昼下がり、苦言

「私には美夜が何であれを選んだのか、ぜんっぜんわかんない」

 眉間に皺を寄せて、口を歪めながら、朱美は吐き捨てた。

 私には、朱美と、のどかと言う二人の親友がいて、休日はどうせ日程の合わない彼と過ごすより、友人たちと過ごすことの方が多い。

「んー、そう?」

 私は首を傾げつつ、まだ熱いカフェラテをおっかなびっくりで口にする。


「みーちゃん別に面食いでもないのにね」

 そう言いながら、ケーキを綺麗に食べられないのどかは、何度目かわからないイチゴ掬いにチャレンジして、失敗している。

 あ、また落とした。

 このおかげで、のどかが食べ終わるスピードに合わせて、飲み物を飲もうと思うと、とてもちびちび飲まないといけない。


「面食いじゃないけど、顔がいいことに損もないよ」

「のどかが言いたいのは、顔が決定打になるわけじゃないって話でしょ?」

 中々食べ終わらないのどかに見かねた朱美が、のどかの掬えなかったいちごを、自分のフォークで刺してその口元に差し出す。

 のどかはためらうことなく朱美のフォークを口に含み、甘いであろういちごの味を堪能してる。

 私にはあのやり取りはできない。

 潔癖というわけではないが、他人が使った食器で自分の食事をするなんて絶対嫌だ。



「と、いうよりーのどかが言いたいのは顔以外にいい部分なくね? ってことかな」

「わかるー」

「人の彼氏をディスるね君達は」


 顔以外にいい部分がないだなんて、人間そんな極端な話があるわけないのに。

「人格破綻者でしょ。怖くて付き合ってらんないわよ」

 怜に関する良くない噂について、朱美が口にする。

 のどかはそれを肯定するわけではないが、否定することもなく苦笑いをしつつ補足する。

「顔いいし口説き方はスマート。モテることは間違いないんだけど……でもずっとそういう噂はあったんだよねぇ」

「誰だってどんないい男にでも殺されたくはないもの。ねぇ美夜、怜にセックスで首絞められるってやつ本当?」

「語弊はあるけど似たようなのはあるかもね。てかこんなとこでそんな話しないで」


 殺される、とかそういう次元のものではない。

 愛されてるが故の、ちょっと行き過ぎたスキンシップだ。

「美夜は生命の危機に瀕しても平気なくらいマゾなのか」

「生命の危機になんて瀕してないよ。プレイの範疇」

「プレイとかいうな生々しい」

「先に話し振ったのそっちでしょ」


 次々フォークでケーキをすくい、のどかの口に放り込んでいく朱美を睨む。

 どんなに仲が良くても私にそれはできない。

「怒るなよー。まぁ女って生き物はさ、好きな男に盲目なものだから」

 朱美は肩をすくめる。

「あけみんは経験者だもんね。明らかに色恋だってわかってたのにホストにお金使い続け……ったい?!」

 歯に衣着せぬ、のどかの後頭部を、朱美が叩き、「私のことは良いの!」と憤慨する。

 女という生き物は夢見がちなものだ。


「みーちゃんあんま気にしなくていいんじゃない? あけみんみたいに彼がヒモってわけじゃないし、みーちゃんが幸せならのどかはその幸せを応援するよ。ま、れいぴの良さはわかんないけどね」

