第7話後編「旅中の森」

・ハイエルフ

 緑の髪に、同じく緑の紋様ある肌が特徴。光と水があれば多くの食事を必要としなかった。

 自種族すら対象にする弱者を許さぬ選民思想を持ち、エルフとフェアリーを奴隷、その他は野獣と見做した。

 千年以上あったと云われるその寿命は、今や不思議の森に飲み込まれてしまった。


■■■


 深くて薄暗い、緩い下り坂となっている森の奥へと分け入る。エルフの森でなければ古い未開の大森林という様相だが、まだまだ世界樹の森の中では浅い場所。一度は域内全ての生命を喰らって繁茂したと云われる世界樹の森はその出入り口だけでも風格がある。

 大木の根が張って障害物になり、寄生植物が蔦を巡らせ更に鬱蒼とし、藪が茂って歩き辛い。根には土、石が苔生して滑りやすく尚歩き辛い。茸の中には粘性のものもあってそれも滑り、毒ならば一々洗い落とさなければならない。水は泥溜りに湖、川に小川などがある。

 川沿いの道は楽そうだが、それが常に世界樹に繋がっているわけではない。案内役が覚えている道が水辺を経由するとは限らない。

 発達した樹木が陽光を遮れば地面の植物は大きく成長しないものだが、ここではその理屈が通じない。その代わりか、緑の葉が少なく陽光を知らない白い葉が目立つ。並の植生ではない。

 地上はチャルカン、エリクディス、ガイセルの順に縦一列になって進む。

 チャルカンは山刀で藪を切り開き、エリクディスはマナランプに光の精霊を宿して光源を確保、ガイセルは殿務め。この森には並ではない野獣が生息する。

 樹上から枝渡りに広く全体を見渡して斥候を務めるのはシャハズ。

 案内役のフェアリー、チッカは地上と樹上を行ったり来たりしながら進行方向をその身で示す。

 この森に獣道はあるが、森エルフが築いた道は樹上の足場だけで、選ばれし訓練された森エルフ以外には容易に使えない。

 ここは危険が大きく、森エルフは普段、出入りをしない。農牧の管理された森に野獣が進出して来ないように間引きの遠征をしに来るだけだ。移動は全て枝渡りで、肉は取らず殺して去るだけ。

 大木の幹に、並の木ならば腐れ死んで倒木になるほど巨大で深い爪痕があれば大熊の縄張り。

 警戒しながら進み、何も無ければ良し、姿を発見したならばシャハズが先制の二段炸裂の魔法矢を射ち込んで一撃必殺。使徒首狩りのごとき神妙な耐久力は怪物大の野獣とはいえ持ち合わせていないので脳髄を攪拌されて倒れる。

 藪や巣穴、大木の根の隙間に隠れていて不意に遭遇する場合はシャハズの先制攻撃は間に合わない。

 大熊は立ち上がって見上げる巨体を現す。そして野獣のごとき咆哮を上げるチャルカンの鉄岩剣の大上段がその胸を断ち割り、一瞬牽制した瞬間を狙ってシャハズが魔法矢を射ち込んで必殺する。一撃目で怯めばそのまま射撃支援無しに滅多斬りに潰す。

 正面ではなく背面から忍び寄られればガイセルが剣で胸の下を狙って体当たりに刺突、懐に入って難を逃れる。それで心臓を潰せれば良し、そうでなければエリクディスが光の精霊に指向性の閃光を放たせて目潰し、一撃必殺の魔法矢か鉄岩剣の大上段がとどめを刺す。

 その日は熊鍋を食べる。

 大狼の群れ。単体でも脅威的だが、大熊と違って群れて戦術を用いるので非常に強敵である。ただし、樹上に上って来られないので、この時は精霊術を用いて戦いを回避する。

 シャハズがまず先導に、木と水と冷の精霊術で『橋』と架けながら進みつつ、殺傷よりは威嚇目的に氷の矢を放って大狼に痛手を負わせ、この狩りは分が悪いと教えて退散を促す。

 しつこいなら音の精霊術にて『嫌なの』と耳をつんざく高音を、耳の穴に指を突っ込みながら出して散らす。

 地上組は、木の精霊を宿したマナランプを魔法が使えるチッカが持って、その照らす範囲に作られる木の手と足掛りを登攀し、樹上の魔法の橋を渡る。橋を渡る時もチッカが先に行って照らす範囲を補強しながら行く。老エリクディスは木登りがまことに遅いので親切なチャルカンが担ぐ。

