第9話後編「魔の砂漠」
・ジン
人型を好むが臨機応変に変態。飛行時に足を消し、差別化に肌の色を特異になどする。
器官を変態に作り出せる結果、感覚に優れて精霊術にも優れ、文明にさえも優れた。
人間族が最も神に近い存在とするならば、ジン族は最も遠い存在である。
■■■
ロクサール師の野営地にてエリクディスは、機械人形の割りには妙に少女めいた愛嬌がある家事ゴーレムに淹れて貰った茶を啜りながら、普段はしない貧乏揺すりなどする。天才とはいえシャハズがあの尋常ならざる魔の砂漠へ、特訓と称しているとはいえ、難所連なる地へ踏み込んだのだ。心配性が刺激される。
ガイセル王の命によりケンタウロス族とナーガ族の力を借りたエリクディスとシャハズは難なく魔の砂漠へ到着し、ロクサール師との会合から師事まで全て順調に進んだ。魔法使い師弟は目下の旅の最終目的の達成に手が掛かっている。
チャルカンとガイセルの剣士師弟はこれから目的を作り上げる段階にある。両族の王となった人間のガイセルは領域の拡大、征服戦争の波に乗っている。まだ周辺小部族の取り込みの段階であるが、生存圏の確保というものは果てが無いもの。目的が次々と生まれる行き着く先の無い道に身を投じたのかもしれない。
戦に身を投じることこそが人生とするオークの勇士チャルカンはそれに従軍し、将軍として活躍している。
フェアリーのチッカであるが、世界樹渡りの道案内が本来の役目でそれは既に終わっており、エルフの森に帰っても不義理は無い。しかしガイセルが惚れ込んでしまった。あの両神器を捧げる試練の時に組んで戦ったことが忘れられず、相棒になってくれとひたすらに頼み込んだのだ。粗雑な蛮族の男など好みではないチッカだが、繊細なエルフの女の方に供しても今回はやることがないので、一先ずは二人の異種妻に寝首を掻かれかねないので護衛、懐刀になることを仕方なく受け入れた。それもシャハズの修行が終わって解放されるまでの期間限定である。それまでに親衛隊ぐらい作れるだろうと。
老人は茶を飲んでは近くなるのを繰り返して待ちぼうけ。機械相手では得意のうんちくをこねくり回すのも空しい。一応は会話機能に近いものがあって、喋れば家事ゴーレムは全肯定に反応してくれるのだがそこまで落ちぶれてはいなかった。
ふと脳裏に違和感。
(あなたの弟子が罠に陥り、捕らえられました。十二神が一度ずつ助けます。商神は奇跡の対価を一手に引き受け、我はこの言葉でもって、そしてこの地を受け持つ地神が即座に使徒を送りますから実質は残り九回。その時、必ず神罪人ロクサールを討ちなさい)
と明瞭に預言された。気付かない振りも出来ぬ程に神経が理解した。
エリクディスは席を立ち、重い荷物以外の装備一式を素早く整える。家事ゴーレムは、どうしましたか? と仕草で問うて来て、地より伸びる練り固められた土砂の蝿叩きにて潰れ、埋まった。
エリクディスは浮かび上がる足元に杖を立て、固定される感触を得て体重を預ける。地より這い上がった拳足を持つ巨大な人型は地神の使徒山渡りである。
野営地が築かれた魔の砂漠外周のオアシスが巨大な山渡りの出現により潰れ、砂に飲み込まれて一時消失した。
先程まで壁のように微動だにしなかった戦闘ゴーレムの隊列が幾何学的に動き出す。
連弩兵は孤を描いて散開して太矢の雨を浴びせてくる。
長槍兵は長方形を維持したまま足並みを完全に揃えて転回、正面で山渡りを捉えて長槍の襖を築いて突進を開始。
大剣兵は槍の方陣の両翼から左右に展開して側面を取る。
万を数える精確迅速の殺戮機械軍団が完全に統一された指揮の下で静穏に動き始め、そして砂ですら斜面を作ることを許さぬ瞬間に地割れが発生し、その恐るべき軍団は地下深くに落ちて消えた。そして怒れる大地は顎を閉じる。
「行くぞ、落ちるな」
「はい!」
