第11話 夏期講習 ~ありがとう~

市川さんが勤めている塾は、駅前にあり、神社からは30分以上かかる。

塾内は、とても明るいが、壁には有名高校や大学合格の報告が華々しく飾ってある。

参加させてもらう講習は、夕方の16時から始まり21時30分に終わる。

1回5時間と30分で1つの科目に付き1時間の講義があり、

その間に2限目と3限目の間に30分の休憩を挟む。



周りを見渡せば普段会うことがないであろう、高校生達がスマホを見ながら話していた。

騒々しい室内には、少しだけ緊張の色が滲み出ているように感じた。

皆、受験のためにここにいる、遊んでいる様に見えてプレッシャーを感じているのかもしれない・・・。


自分が割り当てられた席に行くと隣には、男性が座っていた。

軽く会釈をし、席に座る。


1時間目は、英語の講座が行われた。

市川さんから頂いたオリジナルの問題集よりも難易度は高く、久々に向き合う問題達に苦戦する。


そんな中、少し違和感がしたような気がする・・・・。

この席に?

後ろから3番目とあまり良いとは言えない席に?

それともこの空間に・・・・。

この違和感の正体はなんだろうか・・・・。

違和感を解決したく、周りを見渡す。

見慣れない風景と強い空調によって渇いた汗が背中を冷たくさせる。

周りを見渡してもこの違和感は解消されることはなかった。



4時間目が50分程過ぎた頃に、右の席から消しゴムが転がってきた。

隣に座っている男性が落としたようだ。

自然に手が伸び、後30cmで顔がくっつく距離まで近づいてしまった。

男性は、少し照れたように消しゴムを受け取ると、小さな声で「ありがとう」と呟いた。


・・・・・・?

違和感の正体が分かった気がする・・。

この男性かもしれないと、確信に近い温度が指先を支配する。

隣の男性が気にないって仕方がなかった。

講座残り10分は、集中がいつの間にか帰ってしまった・・・。


懐かしい音と共に講座が終わる。

学生達が帰路に着くべく立ち上がる。

机に広げた教科書類を急いでまとめる。

早歩きで教室から出ていく男性の後を追う。


追って自分はどうするのだろうか・・・。

この違和感の正体を明かすべきなのだろうか・・・。

知らない人に・・しかも男性に声を掛けるのか・・・・。


でも・・・きっと・・・・。

確信はないけれども・・・・・。


混乱する思考よりも、空いていた右手が男性の腕を掴む。

振り向く男性の動きがスローモーションに見えた。


あぁ・・・どうすれば・・・・。


掴んだ右手を離さない自分に、男性は話しかける。

「何か用?さっきの講座で隣の席の子だよね?」


焦る思考が言葉を押し出す。

「・・・はい・・・。あの~・・えっと・・・。」

言葉が上手く出てこない。


「・・?ごめんね。急いでいるんだけど。」

男性は、やんわりと拒絶の色を滲みだす。


塾の廊下には、多くの学生と講師が歩き回っており、数名がこちらを見ている。

なにか・・・。

言わないと・・・・。

何か・・・・。


「絵馬!返してください!」

混乱する目と声帯がつい、一番感じていた事を口走った。


驚いた顔する男性が、急いで周りを見渡す。

「ちょっと・・こっち来て。」


先ほどよりも低い声が手を引っ張ていく。


恐怖が思考をクリアにしていく。

指先から逃げていく温度と裏腹に鼓動が暴れだす・・・。

こわい・・・・。

これが、恐怖というものなのだろうか・・・。


誰もいなくなった教室に連れ戻される。

きつく結んだ唇と瞼が現実から思考を閉ざす。


「・・・どこで?知ったの?」

静かに声を掛けられる。

先ほどの低い声が少し優しくなった気がする。


質問の意味が分からず困ってしまう。

どこ?

目の前で見ていたとしか言えない。

もしかしたら、人違いかもしれない。


首を斜めに傾けた男性がこちらを見てくる。

黒髪に見えた髪は、毛先が深い紫色をしている。


「誰かに聞いたの?もし、そうならその子に繋いで欲しいんだけど?」

尚も話続ける男性に応えるべく、自己紹介をする。

なぜ、いきなり自己紹介と自分でも疑問に感じるが・・・・。

これ以外思いつかなかった・・・・。


「あの・・・私は、藤城依天と言います・・それで、比嘉丹神社で巫女のアルバイトをしていて。

先日、目の前で参拝者の絵馬を盗まれてしまったのですけども・・・。」

次の言葉に言い淀む。

「それで・・・・。その盗んだ方を目撃しまして・・・貴方に背格好がとても似ていたので・・・・・・・・・・・・。すみません・・・。確信も無いのに・・・。」

黙る男性から、重い空気が流れる。


「・・・・・・。ごめんなさい!」

教室に響き渡る謝罪に体が跳ね上がる。


「・・いえ・・あの・・すみません!」

「えっ?なんで!君が謝るの?・・いや!でも!ほんとごめん!盗むつもりじゃなくて、ちょっと見てたら魔が差したと言うか・・ほんとゴメンね?もしかして、神社の人に怒られたりした!」

