第5話 イベントの話

 それから一か月後。

 雄爺は、いつものように、入れ代わり立ち代わりやってくる常連客たちとテーブルを囲みながら、話に花を咲かせていた。

 閉店時間が迫り、客たちは一人、また一人とレストランを後にし、雄爺だけが店内に残った。

「やあ、お疲れ様でした。雄爺」

 冷水の入ったピッチャーを持った、店長の喜多村昭博が、雄爺のテーブルにやって来て、空になっている雄爺のグラスに水を注いだ。

「ああ、店長、ありがとう」

 雄爺は水をぐびぐびと飲んだ。余程喉が渇いていたのだろう。

「今日も、いろいろ、相談を受けたんですか?」

 今度は、着替えを済ませた美幸が、カバンを手に、雄爺の席までやって来て、訊ねた。

「まあな」

 雄爺は、グラスを置いてから、疲れ切った表情で返事した。

「相談しに来るのは、一向に構わんが、こうもしょぼい内容が続くと、さすがに疲れるわ」

「お疲れのところ、ごめんなさい、雄爺。私もちょっとご相談したいことがあるんですが、いいですか?」

 そう言いながら、喜多村は雄爺の向かいに座った。

「永岡さんも、いいかな?」

「えっ、私もですか?」

 喜多村に促され、美幸は喜多村の隣に座った。

「あんたが直々に相談しに来るなんて、初めてじゃないか?」

「そういや、そうですね」

 雄爺が言うと、喜多村はそう答え、はははっと豪快に笑いながら、頭をかいた。

「で、なんだ? 相談ってのは」

「実はですね」

 喜多村の話した内容はこうだ。

 雄爺がパーキングエリアのレストランに顔を出すようになってから半年以上が経過し、今や雄爺はこのパーキングエリアの名物男として広く知られるようになった。とはいえ、このパーキングエリア自体は、地方の高速道路のパーキングエリアの例に漏れず、今一つパッとしないのが現状である。かつてETCによる通行料金が休日千円だった頃と比べ、この高速道路の利用者は減ってきており、それに伴って、パーキングエリアの売上も減っていった。高速道路会社からも発破をかけられていることもあり、喜多村もレストランのオリジナルメニューを考案したり、授乳所を整備したり、施設のバリアフリー対応を施したりするなど、いろいろとサービス面で努力してきた結果、売上は、一時は右肩上がりに転じた。だが、最近はその効果も薄れ、伸び悩んできているという。

「そこで、テコ入れというわけではないんですが、ここらで一発、ちょっとしたイベントを打とうと思いまして」

「イベント?」

 美幸が聞き返した。雄爺は黙って話を聞いている。

 喜多村はゆっくりと頷き、話を続けた。

「予算もないし、あまり派手にやると高速道路会社がうるさいんですけど、ちょっとしたお祭り的なイベントをやろうかと」

「祭りとなると、屋台とかを出すってことか?」

「ええ。広場があるじゃないですか、トイレの前の」

「ああ」

「あそこで、地元の野菜を使った料理を売ったり、昔ながらの遊びを体験できるコーナーを設けたり、まあ、まだ詳細は検討中なんですけどね。で、その中央にステージを置こうと思ってるんです。そこで、雄爺にトークショーをやって欲しいんです」

「俺が? トークショーを?」

 雄爺は身体を仰け反らせながら言った。

「ええ」

「んな、トークったって、お前さん、一体俺ぁ何を話せばいいんだ?」

「私の友達にラジオのDJがいるんで、そいつにMCをやらせますから、大丈夫ですよ。内容としては、雄爺がここでやってる人生相談をステージでやってもらおうと考えてます」

「公開人生相談ってことですか?」

 美幸は訊ねた。

「そうそう。でも、公開だから、人生相談だと重いんで、あらかじめ雄爺に相談したいこと、聞きたいことなどを何でもいいから募って、それをいくつかピックアップして、当日雄爺にアドリブで答えてもらうと」

