超能力<天使?

 暗闇の中、南国チックな匂いが鼻に届く。

 果物、これはバナナかな……。


 徐々に浮上する意識とともに、ゆっくりと目蓋を開ける。


「知らない天井だ……」


「何アホなこと言ってるんですか!」


 左耳を劈いたのは聞き覚えのある声だった。

 首だけ左に動かすと棚の上に数種類のフルーツと、隣に自称天使が座っていた。


「深月……だよな」

「そうですよ、天使の深月です」

「ここは?」

「大川総合病院、という名前らしいです」


 深月は指先で置いてある林檎をつつきながら言った。


 首まで丁寧に掛けられている布団を剥がし、腹筋を鍛える時の要領で上体を起こす。

 ズキリと臀部が痛んだ。


 深月は林檎を一つ手に取り、顔の横に並べた。


「夏樹さんは交通事故に会いました。大型トラックと夏樹さんの乗るママチャリとの接触事故です。トラックの運転手の一時停止違反と、夏樹さんの前方不注意が原因です。自転車は大破しましたが、幸い夏樹さんはお尻の打ち身だけだそうです」


 深月は、お尻、と言う時に林檎で口元を隠して目を細めた。


 ぼんやりと聞いていたが、徐々に鮮明になってきた。

 トラックとの衝突、投げ出される身体、鈍重な世界、走馬灯……。


 そしてこの子の言葉だ。


「深月、君に言わなきゃならない事がある」

「なんでしょう」


 深月は林檎を持ったまま小首を傾げた。


「昼間はすまなかった。お前の言葉に耳を貸さなかった俺が間違っていたよ。お前が俺にアドバイスをくれなかったら俺は本当に死んでいたかもしれない。俺のこれから起こる事故のことが分かっていたってことなんだよな。深月は本当に本物の天使だったんだな」


 俺の反省と陳謝を聞いていた深月は、最後の一言でふき出して爆笑を始めた。

 腹まで抱えて涙まで流してやがる。クソッ。


「いやいや、俺が間違ってたのは認めるけど、そんなに笑う事ないじゃねーかよ」

「ちがう、んです! ……その、ぷぷぷ!」


 再び爆笑。

 謝辞まで述べて命の後悔する俺は滑稽ですかそうですか。


「はー、おっかしー! あは、ちが、違うんですよ!」


 なにがだよ。涙を拭け。


「私が本当に天使なわけないじゃないですか」

「……は?」

「私は普通の人間ですよ! 普通の十七歳の女の子です!」

「…………」


 …………。


「いやいやいやいやいやいや、でも、じゃあなんで? 死ぬとか何かに掴まれとかなんとか、俺の死期がわかってたじゃねーかよ!」

「それはまあ、ほら、予知能力というか超能力というか……とにかく分かっちゃったんです! すごいでしょ!」


 それはそれで電波発言だぞ。


「じゃあその時天使とか嘘つかないでそれをそのまま言ってくれりゃ……」

「そのまま言ったって夏樹さん絶対信じてくれませんでしたから」

「いやまあ、確かに……」


 唐突に予知能力と言われても、俺なら、電波め!と、コイツを突き放しただろうな。


「だったらまだ天使を名乗った方が信じてくれる可能性はあるかなって。でも全く信じてくれなかったですよね……黄色いカラコンでも付けた方が良かったかな……」


 悲愴な顔で遠い目をする深月。


「悪かったって。確かに、深月のおかげで助かったのは間違いない。本当にありがとな」

「……いえいえ」


 深月はぽそりとそう言うと、パイプ椅子の上に徐に正座をし、


「こちらこそ、生きててくれて、本当にありがとうございました。これで私も救われました」


 と深々と頭を下げた。


 ぽた。ぽた。

 と、深月の膝の上に雫が落ちる。


「おい、どうしてお前が泣くんだ」

「泣いてないです!!」


 お辞儀の体制のまま震える声で返答する深月。


 かける言葉も見当たらず、数十秒沈黙が流れた。


 此奴に俺は救われたのだ。

 天使だか予知能力だか知らないが、それだけは確かだ。


「ありがと、な」


 小さな後頭部に心からの言葉をかけたところで、深月はぴょんと跳ね、そのまま立った。

 黒いスカートがはらりと舞う。


「それでは、夏樹さん、さよならです!」


 さよなら?


「さよならって……どういう意味だ?」

「そのままの意味ですよ!」


 そう言うと深月は赤い目のまま病室の出入り口に向かって歩き出した。


 結局、どこの誰だかちゃんと分からなかったな。


 どうして俺に近づいたのかも。

 どうして俺を救ったのかも。


 扉の所でハタと止まり、くるりと踵を返して深月は俺を見た。

 そして大きな声でこう言った。


「私を好きになったらダメですからね!!」


 はぁ? という間に病室を出て行った深月。



 わなわなと両拳に力が入る。左手だけ痛い。


 誰があんな電波な自称天使サイケ愛玩動物なんか好きになるかよ!!

 妄言も大概にしてくれ。


 ただ、助けられるだけ助けられて、もうこれで会えないってのは何か腑に落ちない気もするが。

 一体全体あいつは本当に誰だったんだろう。


 窓の外に佇む半月を見ながら、もう一度、小さな声で「ありがとう」と呟いておくことにした。

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