第20話

 川のせせらぎの中、緑に囲まれた細い河川(かせん)に足を付けたカイは、川魚の手づかみに専念していた。


 ナオやタクヤはまだ到着しておらず、今はカイ1人だ。少々早く来すぎてしまったようである。


「くそっ! 難しいな」


 カイは先ほどから足元を泳ぐ川魚に逃げられてばかりだ。


 そもそもこの練習は3回目だが、未だに1度も捕まえるのに成功していない。成功したのはナオだけで、それもただ1度だけなのである。


 カイがやけになって何度も水面に手を突っ込んでいると、傍に誰かが来るのを感じた。


「中々面白そうな特訓ですね。私も参加していいですか?」


 それはタクヤでもナオの声でもない。物腰穏やかな、大人びた女性の声だった。


 カイが頭を上げると、その川岸には黒髪の長い女性がいた。


 ただ、その女性は何故か頬から顎にかけて隠すような、武将の面のようなものをしていた。


 カイは不審者か? と思いつつも、刺激しないように返答した。


「あ、ああ。ちょうど休憩しようと思ってたところだ。構わないよ」


「そう? それではやらせていただきましょう」


 仮面の女性は黒い長ズボンの裾を膝上まで上げると、躊躇(ちゅちょ)なく冷水の中に入った。


「っ! 冷たいですね」


 仮面の女性は温度差に驚きながらも、カイが先ほどまで立っていた場所と同じところで制止した。


 その途端、仮面の女性の目つきが変わった。


「ん?」


 仮面の女性は下半身を微動だにもせず、流れるような手刀(てがたな)を袈裟(けさ)に振るったのだ。


 すると水面はほとんど水をはねず、その手の平は深々と水中へと潜り込んだのである。


「獲れました!」


 仮面の女性の、水から抜いた手の中には暴れまわる川魚が握られていた。


 カイはそのあっさりとした成功に、膝くだけになるほど呆気に取られる。一方、仮面の女性は川から出ながら子供のように喜んで、カイに川魚を見せつけたのだ。


「できましたよ! これって凄いですよね」


「……本当に初めてなのか?」


「似たような訓練はしたことがありますが、川魚を獲るのは初めてですよ。これは褒められてしかるべきだと思うのですが」


 仮面の女性はふんぞり返りながら、ちらりとカイの顔を見る。


 どうやらカイに賞賛してもらいたいようだ。


「正直に言う。嫉妬するほど驚いたよ。……えーっと、名前は?」


「私ですか? 私は清水ヨウコ、またの名をマスターサムライと言います」


「マスターサムライって……変な通り名だな」


 カイはひょうきんな2つ名に疑問を覚えつつも、ヨウコに問いを投げかけた。


「さっきの魚の手づかみ、何かコツがあるのか? あるのなら教えて欲しいんだけど」


「お? この私に弟子入りしたいですか? ならば私の事はサムライ師匠と呼ぶとイイですよ」


「別に弟子入りしたいとまでは……、でも教えを請いたいのは確かだな。師匠とは言いたくないけど」


「むっ。強情ですね。ですがいいでしょう。今回は特別ですよ」


 ヨウコはカイを手招きして、共に川の中へと入水した。


 そうしてからゆっくりと水の波紋が落ち着くのを待っていると、足元を川魚が泳ぐようになっていた。


「それにしても川魚が多いですね。これなら獲り放題です」


「そこの別荘に住んでいるナオって奴が、ここに放流したせいだよ。釣りの方だったら入れ食いだろうな」


「いいですね。私も別荘、持ちたいです。ただ私は旅行ばかりなので家を持ってもしょうがないのですよね」


「旅、か。ここに来たのもその一環か?」


「そうですね。そんな感じです」


 カイとヨウコはそんなやり取りをしながらも、ヨウコの方は構えを取った。


「解説しながら見本を見せます。しっかり見て聞いてくださいよ」


「ああ、頼む」


 ヨウコはまず、手刀を肩の部分まで振り上げた。


「まずは魚の動きをよく見るのです。魚はランダムに動いているようで、そうではないのです。後ろには絶対下がれないのですから、自然とルートが見えてくるのです」


「ルート、か」


「そしてコンマ数秒のルートを看破し、最小限の動きで手を差し伸べるのです!」


 ヨウコが手刀を水面へ入刀すると、またしても川魚を捕まえてしまった。


「掴む際は親指と人差し指の間に滑り込ませるように、更に大事なのは川魚のどこを掴むか決めておくことです。おすすめはエラのやや後ろ側がいいですよ」


「……説明だけ聞いていると神業だな。俺にもできるのか?」


「そこは反復練習です。何事も繰り返し繰り返し、です。それはシューターボールと同じですよ」


「!? アンタは一体――」


 自分の素性を知っているようなヨウコの言動に驚き、カイは動揺する。


 そんな時、遠くから声が届いてきた。


「おーい、カイ。練習はどんな調子だ?」


「あら? 他にも誰かいるわね。お客さんかしら」


 声を掛けながら近づいてきたのは、ナオとタクヤだ。


 そして、仮面の女性を見たタクヤは驚愕の顔をした。


「サ、サムライ師匠! いらっしゃったんですか!」


「えっ? もしかしてタクヤ君が言ってたお師匠さん!?」


 タクヤの驚きの声にカイがもう一度ヨウコの顔を見ると、その目はにっこりと笑っていた。


「サプラーイズ、サプライズ。ちょっとした驚きはとっても大切なのですよ」


 ヨウコはそう言って、呆けたカイの顔を指の腹で触ったのだった。

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