第10話前編「待望の主都」

・奇跡

 魔法としては神に対して真摯に祈り願うことにより発現する驚異。身を切る程に真摯さが増す。

 神業としては畏敬と畏怖の象徴であり、あらゆる恩恵と損害を直接的、間接的に与えてきた。

 奇跡とは祝福であり呪いであり、神意神理の反映。時にそれは解釈により転ずることもある。


■■■


 経緯はどうあれ雄と雄がぶつかり合うのに理屈は不要。

 鉄岩剣を大上段に構え、半甲冑に身を包んだ重戦士姿のオーク族、猪牙が立った勇士チャルカンが進み出る。

 大薙刀を大上段に構え、法衣姿だが鎖帷子等を仕込んだオーガ族、二本角が立った勇士が相対して進み出る。

 今より行われようとしている会戦に先んじて、両軍戦列を構えるその谷間で景気づけの一騎打ちが始まった。

 野太く「ウガァ!」と吼えるチャルカン。

 甲高く「キィエ!」と叫ぶオーガの勇士。

 かち合う刃、砕け散るは大薙刀。しかし刃無くとも残る長柄の棒術が、かち合いに一瞬速度を落とした鉄岩剣の背を捉えて抑えに地面へ打ち込ませ、返す打擲でチャルカンの面を打つ。そして長柄を手放したオーガの勇士は腰に組み付き、弧を描く裏投げ、頭の天辺から落とした。

 そして短刀と言うには厳つい金属塊でも削れる鎧通しで止めが刺されようとして、チャルカンが寝た状態からオーガの勇士の脛を踵で蹴り砕いた。

 脛が砕けて姿勢が崩れたオーガの勇士、チャルカンに襟首掴まれ引き込まれ、その目に猪牙を突き立てられ、脳に達して絶命する。

 立ち上がって、オーガの勇士の首を切断して掲げたチャルカンが吼える。ガイセル軍の士気は高まり、敵軍はその反対。

 最前列の重装兵以外は雑兵の装いで、両手に常より三倍も長い槍を持つ長槍兵が正面に並ぶ。元は流民、蛮族の男達だが徹底的に訓練されてナーガ流の複数段列の密集横隊形を組む。その後方には督戦するナーガ兵が睨みを利かせ、前方には先制に撃ち掛ける投槍、投石、弓矢を持つ軽装の射撃雑兵とケンタウロス兵が散開。

 右翼には重装ナーガ兵、最右翼に重装ケンタウロス兵。精鋭が集まる。

 左翼には遊牧騎兵、最左翼にガイセル王と戦神を奉じる半獣狂戦士達。

 鏃と穂先の針万本。

 固めた陣形、守りに不動。前衛の射撃雑兵が身軽に近づいて敵軍に槍と石と矢を浴びせ掛け、相手も同様に槍と石と矢を浴びせて飛び道具合戦になる。

 形勢はそれにケンタウロス兵が、戦線を端まで覆うように走って円を描きながら行う機動射撃で優勢に至る。並みの盾を割り、甲冑を貫く豪弓はオーガの優れた重装弓兵をも射殺す。

 敵軍が射撃兵狩りに騎兵隊を差し向けたら射撃雑兵は躊躇いもせずに走って、ケンタウロス兵も背面射撃を浴びせつつ長槍兵隊列の隙間、退路を縫って後退。

 長槍兵の隊列、槍の壁を前にして敵騎兵は突撃の停止を強要され、馬が突進を止められなければ突き刺さるに任せて死あるのみ。そして後退から態勢を立て直した射撃雑兵、ケンタウロス兵に足止めされたところを射撃されて打ち倒される。そしてまた射撃雑兵とケンタウロス兵の敵軍に対する散開した射撃が始まる。

 この繰り返しに耐えられなくなった敵軍が槍兵の密集横隊を前進させる。射撃雑兵もケンタウロス兵も射撃しながら後退し、太鼓に合わせて前進を始めた長槍兵の隊列後方に後退する。後退が完了したら角笛の合図で長槍兵の隊列間にあった退路が閉じる。

 この時点で半獣狂戦士達は徒歩で馬に劣らず走り、獣の毛皮を被って咆哮を上げて突撃。敵軍右翼の端にぶつかって前進を一部阻止して整列した隊形を崩し始める。鉄砲玉の役割を王自ら行うガイセルは敵の槍だろうが盾だろうが兜に鎧を剣で叩き潰す大上段を無限のように繰り返して殺戮する。