「何か、深夜のテレビやラジオとかでありますよね、そういうやつ。確かに雄爺がやったら、それはそれで面白いかも」

「もしかしたら、交渉次第で、友人のやってるラジオ番組のスタッフも入れて、公開録音をすることになるかもしれない」

「本当に? 店長、そんなコネがあったんですね。誰ですか、そのDJって」

 喜多村は、毎週金曜日の午後に生放送の番組をしている、地元FMラジオ局のDJの名を挙げた。

「凄いじゃないですか。あの人とトークショーするなんて」

 美幸はテンションが上がり、雄爺に声をかけた。雄爺は腕組みしたまま、渋い表情をしている。

「いかがですか? あまりご負担にならない範囲で、ぜひ、お願いしたいんですが」

 喜多村が少し不安そうな顔で訊ねた。

「いやあ、俺ぁ、そういうのって、苦手なんだよなあ」

「何言ってるんですか。普段、あんなにいろんな人と話してるのに」

 美幸はやや意地悪く言った。

「大勢の前で喋るってのがなあ」

「大丈夫ですよ。DJが進行するんですから、無理に自分から話そうって気負わずに、訊かれたことに淡々と答えればいいんですよ」

 美幸の発言に、喜多村も大きく頷いて援護する。

「そうは言ってもなあ……」

 雄爺は頭をかいた。

 それから、美幸と喜多村による説得が一時間近く続き、雄爺は渋々、喜多村のオファーを引き受けることとなった。

 二か月後の猛暑日の八月。

 会場となったパーキングエリアの広場は、朝から大勢の人で賑わっていた。

「こんなに来るとは、思わなかったわ」

 厨房で支度をしていると、広場の様子を見てきた秋山が戻ってきた。

「告知とか、ほとんどしてないのにね」

 店長の喜多村は、店内に告知ポスター、それも大して目立たない小さめのものを、レストランと売店のレジの傍に貼って、雄爺への質問や相談事を書いて入れる箱を設置したくらいで、他には告知らしいことは何もしなかった。高速道路会社に目を付けられたくないからと、本人は言っていた。

「雄爺からの口コミが、かなり影響してるみたいですよ。あの人、最初はかなり渋っていたのに、意外とまんざらでもない感じで、常連さんが来る度に、自分がステージに立つんだとか、あのDJとトークするんだとか得意気に話して、大勢連れて来い、なんて言うもんだから、それがSNSとかで広まっちゃったみたいで」

 美幸が説明した。

「へえ、雄爺の人脈って凄いんだね。それにしても、朝からこんなんじゃ、これからもっと人が増えるんじゃないかしら。初めてよ、ここで働きだしてから、こんなの」

 秋山は広場の方角を見ながら、そう言った。

「そろそろ、朝の部が始まると思いますよ。本人、さっき張り切ってレストランを出ていきましたから」

 今日の雄爺の出番は、朝九時、昼一時、夜五時の三回が予定されており、いずれの回も喜多村の友人のDJと二人で対談する形式で、公開録音も行われる。そして翌週に、全三回のトークショーのダイジェストを、彼の番組内でオンエアすることになっている。

 ステージに設置されたスピーカーから、何やら声が発せられているのが、レストランの中にまで聞こえてきた。トークショーが始まったようだ。

「ちょっとだけ、見てきます」

 美幸は秋山に断ってから、ステージへ向かった。

 炎天下の中、老若男女が、ステージ上の椅子に座っている二人の男に注目している。向かって右側に喜多村の友人のDJが、左側に雄爺が座っており、いつもと同じ、若者好みのファッションでバッチリ決めている。いつもと違うのは、サングラスをしているくらいか。この日差しは、老人の目にはこたえるのだろう。

