第4話 笑里ちゃんの夢~行ってきます!~
「明日休みたい?別にいいけど?」
あっさりと貰った休暇に戸惑う。
本来目論んでいたものとは、少し違ったからだ。
普通であれば、1週間前に言うべきである私用を咎められると考えていた。
目論みが外れ、明日起こるイベントが胸に暗い色を流し込んでくる。
笑里ちゃんが帰ってから4日が経った。
自分は、笑里ちゃんのあの泣き顔が忘れられない。
笑里ちゃんのあの眼と震える手が、自分の体に染みついているそんな気がしてやまない。
「あの・・・。母が急に祖父に会いに行く様にと・・・。急にすみません。」
出来れば、行きたくない。
笑里ちゃんが何時でも相談室に来られるように座っていたい。
しかし、母の言う事に逆らう意思はない。
祖父は、とても厳格な人だ。醸し出す雰囲気は、トヨさんの物よりも重くて苦しい。
祖父は、自分が大学受験の3度失敗している事が、わざとだと気が付いていると思う。
あの目は、心の奥底を隠すことを禁じている。
行きたくない・・・・でも、その選択肢は初めから用意されてない。
諦めのため息を飲み込み、今日の仕事の事を考えた。
トヨさんは、何かを悟った様な眼をしてこちらを見た。
「そうか・・・まぁいい。明日は、相談室休むちゅうことだな。」
簡単に休んではいけないのだった。
相談室を任されている身だと言う事を忘れていた。
自分には、責任感と言うものが備わっていない・・・
そんな気がして申し訳なさに、握っていた手が震える。
「すみません。次からは、気を付けます。」
「わかった。」
それから、トヨさんが何かを言う事はなかった。
「御爺様。依天を連れてきましたわ。依天、御爺様にご挨拶は?」
「・・・。御爺様お久しぶりでございます。依天です。」
正月以来だった。
家では、1年に1回全親族が集まる家族会議がある。
この日は、どんな事があろうと、どんなに多忙であっても参加しなくてはならない。
フリーターも例外ではない。
母は一人娘でこの藤城病院の後継者の最有力候補。
父は、医者だが専門が精神科だった為、後継者として外されたと聞かされた。
母自身は、医者ではないため、株の半分を所有するだけで、実質的な経営はいまだ祖父にある。
その祖父は、次の後継者に自分を指名している。
藤城の最高決定権を有する祖父の意向を覆す者はいなく、その意向に密かに抵抗しているのは自分だけ。
その祖父に呼び出されたとあっては、自分に逃れる術はない。
「息災だったか。依天、比嘉丹神社で巫女の仕事を始めたらしいな。」
「はい。お世話になっております。」
祖父から滲み出ている空気は、やはり重い。
この空気から早く逃げたい一心と悟られてはならないと抑え込む心が廻り廻っている。
「そうか・・・。受験の準備を怠る事は許さんぞ。今年こそ医学部に合格しなさい。」
「はい。」
最終通告が渡された。
やはり、祖父は気が付いている。
ワザと受験に失敗したことを。
祖父の醸し出すこの圧力に逆らう力はもうない。
母がとても満足そうに唇を歪めている。
その顔が視界に入って確信した。
この茶番は、母が自分にアルバイトにかまを掛けすぎるなと言う圧力だ。
祖父まで出して来られたら自分には逃げ道はない。
今年が最後だ。後は・・・。
重い空気の中、控えめに叩くノックが響く。
「院長、失礼します。打合せの時間です。」
秘書の草野さんが入ってきた。紺色のスーツに黒い眼鏡をかけている30代の男性、祖父の秘書であり、藤城の親戚でもある。昔からこの人は苦手だ。
「依天様、お久しぶりです。正月以来ですね。」
「・・・はい。草野さんもお元気そうで。」
「そんな他人行儀にならなくても。次期院長の依天様に気遣って頂いてとても光栄です。」
この感じだ・・・。
この見え透いたおべっかは昔からで、自分が御爺様に気に入られている事が気に入らないらしい。
「院長、浅田プロダクションの方々が応接間でお待ちです。」
「そんな時間だったか。依天も玲花も下がりなさい。」
「はい。」
やっと帰れる・・・。
重苦しい空気と厳しい目線に耐えられなくなってきた。
一刻も早くここから離れたい。
「お父様!浅田プロダクションって例のCMの打合せかしら?是非とも依天に見学させたいわ!!後学のために。」