 距離が詰まり、長槍兵が両手で操る三倍長い特注槍が、敵兵の槍より先制に突き刺さる。更に長槍は味方の隙間を縫って最前列に限らず第二列以降からも突き出され、突き刺さる一点が重なって壁になって敵兵を突き倒しながら前進を続ける。

 歩いて突き、槍の壁をぶつけ合ったら足を止めて突き続け、決闘者から指揮官に転じたチャルカンが頃合いを見計らって「一歩前へ!」と号令を下したら一歩進んで敵の隊列を押し込む繰り返し。後列より、ナーガ兵が長い尾をくねらせて巧妙に投槍器を使って飛ばす重く短い槍が長槍兵、敵軍前列を越えて中列に降り注いで盾も鎧も胴体も貫いて地面に刺さって杭となり、倒れて最前列への兵の補充を妨害する繰り返し。

 長槍兵隊列の右翼、精鋭の重装ナーガ兵は敵軍左翼を押しまくって敗走状態に陥らせる。

 両軍正面がぶつかり合い、両翼端では相手を包囲せんと予備兵力が注ぎ込まれて伸びていくのだが、敵軍は右翼を半獣狂戦士に、左翼を重装ナーガ兵に押し込まれて伸ばせない。維持するだけで精一杯である。押し込まれるだけで身動きが取れないのだ。

 敵軍が抑えつけられたら今まで出番の無かった遊牧騎兵が敵軍右翼後方、重装ケンタウロス兵が左翼後方へと走って回り込みを始める。

 金床と鉄槌の完成。

 長槍兵の攻撃に身動きの取れなくなった敵軍は側面、後背に迫る遊牧騎兵と重装ケンタウロス兵の突撃を受け、包囲を身を持って知り、恐慌状態に陥り、戦いより身の安全を案じる方へと心が傾き、一向に好転する気配の無い殺し合いに絶望し、遂に士気が崩壊。総崩れになって壊走を始めた。

 武勇に優れるオーガとそれに従う人間の兵士も優れた集団戦法の前には敗北あるのみ。

 崩れた敗残兵が逃げ込む先は敵主都の、救いのために危険を冒して開かれた正門。

 一度後方に下がって休んだケンタウロス兵が再度走って、弓矢を射掛けながら、戦いに疲れて足が鈍っている部隊に代わって追撃の戦法に出て敗残兵を射止め、曲刀で切り伏せ、蹴飛ばして転がし、その背中を蹄鉄で踏み潰す。

 ケンタウロス兵も早いが、まだ血を欲している半獣狂戦士は追撃の先鋒を交代するように走る。

 狂戦士王ガイセルを先頭にそのまま敗残兵を収容し続ける正門に突入し、都内に乱入出来るかのように見えたが、城壁に控えるオーガ重装弓兵の長弓射撃に、精霊魔術の炎の矢が飛んで迎撃される。そしてオーガの女族長にして巫女ヤハルの祈祷、長弓の弦を何度か鳴らしてから鏑矢を天に放つ邪祓い儀式による奇跡の顕現、敵を内に入れない奇跡の半透明に見える壁が出現し、そこに頭を打ち付けたガイセルが転んだ。壁は内からの矢を通し、外からの矢を通さない不条理。竈神の障壁が出現したのだ。

 追撃の手は阻まれ、その勢いが消えるまで鉄と炎の矢が放たれて撃退され、追撃隊は引き下がらざるを得なかった。

 矢を何本も体に突き刺して肉を焦がした瀕死のガイセル王と狂戦士を含め、エリクディスは豊神に大量の家畜の生贄を捧げて諸兵、捕虜達にも祈って治療した。目的は殺戮ではなく征服である。

 謎とされる寒波からの民族移動、南からの豊神の神災が合わさった東西世界の断絶。それによって起きた旧東帝国圏内での騒乱、飢饉からの乱世を治めつつあるのは何と新興のガイセル王の軍勢であった。幸運か奇跡か双方か、ある程度の大勢力となれば必然だったかもしれない。