緩慢に見えるが世のいかなる駿馬よりも早い、長く伸びる拳歩きにて山渡りは、矮小なエリクディスを肩に乗せて魔の砂漠に突入する。
山渡りは巨大な拳足にて、統率されて襲い来る複数の精霊の要素を組み込んだが故に尋常になった魔法生物を叩いて潰しながらひた走る。空を飛ぶ生物も扇のように広げた手の平で叩き落す。地神の呪いである動かぬ大地の激動にて地下に埋め、対空打撃と化した隆起で落とすもその大群は果てが無い。
各精霊が支配する尋常ならざる領域だが、天神が降ろす神風によってそれらは攪拌され、あらゆる属性が混ざって混沌の地上の虹になって、そしてぼやけて一色になり特異が消失してしまっている。揺れる肩に挿した杖にしがみ付いているだけのエリクディスに害は及ばない。恐るべき極限の魔法生物達は極端な環境でしか生きられないためか姿を消している。
魔法生物の大群の襲撃は限りが無いように見え、腕を翼に足を消して空を飛ぶ精霊憑きのジン達がそれを統率して仕向けている。戦闘ゴーレム程ではないにしろ、完全に一つの意志で動いていると分かる。精霊術の大家ロクサールの技量は、精霊憑きと精霊で作られた生物達を統べる域に達していた。神を今まで欺けていたということになるかもしれない。
漂っているだけではないジン達は十二行、そしてそのそれぞれの混交の術にて攻撃を仕掛ける。エリクディス程度の精霊術使いでは目に見えるものですら理解不能の領域にあり、見えぬものならば正体不明、対策も何もしようがない。それを防ぐのは竈神が結界に広げた守りの炎。内なる味方を癒し、外なる害を焼き尽くす。正体不明の術ですら焼き、無力化。山渡りに近寄る魔法生物達も焼け焦げる。火の精霊の属性が強いと見える生物も同様に奇跡にて焼け死ぬ。
守りの炎は目どころか身も焼く光からも守り、視界を奪って方向を狂わせる闇も払い退け、土砂も融かす酸も跳ね返し、エリクディス程度なら即死する熱波も和らげ、雨あられの鋼の礫に剣山も飴のように溶かして且つ落とし、遮りようの無いはずの物体すら震動に崩壊させる轟音も届かず、土砂ならば流してしまいそうな大波も蒸発させ、エリクディス程度なら即死する氷点下も炎の外まで。
直接防ぐのが無理ならばと、地形すら土変化に防御陣地を構えるが地神の激動の前では意味が無い。ならばと木の精霊の属性が強い生物が他の生物を食って増殖巨大化、壁となる。地神の地割れにも長く広く根に枝を張って地上に食らい付き、山渡りの行く手を遮る。
それに対しては豊神の刈り取る軍団が地割れの底から這い上がって魔法生物の壁に襲い掛かって噛み付き、切り裂いて解体を始める。その軍団を召喚する生贄は十分に魔法生物達の殺害で満たされた。山渡りは脆くなった壁を粉砕して突破する。
神々の奇跡が揮われ、尋常ならざる敵を相手取っている時に人の身で何か手出しをすることに意味はない。しがみ付くだけのエリクディスはこの時間を使って考え、冷静さを取り戻すことに専念した。
シャハズの救出という名目も加えて、力及ばずとも師を名乗るエリクディスにやる気を引き出す口振りをするのは理解出来る。エルフの娘一人程度、神々が意識することは有り得ない。本命はロクサールの処刑である。
しかし神罪人とまで呼ぶのに何故直接、即座に手を下さない? また旧東帝国を滅ぼしたようにやれないのか? そもそもどうやって滅ぼしたかも不明ではあるが。
もしかしたら神々の奇跡は無制限ではないのではないか? 使える時も回数も限られていて万能ではないということなのか? 各神が一度ずつしか助けない理由が不明。
またロクサールの処刑だけがしたいのならば、何時ものように迅速に、本人が気付く前に呪って死よりも過酷な苦痛を与えてしまえば良いのに出来ていない。神々が全知ならばロクサールの罪も企図、もしくは初手着手の段階で封殺可能なのでは?
