第8話 ご褒美の記憶がない

 教室の入り口に到着するとすでに登校しているクラスメイトの視線が一斉に僕へと注がれる。

 

 おそらく朝の浩一とのちょっとしたやりとりを見ていた生徒が話をしたのだろう。

 高校生の情報伝達の速さは近所で井戸端会議をする主婦の噂話を超えているから恐ろしい。


 「おはようございます」


 僕はクラスのみんなへ小さな声で挨拶をする。

 これだけ注目されてしまっているのだから下手にこそこそするよりも、記憶を失って不安いっぱいの弱々しい自分を演じるのが最善だろう。

 ゆっくりと自由に生きていきたいのでいろいろ詮索しないでもらいたいのだ。


 「おはよー」


 「おーす」


 先手を打った事で何人かの生徒が挨拶を交わしてくれた。

 改めて記憶喪失で不安いっぱいだと認識してもらい同情してくれたおかげで、無神経に先ほどの騒動を聞いてくる者は誰もいなかった。もしくは聞けなかったのかもしれない。


 教室に入り廊下側の最後列に座っている元カノの脇を通り過ぎようとした時、彼女の右手がほんのわずかにあがり「あの・・」と僕にしか聞き取れない消え入りそうな微かな声がもれるのを記憶した。


 ……いつか向き合わなければいけない現実。

 それを受け入れるだけのがまだ僕には足りない。


 心に例えようのないモヤモヤを抱えながら気付かないフリをして僕は自分の席へと着いた。



 * * * *



 「じゃあ答案用紙返すから名前を呼ばれたら取りに来るように。今回はどの教科も前回より平均点が下がっていたそうだ。今日からちゃんと集中して勉強するんだぞー。それといつものように昼休みに成績上位者30名の順位表を食堂横の掲示板に張り出すから推薦狙ってるやつは確認しておけよー」



 我が校は進学校なので大学への推薦を狙って、入学してくる生徒が多い。

 例え推薦をもらえなかったとしても、しっかり勉強をしていれば有名一流大学とはいかなくてもある程度のレベルの大学に行くのはそんなに難しくはない。

 しかし中学校でいくら成績優秀者だったとしても、同じくらいの学力を持つものが集まれば当然成績の悪い者が現れてくる。

 元カノの成績が心配で始めた僕の能力を駆使して分かりやすくまとめたノートが、いつの間にか隣の浩一のクラスだけではなく学年中に出回っていたのにはさすがに驚きを隠せない。

 

 「えーと次は氷河!記憶がないハンデを克服してよく頑張ったな」


 記憶もあるしハンデもないです。ズルはしてないけど嘘つきで先生ごめんなさい。

 狙いどおり英語のテストの結果は94点だった。

 

 数学や物理のように答えを導き出す理系の教科でなければ、100点を取るのは僕には簡単だけど文系のテスト全てを毎回満点を取るのは注目を浴びてしまう危険があるので90点台を狙う。 

 ちなみに創造性を必要とする数学の方が大好きで、小説を書いているのも数学のように答えは一つでもそこまでの過程を自由に想像して書く楽しさがあるからだ。


 

 「メモリーせんぱーい、お昼です!いつものように食堂へいざ向かわん!」


 お昼休みを告げるチャイムがまだ鳴りやむ前に、小悪魔がさっそうと現れた。

 なんでこんなに早く来れるんだよ。1年の教室は下の階だぞ?


 「まだ一緒に行くとは言ってない。それに戦場にでも向かうつもりなの?」


 「一緒にらぶらぶランチしましょう~」


 「ムリ」


 「はいはい、いつものお約束ですね。それより学力テストの結果です!30位以内でデートのご褒美ですから!ちなみに記憶喪失前の話ですから忘れているはずです!」


 ……こ、こいつ。

 断り文句はあっさり挨拶みたいに流したかと思えば、堂々と嘘の約束を押し付けてくるとは。

 しかも約束は忘れてて当たり前ですと伏線まではられている。ここ数日でパワーアップしてないか?


