第9話 出会いの記憶がない

 「やめなさい!みっともない!」


 ゆっくりと目を開けたその先に立っているのは、幼馴染であり元カノである小松千花だった。


 あれほど我を忘れて激情していた浩一が完全に凍りついている。


 「あなたの成績が下がろうが思い通りにいかない事があろうがメモリーにはまったく関係ない。全てはあなたの責任よ。少しは自分の行動に責任を持ちなさい!」


 ここまで小松さんが怒るのを見るのは小学生の時以来だ。

 あの時も自分の事ではなく、僕が小さくて弱いからバカにされたのが原因だった。

 中学生の時は、自分のせいだとおいおい泣いていたけど。

 いつもいつも僕の事になると見境なく……今となっては過去の記憶でしかない。


 すっかり大人しくなった浩一と小松さんを見てある事に気付き違和感を覚えた。

 この教室に浩一が来てからふたりは目を合わせていない。

 僕の完全記憶能力で記憶を見ても、ほんの一瞬だって目を合わせていないのだ。

 

 それどころか浩一がクラスで恋人宣言したあの日から、一度だってふたりが一緒にいる記憶がない。

 小悪魔と食堂に行ったり一緒に家に帰って見落としたのか?それはないだろう。

 なぜならいつも記憶していたから。

 食堂ではかなり離れた位置で、ひとりでお弁当を食べていた。

 帰宅時には家が近いため同じ方角に帰るので、僕らと一定の距離を取り後ろをひとりで歩いていた。


 決して僕が探していたわけではない。無意識に目で追っていなければ……


 小松さんはもしかしたら僕にコンタクトを取りたくて近くにいたのかもしれないけど、横にはいつも小悪魔がいたので諦めたのだろう。コンビニで見かけた時もそうだった。

 

 ……それがどうした?

 元カノが誰とどうなろうが、助けてくれようがそんなの関係ない。

 

 忘れてしまったようだから。


 浩一は言い返す事も、暴力を振るう事もなく静かに自分の教室へと戻っていった。

 がっくりと肩を落としていたけど自業自得だ。すっかり人が変わってしまってる。


 「ありがとう」


 「ううん、メモリーを守るのは昔からわたしの役目だったから……それに自分の行動に責任を取るのは当たり前だよ。自分の過ちは自分でしか償えないから」


 最後に『わたしも……』と聞こえ記憶したのは僕だけだろう。


 「そうかもしれないですね。僕には以前の記憶がないから分からないけど親しかったようですし、そのうち昔の事を教えてください」


 どうしてこんな台詞が出たのか自分でもよく分からないけど、今はあまり深く考えたくないのでお辞儀をして話を強引に終わらせた。


 残された幼馴染の顔を見ることが出来なかった。


 今の僕にはこれが精いっぱいなのだ。



 * * * *


 

 久しぶりに元カノと会話したあの日から数日が経った。

 特にこれといった進展はない。

 小悪魔以外とは……


 「メモリー先輩!」


 駅の改札口から聞こえてきたその声に反応して振り向くと、そこにいたのは『あざとくてウザイ小悪魔』ではなく、白いワンピースに身を包み微笑んでいる『天使様』だった。


 いつも身に着けているカチューシャはなく、髪は丁寧にブラッシングされキューティクルが整っている。そのツヤツヤの髪の頭上には天使の輪が浮かんでいた。


 「お、お待たせ。待ったか?」なんで動揺してるんだ?落ち着け落ち着くんだメモリー。


 「今きたところです。これって……恋人同士がするシチュエーションですよね。ふふふ」


 頬を少し赤く染め恥ずかしそうに俯く天使様。


 おしとやかな仕草と穏やかな話声に我を失いそうだ。

 なにこれ?めちゃくちゃかわいいだろ……

 いつもと違う一面を不意に見せられて不覚にも見惚れてしまった。


 僕が見惚れている事に気付いた天使様はゆっくりと顔を近づけて下から覗き込んでくる。


 や、やめて、これ以上されたら僕の理性が、


 天使様がニヤリとした。

 ん!?んんん!?


 「せんぱーい?もしかしてーわたしに見惚れちゃいましたー?コイツ可愛いなと思っちゃいました?守ってあげたいと思っちゃいました?抱き締めたくなっちゃいました?大きな胸に顔を埋めてみたいと思っちゃいました?」

 

 「……」


 努力は人を裏切らない。小悪魔は期待を裏切らない。

 ひとこと言わせてもらいたい。

 ……かなりウザイ。

 

 そして帰りたい。ふたことになってしまった。


 「いったい何処に行くんだ?わかっていると思うけど記憶がないからどこになにがあるかわからないぞ?」


 「またしても華麗なスルーですかー!カレーが好きなだけに!?」


 偽天使様はまたもニヤリとする。


 どうです上手いでしょ?みたいなドヤ顔はやめてくれ。ただのオヤジギャグだしそこにいる小さな子供が不思議そうにジーっと見てるからリアルに恥ずかしい。


 「そうだね、すごいね」と適当に相槌を打つ。


 「もう!さっきまでの純情メモリーくんはどこへ行っちゃったんですかー!」


 そんな人物は最初から存在しない。だいたい純情メモリーに”くん”をつけるな。”純情”もつけるな。


 * * * *


 最初から思いっきりテンションを下げられて連れて来られたのは、二駅先にあるショッピングモールだった。

 ここは……


 「本屋さん?」


 「先輩と最初のデートに来るならここしかないと思いまして」


 ただのお出かけだし僕はひと言もデートなんて言ってない。


 「なにか僕にたかりたいの?」


 「先輩の愛」


 「ごめんなさい」


 「ムリって言われるより傷付くんですけどー!」


 普通はどちらでも傷付くんだよ?我ながらひどいとは思うけど。


 「ここの本屋さん……覚えていますか?」


 思わず「うん」と答えそうになるけど、僕は記憶喪失だから誘導尋問はやめてくれ。

 首を横に振ると、「そうですよねー」と頷く小悪魔。


 ほんとはこの場所を忘れるわけがない。

 ここは僕の小説がヒットして初めてサイン会を開いた大切な場所なのだ。

 読者さんから生の声や応援された喜びは今でも忘れない。


 「ここは先輩が初めてサイン会を開いた場所なんです。いわば聖地です」


 いやいやいや、聖地は言い過ぎだと思う。


 「そして私と先輩が運命的な出会いをした場所です」


 「え!?」


 思わず声が出てしまった。

 僕がサイン会を開いたのは1年前の事だ。

 そんな最近の事を、ましてや完全記憶能力を持つ僕が忘れるわけがない。

 しかし……いくら思い出しても小悪魔の記憶はない。


 「サイン会に来てくれたの?」


 「……さあ?どうでしょうか」


 またしてもニヤリとする小悪魔。あざとくもウザくもなくシンプルにしつこい。

 待ち合わせでちょっとでもカワイイと思ってしまった僕の純情な心を返して欲しい。


 「その時の事も含めて覚えていないけど、またヒントをくれないか?」


 「そんな簡単には教えませんよーだ!ちゃんと記憶が戻るまでは」


 これ以上は聞いても無駄なのかもしれない。

 記憶が戻るまでということは小悪魔にとってもとても大切な事なのだろう。


 その後は僕の小説を買ってくれたり(サインをさせられた)、カフェでパンケーキを食べたりしてリラックスした休日を過ごすことができた。


 記憶を失って初めての平和を僕は記憶した。


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