 両者の挨拶と自己紹介が済み、DJの軽快な進行によるフリートークがしばらくあった後に、いよいよ本題の公開人生相談が始まった。

「大々的に告知をしなかった割に、結構来てるんですよ。雄爺への質問や相談が」

 DJが意外な表情を浮かべながら、雄爺に話しかけた。さっき、呼び捨てでいいと雄爺に言われたことを、律儀に守っている。

「ああそう。それはありがたいことだね。もし何もなかったら、俺があんたに相談しようと思ってたんだ」

「僕にですか? それは恐れ多いですよ」

 DJはややオーバーなリアクションで答えた。

「で、なんだい。どんなことが書いてあるんだ?」

 雄爺は、さっきからDJが手にしている、相談内容が書かれていると思われる紙を覗き込むようにして、訊ねた。

「おっ、じゃあ早速、一つ目にまいりますか」

 DJは、紙に目を移した。

「これは、高校生ですね。女の子からの投稿です」

 DJは、投稿を読み始めた。


「今、付き合っている彼氏が、浮気を繰り返していて困っています。見つかる度に、次はもうしないと泣きながら謝ってくるので、私も彼と別れたくないから、いつも許してしまいます。どうしたら、彼は浮気をしなくなるでしょうか。アドバイスをお願いします」

「諦めろ」

「え? 彼が浮気しなくなるのをですか?」

「ああ。そいつは、彼と別れたくないんだろ?」

「ええ」

「じゃあ、しょうがないじゃないか。それも相手の魅力の一つだと思って、受け入れるしかないだろうよ。それだけ彼がモテるってことじゃねえか。色男なんだろう。そのことをそいつはもっと誇らしく思うべきじゃないか。それくらい広い心を持てってんだ」

「なるほど。誇らしく、ね」

「その彼氏は、次はもうしないって、泣きながらいつも謝るんだろ?」

「そうみたいですね」

「それは嘘だから。彼はあんたのことを舐めてんだよ」

「いつも、それで許してもらってるから」

「そうだ。あんたが、浮気が発覚する度におろおろするからいけないんだ。毅然とした態度で接するんだ。別れ話を持ち出して脅かしてもいいんじゃないか。それで実際に別れちゃったら、そこまでの縁だったってことだ。あるいは、さっき言ったように、もう彼の浮気癖を直すのは諦めて、あえて、浮気を薦めちゃえばいいんじゃないか。どんどん浮気しろと。最終的には、私のところに戻ってくれば全然構わないって、それくらい言っちゃえ、言っちゃえ」

「わははっ。でも、彼女からそこまで言われちゃったら、かえって怖くなって、浮気しなくなるかもしれないですね」

「そうなりゃあ、結果オーライでいいじゃないか。高校生なんて多感な年頃なんだから、浮気の一つや二つくらいするやつがいたっていいだろうよ。右往左往しないで、腹を括れや。シャキッとしろ、シャキッと!」

「ということだそうです。じゃあ、次、いきましょうか」


「ええと、これは三十代の男性からですね。会社員」

「さっきの女子高生のような、小便臭い内容じゃないだろうな?」

「小便臭いって……。まあ、そう仰らずに。まだ始まったばかりなんですから」

「で、今度は何だ?」

「僕は、学生時代、飲酒運転で人を撥ねて死なせてしまいました。多額の賠償金を相手方に支払うことになり、現在、飲食店で住み込みで働きながら、毎月少しずつ遺族に支払いをしているところです。でも、支払いが全て終わるのは大分先の話で、なかなか残額が減らないため、毎月の支払いが嫌になってきました。相手方がお子さんを亡くして辛い気持ちなのは分かるのですが、好きなことがまともにできないまま、一生を過ごしていくのも辛いです。こんな僕は、この先、どうしていけばいいのでしょうか」