 大狼の鍋を食べる機会はこの旅では無かった。

 樹上で鍋炊きは難しいので、こういう時は鳥や卵、幹に潜む芋虫を食べる。しかしこれでは腹にたまらず、体力が持たない。

 そこで外界ではエルフの鉄板と呼ばれる、森エルフは単純にパンと呼ぶ木の実の粉末と滋養のつく薬草を油脂で固めた携帯食糧を節約しながら齧る。これは日持ちがするので状況が悪くならない限りは食べないようにしたい。それから味はあえて嗜好品のように食べてしまわないようにと薬品臭く不味く作られている。あのガイセルですらつまみ食いを躊躇い、しかしやはり手を出そうとして怒られた程。

 睡眠は必ず樹上で行い、見張りを交代で立て、虫除けの薬を塗った天幕張りで寝る。エルフの樹上天幕は吊り床、蜘蛛の巣、蓑虫に似る。

 森エルフの最大の強敵は大熊でも大狼でもなく、大猪である。大熊のように縄張りを示すこともなく、悪食に植物も肉も喰らい、大木も圧し折って樹上避難者を地に落とす怪力、体重がある。そして繁殖力が高く、成長も速い。これに農牧の森を荒らされれば非情な手段を取らざるを得なくなる。

 森エルフにとっては最大の強敵であるが、旅の一行に取っては争わなくても良い敵ではある。素通り出来るならした方が良い。ただ先祖代々受け継がれて来た敵意が反射的にシャハズを動かし、目玉に一撃必殺の魔法矢を射ち込んで殺す。親を殺され逃げ出す子供も皆殺し。

 その日は猪鍋を食べる。

 矢は一々回収して修理するので猪の群れの数が多いと俊足のシャハズに皆が待たされることもある。

 基本的に殺傷するのはこれら害獣で、鹿や兎など、森エルフが管理外から肉を求める時に狙う動物は遠慮する。外客の立場を忘れてはならない。


■■■


 この森は基本的に、丘や山が点在こそするが世界樹の方向に向かって下り坂の地形である。

その行き着く先は、本来なら木々が天に伸びることはない大沼。

 沼より天高くそびえる大木は相変わらず陽光を遮り、深いこの場所を一層に暗くしている。昼でも月夜のように暗く、夜は新月のように暗闇。森エルフも、情報集めに立ち寄ることはあるが長居することはない。

 シャハズが先導、冷の精霊術で水面を凍らせて地面のように歩き、光の精霊術で周囲を照らし、火の精霊術で害虫を別の場所へ呼び寄せ焼き殺し、時に死んだ枯れ木があれば一本燃やし、脅威になりそうな、大木から地上の獲物を狙っているように見える大蜥蜴や大蛇を氷の矢で射落とす。落ちてもがけば潜む大鰐や大蟹、大魚を騒ぎで呼び寄せてしまって捕食される。

 マナランプの扱いを心得たチッカはエリクディスの代わりに持って運ぶようになった。体と物の対比から大層に重たげだが、最軽量金属ミスリル銀製なので心配することはない。得意になっているチッカが任せろ、と笑って宙返り。

 木の精霊を宿したマナ鉱石が照らす場所に、根や枝が伸びて張って板状の足場になり、照らされなくなると戻る。大沼の大木の幹や根の間はそのようにして進む。

 水上となれば冷の精霊をマナランプに宿して氷を張りつつ足場にする。

 チッカは特にエリクディスの足元に気を払う。一番体力が劣る者を補佐するのは当然の流れだ。

「ほほう、助かるよ」

「チッカは年寄りに優しい」

「一言余計だ」

「年寄り」

 ガイセルが大笑い、チャルカンがその頭に拳骨。

 エルフは老人を殺すが、オークは敬うのだ。

 ここは足場が悪いので歩みは遅くなってしまう。

 水中からも樹上からも襲撃がある。大きな襲撃者も脅威だが小さな襲撃者が辛い。

 雨かと思えば蛭が降ってくる。

 ただの植物だと思ったら食虫ならぬ食獣植物。

 近寄るだけで鼻が辛くなるような毒茸。

 噛み付き血を吸い、卵すら産みつけてくる羽虫。

 害は無いのだが群れて固まっていて、近寄ると一斉に跳んで逃げ出し驚かせてくる飛蝗。

 念入りに虫除けを体中に塗っても、その臭いを感知する前に飛び込んでくる虫には効かない。

 遂には一行の鬱憤も溜り、火の精霊にエリクディスもシャハズもチッカも働きかけ、周囲を燃やしながら進むことにした。森林火災を起こし、焼けた跡を進むようにする。

 エルフの管理された森ならばともかく、このような文明に一切寄与することもない猖獗の地を燃やしたところで何の罪になるだろうか? 豊饒の焼畑にすらならず、功罪すらない。