 れいぴとは、怜のことだ。

 何故かのどかだけそういう呼び方をする。

 のどかは、朱美のことはあけみん、私のことはみーちゃん、などと人と違う呼び方をして距離を縮める。

 のどかと話すようになった時、いきなり懐に入ってきて少し苦手だった。

 今ではそれが彼女の良さだとも思うけれど。


「……ありがと、のどか」

「私だってそれは同じだけど、間違った幸せは掴んで欲しくないじゃない?」

「わかってるよ。朱美」

「まぁ、美夜はなんだかんだしっかり者だし、大丈夫だとは思うけどさ」

「うん」


 正直なところ、怜が普通の人とは違うことは良くわかっている。

 どちらかといえば、それこそが彼に惹かれた部分なのだ。

 彼は一見普通、いや、コミュニケーションにおいては、人より少し優れていると言えるかもしれない。人当たりがよくて、優しくて、目立った欠点は見当たらない。

 けれど実しやかに噂されてることがあった。

 彼は人格が破綻しているらしい。誰かを殺してしまったことがあるくらいに。それに喜びを感じてしまうほどに。眉唾な話だ。



 二人と別れたあと近所のスーパーに向かった。

 怜は放っておけばゼリー飲料とフルーツだけで一日の食事を終える。

 そんな彼に、私は三食食事を作ると約束した。余分な肉どころか必要な肉すら乏しい体を見て、太って欲しかったから。

 なるべく小食な彼でも食べやすく、栄養価の高いものを。

 私の休日は必ずスーパーで大量の食材を買うことで終わる。

 手で持って帰るのは大変なので、タクシーを呼んで帰るのだ。

 帰ったらケーキを焼こう。怜はリンゴのケーキが好きだから。

 そんな風に想うのは、間違っているのだろうか。







「おはようございます。みや」

 今日もまた時計を抱えたまま寝たらしい。

 身体を起こして彼に返事をする前に、時間を確認する。

 予想の時間の三十分超過は誤差範囲。今日は五十分だ。

「……昨日早く帰るって言ってた」

 怒る、と言うほどではないが、若干の苦言を呈すると、困ったように怜は笑った。


「お客さんが中々帰ってくれなくて。心配しました?」

「別にいいけど。ごはんは?」

 本当は、全然良くなんてなかった。

 いや、わかってるのだ。彼の仕事柄、仕方がない。

 けれど、私との約束は守られなかった。これもまた事実。


「美夜が作ってくれてるんでしょう? 食べてませんよ」

 私の心を見透かしたかのような怜の言葉。

「なら温める。ケーキあるよ」

「りんごの?」

「うん」

「はは。嬉しい。美夜の作るりんごのケーキ、好きです」

 怜は私を抱き起こすと、ぎゅっと抱きしめて来た。

 柔らかい怜の笑顔が好きだ。

 だから怜のために頑張りたくなる。


 けれど、そんな思いとは裏腹に、私を抱きしめる怜から特徴的な香水の匂いがする。

 少しだけ、胸が締め付けられる心地になった。


 食事を温めて、いつも通りの量を茶碗によそったが、怜は私が温めた食事を半分も食べられなかった。


「もういらないの?」

「はい、お腹いっぱいで」

「……わかった」

 怜の前から食器を片付け、そのまま洗い物を始める。

「みや? ケーキは?」

「お腹いっぱいなんでしょ。」

「でも美夜がせっかく…」

「いいから。固くなるやつじゃないし、美味しく食べられる時に食べて」

 大した量じゃない怜の食器はすぐに洗い終わる。

 一人暮らしで使うには余分な食器乾燥機に放り込んでスイッチを入れた。

 怜に背中を向けたままゆっくりと深呼吸をする。

 ――大丈夫、怒ってない。



 怜は私の背中から、きっと私の感情を感じ取っている。

 悔しいほど人の感情に敏感な彼は、きっと罪悪感を抱いているはずだ。

 それが嬉しいという気持ちと、そうさせたくないからそもそも怒らないのに、という気持ちとで私の心は二律背反する。


「……美夜」

 後悔と、切なさが滲む声は私の名前を寂しそうに呼んだ。


「愛してます。シャワー浴びて来ます」


 振り向かない。その愛している、は額面通りに受け取って喜べる代物ではない。

 たまに、どうしようもなく虚しい。

 けれど、周りにそれを相談すればこれ見よがしに彼を責めるに違いない。

 私は、彼の理解者でいたい。誰よりも、味方で居たいのだ。

 だからわずかに感じる違和感も気づかなかったふりをして、しょうもない道化を演じる。


「……また、脱ぎ散らかしてシャワーに行ったな」

 脱衣所まで、足跡のように脱ぎ捨てられた服を拾って怜の後を追った。

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