第10話 絵馬泥棒 ~ありがとう~
いつもの様に社務所に座り、販売の仕事をしていると、とても目立つ格好をした参拝客がきた。
あれは・・・何という格好なのだろうか・・・。
遠目でもわかる金髪に鎖が付いた上着、サイズが大きいのか少しずれているズボン。
赤い上着に、全身あちこちに鎖が付いている。
近くで歩いていたら、きっと鎖の大きな音がするだろう・・・。
その肩には大きな楽器が見えた。
本殿を不思議そうに覗いている・・
・恐らく男性である事は、広めの肩が見えるからだ。
これは・・・声を掛けるべきか・・・・。
思考に相反する足が、畳から立たせてはくれない・・・。
男性は、こちらに気づいた様にゆっくりと歩いてくる。
ゆっくりと近づいてくる男性に対して、緊張の色が走る。
男性が苦手なわけではない・・・・。
ただ、今まで会って来なかった分類の人である事に否定はできない・・・。
目の前に来た男性をつい凝視してしまう・・・。
「なに?」
嫌悪感と不信感を滲ませた声を掛けられ、自分が失礼な態度を取っている事を思い出す。
「し!失礼しました。どっどの様なご用件で・・?」
少し上擦った声が羞恥心を思い出させる。
男性は、無言で絵馬を渡してくる。
「はっはい!絵馬ですね。525円になります。」
不機嫌そうにお釣りを受け取る男性は、さっさと絵馬にメッセージを書き絵馬所に結んで行ってしまった。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
不愉快にさせてしまった・・・
そんな考えがぐるぐる境内を駆け巡っている・・・。
反省と後悔の姿勢を取っていたのは、何分もしかしたら数十秒だったかも知れない。
反省と後悔の為に伏せられていた眼の端に人が映る
急いで顔を上げる。
先ほどの失敗を挽回するべく、背筋を正す。
社務所から絵馬所は、15mぐらい離れている。
いつの間にか、別の参拝客が来ていたらしい。
先程に参拝客とは、対照的に黒髪に、黒い上着を着ている人だ。
とても、興味深そうに絵馬を見ている。
他人の絵馬を見てどうするのだろうか・・・・。
男性は、その中の1つを手に持って鞄に入れた。
「あっ!!!」
意識をしないうちに声が出ていた。
自分の声に驚いた様に男性は、一瞬の間を置いて走り出す。
えっ・・・絵馬泥棒?
「待って下さい!絵馬!」
走る男性を追いかけようと社務所を飛び出すが、足の裏の痛みで自分が足袋一枚しか履いていない事に気が付く。
「絵馬が!」
自分の声だけが男性を追いかけるが、失速したように溶けていく。
絵馬が盗まれてしまった・・・。
そんな・・・。自分は・・・何をしていたのだろうか・・・。
失敗に失敗を塗り重ねて・・・。
この事をトヨさんに報告すると。
「たまにある。」の一言で終わった。
胸の当たりが熱い・・・指先も目も・・・。
こんなに熱い事が今まであっただろうか・・・・・。
見かねたトヨさんが今日は、もう帰っていいと言ってくれた。
自宅にいるよりもここにいた方がいいのに・・・・。
「おはようございます。」
「うわっ!依天どうした!眼の下にクマがいんぞ!」
昨夜の出来事を思い出し、暗い色が胸を締め付ける。
少し言い淀むと、母の声が聞こえたような気がした。
焦りが言葉を促す。
「・・・すみません・・。実は、折り入ってご相談があるのですが・・・。」
「ん?」
昨日の夕方、何時もより早く終わった業務に全身を引かれながら帰宅する。
帰り道は、ずっと絵馬を盗った男性の顔を順々していた。
なぜ、あの時、自分はボケっと座っていたのだろうか・・・。
なぜ・なぜ・なぜ・・・・
なぜ、あの人は他人の絵馬を盗っていたのだろうか・・・・。
言葉に出来ない・・・・。
この気持ちはなんと呼べばいいのだろうか・・・。
そんな考えが自分の周りを飛び回っているうちに自宅へと着いた。
何時もであれば、神社でお世話になるはずの夕飯を自宅で食べるとなると、今までと違う色が胸を支配する。
帰宅途中で購入した、サンドイッチとココアが左右に揺れる。
少しだけ、息を飲んで自宅のインターホンを押す。
「はい?あら!依天ちゃん!今日は、早いのね!」
母の余所行きの声が耳を支配した。
ニコニコした母が、重いドアを開け自宅に招きいれる。
「今日は、何時もより早いのね?何かあったのかしら?」
何かは、あった・・・。
自分のミスで参拝者に不愉快な思いをさせた。
自分のミスで絵馬を盗まれてしまった。
そんな事を伝える訳にはいかず、自宅に入って急激に擦れた声で「たまたま」と応える。
母は、気にもしないように今日の出来事を話しだした。
「そう!今日はね御爺様にお会いしてきたの!とても、お忙しそうだったわ!依天ちゃんが【神楽】を舞うって言ってきたの!お顔には出されなかったけどとても喜んでいらっしゃったわ!」
どうやら、祖父に神楽の件を伝えてきたらしい・・・。
特に思う処がないはず何のに・・・。
御爺様の名前を聞くだけでどうすれば良いのか分からなくなる・・・・。
「それでね!アルバイトも良いけど勉強はどうなのかって、言ってらしたわ!依天ちゃん?だから、これにお母さん応募しようかと思うのだけれどもどうかしら?アルバイトは、何時でも出来ると思うわ。けど、この夏期講習の応募は、今しかないと思うの!」
母が取り出したのは、駅前の塾の夏期講習の応募用紙だった。
今、舞の練習で手一杯なのに・・・
そんな、こと出来ない・・・・。
言葉が出てこない・・・。
出たくない・・・・。
そんな、温度が肺に溜まっていく。
「相談・・してみ・・みます。」
辛うじて、絞り出した声は、母に聞こえたかどうか定かではない。
昨夜の出来事と押し付けられたA4のポスターを市川さんに見せる。
苦笑いを隠そうとしない市川さんが、ポスターを受け取る。
「これ!うちのじゃん!」
「そう・・なんですか?知りませんでした。」
「えっ?来るの?これ、1ヵ月スパンだけど?」
「そう・・なんです・・アルバイトと被りますし、神楽の練習もあるので・・。」
「なる!なる!じゃあ、行かなきゃいいじゃん!」
市川さんが、笑顔で無理難題を提案する。
「でも、母が・・その応募する気満々で・・。」
「このさ!15回だけのやつに塾内模試を合わせたやつじゃダメな訳?俺、依天のかぁーちゃんに聞いとくよ!」
遠慮と本当は行きたくはない事を伝えるべきか迷っているうちに、市川さんは颯爽と仕事に出かけてしまった。
昨日の1日がグルグルと頭の中を飛び回る。
こんな状態だったからだろうか・・相変わらず、神楽の評価は低いままだった。
どうにか、評価を上げようと練習を積んでいるはずなのだけれども・・・。
そうこうしている内に市川さんの働きかけによって、全15回の講習と塾内模試のセットを受ける事になった。
トヨさんはいつもの「そうか」とそれ以上の言葉はなかった。
いつもより早く業務を切り上げ、自宅から持ってきた筆記用具を鞄に入れる。
トヨさんに塾に行く旨を伝える。
自宅とは、反対の方向に進む足は心なしか軽い気がした・・。
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