第5話 出張相談室~行ってきます!~



「先日は、すみませんでした。次からは事前にお伝え出来るようにします。」


「別にええ。そんなことより、境内の掃除してきな。」


翌日、出勤した自分にトヨさんは、休んだ理由を聞かなかった。

普通のアルバイト先では、休んだ理由が家族で会うからだと許されないのに・・・・。

次からは、相談室を任されているという事を強く主張したいと思う。

母はきっと、「任される」という言葉に弱いはずだから。


1日経った境内は、落ち葉とゴミが散乱していた。

たった1日過ぎただけなのに・・・。

一昨日は無かったはずのゴミを見て、何故か時の流れを感じた。

昨日が濃い1日だったからかもしれない・・・・。



普段の相談室は、ただの井戸端会議の場所で、時に巫女の控室で、憩いの場で、猫の部屋になる。

ここは、街とは違う流れの中にある気がする。


ゆっくりと、静かに流れる時間の中で自分は、数式と向き合う。

この問題集は、市川さんがくれたものだ。

昨日、御爺様と晩餐コースから帰ってきた自分に母は嬉々として話しかけてきた。


「依天ちゃん。おかえりなさい、御爺様との晩餐は楽しかったかしら?草野さんも一緒だったのでしょう?彼、有名大を卒業しているから依天の家庭教師をしてもらいたいのだけどもどう思う?」


・・・・母はいつの間にそんな算段を立てていたのだろうか?

これ以上、草野さんと関わりを持ちたくはない。


「そ・・・れは・・・迷惑なんじゃないかな・・・」

苦し紛れに出てきた言葉がこれだけだった・・。

嫌だ・・・草野・・さんに勉強を教えてもらうのも、母の意思に従うのも・・・

こんな時、彼女ならどう反応するのだろうか・・・

きっとあの眼で・・・


「じゃあ、あの方がきちんと見てくださっているのかしら?ねぇ・・どうなの依天ちゃん?」


母の呼びかけに反応する事が少し遅れる。あの・・・方・・?


「ほら!あの御婆様のお孫さん?明佳さんだったかしら?あの方が依天ちゃんの勉強を見てくださるのはどうかしら?今年こそは受からないといけないし。初めてお話しした時にお勉強を見てくださるって言っていたのに・・・本当に見てくださっているの?お母さんとても心配なのよ?一度お電話してみようかしら?」


「!!!ダメ!・・えっと市川さんは今とても忙しいって言っていたから・・・勉強を見てもらえるかどうか相談してみる・・・。」


「あら、そう?じゃあ依天ちゃん、ちゃんとお話しするのよ?きっと良い勉強方法を教えてくださるわ!それに依天ちゃんがお勉強に積極的になって嬉しいわ!」



あの日起きた出来事はそれで以上だ・・・。最後のトドメに母からの言葉だ・・。

これらの件を市川さんに相談したら、笑われた・・・。


「ギャハハハハハハ!!!!マジか―!依天の母ちゃんもその秘書の奴も面白いじゃん!!で?勉強を見て欲しいって?」


「そんなに笑わなくても・・・お忙しいのにそこまで頼めません。それにとてもお世話になっていますし・・・ですが・・参考書を頂けたらありがたいのですが・・・。」


「いやいや!ゴメンって!なんか依天の家族って個性的な!それにお世話って!別に大丈夫だって!家族みたいなもんじゃん!」

眩しい笑顔で言われた言葉は、どう反応していいのか分からない・・・。

貶されているようなそんな気もする・・・。


「じゃあ!これ!この参考書うちの塾で使っている奴!オリジナル問題ばっかだから難しいかもしんないけどな!」


「・・・・ありがとうございます。一度やってみます。」


「おう!じゃあ!バイト行ってくるわ!」


市川さんは、いつもの様に颯爽と出かけていった。

振り返った顔は、トヨさんに似た悪戯めいた笑みだった。


市川さんの言う通り、オリジナルの問題で難易度は高いものであった。

一日のほとんどをこの相談室に座って過ごすのはとても気が引けた・・・。


参拝客は、誰もいないが何もしないのは、落ち着かない。

市川さんがら頂いた参考書を説くが、あの日の笑里ちゃんの横顔がロジックな数式の中に見え隠れする・・。

彼女の子供で大人な顔が・・・眼が・・・自分はどうすべきだったのか・・・

どんな言葉であれば彼女に届いたのだろうか・・・。

そもそも届かす意味は・・・?