あぁ・・・。
この雰囲気で行くと晩餐まで祖父のお供コースになる。
母の中でナイスアイデアでも自分にとっては、世界の終わりを宣告されたに近い。
「それはとてもいいアイデアですね。玲花様!是非とも依天様もどうぞ!!」
今日ほど・・・今日ほど草野さんと血の一滴さえも合わないと今日ほど確信した日はないし、同じ意見を持つつもりも未来永劫ない。
母と草野・・草野さんのせいで祖父の仕事を見学する事が確定された。
母は、用事があるという事で帰った。
言い出した本人が帰るという疑問を口にはできず、ただ黙って草野さんと祖父の後を歩く。
「こちらです。」
仰々しく、扉は開かれ祖父が入っていく。
少しの抵抗として、祖父達から離れた処で歩く自分に笑顔で目を向けている。
早く入れと言いたいのだろうか。
扉を開ける草野さんの前を通りがかった時、微かな声で「頑張ってくださいね。依天様」と聞こえた気がした。
振り返って見た顔には、満足そうなに歪む目がこちらを見ている。
「巫女じゃん!!なんで?」
部屋に入ったとたん驚いた声と、椅子から勢いよく立った音によって目の前の光景に目を向けさせられた。
「え・・みりちゃん?」
4日前に会った笑里ちゃんがいる。とても会いたかったようで、会ったところで、自分には何もできないと理解していたから、会いたくなかったような複雑な線が泳ぐ。
それよりもなぜここに笑里ちゃんがいるのだろうか?
笑里ちゃんと自分は目を合わせながら、お互いに問いかける。
「笑里?お知り合いかい?」
笑里ちゃんの隣に座るスーツ姿の男性が不思議そうな声で自分達の顔を見比べる。
祖父も疑問に思ったようで、その答えを急かす様に目線を配らせる。
「アルバイト先のお得意様です。」
笑里ちゃんについては、具体的に答える事はできない。
その答えを自分が言う訳にはいかないし、説明も出来ない。
あの時の出来事は自分にも理解していないのだから。
打ち合わせの内容は、笑里ちゃんに病院の宣伝に一役買ってもらうというものだった。
自分は、知らなかったが笑里ちゃんは地元でも有名な子役タレントだった。
笑里ちゃんの経歴を説明する男性は、彼女のマネージャーで今回の宣伝部長として起用した事をとても喜んでいるみたいで、何時しか笑里ちゃんの代表作について語りだした。
草野さんが合いの手をいれ、話が本筋から離れようとしたとき。
「ねぇ?あたしこの病院の宣伝に呼ばれたんでしょっ?ここの病院の事知らないから~ちょっと探検してきていい?」
突然、笑里ちゃんが猫撫で声で言う。
自分には、そんな声で話しかけられた事がなかった。
「笑里?今日は、笑里が主役なのだけどな・・。もしかして、飽きてしまったのかい?」
マネージャーさんが困ったように、笑いかける。
当然だ、これは商談であり、正式な契約をするために2人は訪れているはずだ。
その為には、笑里ちゃんには居てもらわないといけない。
「ん~ん。飽きてなんかいないよ?だって笑里、お仕事大好きだもん。」
笑里ちゃんが座る周りだけ、春の風が吹いた様に暖かな空気が流れる。
その光景を同じ部屋にいるのに、とても遠くから見ている様な気分になった。
「でもね?この病院の中を知らないなんて、おかしいじゃない?だから、お仕事のために知りたいの!!ねぇ?だめかな?お仕事に必要だもん。」
「では、依天様に案内して頂いては如何ですか?」
草野さんが至極最もの提案を提示する。
小学生には商談の話をしても詰まらないものだし、難しいかもしれない。
そして、自分もこの場に居てもあまり意味がなし、この中で病院内を案内するには自分が一番適任だと。
けれど、先程の発言を許したわけじゃない。
「それでいいよ!巫女のお姉ちゃん!!案内して欲しいな?」
猫撫で声で、お願いする笑里ちゃんは、とても可愛いのだが、ここに自分を連れて来たのは祖父だ。自分には、この場を自分の意思で出る権利はない。
どう判断すべきなのかと、祖父の顔を見れば無言で頷く。
これは、「行ってこい」と言う合図だと理解し、笑里ちゃんと部屋を出る。
部屋を出る。
重い応接間の扉とは裏腹に少し体が軽くなる。
この状況に感謝し、感謝すべき相手の方向を見る。
「・・・・。笑里ちゃん?どこ案内すればいいかな?」