この事件、もしかしたらそれは神々にあるはずの無かった弱点、恥部に関わるのかもしれない。
しかし独り言であろうと口外したり、気づいた素振りも見せてはいけない。ただ言われた通りに迷い無く行動するのが穏便。一々説明を求める小賢しさは不幸しか呼ばないのが神と人との関係である。
■■■
魔の砂漠中心に到達。砂漠の浅層側に敷かれた戦闘ゴーレム、魔法生物、精霊憑きの軍団の抵抗線は突破。後は生命が散らされる程に数を増す刈り取る軍団が飽くなき消耗戦を繰り広げて足を止めている。
遂に山渡りが対峙するのは八本足の大傑作ゴーレム機動要塞。その主砲である熱光線が発射され、守りの炎が力の限りに太陽に負けぬ閃光を散らして相殺、阻むも掻き消え、隙に副砲から爆轟噴煙と共に発射された砲弾が山渡りの頭を砕く。
山渡りの頭は土砂の盛り上がりとともに再生。本来なら土砂の飛散で血煙と化していたはずのエリクディスは念入りの土砂壁で保護されていた。神は、今は役に立たぬ彼を必要としている。
地神の呪いたる地割れが起きるが、巨躯がそうは見えぬ虫のように機動要塞は跳ねて走って回避する。先読みの地割れ、隆起、遂には地の底より吹き上がる溶岩波も当たらぬ。地割れの垂直壁すら這い走り、溶岩飛沫に装甲板は傷つきもしない。人の作り出したものが、この時だけかもしれないが神の力を凌駕したかに見えた。しかし神々は一対一、愚かな正々堂々さという生易しさを持ち合わせていない。
無数に割れた地面より次に噴出したのは海水。海神の力が内陸砂漠に及んで湧き出て、魔の砂漠が水浸しになり、水位が上昇。跋扈した精霊の力も何もかもが飲み込まれた。海水が満ちるところただ海である。
地割れより出でたのは他にもある。かつては都でもあった機動要塞の巨躯にも引けなど取らない、匠神が今日のためにだけ造った大軍艦が海を割って、船首にある衝角を掲げて浮上した。
大軍艦に山渡りが乗船し、その巨大な櫂を、腕を無数に増やして掴んで漕ぐ。
海水によって機敏に走ることも、飛び跳ねようとすれば波に体を浮かされ足を取られて身動き出来なくなった機動要塞へ大軍艦が走る。熱光線、砲弾、雷、爆裂する大矢に接近すれば火炎放射から冷凍波に海水が押しのけられる程の怪音波まで発せられるがその重装甲を穿つに及ばない。
衝角が回避行動を取る機動要塞を、波とうねりと自律する舵の巧みな捌きによって水面下で串刺し、衝突、押し出し、返し刃が反動に外へ飛び、それを利用して海底を蹴って走ろうとする獲物を捕まえて逃がさない。
山渡りは立ち上がり、甲板伝いに機動要塞へ乗り込む。
そして機動要塞の天守閣と思われた場所が立ち上がる。山渡りの巨体に匹敵する大きさ、巨大人型戦闘ゴーレムである。その拳と拳がぶつかり合い、互いに仰け反る。山渡りの固まった土砂の拳が砕け、土砂が盛り上がって再生。巨大人型の拳も砕けたが植物の蔦か動物の血管か、金属非金属とも検討つかぬ管が伸びて絡まって再生した。
精霊術は物質に依らない錬金術とも解釈出来、神々の奇跡のような理不尽さは無いのだが、それが極地に達した時、抗えるのかもしれない。
空気と海、足場の機動要塞と大軍艦が震える殴り合いが始まる。奇跡と技術の凌ぎ合い、どちらが勝っているのかと頂上決戦が始まる。
神々の助けは一度ずつと何故か決まっている。そこに疑問を挟んで訂正を求めても仕方のないことである。それを理解しているエリクディスは夜神の隠匿によって鼠のように隅を這い回り、衝角によって串刺しにされた機動要塞内部へと潜入を果たす。
どういう頭脳があればこのような複雑怪奇な物が造れるのか? 精霊に憑かれる前から尋常ならざる思考を持っていたとしか思えないジン族に造られた機動要塞の内部は蜘蛛の体を模して、ただ都らしく居住区を設けただけではない様子だ。エリクディスには全くもって、中に存在するあらゆる何かが理解不能。通路、床、仕切り、扉、壁、天井の違いは分かるが、時にあやふやな場合もある。ましてや警告灯が明滅し、どこが悪いと音が鳴り、串刺しにされた要塞は平衡ではなく、海水が入り込んでおり、また作業ゴーレムが浸水を防ぐために駆け回って穴を塞ぎ、区画の隔離で対処している。比較して野蛮で原始な老人が尻込みせず、とにかく奥へ前進しようとしただけ褒められる。