「相談相手が間違ってるんじゃないか?」

「そうですかね? 結構深刻なお悩みのようですが……」

「深刻? これのどこが深刻なんだ? というか、よくもまあ、こんなことをいけしゃあしゃあと書いて寄こしてくるよなあ。そいつの神経を疑うわ」

「ええ……」

「飲酒運転で人を殺しておいて、賠償金が払えなくて辛いってか。ふざけるにも程があるだろうよ。ちょっと、それ見せてみろよ」

「あっ、はい。どうぞ」

「何だって? 何が『相手方がお子さんを亡くして辛い気持ちなのは分かる』だ。本気でそう思って書いてるとしたら、こいつ、筋金入りのカスだな。誰のせいで、ご遺族が辛い思いをしてると思ってるんだよ。てめえの愚かで身勝手な行為がそうさせたんじゃねえか。『好きなことがまともにできないまま、一生を過ごしていくのが辛い』? 馬鹿じゃねえのか、こいつ。それだけのことをしたんだから、当然だろうよ。大体、好きなことってなんなんだよ。どうせ、それだってろくなことじゃねえんだろう。お前が感じている辛さは、ご遺族のそれの何百分の一、いや、何千分の一にも満たねえよ。最低の男だな、こいつ」

「うーん、投稿者はこの先、どうしていけばいいんですかね?」

「知らねえよ。てめえのケツは、てめえで拭けや。それから、二度とこんなことを投稿してくるな。ご遺族の方に失礼極まりない。それから、ここにいらっしゃる皆さん、飲酒運転は絶対にしないでくださいよ」

「若い頃の軽はずみな行動が、時として、その後の一生を棒に振ってしまうこともあるんですね」

「だが、一生かけて償うしかねえだろうよ。自業自得だよ。甘ったれたこと抜かしやがって。ところでこれ、この場で取り上げるべき内容だったか?」

「すみません、それは、こちらの判断ミスだったと思います。ですが、基本的に、ここでは雄爺がどんな内容でもお答えするというコンセプトだったので。もちろん、この投稿はオンエアしないつもりで考えてます」

「そうか。しかし、本当、頭に来る投稿だったな。じゃあ、次、行こう。皆さんも気分が悪くなっただろうから」

「そうしましょう」


「雄爺は、ラーメンのスープは全部飲む派ですか? 残す派ですか?」

「何だ、それ。さっきの質問と大分落差があるな」

「これは、中学生からの投稿ですね。男子生徒のようで」

「くだらねえな、本当に。そんなことで悩んでる暇があったら、勉強しろよ。まあ、くだらないのは決して嫌いなわけじゃないけどな」

「で、いかがですか? ラーメンのスープ。ここのレストランのメニューにもあるみたいですけど」

「ああ。昔ながらの素朴な味で、俺は好きだな。だけどスープは、全部は飲まないなあ」

「ということは、雄爺は『残す派』ですか」

「無理だろ、全部飲み干すのは。相当な塩分量だぜ。じゃあ、あんたはどっち派なんだ?」

「僕は『全部飲む派』ですね」

「早死にするぜ、きっと」

「ですよね。でも、分かっていても、つい飲んじゃうんですよ。雄爺は、ラーメンのスープの他に、食べ物に関して何か拘りとかはありますか?」

「何だろうな……。ああそうだ。俺、天丼は絶対食べないんだ」

「天丼、召し上がらないんですか。それはまた、どうして?」

「天ぷらは、あのカリッとした衣が命なんだ。だのに天丼は、天ぷらの上に先につゆをかけるから、食べるときには衣がふやけちゃってるだろ? あれが俺ぁ許せないんだ」

「なるほど。ということは、天ぷらとご飯を別々にしないといけないということですか?」

「そうだ。よく定食屋とかであるだろう? 天ぷら定食。あれみたいに、自分の食べるタイミングで天つゆをつけないと、駄目なんだ。俺から言わせりゃあ、天丼なんて邪道だよ、邪道!」