 ケンタウロス族の陸上、ナーガ族水上機動力を借り、流民を抱き込み蛮族を征服して各地へ攻め込み、懐柔するだけでなく時に乞われて支配領域を広げていった。

 しかしまだ中心地が無く、ガイセルの王国は遊牧民のように移動する宮廷が統治していた。そのように言えば格好はつくが、様相は未だに蛮族流民集団の域を脱していない。始まりの根拠地として天神に祝福された高原、渓谷は存在するが都市ですらなく、支配領域の中心地としては辺境に過ぎた。

 オーガ族が今、一部の人間を従えて国家とする地方の中心地たる、目前にそびえる主都は立地、規模共に求める王都に相応しい。流浪の軍勢から領域国家に昇華するにはうってつけである。ヴァシライエの商会関係者からもあそこが良いと耳打ちされているぐらいだから余程に良い地なのだ。

 死せる者となったエリクディスはシャハズの修行も一段落して目的を失っていた。そこでガイセルより王国の宰相になるよう乞われた。かの者から宰相などという少し賢い言葉が出るということは入れ知恵があったわけだが理屈は通る。

 目的も無く放浪すれば役目を失ったとして本物の、ただの死人になりかねないエリクディスはまだやれることがあると思い立って承諾した。そうして軍勢をその知見を生かして導いた。暴力手段に訴えることにはなったがそれは乱世の習いである。元より暴力沙汰は極力避けるべき、無用の恨みは買うべきではないとの思考を持つ賢い者ではあったが、必要があれば揮うべきと考えている。矛盾しない。

 この主都を手に入れれば周辺部をより強固に抑えられる。放浪と略奪の生存競争から、統治と徴税の国家政治に切り替えられる。いつまでも風のように流れていられない。まともな拠点も無い流浪の軍勢の維持には限界があった。

 他にも理由がある。ケンタウロスとナーガが支える危うい両輪体制にオーガを組み込むことによって安定性を得られるという計算がある。ガイセルの両妻アピスにドゥルーカは天神との契約により奴隷となって忠実に働いているのだが、呪い覚悟で親の仇を取らないとも限らない現状は続いている。そうでなくても先ほどの追撃のように死に掛けるのだからどうしようもない。不動の玉座の一つでも与えれば王の自覚も生まれるのではないか?

 暗殺防止にとガイセルの懐に潜んでいたことがあるチッカはシャハズの手により帰郷の道へと旅立った。チャルカン、エリクディスだけでは女の計略に嵌りかねない。王を守る必要が王国にはある。子供の――正嫡という意味で――いないガイセルが死んだ時にこの王国という名の武装集団が空中分解することは必至。予測される混乱の規模も凄まじい。どうにかしなくてはならない。

 問題はこの主都の守護者、オーガ族の族長ヤハルである。彼女はエリクディスの旧友、かつての冒険仲間の一人。巫女との肩書きだったが刀槍と弓の腕前は一級で戦えば容赦を知らぬ戦士。器用に道具を修繕し、炊事洗濯も得意で嫌な顔をせず無精する者達の世話を焼く甲斐甲斐しい慈母。神々への真摯な祈りの姿勢などは良く学ばせて貰ったエリクディスにとっては、師弟関係には無かったが師匠と言っても差し支えない。そんな今老いても尚盛んと見て分かった彼女をどうやって屈服させるか、である。可能であれば王国重鎮に迎えたい。

 ロクサール亡き今、精霊術の大家と名乗れるようになったシャハズがいればこの主都攻略も素早く行えていただろうとエリクディスは確信している。死して感覚が変わり、扱いの幅が広がった精霊術への才能を開花させる指導をして貰って分かっている。あのエルフはもう、一人で一国と戦えるし勝てる。不在が惜しい。この重大局面での不在がとても惜しい。


■■■


 野戦に勝利したガイセル軍が次に取った行動は主都包囲である。均等に部隊を配置するのではなく、敵軍が包囲突破を試みる際はその劣る兵力を生かすために一点集中に投入、局地優勢を取ると考えられるので機動的に対処出来る配慮がされる。南向きの正門側に主力部隊を置き、こちら側からの攻撃を諦めさせる。東西にはそれに劣る部隊を置き、一見攻撃をし易く見せるが、勝る部隊が両側面から攻撃に出られるので決して脆くはない。そして反対側となる北には機動力に優れたケンタウロスと遊牧騎兵を配置し、敵が追い付けない速度で走り回って臨機応変に対処する。