ゴーレムには複数種類がいるようだがここにも戦闘ゴーレム、剣盾兵がいた。普段の老エリクディスならば一対一でも手も足も出ない相手である。
「ウゥガァ!」
老いたる半獣、戦神の力により老人には到底出せぬ戦士の力が宿っていた。そして狭い通路に合わせた理性ある剣による刺突は盾を貫き、腹に刺さり、そこからの切り上げは剣盾兵を持ち上げることもなく刃が通って機能を停止させた。その鋼の如きゴーレムを熱した脂のように切り裂くのは法神より授けられし断罪の剣。神罪を犯した者を絶対に殺す神器は触れる者を処刑する。罪人の武装は理によって必ず破壊される。
半獣の感覚がある。暗い道は獣の目が見通し、嗅ぎ慣れぬ機械の臭いの中からシャハズやロクサールの生物の体臭を嗅ぎ分けて道を進む。剣盾兵に会えば、断罪の剣の切れ味に自信をつけたエリクディスは何度も見たオーク剣術の大上段を真似、剣先が引っかかる通路の天井毎切り裂いて破壊。攻撃せずとも行く手を塞ぐ作業ゴーレムも切り裂く。
神々の助けは一度ずつである。ここで知神の助けがあれば道が分かるはずとエリクディスは思うが、叶うまい。もしかしたら、助けがあっても分からないのかもしれない。奇跡が万能に通じていないような気がしてならないのだ。この地限定で通じぬのか、敵が強大過ぎて神々で即決出来ぬだけなのかは分からない。分からぬことだらけで、その中で推測出来るのは、一番安全なところにロクサールかシャハズが、もしくは双方がいるはず、ということ。そう妥当に考えて行動するしかない。
老いてではなく、半獣に背を曲げて遂には片手に剣を持ちながらも這うように走って加速し、壁に着地して跳ね回って俊敏に動き出したエリクディスは今まで得たことの無い力で突き進む。
『散れ!』
と咄嗟に、反射で全精霊に語りかけるつもりで対抗術を行ったが、今までの躍動する力も失せたかのように転がって止まってしまった。
普段ならば冷静、慎重に動くエリクディスが獣性に引きずられて不意打ちを受けたのだ。距離を取り、見下ろしてくるのは目が蜘蛛のように多く、腕が六本で肌が黒いロクサール。変幻自在の姿は人型ではない、良く分からない何かでおそらく戦闘か機動要塞の操りに向いている。
エリクディスは瀕死で、容態は全身に何かを浴びせられて弱り切っている。体が固まって呼吸が出来ない。複合的な精霊術なのかもしれない。それで即死しなかったのは咄嗟の抵抗術に一応の効果があったのだろうか?
狡猾に死んだふりをして様子を窺う暇は無く、ロクサールも即座に止めを刺す素振りが見えたので、最期の力を振り絞るように雷の槍を構えて『筒の中をほんの少し燃やせ』と火の精霊に語り掛け、反応しなかった。精霊術の大家を前に精霊術で動く武器が通じるわけがなかった。
他に手は?
もう一度、複合精霊術の何かを浴びせられた。服から肉から焼け腐れて血と共に解け落ちているようだとしか分からず、一瞬感じた激痛は消えた。
■■■
暗くなり、感覚がほぼ消え去り、エリクディスは死を実感した。
噂に聞き、伝説に語られるこの状態、全てに諦観が生まれそうになる。
ここは見たことがある地下の大河。冥府へと続く道。
船着場には船が着いており、ぼやけた何かの群れが吸い込まれる様に乗船した。姿形は無いがそのように動いたと認識出来た。エリクディスは、絵では魂は光って描かれるが、実際は透明で気配はあるのかと感心してしまった。
その感心で我を戻す。今は死んでも死ねぬのだ。
死神の使徒渡し守が魂となったエリクディスを見る。動かぬ魂は稀だろう。
最期の仕事が残っている。
老いたる魂は若い頃から考えることで何とかしてきた。感情的になっても意味はない。いや、この精神が無に引き寄せられるこの場では感情的になりつつ考えねばならなかった。
(しばしお待ちください!)