「邪道ですか……、天丼。あれはあれで美味しいんですけどね」

「俺ぁ認めねえからな!」

「分かりました分かりました。じゃあ、次、行きましょう」


「次は……、三十代男性の方ですね。会社員です」

「うむ」

「私は、入社以来、十年以上ひたすら会社のために働いてきました。しかし、昇任試験は毎年不合格で、周りの同期は次々と出世への階段を上っており、正直、焦っております。昇任試験に合格している人の中には、自分よりどう見ても仕事ができない者もいれば、上司に媚びへつらってばかりいる者もいます。そのことが、私にはどうにも納得できません。私は、仕事はできる方だと自負しており、こんな不条理なことがまかり通る会社に、最近嫌気が差してきております。雄爺は、そんな会社について、どう思いますか?」

「知らねえよ、そんなの」

「ちょ、ちょっと、身も蓋もないなあ」

「だって俺、農家だしさ、会社に属した経験がないから、ないなりに言わせてもらうけど、この男は謙虚さに欠けてるんだよ。それが全てだよ。はい、終わり!」

「は、早いですね」

「だって、それしか言いようがないだろうよ。同期社員を妬んでばかりで、自分は仕事ができると勘違いしている裸の王様が、出世なんかできっこないんだよ。違うか?」

「うーん、まあ、僕も雄爺と同じで、サラリーマンの経験がないんで、偉そうなことを言える立場じゃないんですが……。でも、会場にいらっしゃる方の中には、うんうんって頷いている方もちらほらいますね。ほら、あちらのお客さんも」

「その会社は、ちゃんとした人事制度を確立していると思うがな。だってさ、こういう自惚れたやつを出世させないようにしてるんだから。なんとも素晴らしい会社じゃないか」

「まあ、そうですよね」

「『どう見ても仕事ができない』って、上から目線もいいとこだよな。てめえの主観で会社の人事が決まるわけでもなんでもないのによ。そいつは、てめえの見ていないところで、きちんとやることをやっているんだよ。能ある鷹はなんとやらって言うだろ? 上司に媚びへつらっているやつだって、実際の仕事はそつなくこなしているかもしれないじゃねえか。それを不条理だなんだって、十年も会社員やってて何を言ってるんだ、こいつは。世の中は、もともと不条理なものなんだって。ほっといたらこいつ、小学校の運動会のかけっこで全員一位にさせるのと同じように、社員を全員出世させろとか訳分かんないこと言い出すぜ、きっと」

「全員出世はいいですね。世の多くのサラリーマンが望んでると思いますよ、それ」

「でも、現実にはそんなことできるわけないんだから。最初に言ったように、こいつには謙虚さがないんだから、それを改めて、今の自分の置かれた状況の中で、ベストを尽くす。そうすりゃ、見る人は見ると思うけどな」

「そうですね」

「こいつが、今のまま出世したら、会社に未来はないぜ」

「分かりました。次の投稿に行きましょう」


「車通勤をしてるんですが、対向車がハイビームのまま接近してくると、腹が立ちます。やつらに何とか言ってやってください」

「この場所にふさわしい投稿だな」

「はい。二十代男性ですね」

「確かに、俺も以前セダンに乗ってたけど、最近、ミニバンじゃなくても背の高いクルマが増えたから、ロービームでも眩しいんだよ」

「ああ、そうかも。僕も以前、スポーツタイプのクルマだったから、分かります」

「全く、どいつもこいつも、目線の高いクルマに乗りやがって。そんなんだから、上から目線的な態度を取るやつが増えてきてるんだよ」

「まあまあ。ミニバンは、あれはあれで便利ですから」

「駄目だっ。ミニバン禁止令を出すべきだ! あんなのに乗ってたら、皆、偉くなったと勘違いしちまうんだからよ。ろくなことがないんだ。平身低頭、セダンに乗ろう! 次!」


「先日、長いこと待ち望んでいた子が産まれたのですが、医師の診断で、脳に障害を持っていることが分かりました。経済的にも年齢的にも第二子を設けることは難しいので、健常者として産まれてこなかったことが、私には正直ショックです。こんなことだったら、産まなければ良かったと思うこともあります。この先、自分の子を、愛し続ける自信がありません。こんな私は、母親失格なのでしょうか」

