡魔…………。

 そして鳴らない薬缶、だ。


 数分経ったか、遠くから聞き覚えのあるサイレンがこちらに近づいてくる。

 相変わらず痛む頭を右手で押さえながらも、少しずつ状況を冷静に考えられるまでにはなってきた。


 宵の明星はあんなに高い所にはいないな。

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