喉無き声でまずは叫んだ。渡し守に通じるかは知らないが、エリクディスは己を保つためにもまだ自我有りと証明するためにそうした。
他に手はないか?
あった。まだ死神には助けて貰っていないのだ。いや、もしかしたらこの魂になっても意志が残っていることが助けだったのか? 否、その諦めの思考を止める。魂が船に引かれたが止まる。
ロクサールの不意打ちで死んだはずだったが、あの時に一度助けられたのか? 否、自分の指には竈神の身代わりの加護の指輪があった。
まず安易に助けを求めてはならない。人理とは違う神理から求めるべきものを考えるのだ。
死神は輪廻する魂を管理し、冥府に送られるべき魂を逃さぬのが仕事。時に居眠りによって死者が目覚めることがあり、それは意図されぬ災害の一つ。死者が目覚めることは死神の本意ではない行為ということになる。死せるエリクディスも同様だ。その上で、ここで単純に生き返らせろと願って叶えられるだろうか? 例え神罪人ロクサールを討てとの神命の最中であってもだ。
考える。ここで願い、助けられて死なぬ死者として生き返ったとしよう、更にはロクサールを討ったとしよう。そうしたならば使命は終わったと死神の力によりまた魂が冥府に戻されてもおかしくはない。そうなることが自然で、理に適っており、運命だと諦めてしまうだろう。最期の力を振り絞ったなどと諦観に囚われることは間違いがない。今この、苦痛から解放された身ならまだ考えられようが、瀕死どころか死ぬ程の損傷を受けた肉体に戻された時、その正に死ぬ程の激痛にどれだけ耐えられるだろうか? 最期の一撃だけでも加えようと意志を保つことが精一杯だと予測される。やり遂げたならばこの冥府の川に戻り、そして長年の疲労を忘れるために、あの船に引き寄せられた魂の群れのように死を受け入れることは想像に難くない。己に絶対の自信を持つ愚を冒さぬ経験は長い人生でつんでいる。
ロクサールを討つことは神々の望みだが、エリクディスの望みが違うことをはっきりと意識しなければならない。
死んでも死ねぬ。
死神の意図に反する可能性大である願いをこれよりエリクディスは、人生最期の賭けにて申し出る。どのような反応があるかは予想出来ない。伸るか反るか。反れば身を弁えぬ者として、地獄に囚われて永遠の苦しみを味わう可能性も否定出来ないのだ。
だが死すより厳しい選択を取る。
(助けを求めます……)
渡し守が櫂にて船着場を突いて離れ、川の流れに乗った。安楽に身は任せない。
■■■
見えたのはロクサールの黒い背中。通路の奥、遠い。
死人エリクディスは一つ投げる。
「死んでも死なぬか!?」
驚いたロクサールが精霊術にて弾いたのは雷の槍。
既に投げたもう二つ目は、力の加護の指輪を割って一度きりの神力で豪速に至った断罪の剣。それも精霊術にて弾かれて『半回転』の対抗術にてロクサールに飛び直り、白羽取りにて受け止められた。
死賢者エリクディス、一度目の槍投げで防御の精霊術の様子、調子を掴み、二度目で精霊術には逆らわぬ偏向する対抗術を成功させたのだ。その冴え渡り、尋常に生きる、死に至る負傷者には不可能。
「……ふう」
安堵のようなため息をついたロクサールは起き上がった死人に複合精霊術を再度浴びせたと同時にそこで崩れ落ちた。神罪を犯した者を絶対に殺す断罪の剣の力は奇跡による理不尽なものであった。刃を立てる必要すらない。
通路の奥へ、生前とは似つかぬ姿になったエリクディスは骨の杖を突いて、動かぬはずの体で歪んで歩き出す。
衣服は焼け腐れてほぼ落ちて、皮も肉も同じようにところどころ落ちた上に萎れて崩れ、骨は曲がって多くの箇所が砕けている。勿論動いている内臓など無い。ロクサールの複合精霊術は老人を欠けるところの多い木乃伊にして死んで生き返っても動かぬようにと念入りがされたものだが、一歩か二歩か、詰めが甘かった。機動要塞内部で破壊的な精霊術は使うまいとする意識が働いたせいかもしれない。徹底的に殺す、破壊するならば内部の一画毎微塵に粉砕するような術が正解だったのだ。