そんな事は無かったと口が動く前に大きな声が体に当たる。


「こらっ!こんな時間まで何してんだ!誰も居ない教室に女の子連れ込んで!!」

聞き慣れた声が自分よりも男性を諫める。


「えっ!いやっなんもしてない!もう帰るから!」

焦る声が言い訳を作り出す。


聞き慣れた声に疑問を投げかける。

「どうしたのですか?市川さん?」

「知り合い?」

驚きに満ちた眼がこちらを見ている。


「はい。比嘉丹神社のお孫さんでアルバイト先の上司?です。」

「いやいや!依天ちゃん?なんで上司の所で疑問形なの!言い切ってもいいのよ!ほんと!」


・・・・・・。

「上司で市川明佳さん(いちかわ・あすか)です。この塾の非常勤講師もされていて、その繋がりで今日は、

講座を受けに来ました。」

市川さんの軽口にどう応えて良いのか分からず受け流してしまった。

「あちゃー」と大袈裟に笑う市川さんを横目に男性の顔色が青くなっていく。


「どうかしましたか?」

気分でも悪いのだろうか?

確かに、教室の空調が良かったとは、言えない。

普段、風の通る社務所に居るせいでクーラーの風は体に合わないらしい・・・。

男性もそうなのかと、声を掛ける。


「すいませんでした!!!」


大きな声で、いきなり土下座する男性の肩が小刻みに震えている。

初めて、土下座を見た事と大きな声に戸惑う。


「本当にすみませんでした!盗んだ絵馬は・・返せません・・けど・・・お願いします!学校と親には言わないでください!すみません!言われたら俺・・・俺・・。」

男性の眼には、涙が溜まっていた。

ただならぬ気迫に、市川さんと顔を見合わせる。


「俺は、林勇人(はやし・ゆうと)と言います。近くの高校に通ってて、今高2です。」

土下座したままの男性・・林君は自分のプロフィールを話し出す。

なぜ、話し出したのだろうか・・・。


「俺、音楽やってて、たまに、駅前でライブしたり、ハウスとかにも出演させてもらったりして・・。

少しは有名と思うんですけど・・・。」

知っているはずだとう言う眼がこちらを見る・・・・。


「・・・えっ・・・すみません。」

謝罪の意を伝える。

林君は、残念そうに「そうか・・。」と肩を落とす。


「それと、絵馬を盗んだ事になんの関係があるんだよ。」

肩を落とす林君に向かって、市川さんが至極全うな事を言う。

市川さんはたまに講師の顔を出す。


確かに、話の内容に整合性が無いように感じる。


「俺が・・盗んだのは、実は、メンバーの書いた絵馬で・・お守りに持とうかなって・・・。」

凄く言葉を選んでいるように感じた。

「それがなんだ」と言う眼で市川さんが見ている。


林君がおずおずと鞄の中から出した絵馬に視線を落とす。

そこには、置いているマジックペンより太い字で、思いの丈が書いてあった。


「勇人とずっと音楽がしたい!」


マジックペンで書いた字はとても温かい温度を感じた。

きっと、この言葉が嬉しかったのだろう・・・。

絵馬を見た市川さんが短いため息をついた。

そのため息に林君から萎縮した音が聞こえた・・・。

重い空気が林君と市川さんに流れる。


「この絵馬を書いた人とは、知り合いなんだな?」

確認する様に、市川さんが問う。

緊張のためか、市川さんと眼を合わす事が出来ないのか、教室の床を見つめたままの林君が応える。

「はい・・バンドのメンバーです。」


市川さんは、何かを考える様に、組んでいた腕を組み直し、言葉を選ぶ。

「・・・わかった。親にも学校にも言わない。」


その言葉に思わず立ち上がった林君を制する。


「だけど!その絵馬自分で本人に返せよ!」

少し低い声で、強制するように市川さんが窘める。


林君は、少し複雑そうに小さな声で「はい。」と答える。


林君との話合いで、いつもより遅くなった帰り道を市川さんが送ってくれた。

確認するように感じていた事を聞いてみた。


「林君は・・・きちんと持ち主に返すでしょうか?」

夜空に眼を向けていた市川さんが、あっけらかんと言葉を放つ。

「返さないんじゃないの?というか、返す気はないと思うよ。土下座した時にも言ってたけど・・・。

まあ、悪用しなさそうだしいいんじゃない?」

「そう・・・ですか。でも、持ち主の人が来られたら、どうすればいいのでしょうか?」

あっけらかんとした言葉に、驚きつつ、もし、持ち主がもう一度参拝に訪れたらどうすれば良いのかと、対応に困るのは自分であると、投げかけてみた。

「奥にしまったって言えば・・・?」

「・・・・・・・・・・・。そう、します。」

そんな簡単に言ってしまって良いのだろうか。


市川さんに、家の前まで送って貰った時に家の門まで出ていた母に会ってしまった。