 神々の奇跡は大抵代償を必要とする。物品に限らず祈祷行為自体でも真摯であれば起きるのだが、その場合に連続で願い出ることは拒否されやすく、特に大規模な場合は厚かましさから難しい。自傷行為が伴う場合は物品を捧げる行為に該当する場合があるので、それは不発と侮らずに相手の動きを良く観察することが肝要。

 今、主都を追撃時に覆った不条理な反撃を許す竈神の奇跡の障壁は効力を失って消えている。再度突撃すればそのまま、二回目の大規模な奇跡の発現は厚かましさからなく、城壁突破も可能かもしれない。だがもう一度奇跡を起こすための代償を支払う準備が整えられているかもしれないのも事実。巫女ヤハルにはそういった知識がエリクディスに勝り、ある。安易な攻撃は避けるべき。とにかく慎重策。若者に突き上げられようとも年寄りはここで慎重策を進める。

 治療した捕虜を正門側へ人質に並べ、清めた戦死者を引き渡す用意を整えてエリクディスは降伏勧告を、機動要塞内で習得した音の精霊術に乗せて行う。

『我らはガイセル王の軍である! この周辺地方を征服し、統治するものだ。族長ヤハルは一族とその軍民と共に降伏せよ! ガイセル王は殺戮を望まない。和平と友好、そしてこの寒波や神災に苦しむ民衆を助けるために動いている! そのためにもそちらの協力が必要不可欠だ。人や財産を略奪しに来たのではない。共に世を救おう!』

 無論、こういった高尚な思想は賢きエリクディス考案のもので、いと貴きガイセル王は剣で敵をぶった斬るくらいのことしか考えていない。

 族長ヤハルはこれに対し正門の上部より「不条理な侵略者に屈したりなどしない!」と一喝に声を張る。

 ガイセル軍には豪剣を振るうだけではない将軍チャルカンがおり、その戦の知識と技術は豊富で攻城兵器を作成する指導が出来る程だ。死賢者エリクディスも広い知見と長い経験、船舶関連で身に着けた機械類の知識、そして歴史と現場で見知った状況に応じた兵器の種類を知っている。大都市攻略となれば必須のそれら兵器は包囲後に持ち込まれ、足りないとなれば現地で追加に作成された。

 組み立て設置がされたのは、流浪の軍勢には困難でも精霊術の大家シャハズなら設計さえ教えて貰えれば幾つも造れる置き土産の大型投石機。長い一本腕を持ってその端には綱の長い吊り床がある。動力は本体左右にある巻き上げ機で、数十人の力自慢が車に巻いた綱を引いて石の入った重り箱を上段に持ち上げた物。引き終わったら車止めを噛ませて止め、一本腕が留め具で固定され、巻き上げ機と重り箱の連結が解除される。そして燃えぬようにと酢漬けにされた革の吊り床に油布で巻いた、魔法を使って削った石の砲弾が収められて火が点けられる。そして一本腕の留め具が大木槌で叩かれて外されると、連結した重り箱が支えを失って落ちてぶら下がり、その力が長い一本腕に伝わって雲梯のように後ろ向きから上向きに大きく振られ、その先にある長い綱が更に大きく前向きに振られ、吊り床に乗せられた燃える砲弾が強烈な遠心力に乗り、最適に前方長距離を飛翔する角度で放り出され、放物線を描いて主都の城壁を超越して内側に着弾。三階建ての建物だろうと屋根から床下まで粉砕して大穴を開け、石壁だろうが崩して中へ転がり止まるまで物を踏み潰して火災を引き起こす。

 この投石を正門側から十六機並べて一斉に行った。空を舞う砲弾が火炎と黒煙を引いて彗星のように見せて降り注ぐ光景は人力で起こせる恐怖の光景。文明の大戦争を知らぬ蛮族ならば神の怒りかと畏れて命乞いをする。今までの攻城戦はこれで決着がついた。

 これら一斉砲撃の後に再度、エリクディスは降伏勧告を行った。そして破壊と合わせた穏健なる侵略者の提案に対して族長ヤハルは沈黙で答えた。大層な衝撃に度肝を抜かれただろう。

 とりあえずと、わずかな捕虜を解放してその者達に死者を主都へと運ばせてから返事を一晩待った。エリクディスはこれで決定的ではないにしろ内部分裂が起こることを期待した。