遠慮気味に声をかける。
部屋を出てから笑里ちゃんは、一言も話さず、無言でエレベーターに進む。
案内役を任せられた身として、どうすればいいのかと思考をめぐらす。
重苦しい空気から解放されたはずだったが、笑里ちゃんから醸しだされる。
「・・・。案内は要らない。着いてきて。」
とても、神妙な顔をした笑里ちゃんは、迷いなく入院病棟に進んでいく。
入院病棟の最上階からの数階は、特別室で部屋というか、そのフロアに入るためにはタッチパネルに暗証番号を入力しないと入れない。
笑里ちゃんは数フロアある特別フロアの1つを選び、迷いなく番号を入力する。
「笑里ちゃん。ここに来た事あるの?」
特に疑問には思わなかったが、笑里ちゃんが醸し出す神妙な雰囲気に耐え兼ねて質問をする。
「巫女ってこの病院の娘なのね。なんで、巫女のアルバイトなんかしてんの?」
笑里ちゃんは、質問を無視し、逆に質問をしてきた。
どう応えるべきか悩むところだ。
早朝に叫んでいるところをスカウトされたしか表現のしようがない。
そのまま説明すべきかもうちょっと、具体的に話すべきかと迷っていると笑里ちゃんは、このフロアに1つしかない病室の扉を勢い良く開けた。
「おじーちゃん!!」
その病室には、50代後半のおじさんが微笑みながら、笑里ちゃんを抱きしめていた。
「おじーちゃん!!今日は起きてても大丈夫なの?」
「あぁ。大丈夫だよ。笑里、今日は突然だね?お母さんは一緒じゃないのか?」
「うん!今日は友達ときたの!ねぇ!・・・えっと巫女さん・・?」
勢いよく答える笑里ちゃんだが、自分の名前を名乗っていない事に今更気が付いた。
困惑と言い訳を考える眼と不思議そうに見つめる眼がこちらを見つめる。
「あっと・・私、藤城依天と言います。笑里ちゃんとは勤め先で知り合って仲良くさせて頂いています。」
慌てて自己紹介をする。
笑里ちゃんと友達と名乗って良かったのだろうか?
年齢が離れすぎているし、何か色々違う気がするのに・・・。下げた頭を上げにくい・・・。
「あぁ~じゃあ藤城さんも笑里と同じなのかい?」
「へ・・えっ?」
驚きと、当然だという感想をもつ。
笑里ちゃんは、子役の仕事をしている。
その為、勤め先と言えば、タレント事務所になってしまう。
「違うよ。おじーちゃん!依天は、比嘉丹さん所の巫女さんのアルバイトをしてて、そこで知り合ったの!」
「そうか、比嘉丹様の処の巫女様か。これは有り難いね。」
御爺さんは、有り難いと言いながら手を合わせて来た。
「おじーちゃん!ただのアルバイトだよ!手なんて合わせなくてもいいよ!それよりもこの間の続き話して!!」
とても暖かな空気が流れていた。
先ほどの応接間で流れていた空気よりも軽くそして、春の香りがしたような気がした。
笑里ちゃんとは、知り合ってそんなに時間は経っていないが、こんなに楽しそうな笑里ちゃんが本当の笑里ちゃんなのかもしれない。
自分は、特に話もできず、ただ立って二人の笑顔を見ていた。
「あぁ。藤城さん、これからも笑里と仲良くやってくださいね。」
突然、おじさんが頭を下げて来た。
対応についていけず、開いた口と宙に舞う手が、ふよふよと動く。
「もぉー、おじいちゃんたら!大げさだよ!!ねー巫女さん!!」
「うっ・・ん」
おじさんは、深く頭を下げる姿と声にどう反応していいのか。
部屋の空気から感じる温度と、おじさんが発した声の温度があまりにも違うからだ。
おじさんの声からは、強く決心したような、覚悟を決めたようなそんな決意が響いていたからだ。
コンコン
「村瀬さーん。検査の時間です。」
看護師さんが部屋の扉を開いた。
「あら、笑里ちゃん?今日も来ていたのね。ごめんね、おじいちゃん今から検査の時間なの。」
看護師さんが、自分達を部屋から追い出す。
「分かった!!おじーちゃんまた来るね!!」
笑里ちゃんは以外にもあっさりと引き下がった。
おじいさんと看護師さんに頭を下げ、軽やかに歩く笑里ちゃんの後ろを追いかける。
笑里ちゃんは、応接間の方には戻らず、屋上に向かっている。
早足でスキップする様に階段を駆け上がっていく。
屋上まで来た笑里ちゃんがやっとこちらを向いた。
振り向いた時の笑里ちゃんの顔は、とても大人びていて、とても悲しそうだった。