母は、夕飯を食べていかないかと誘っていたが、市川さんは、まだ、仕事が残っていると断っていた。



シトシトと、悲しげな雨が境内の道を濡らす。

ここ、3日ほどの雨のせいで、参拝客は誰も来ない。

もちろん、巫女のお悩み相談室に訪れる人は誰もいなく、

雨のせいで肌寒くなった外気から逃れるべく猫達の団欒の場となっている。


先日、夏期講習で出された宿題がいつにもまして、早く終わるのを感じる。

出された宿題は、大学の過去問題集が1冊で、その内容は、多岐にわたっていた。

解いた宿題の答え合わせをしていると、境内に上がる階段から黒い傘が見え隠れしている。

社務所からでも、よく見える大きな傘は、少しずつ境内に近づいているようだ。


久々の参拝客が来たと、少し体が浮く。

広げていた参考書や宿題を急いで片づける。


参拝客は、本殿の方には行かず、真っ直ぐこちらに来る。

お守りを買いに来たのかもしれないと、手元の商品の在庫を確認する。


「こんにちは、絵馬ありますか?」

優しく、ゆっくりした声が、傘の中から降ってくる。

相手の顔は見えないが、声からして若い男性のようだ。


「はい!525円となります。そこにある台をお使いください。」

大きく、少し濡れた手がお金を渡してきた。

その時、男性の静かな笑いが聞こえた。


「・・・ふふっ・・本当に巫女のアルバイトしてるんだね。藤城さん。」

「えっ・・?」

思わぬ言葉に、間抜けな声が答える。


「俺。俺だよ。林。先日はご迷惑をおかけしました。」

大きな黒い傘の正体は、絵馬泥棒の林君だった。


林君は、少し笑み浮かべて境内を見渡す。


「市川先生にも挨拶がしたいのだけど居るかな?」

市川さんは、夏期講習の件でここ数日忙しそうに朝から出ている旨を伝える。

少しホッとしたような表情をした林君は、近くにあるベンチに腰を掛けた。



書き終えた絵馬は、裏返しにし大事そうに膝の上に置いている。

雨でベンチは、濡れていなかっただろうか?

少し、心配になる。


ベンチに座って、静かに暗い空を見つめていた林君から声が発せられる。

「俺さ・・学校で軽音部に入っているんだよね?藤城さんは?」

突然、振られた話題に驚きつつも自分の素性を明かす。

林君が座っているベンチは、自分が座っている場所よりも下にある。

自分が、見下ろしている態勢になってしまう。


普段であれば、自分もベンチに座って話をする態勢になるのだけれども・・・。

なぜか、林君の隣に座る気にはなれなかった。


見下ろした姿勢のままで、話を続ける。


「今・・・その、浪人中で、学校は卒業しています。部活は茶道部に入っていました。」

「浪人生?どこの学校狙っているの?というか、何年目?」

「浪人は3年目で・・学校というよりも・・医学部を目指しています。」

「医学部!?すごいね!藤城さんって頭いいんだ!へえ~・・・。」


質問を繰り出す林君のスピードに戸惑いつつ応える。

普段、こんなに早く質問を出してくる人にはあまり会えない。


林君の、興味がなさそうな相槌にどのように返答すべきか悩んでいると、林君は自分の事を話始めた。


「医学部か・・・。俺が目指しているのは、そんなに難しくない大学でさ・・。担任にも塾なんていかなくても合格できるって言われていて。まぁー行かなくてもいいかな~とか思っていたんだけど・・・。選択肢が多い方が俺の夢が実現出来る気がして・・・・。」


林君の眼には、未来の自分を見ているように熱を帯びていた。


「藤城さんは、医者になって何かしたいの?俺は、音楽プロデューサーになりたいんだ・・・。簡単じゃない事はわかっては、いるんだけど・・。だから、夏期講習。短い期間だけど、隣の席よろしく。」


突然立ち上がる林君は、自己完結したように爽やかに帰っていた。



林君の後ろ姿が遠のくよりも早く、彼の言葉が近づいてきた。

「藤城さんは、医者になって何がしたいの?」



憂鬱な雨が林君この言葉をループさせる・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

何・・・・・・・・・・・・が・・・・・・・・・・・・。


なりたいもの、したいこと、欲しいもの・・・。

何も。

何も。

何も。

何も。

何も・・ない・・・。


林君の声が、眼が・・・。

フィルター越しに・・・。

声が・・・・。


なりたいもの・・・・。

成らなければいけないもならある。

出来ないものであれば・・・。


暗い鉛が胸に、溜まっていくこの感じは久しぶりに味わう。

重い・・・。

この重さは、憂鬱な雨の所為なのだろうか・・。

それとも、彼の言葉が自分を縛っているのだろうか・・・・・。

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