 深謀遠慮の足りないガイセルはこれらのお膳立てを無視して、剣を抜いて突撃号令を掛けようとするので死賢者エリクディスは音の精霊術でその声を打ち消し、将軍チャルカンは「王よ、内密のお話が」と言ってその首根っこを掴んで物陰へ連れていく。

 これらはいつもの寸劇となり、臣下達も一々反応しない。


■■■


 そして明くる朝、日の出前から再度、大型投石機による火炎砲弾砲撃が開始される。理想と現実と破壊と救済は複雑である。

 包囲されるその、分厚く高い城壁の上にはオーガと人間の兵が守備についていて頭上を通り越す火炎砲弾を見送る。火災が広まり、消火に人手が足りないだろうが攻城梯子や攻城塔、屋根付き破城槌を見せつつ、置き盾を前に進んで石や矢を飛ばしてくるガイセル軍を前に迎撃を続けなければならず一歩も引けない。

 この絶対不利に族長ヤハルが堪えるのは何故だろうか? それは増援の見込みがあるからだろうとエリクディスは看破しており、放ったケンタウロスの斥候が略奪帰りのオーガ族の別動隊を視認した。これの到着で実質ガイセル軍を挟み撃ちに出来るし、一時的でも優勢を取って主都内に逃げ込めば戦力と食糧の補充で長期戦に耐えられる。包囲側こそ飢えにさらされる現状ではそれが勝利の一手。

 正面からの砲撃の手は止めず、市街砲撃から城壁、正門への砲撃に狙いを変える。砲弾も巨大な一塊から、中小型の石礫、伐採後の切り株などに切り替える。砲弾の供給不足の事情もある。また腐った死体やゴミ、糞尿詰めの袋の投擲は行わない。疫病からの殺戮は完全に目的ではない。

 ガイセル軍にはまだ手がある。最低限の兵士で略奪帰りの軍に対峙して布陣する。その間の牽制は遊牧騎兵が遊撃戦で支えた。

 その最低限の兵士達の指揮を執るのは死せる宰相エリクディス。編制は弩砲を操る兵士とその護衛兵、そして死せる完全武装の兵士達を運ぶ兵士達。数は少ない。

 まずは巨大な弩の巻き上げ機が複数人掛かりで回され、太い弦が絞られる。そして矢ではなく槍が装填され、弦を抑える留め金が外されて発射。いかなる達人の矢でも到達出来ない飛距離を飛び、槍が略奪軍の兵士を一人二人三人と容易に貫いて大地に留める。このまま一方的に槍に貫かれては敵わないと略奪軍は前進。距離が詰まる度に放つ槍の角度は水平にしても命中するようになり、遂には敵兵の胴体を五人六人と貫いてしまう程になる。

 略奪軍が前面に展開させた射撃兵が石と矢を放つ。護衛兵が置き盾と、穂先を天に掲げた槍の林である程度防ぐ。精霊術で放たれる炎の矢、石弾、水鉄砲などは『曲がれ』とのエリクディスの対抗術で標的を失って無力化される。

『かの敵に暗闇を』

 程良い彼我距離感になったと確認した死賢者エリクディスは新たに会得した精霊術を行使。闇の精霊に働きかけ、敵の射撃兵を暗闇の霧で覆って目を眩ませた。闇を視認する感覚は並の人間には不可能だが、萎れて死体となってエリクディスには身近なものとなった。眼球は失われて機能しておらず、周囲を視認する時は闇の精霊に頼って、光の加減ではなく闇の加減で観るようになったのだ。代償に光の精霊術は使えなくなった。

 略奪軍の前衛、射撃部隊は暗闇に包まれ、射撃方向を見失って混乱する。暗闇を払う光の精霊術が使われても直ぐに『散れ』との対抗術で弱まり、持続しない。これで弩砲部隊も目標を見失ったが、暗闇の霧に向かって水平射撃をすれば大体当たるので構わず射撃を続行する。

 略奪軍はこのままではいけないと、暗闇の霧を突っ切るように突撃を仕掛けた。喚声を上げ、全速力に突っ走ってくる。

『空気よ薄まれ』

 エリクディスは薄めた空気の層にて略奪軍の突撃を迎撃する。その突撃幅の広さから瞬時に窒息させる程の規模の術は難しいと判断し、息が荒くなっていれば直ぐに気力が萎えて足が止まって眩暈がして高山病に罹る程度にした。気の精霊術を会得したのはロクサールの複合精霊術によって全身の水分を抜かれて干物になった時の即死する感覚だった。死に際の開眼である。