「失格だな」

「……失格、ですか」

「子どもを産むということは、そういうことが起こる可能性もあるということを覚悟の上で、臨むべきだと思うんだ、本来は。これは俺の持論だが、近頃、出産や子育てをファッションかなんかと勘違いしているやつが多い気がするな。自分の見栄や地位をより良く顕示するための道具として、子どもを利用している親が」

「見栄や地位、ですか」

「あれが、俺には理解できないんだ。ほれ、インターネットとかで子供の写真を平気でやたらとアップする親が。やれ誕生日だ、クリスマスパーティだ、ママ会だと、事あるごとに可愛い服を着せて、写真をやたら撮りまくって載せるのは、一体なんなんだろうな」

「子どもが、可愛くて仕方ないからじゃないですか?」

「本気であんたはそう思ってるのか? 子どもが可愛いんなら、何もわざわざネットに載せなくたっていいじゃないか。自分の、若しくは家族のアルバムとして、自分たちの中で保存しておけば済むことじゃないか」

「皆に見てもらいたい、皆からコメントが欲しい、もっと言えば、皆から褒めてほしいっていう気持ちが、あるんだと思います」

「で、そういう親に限って、子どもにとって都合の悪いことがあった時は、ネットに上げないんだよな。良いことがあった時だけ上げるから、性質が悪い」

「皆が皆、そうじゃないと思いますけどね。まあ、わざわざネガティブなことを他の人に知らせることもないから、アップしないんじゃないですか? 知らされた方もリアクションに困るだろうし」

「ポジティブなことだって、わざわざ知らせることでもないだろうに」

「それは、程度の問題もあるかもしれませんね。たまに近況報告とかで上げるくらいなら、ああ、家族楽しくやってるんだなとか、お子さんも元気そうだなって、周りも思うんでしょうけど、子どもの件に限らず、SNSで頻繁に同じような内容を投稿されると、自分も正直、うっとうしいな、しつこいなって思う時もあるし。難しいですね」

「だから結局、自分を良く見せたいだけなんだよ。もし、子どもが健常者じゃなかったら、あいつら、ネットに子どもの写真を上げようとするか?」

「……障害の内容や度合いにもよるかもしれないけど、積極的に載せようとは思わないかもしれないですね。分からない。親にもよると思いますけど」

「この投稿してきた母親は、きっと、子どもが生まれたら、他のママみたいに写真をSNSに載せて、仲間に見てもらいたかったんじゃないか? 『可愛い』とか『素敵』とか、そういう言葉をかけてもらったりしたかったんじゃないのか?」

「……」

「ちょっと憶測が過ぎたか。でもよ、そうじゃなきゃ、『産まなきゃよかった』だの『愛し続ける自信がない』だの、そんなこと思わないって。てめえの子どもだったら、例え障害を持ってようが何だろうが、その子のために愛情を注いで、全力を尽くして育てようって思うはずだよ。そう思わなきゃ嘘だって!」

「僕もそう思います。ただ、彼女はまだ、その現実を受け入れられてない状態だと思います。産まれた子がそんなことになるなんて知らされたら、大抵の親は、最初はショックを受けますよ」

「あんたの言う通りかもしれん。この親と同じような境遇を抱えた世の親たちは、言葉には出さないだけで、多かれ少なかれ、こういうことを考えるのかもしれないな」

「ええ。少し冷静になれば、時間が経てば、もしかしたら、考え方が変わるかもしれない」

「急げとは言わん。まずは、この現実を真正面から素直に受け入れることだ。それが、我が子をこれから愛し続けるための第一歩となるんだ。いつまでもそんな根性でいたら、同じような事情を抱えながらも一生懸命子育てしている、世界中の母親たちに失礼だろうが」