 ここで摂る食事はエルフの鉄板と精霊術で作った水のみである。この大沼の森で採取出来る物、食べられる物はあるかもしれないがそれを調査している余裕は無い。

「シャハズの鉄板」

 ガイセルが冗談を口にするが、疲れて笑う気も起きない。

 一行は一刻も早く脱出したいので不眠不休で歩き続ける。寝れば虫に集られることは必須、寝る気も起きない。森エルフの覚醒剤も使用し、足が鈍って来たエリクディスをチャルカンが背負って踏破。

 ここはハイエルフの水濠。不埒な侵入者を殺す場所である。


■■■


 大沼の森を抜けた。一時は大木の中身をくり抜いて、魔法で空気穴だけ開けて塞いで寝るという計画も立てたが、そこまでする必要は無かった。

 大沼の次は上り坂の、根が岩の代わりになっているような山を登る。大木の影は過ぎ去って、陽光が注いで明るく、乾いて気持ちが良い。

 山には普通の苔に草、木が生えている。土台となる根は恐ろしく太く、世界樹の根と分かる。

 根の山の隙間には土が溜まって小さな森が、水が溜まって小さな湖がいくつも形成されている。水が清潔であることを確認してから一行は体を洗い、酷い疲労を寝て癒す。

 それからシャハズとチッカの作る木の階段、梯子を登って上を目指すと、草木に侵食された人工物のような物が見えてくる。

 ハイエルフの建築様式は大工不要、木の精霊術で編まれた物なので分かりづらいが、一行は遂に旧中央帝国の都に到着した。

 登攀して到着した根の都は草木に花で編まれた都市で、そこの住人であるフェアリー達が、顔と仕草で、お客様いらっしゃいませ! と歓迎に飛行する。

「なんと……」

 エリクディスは華やかさに感動する。世の物語で様々な楽園が空想され、絵にされることもあるがここはその一つのように見える。

 チャルカンは飛び回るフェアリーを虫のように手で払い、ガイセルは掴まえようとしてシャハズに弓で手を叩かれる。チッカは歓迎の対象ではないようだ。

 フェアリー達の歓迎は引き込まれるものがあり、頭や首に花輪がかけられ、招かれた食卓には木の実と果物、山菜による食事が用意されていた。中には湯気立つお茶すらある。

 しかし一行の食卓以外の席にも同じようにお茶付きの食事が用意されている。席には草木で編まれた人型が座っており、微動だにしない。その頭部の横から出ている耳に当たる部位は、シャハズの耳より尖って長い。

 フェアリーの一人がその人型の席へ向かい、茶碗に触れた後、仲間を呼んで食事を片付け始め、そして代わりの食事を配膳する。新しいお茶は湯気が立っている。

 この都の中にはこの草木編みの人型がそこかしこにいる。歩いていたり、しゃがんでいたり、手を繋いでいたり、追いかけっこをしていたり、梯子を登る途中、何か物を担いでいる最中と見て分かる姿が窺える。

 神々の怒りを買って滅んだハイエルフの成れの果てが形だけ留めているのだ。そんな成れ果ての主人達のことを知ってか知らずか、否、知らぬような低い知恵ではないはずのフェアリー達はこの都を維持するために飛び交っている。花壇の世話、落ち葉の掃除、張った蜘蛛の巣の除去、誰も使わぬ衣服や布団の洗濯と日干しに修繕、そして料理。とても楽しげなので悲壮感は薄いものの、言い知れぬ感覚が一行に過ぎる。

 シャハズとチッカが出された料理は問題無いと鑑定して一行は、見張りを交代しながらも食べる。カガル王も”食事だけは食べても大丈夫だ”と言っていた。”断るのも申し訳ない”とも。