エリクディスがした死神への願いは”授けて下さった骨の杖により、死せる己を己の手で操らせて下さい”である。これで死しても死なず、望みである最期の弟子たるシャハズの救出を実行出来る。ロクサールの処刑は、成功したが二の次であった。
通路の奥へ、ロクサールが向かおうとした扉へ。
扉に鍵は掛かっておらず、開ければシャハズが寝台に横たわっている。扱いは丁重で、何を企んでいたかは知る由もないが、神々に戦いを挑む覚悟をする程の何かがあったらしい。
エリクディスは冷たく干からびた手で容態を確認する。
息はしていない、脈は無い、体温はあると思うが分からない、しかし肌艶に血が通った生気がある。不可解、一切分からない。雷の杖以上に知神に捧げる知識などもう無い。いや、死んでも死なぬ手法と称してはどうだろうか? 好ましくないか。
エリクディスは寝台を整え、祭壇に見立て、跪いて手を組んで祈る。
(星月と暗闇、夜間を司る女神よ。お預けしておりますエーテル結晶を対価に、弟子シャハズを蝕んだ何かを隠匿し、元に戻しては頂けないでしょうか?)
神々はそれぞれ一度ずつ助けるということだったが、優しき夜神ならばあるいはとエリクディスは望みをかけた。この望み自体も夜神の裁量に任せる物言いであり、望む結果が得られるとは限らない。
エリクディスは祈祷の姿勢を崩さずに待つ。外の山渡りと巨大人型の激闘が終わったことは静けさで分かる。機動要塞内で走り回っていたゴーレム達も主を無くしたが故か停止し始めていることも、転んで倒れる音が連続してから静寂が訪れることで分かる。
「あれ?」
シャハズが目覚めた。組んだ手を解き、エリクディスが見た彼女は寝起きどころではなく、今まで目が覚めていたように覚醒した顔である。
「おわ? ジイ? 顔色悪いよ」
このあられもない姿に対して顔色悪いとは、気遣ったつもりか、元から他人に対してあまり興味が無いのかもしれない。ただ看破したその目線は白い髭と頭頂部以外に生えた白髪の残骸に向けられている。思ったよりも分かりやすかった。
『そうかもしれん』
出来るかもと思い、エリクディスはシャハズとの音の精霊を介した会話の感覚を思い出して使ってみると出来た。死して感覚が変わったのだ。
「どこここ?」
『機動要塞。ロクサールが反逆、神々と殺した。脱出する』
「わかった」
常人ならば混乱する状況にあるが、天才的に飲み込みの早いシャハズは部屋の外へ、見る影もわずかなエリクディスと出る。立ち上がりに苦労しそうだと杖を突いたエリクディスは不思議と体の軸が合っている気がしてすっと立ち上がれた。
「直した」
頭も回るシャハズは死人の曲がり砕けた骨を金の精霊術にて既に矯正、接骨済みだったのである。恐るべき早業。
シャハズの力あれば脱出の展望も明るい、と思いきや機動要塞は脚の踏ん張りが出来なくなったか傾斜し、横に渡す通路が縦穴に転じる。
二人は落下しまいと通路脇の配管に捕まる。部屋の出入り口から家具が滑り、浸水してくる海水に落ちた。水位は瞬く間に上がる。
準備の良いエリクディスは細くなった指から落ちぬようにと握っていた最後の指輪、若い頃の想い出が詰まっている海の加護の指輪をその海水へ念じて投じた。
「ジイ?」
『うむ』
そして、見慣れたセイレーンが水面下から顔を出した。
「こんなところに呼ばないでくれる?」
■■■
・地神
大陸と地下、土を司る女神。
大陸にて地上の安定を、地下にて大地の激動を調節する。
怒りに触れれば動かぬ大地の激動に曝され、地形諸共破壊される。
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