なんの言葉を届かしたいのだろうか・・・・。

自分にはこの気持ちが理解しえていない・・・・。

理解していない物を誰かに届かす事も、行動する事も出来はしないのに・・・・。

思考だけが、ぐるぐると回っている。

あれから笑里ちゃんとは会っていない。

しかし、病院のCMがTVで放送され始めた為、毎日笑里ちゃんと会っている気分になる・・・。


笑里ちゃん・・・・・・・・・。

自分はあなたに何ができるのかな・・・・・・。

自分には、何もできない事は、わかっている・・・。

だけれども、何か、何か出来たら・・・。

笑里ちゃんの、笑顔が見られますか・・。


冷たいような、暑いような空気に包まれている境内を画面越しに見ている自分の姿を見下ろしている気がする。ここに居てここにはいない。

自分の思考は、どこか違う場所に飛んでいるのに、飛んでいけないそんな感じ。


「・・・・!・・・・・・・?そ・・・ら・・・依天!」


「!!!」

前を見ていたのは体だけだったようだ。

トヨさんのいつもの顔がこちらを見ている。


「すみません。ぼーっとしていて・・・・・」

罪悪感と恥ずかしさでそれ以上の言葉が出ない。

勤務中に仕事以外の事を考えていたなんて・・・。


「お頼みたい事がある。これをここにもっていくれ。」

「?はい。この紙に書いてある。康永堂の水餅を病院に持っていけばいいのですね。」


「そおだ。神社の代表としていってこい。相談室の仕事だ。」


「!!それは・・・・。はい・・・。」

ぐるぐると泳いでいた思考が、突然降られた仕事のお陰で体に戻って生きた。


トヨさんに渡された紙には、藤城病院の部屋番号と康永堂の水餅の2つしか書いていない。

それと、水餅代。明らかなお見舞いの品だ。

相談室の仕事・・・。

誰かの話しを聞くこと・・・。

出張相談も有りだったのかと初めて知った。


先日来た病院に巫女装束で来ることになるなんて・・・・。

知り合いには絶対に会いたくない・・・。

こんな所を御爺様や草野さんに見られたらなんて言われるか。

受付を早足で過ぎ、目的の病室の前に来た。

知り合いの看護師さんやお医者さんに会わなくて良かった。

知り合いに会ったらどうしようかという緊張が解けて、また違う緊張に支配された。

初めての出張相談。

震える手を抑えて、荒くなった鼓動を整えて、少し遠慮気味にドアをノックする。


「はい。」


中から男性の声が聞こえる。

相談者の方は男性だったのかと、驚いてしまった。

「えっ・・・・あの!比嘉丹神社から参りました。相談室の藤城と言います。」

神社の名を名乗って自分の名前を言ったのは、初めてだ、嬉しいような誇らしいような。

そんな温度より緊張の温度の方が高くて複雑だった。


「どうぞ。お入りください。」


「失礼いたします。私、比嘉丹神社で巫女の見習いをしている、藤城依天と申します。」

病室のドアに挟まれたまま、急いで自己紹介をしてしまった・・・


恥ずかしくて、上げるはずの頭を上げられず、後ろ手にある左手は挟まれたままだ・・・。

時間が永遠に思える・・・・。

きつく瞑った目と力が入る口からは、温度が失われているようだ。


「依天さん?頭を上げてください。いつも孫がお世話になっています。」


「へぇ?」


間抜けな声が病室に木霊する。

目の前にベッドに座っているのは、笑里ちゃんのおじいさんだった。

白髪交じりの髪に少し目尻が下がった、優しい笑顔のおじいさん。

自分にとっては、おじいさんと呼ぶには若すぎる・・・・。


「依天さん、今日は突然お呼びだてして申し訳ありません。どうしても笑里の事でお話しを聞いて頂きたい事がありまして・・・・依天さん?」