 略奪軍は先頭の者から倒れだし、後続がその背中に衝突、踏みつけ、また倒れて重なる。突撃の走りは容易に止まらず玉突き衝突の連鎖と化して同士討ち状態に陥る。武装する兵士達の体当たりと踏みつけは即死せずとも重傷、そして救助、手当なくば死に至る。怪我が無くても複数に潰されれば窒息に至り、そして今は空気が殊更に薄い。

 略奪軍は足が止まり、どうしようもなくなった。逃げれば良いかもしれないが逃げる先が無い。野に散ったとしても彼らを少し前まで牽制していた遊牧騎兵がその辺をうろついていることは分かっている。

 弩砲部隊は射撃を中止。萎びた死体、異形に畏怖を纏う死賢者エリクディスが音の精霊術で声を恐ろしげに低く響かせる。

『降伏せよ。さすればその命を助けよう』

 その姿は死賢者にふさわしい不気味で強そうな邪悪な魔法使い衣装に、装飾を兼ねて支払い忘れに対応すべく商神銀貨を網紐に連ねて巻き付け吊るし、枯れ細った腕が目立つよう袖をさり気なく捲りながら両腕を広げ、見た目の強化にあえて簡素に黒布を巻いた骨の杖をかざして青息吐息の彼らの前に立った。義眼に嵌めた赤い色付き硝子玉が魔眼に見えなくもない。

 まるで神の敵のようにも見える魔法使いの背後には、敢えて傷などは清めないままにおぞましい姿を維持した死せる兵士達を、あえて脱力させて死者感を強調して見せびらかす。唸らせてみたりもする。

 おとぎ話のような光景を前に恐慌状態に陥った略奪軍は降伏した。逃げようとした者達も、背後で立ち上がった死んだはずの戦友の姿に腰を抜かす。死賢者エリクディスは吟遊詩人も出来るほどに怪談話にも精通する。殺生はあったが恐怖により最低限であった。

 かつては埋葬金の度に禿げた頭を悩ませていた老いも過ぎたる魔法使いは今や軍権を握るに至る。一人頭銀貨二枚の埋葬金は安く、墓掘りも兵士に任せられる。


■■■


 略奪軍の帰還失敗。これで最後の希望を断ったはずで、また降伏勧告を行って一晩考える時間を族長ヤハルに与えたが、まだあちらには手があった。

 エリクディスは昔を思い出すに、彼女は愛情深いだけあって執念深さが半端ではなかった。それはまた良き神々への信奉者で奇跡を扱う魔法使いの素質だった。

 朝になると主都中が不思議な網に覆われていた。勿論ただの網ではない。補充がなった火炎砲弾を撃ち込んでみると、建物の屋根どころか壁も床もぶち抜く威力のはずが網にふわりと受け止められ、揺れはするが貫けないのだ。網自体も火炎で燃えることもなく、油が切れるまで煙を上げるだけ。

 網の上には驚くべきことに、蜘蛛の下半身を持つ竈神の使徒の一種であるアラクネ達がいる。彼女達に無敵の蜘蛛の巣たる屋根を広げられてしまった。

 竈神は家庭守護の権能の延長線上から護国の権能があり、その性格を良く現す半人半蜘蛛アラクネの城守りの能力は最強の部類。無理攻めをして兵士が彼女達に捕まったら、特に男の場合は腹を苗床にされて数を増やされてしまうことすらあるのだ。怖ろしい。直接被害よりも恐怖が強い。

 現時点で行える直接的な攻撃が通じなくなってしまったが策はまだある。攻城戦の定番中の定番、包囲して飢えさせるのだ。ガイセル軍は略奪軍が持ち込もうとした食糧、家畜を手に入れたのでまだ長くここに留まれる。また包囲陣の陣地構築も進んで兵士の数を減らしても十分に敵の突破作戦を封じ込められるようになったので補給、略奪部隊を外へ繰り出せる余裕が生まれた。商人さえ呼び込める。