 「ご褒美?」


 「はい!」


 「罰ゲームでしょ?」


 「ひっどーい!とにかく行きましょ行きましょ」


 腕を組んでグイグイと連行されていく。この小さな体のどこにこんな力があるのか不思議だ。

 大きな胸にエンジンでも積んでいるのかもしれない。


 「さ、触りたいならいつでもどうぞ」


 「ち、ちっがーう!」


 無意識に胸元を見ていたのを急に突っ込まれて、おっぱいおっぱいになってしまった。

 ……いっぱいいっぱいだ。今日の僕はどこかおかしい。

 いつの間にか当たり前のように一緒に食堂へ向かっている事にも気付かないくらいに。


 「掲示板の前は混んでるから先にランチを済ませてしまおう」


 「えー!気になってご飯が喉を通りませんよ。キスして貫通してください」


 「……」


 「放置プレーだけは勘弁してください!は、恥ずかしいです」


 意外なところで新たな弱点を見つける事ができた。あまり役に立たないのが残念だ。


 小悪魔がこれ以上変なことを口走らないように、仕方がないので先に掲示板を見ることに。

 背が小さくて見えない為に、ぴょんぴょんと健気にジャンプしているけどそれでも見えないらしい。

 小動物みたいで少しかわいい。


 「えーと、なんて名前だっけ?あかり」


 「ふにょ!?な、な、名前言ってるじゃないですかー!」


 顔だけでなく首元まで真っ赤にしながらぽかぽかと叩いてくるけどまったく痛くない。


 「……27位に白石あかりの名前があるぞ」


 「やったーーー!初めて入った!ご褒美ゲットだぜ!」


 なに格好つけてるんだよ、そこまで笑顔になるほど嬉しい事か?

 一緒にテスト勉強をして、すごく真剣に頑張っていたのを近くで見ていたから出掛けるくらい構わない。動機が不純で残念だけど。


 「うっ!?」


 調子に乗った小悪魔が懐めがけて抱き着いてきた。さすがに痛いし見事に鳩尾に決まって息が止まり苦しい。……やっぱりこの小悪魔はウザイ。


 次にあまり興味はないけど自分の順位を確認した。

 

 「3位か」


 いつもと同じような点数を取っているのに、順位が上がってしまった。

 上位まで僕のノートを活用していたのだろう。


 「いつもより順位あがってますね!」


 なんでお前が知ってるんだよ?

 ウザいどころか一歩間違えばストーカーだぞ。


 「はい、先輩にもご褒美です」


 なぜか目をつぶりタコのような口をしている。

 これはお前へのご褒美じゃないか。

 ここは先ほど覚えた放置プレーでさっさと食堂に入って行くと後ろから、


 「ま、待ってくださーい!」


 誰が待つか。

 結局、急いで隣の席へきた小悪魔とシーフードカレーを一緒に食べたけど鳩尾がまだ痛くて味はあまり分からなかった。


 昼食を済ませ隣の教室の前を通る。浩一のクラスだ。


 「チクショウ!」


 随分と騒がしいので何事かと中を覗いてみた。

 すると……答案用紙をくしゃくしゃに丸めて地面に叩きつけてる浩一の姿が。


 そうだよな。お前と小松さんは、いつも俺がテスト勉強を見てたんだから例のノートもなければしか出せないよな。

 

 『赤点が続いて、ほとんどの教科が補習みたい』


 『昼休みに先生が来て、このままいくと留年だって言われたらしいよ』


 クラスメイトが小声で話しているのを記憶した。


 ……実力通りか。

 元々入学するのも難しい学力で、小松さんと一緒に入試の勉強もできるし入学したいって理由だけで勉強していたんだから当然だよな。

 せめてあのノートの意図を理解していれば、自分なりに作れただろうに。


 浩一がクラスメイトのヒソヒソ声に気付き、周りを見渡すと僕と目が合った。

 うん、これはさすがにやばい気がする。


 急いで教室に戻り、窓際の自分の席へと向かう。


 『バーン!!』


 教室のドアが勢いよく開けられ、


 「お前のせいで……お前のせいで、俺の成績がめちゃくちゃだ!」


 こちらを睨みながら浩一がゆっくりと近づいてくる。

 それを言ったら流石にまずいんじゃないか?

 

 「お前が、お前が……」


 いいのか?殴れば停学か退学は免れない、


 僕の方へ勢いよく走ってきた。完全に自分を見失っている。

 殴られてまた記憶喪失にならなければいいけど。


 目を閉じて痛みに備える。


 「やめなさい!みっともない!」


 僕はその声を記憶する。

 目を閉じていても聞き間違える事のないその声を。


 僕はゆっくりと目を開けた……

 

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