おじいさんの不思議そうな声がダイレクトに聞こえた。


「すみません。先日は、病室にお邪魔してすみませんでした。」

驚きのあまり思考が、この間の出来事で埋め尽くされてしまった。


「いえいえ、こちらこそ。笑里がご無理を言ってはいませんか?あの子は、気が強くて直ぐに感情が顔に出る子なんです。」


笑里ちゃんのおじいさんは、とても嬉しそうに笑里ちゃんを貶す。

きっと、おじいさんにとって笑里ちゃんは自慢の孫なんだろ。

自分とは、違って・・・。


何かを含む様な沈黙が流れる・・・

おじいさんの病室には、子どもが書いたであろう似顔絵と千羽鶴。

ベットの脇には、家族写真といくらかの本が積まれている。

ベッドの斜め前には、病室に備え付けられているTVがある。

画面の中では、女の子が歌っていた。


「笑里ちゃん・・・・。」

「あぁ・・すみません。先ほどまで笑里の出演する歌番組を見ていたのです。あの子は、歌手ではないのですが、番組の企画で歌ったようなのですよ。この番組を収録した日に私の処まで来て、色んな方に褒められたとはしゃいでいました。」


画面の笑里ちゃんに向ける眼は、とても優しくてとっても温かい。


「依天さん・・・老人の話を聞いて頂いてもよろしいですか?」


「はい。・・・もちろん。」


御爺さんにすすめられた、面会者用のパイプ椅子に腰を下ろす。

少し、錆びれた音が病室に鳴る。

おじいさんは、言葉を選んでいる様で、少し目を閉じる。


「・・・・あの子は・・笑里はいつも色んな話をしてくれます。学校での話、レッスンでの話、隣のクラスの大木君に告白された話、マネージャーの園田さんに叱られた話、そして依天さんにお会いした話・・・。笑里の話は、いつも楽しそうで、あの子の周りがとても輝きに満ちている事が私には、とても嬉しくて一緒に体験している様な気分になります。あの子の夢は、女優になる事・・・・私は・・・その夢を応援し続けたい・・・。正直に言えば傍にいて支えになってやりたい。ですが、この体です。」


おじいさんは、とても嬉しそうで、とても辛そうに見える。


また・・・まただ・・・掛ける言葉が出てこない・・・。

喉がつかえて、胸が苦しい・・・・。

おじいさんは、自分の顔を見て少し、困った様に微笑んでから言葉を繋げる。


「依天さん。ありがとうございます。貴女に話を聞いてもらえるだけで良かったんです。この気持ちは、笑里には伝わらなくても・・・。ですが、もし笑里が泣いてしまいそうな時、依天さんが聞いてやってください・・・。もし、道に迷いそうな時は背中を押してやってください。私は、ここで何時でも待っています。あの子の名前は、「笑里」この名前は私が付けたんです。あの子の笑顔が故郷(里)を照らす様に・・今思えば、私の願望でしかありません。笑里に照らしてほしくて・・・。」



励ますって・・・どういう言葉を指すんだろう。

ありきたりな言葉では、表わせない時はどうすればいいのか・・・・

どれが正解になるのだろうか・・・。

誰かが、言っていた・・・

「言葉は、移ろいやすくて、とても朧雲のようで難しいものだ。」


今の自分には、その言葉さえ出てこない・・・。


おじいさんの静かな吐息が、胸をつかえる・・・


「衣天さん・・泣かないでください。貴女はとても優しい人ですね。これからも、笑里をよろしくお願いします。」




あの後、おじいさんは、お土産のお礼とトヨさんによろしく伝えるようにと、言付を預かった。


病院から帰る道は、とても長くて短かった・・・

この道は、こんなにも・・・・

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