「仰る通りです。あなたの周りには仲間や味方が必ずいるはずです。くれぐれも『私だけ』だなんて思わないで欲しい」

「俺たち男が想像もできないくらい痛い思いをして産んだ子なんだろ? 大切に育てろよ」

「そのうち、SNSに子育ての様子をアップするようになれば、素晴らしいですね」

「それに関してはまあ、好きにすりゃあいいよ。でもそのことで、障害者の子育てを周りに理解してもらう助けに少しでもなれば、あながちSNSも捨てたもんじゃないかもしれないな。しかし、暑いなあ。そろそろ休憩しないか?」

「そうですね。そろそろ時間ですんで、午前の部は、ひとまずこれで終了といたしましょう。ありがとうございました」

「ああ、お疲れ」


 雄爺とDJのトークショーは、午後の部も、軽重厚薄入り混じった投稿が次々と紹介され、雄爺は、喜怒哀楽を織り交ぜながら、一つ一つ回答していった。

 そして、夜の部も同様にトークが繰り広げられ、いよいよ、最後の投稿となった。美幸も仕事を終え、再びステージ前の広場に見物に訪れていた。


「さて、最後の投稿ですね」

 一息ついて、DJが雄爺に話しかけた。

「いっぱい答えたから、今日は大分疲れたよ」

 雄爺が大きく伸びをしながら、言った。

「じゃあ、まいりましょう。ラストは、六十代の女性の方です」

「俺と同世代だな」

「私には、夫がおりました。夫は五年前、あなたが通っているパーキングエリアの近くの高速道路を逆走し、向こうから走ってきたクルマと正面衝突し、帰らぬ人となりました。私は、認知症などとは全く無縁だった夫がどうして逆走なぞしたのか、未だに分かりません。それ以来……、どうしたんですか?」

 DJは、雄爺が微動だにせず、床の一点をじっと見つめているのに気付き、声をかけた。

「え? あっ、いや、何でもない。続けてくれ」

 雄爺は我に返り、慌てて言った。

「夫は、この地元で農業を営んでおりました。とても若々しく、人付き合いも良く、あなたと同じように、近くの人が困っていたり悩んでいるときには、親身になって相談に乗り、時には厳しく喝を入れたり、時には優しい言葉をかけてあげたりと、相手と真剣に向き合っておりました。私は、そんな夫を誇りに思い、尊敬し、そして、心の底から愛しておりました。夫がいなくなってからというもの、子どもも親類もいない私の心には、今もぽっかりと大きな穴が開いたままで、寂しくて、何もする気が起こりません。外へもまともに出かけておりません。早く立ち直らなければと、頭の中ではそう思っているのですが、なかなか行動に移すことが出来ません。いつまでもくよくよしているこんな私を、どうか厳しく叱ってくれませんか。よろしくお願いします」

 DJが最後まで読み終えた。だが、雄爺は心ここにあらずといった様子で、今度は宙を見つめている。

 なんか、様子がおかしい。美幸は首を少し傾げた。

「雄爺、大丈夫ですか? 以上が、彼女からの投稿ですが」

「あ、ああ。すまん。ちょっとあまりの暑さで、疲れちゃったみたいだ。気分がすぐれないんだ」

 雄爺は額に左手を置いた。

「本当ですか? 冷たい水とか飲みますか?」

「悪い。ちょっと、これ以上は厳しいや。俺ぁ、ここで退散させてもらうよ」

 雄爺は立ち上がった。DJは想定外の展開に戸惑っている様子だった。

「え? あっ、は、はい」

「ああ、それから」

 ステージを降りる直前、雄爺はDJの方を向いた。

「その女性に必ず伝えてくれ。というか、この部分、番組で絶対オンエアしてくれ。投稿にまともに答えることができず、済まなかった。今度、俺のところに来てくれ。いつでも待っている、とな」

 雄爺はそう言うと、杖をつきながらステージを降り、そのまま立ち去ってしまった。DJは呆気にとられた表情で、ステージに立ち尽くしていた。

 美幸は雄爺の後を追ったが、人ごみでなかなか前に進むことができず、結局見失ってしまった。


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