「ねぇ・・・依天さこの町から出たいと思ったことある?」
唐突な質問だった。
この質問には、もちろんYESと答えたいのだが、答えるべきかどうか悩むところだ。
「あたしは、無いわ。ずっとここに居たい・・・。」
重苦しい空気を滲ませて、眼を伏せる笑里ちゃんはこの間の出来事と同じ顔をしている。
「あたし・・・人気者なの・・。」
「子役としてのキャリアも積んで、これからは女優を目指してレッスンするつもりなの。その為には、東京に行かなくちゃいけない・・・。なんで・・・?なんでなの?」
笑里ちゃんの顔には、葛藤と希望が織り交ざった叫びが見えた。
「なんで、東京でないといけないのかな・・・。なんでここじゃ駄目なのかな?」
泣きだしそうな笑里ちゃんに着ていた上着をかける。
冷たい空気と赤くなる笑里ちゃんの鼻から体温が下がっている事が分かる。
「今日、おじーちゃんに会ったでしょ。あたしのおじーちゃんなの。おじーちゃんは、癌で入院しているの・・・もし、あたしが東京に行ったら・・・・もう会えなくなる・・。」
大きな眼に、うっすらと涙をためている様に見える。
あぁ・・笑里ちゃんは、きっとおじいさんと離れたくないんだ・・。
・・・・やっとあの絵馬の意味が分かった気がする。
笑里ちゃんは、自分の夢とおじいさんの事の二つについて悩んでいたんだ。
夢を優先させるか、おじいさんの傍にいるのかを悩んでいるんだ。
「だから、東京がなくなればいいと思ったの?」
自分の問いかけに笑里ちゃんは無言で頷く。
笑里ちゃんには悪いがとても温かい温度を感じる。
彼女と初めて会った時、すごく気の強い子だと感じた。
今の小学生はとても大人びていると聞いた事があったが、本当は違うのかもしれない・・・これが姉や兄の気持ちだろうか・・・。神社の猫達と遊んでいる時と同じような温度になる。
「・・なに笑ってんのよ・・。」
笑里ちゃんの突っ込みは、いつもより力がなく語尾から音が逃げていく。
いつも思う、こんな時なんと言葉を掛ければいいのだろうか?
気の利いたコメントをすれば・・・それとも年上としてきちんと答えればいいのか・・。
きちんとって・・・なんだ・・なにをもって「きちんと」になるのか・・。
「おじいさんには相談したの?」
取りあえず、おじいさんの意見を聞いた方がいいと思った。
自分には、自分の意見を言う場も意思もない・・・。
でも笑里ちゃんは、自分の意見を言えるし、意思がある。
そして、聞いてくれる人もいるし、笑ってくれる人もいる・・・・。
なら・・・。
「マネージャーさんかお母さんには?笑里ちゃんの思っている事、感じている事を伝えたの?言わないと、通じないっていっぱいあると思うの、それにきっと笑里ちゃんのお母さん達もきっと待っていると思うよ。」
突然、勢いよく話出した自分を濡れた眼で笑里ちゃんが見つめる。
出過ぎた真似だとわかっている。
自分は3浪人のフリーターで、ただのアルバイト。笑里ちゃんに比べれば、なにも持っていないし、言えるほどの経験もない、でも出来る事があるのならば、1歩進みたいと感じるなら・・・するべきだと思う。
「待ってる?・・・なのを?」
感じた疑問を目と言葉に纏わせながら、首を傾ける。
「笑里ちゃんの言葉かな?笑里ちゃんが思っている事をそのまま伝えるのはどうかな。」
「でも・・・・・怒られないかな・・。」
「分からない・・けど、笑里ちゃんは今のままの気持ちでお仕事も勉強もできるの?」
怒られる・・・それは分からない。
笑里ちゃんのお母さんもマネージャーさんの事をよく知らないし、その言葉を伝えないのは、笑里ちゃんにとって辛いのではないだろうか。
自分の言葉を聞いた笑里ちゃんは、なにか考えているように見えた。
今日は。これ以上と言葉を交わすことがなかった。
というよりも、笑里ちゃんにかけられる言葉を探せなかった。
屋上を出た自分達は、応接間に向かった。
応接間に1歩入った笑里ちゃんは、余所行き用の明るい笑顔で、元気よく入っていく。
分かれる時まで煌めく笑顔を振りまいていた。
その日、自分は晩餐コースだった。
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