第13話 初恋の記憶がない
何度も訪れたこの部屋だけど別の空間にいるようなくらい空気が張りつめていて、まるでお互いの心臓の音が聞こえてくるような感覚だ。甘くてバラ色のように感じていたこの部屋が、今は警察署の取調室のようにさえ感じる。
僕は現在、別れたはずである幼馴染で元カノである小松千花の部屋で昔のアルバムを一緒に見ている。
問題はここからどうするかだ。千花が別れを決意した理由やいままでの心境、今置かれている立場を上手く聞き出さなくてはいけない超難解なミッションが僕に求められている。
そして……僕が記憶喪失のフリをしている事をこのまま続けるのか、彼女の話を聞いてフリなんだと伝えこちらの疑問もぶつけることになるのかが焦点となってくる。
考えただけでも胃がシクシクして吐いてしまいそうだ。
「この後メモリーが激しく泣いちゃったんだよ」
不意に発せられた声に僕は彼女が指さすアルバムの中の写真ではなく、元カノの顔を見ていた。まつ毛が長くてクッキリとしたその瞳は、何度も見て記憶している優しい目をしている。
まだそれほどの月日は流れていないのに、なんだかすごく懐かしい。
改めて彼女の指さす1枚の写真へと目を移す。
「小学校くらいの運動会の写真かな?」
「そうだよ。前日に徒競走で2人とも1着になれたら私の家で一緒にお祝いをしようねって話してて、メモリーは4着で泣いちゃったの」
「小松さんは1着だったの?」
僕が答えると彼女の頬がわずかにピクリと動く。
何かを我慢している時の仕草だ。たとえ記憶してなくても僕にはわかる。
「うん。元々体が小さかったメモリーに無理な約束をさせた私が悪いの」
……違う。
この時期くらいから千花の事を女の子として意識していた僕は、千花とお母さんが結果は関係なくお祝いでいいじゃないと提案してくれたにも関わらず、いいところを見せたくてお母さんにお願いしたのだ。
結果は惨敗で千花のお祝いどころか僕の残念会になってしまった。
そんな僕に彼女は「頑張った子にはご褒美をあげなくちゃね」とやさしくほっぺたにキスをしてくれたのを覚えている。
この時から僕はこれが恋なんだと自覚した。彼女の事を想うだけで胸がいっぱいになる。これが初恋の始まりだ。
「なんでもっと小さな頃の写真があるのに、この写真が一番前にあるの?」
時系列順にきれいに並べられた写真の中で、その写真だけがどうしても違和感があるくらい順番がおかしいのだ。
「記憶がないなら恥ずかしくないから言ってもいいか。この日はメモリーに私が恋した記念日なの」
「えっ!?」
うふふと嬉しそうに微笑む彼女の顔を記憶する。
こんな事ありえない、まるで奇跡?違うなこれは運命じゃないか……僕と全く同じ日に恋をしたなんて初めて聞いたのだ。付き合いだしたのだって中学の卒業式なのだから。
今すぐに……ひと言でいいから……伝えたい。記憶喪失のフリをしていなければ。
「4着だったのになんで好きになったの?」
どうしても聞かずにはいられなかった。
「泣いた理由を後で聞いたんだ。私はてっきり1位になれなかった悔しさで泣いたのかと思ったんだけどそうじゃなかったの。せっかく千花が1位になったのに喜んだ顔を台無しにしちゃった、悲しませてしまった。笑顔でいっぱいの千花の顔が見たかったって。自分の事よりまず私の事を想ってくれてるのがグッときちゃって勢いでキスしちゃったの。そしたらメモリーったら顔を真っ赤にしちゃって俯いたまま固まってしまって。小学4年生の私はキスなんて積極的で刺激的だったわ」
話していた千花の頬が薄くピンク色に染まっていた。
多分僕も同じような色に染まっているだろう。顔が熱い。
僕の心の奥底にある何かが暴れだそうとしていた。抑えなくては耐えられなくなるかもしれない。
祖父と暮らしていた時の事だ。僕は特殊能力を持っているので応用問題の少ない小学生程度のテストはほとんど百点を取っていた。
「よくやったね。目守は頭がいいし私の言ったこともちゃんと忘れずに覚えているからえらいな。だからこそこれだけは覚えておきなさい。全ての事を感情まで覚えていたらいつか心と頭の中がパンクして壊れてしまうかもしれない、だから心をコントロールできるようにしなさい」
最初は言ってる意味がまったく分からなかった。
気付いたのは僕がバカにされたあの時だった。友達にバカにされいじめられて千花に助けられた。その時の悔しさやバカにした相手に対する異常なまでの怒りの感情が僕の心を支配した。
それは何日も何日も続いていた。僕は完全記憶能力でその時の感情も含めて記憶していたのだ。その場で起きた事のすべてを忘れる事が出来ない。まるで毎日それが起こっているかのように鮮明に。
もしかしたら祖父はこの能力に気付いていたのかもしれない。僕がきっと怖いこと悲しいこと嬉しいことなどの感情を表現した時にうまくなだめてくれていたのだろう。
こうして中学を卒業するまでには僕は特に大事な記憶には色をつけて区別することが出来るようになっていた。
怒っている時は赤、嬉しい時はピンク、悲しい時はブルーといった具合に。
通常の時はほとんど心を空っぽにしている。記憶喪失になってからもずっとだ。
そうでなければ千花が僕と別れて浩一から恋人だと聞かされた時に、僕は冷静ではいられなかっただろう。小悪魔に対してもいろいろな感情が生まれていたに違いない。それは好意的な気持ちだけとは限らない。
千花から聞かされた事実は僕の心をかき乱すには十分すぎるほどの衝撃だったのかもしれない。
「今でもそんな顔をして僕の事を語れるのにどうして別れてしまったの?」
恋した乙女の顔をしている千花の表情を見ていたら、どうしても気持ちを抑える事が出来ず聞いてしまった。
……僕は知りたいんだ。
今まで過ごした一緒の時間の記憶が、偽りではないと信じたかったのだ。
千花は動揺を隠せずにいたものの、一度目を閉じてからゆっくりと語り始めた。
「わたしがあなたを階段から突き落としてしまったの……」
僕の記憶がブルーに染まりかけていた。
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