 かねてより準備をさせていた水路遮断を実行。主都に流れ込む川を堰で止める最終工事をさせる。

 次に捕虜達の解放。食べる口が増えるほどに水と食糧の備蓄は減りが早くなる。これで捕虜の受け入れを拒否すればまた策があったが、すんなりと受け入れられた。族長ヤハルが門で出迎えて労を労う姿すら見られた。愛情深い、遠目にも美しい彼女が助けないはずがない。

 厳重に包囲した主都を観察し続ける。

 オーガには食人の習慣があるのだがその様子はない。また人間がオーガに怯えている様子は見られないので共食いが始まる程に飢えていない。表情は厳しいが疲れも見せず、元から高くて分厚い城壁を、内側から工事して補強している姿がアラクネの巣越しに見える。

 観察を続け、幾日も、月が過ぎて包囲陣に住居が立ち並んで商人が出入りするようになっても飢えが始まった様子が見られない。これは竈神の加護領域が発動しているとエリクディスは見た。飢えず、渇かず、寒くならない竈の加護。最強の籠城方法だろう。これでは何度も行っている降伏勧告にも応じない。

 神の奇跡を起こす際には何らかの形で代償が必要になる。神の権益がかかっている場合は先のロクサール事件のように無償ということもあるが、この主都防衛は無償とする程に価値は無い。また竈神の加護を特別篤く受けている都市、特に神殿本山ならば話は別だが、この主都にそんな噂は無かった。オーガ族自体この都市にとって元は侵略者で新参者である。包囲中に加護を受けたならば余程の代償が要求されたはずで、捧げたならばそれに加えて包囲を破るような奇跡が授けられていてもおかしくないが現在無事に包囲続行中。

 発動している奇跡の力が中途半端なのである。包囲軍全員を竈神が呪って飢え、乾き、寒さに苦しめる方がまだ理屈が分かる。望ましくないが。

 祈祷に長ける熟練の巫女ヤハルが何らかの手段で長期間アラクネ達をこの地に繋ぎ止め、飢えと渇きと寒さから大勢の大都市住民を守り続けているには相応の代償が必要。だから断つべきは水でも食糧でもなく、その払い続けている代償だ。外から仕入れている様子が無い以上、都市内部で自弁しているということになる。

 竈神への捧げ物と言えば代表的な物は料理であり焚火などの温もりであって消耗品ばかりだがそれが奇跡によって供給されている以上、別の物かもしれない。料理ならば手を掛けることによって価値は増すので、延々と食べずに捧げ続ければとも考えるが、それで大都市防衛を継続させられるとは思えない。あの商神の加護有りの都市が私掠党に襲撃された時に街区を守った時の領域とは範囲が違うし継続時間も一晩どころではない。

 であれば捧げられているのは何か?

 包囲側からは確認出来ないものであろうか?

 結婚儀式、儀式性交? 効果の高い初夜をそう長期間、何度も繰り返せるものではない。組になる新婚夫婦が尽きるし、不貞離縁は竈神が嫌うところで回数も稼げない。

 まさか竈神の性格、性質から考えて最大効果の代償は子供か!?

 あの優しいヤハルが子供を生贄に籠城を続ける? 素直に降伏すればそんな犠牲を払わずに済むのだが。意地になっているのか?

 意地っ張りにしても度を越して異常である。都市住民がそんなことに賛成するとも思えない……いや、飢饉を知る者なら慣れているか。森エルフのような無慈悲さは環境が生み出すもので、この地で一時的に芽生えていないとは言い切れない。

 エリクディスの疑問は尽きないが、全てただの想像で証拠は無い。その考え中にも状況は動き、伝令がやってくる。

「宰相閣下、地下坑道が突き当りました」

『うむ、ご苦労』

「出番だな!」

 玉座から立ち上がった、いと貴きガイセル王の尊顔をチャルカン将軍が有無を言わさずその鋼のような上腕二頭筋で席ごとぶん殴り倒した。

 これらはいつもの寸劇となり、臣下達も一々反応しない。


■■■


・オーガ

 二本角がある頭部、頑健な巨体、人型種族も忌避せず食らう習慣が特徴。

 オークの武勇、ドワーフの技巧、人間の敬虔さを併せ持って優れるが、少数故大勢力に至らない。

 暴れ者という側面もあるが知性的で仲間意識も強く、協力者となれば頼もしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る