 味は良く、チャルカンとガイセルには量が足りなかったが概ね満足がいくものだった。

「ごちそうさま」

 と老人の如く食べ終わりのが一番遅いエリクディスが席を立ち上がろうとした時、靴裏から何か剥がれる。見れば、少しだがもう草の細い蔦が張って食い込んでいた。

「やはり良くない場所だ。皆の者、早々に離れるぞ」

 ついついフェアリーの笑顔にご馳走になってしまったが、ここはカガル王からは要注意と言われた場所なのだ。大沼での疲労から腰が重たくなってしまって一休みをしたが、ここも不眠不休で突破すべき難所である。

 フェアリー達から、一泊して行って! と顔と動作で誘われるが一行に無視は辛いので、断りを入れながら進む。

 ガイセルが興味本位でその勧められた宿を、窓から中を覗いてみれば寝台には草木編みの人型が横になっており、フェアリー達が布団や枕、敷布を交換して、水差しを持ってきたりと甲斐甲斐しく世話をしている光景が見られた。しかも、ガイセルの知識は浅いが、エルフが持っていそうにない荷物が寝台の横に置かれていることは見て分かる。つまり、ここに泊まってあのようになったお客がいるということだ。なまくらの神経を持つガイセルですら鳥肌が立った。

 そして一行に合流しようと振り返れば、人型がガイセルの背後に立っていた。

「うおぁ!?」

 その叫びで一行が戦闘体勢を取る。

「坊、動くな触るな!」

「分かってる!」

 ガイセルは剣を抜く。その人型、同じように動いた。

「剣もダメだ!」

「あ、そうか!」

 シャハズが対処、火の精霊術で『あれ』とその人型に火を点けて燃やした。

 フェアリー達は、火事だ大変! と動き出し、桶に水を汲んで空中から撒いて消火作業に入るが、シャハズは風の精霊術で『払って』とその水を弾く。

 燃えるまま動かぬ人型。ガイセルは熱に炙られるが我慢する。そして焼き崩れたことを確認したら急いで離れる。

「うおー、マジでビビった! やっべぇー、マジやっべ」

 お馬鹿なガイセルがちゃんと理解するまで説明がされた怪物、ハイエルフの成れの果てかもしれない動く植物ドリアードである。

 ドリアードは何を考え、何を基準に行動しているか全く分からない何かで、判明していることは突然現れてこちらの動きを真似することと、それに触れると飲み込まれ、この草木に花で編まれた都市に飲み込まれて底に送られるということ。カガル王が実際にここまで探索に来た時に目撃している。

「全周囲を警戒しろ。ゆっくり行くぞ」

 エリクディスの指示で一行は四方を警戒するように背中合わせになって、シャハズを先頭にじりじりと進む。チャルカンとガイセルは弓矢を手にし、いつでも火矢を放つ準備をする。この都市のフェアリー達とは別行動をするチッカは手に、火種になる火の精霊を宿したマナランプを持ったまま、シャハズに道を教えつつ飛行。

 突然床からドリアードが生える。音はフェアリー達の笑い声と風に擦れる草葉にまぎれる程かすかで、動物的な気配は一切しない。

「出た!」

 一行は止まる。そのドリアードは殿を務めるガイセルと向かい合わせで、持たぬ弓矢を構えるふりをしている。

「一歩進め」

 一行が一歩進めば、そのドリアードは後ろへ一歩下がった。殿のガイセルが背後へ向かって歩いたからだ。これで距離は遠ざかる。しかし何時までも真似して動くとは限らないのでガイセルは、チッカに火矢に点火して貰って放ち、フェアリー達の慌てて行う消火作業に胸を苦しまされながらそれを風で優しく妨害して焼き滅ぼす。

「フェアリー達よ! 危ないから下がりなさい!」

 老人の声が届いている様子は無い。

「崩れたぞ!」

「前進」

 この要領で一行は進む。正面、シャハズの方向に現れるのが一番厄介で、向かい合わせの姿で現れるから、シャハズが一歩進めば向こうも一歩と近寄る。素早く横に跳んでみても同時に同速度で動く。であるから火の精霊術で『燃えろ』と焼いて滅ぼして回るしかない。

「チッカよ、あの子達に消火はちょっと止めてくれないかと言えないのか?」

 エリクディスがチッカに提案するも、首を横に振られてしまった。口先で物事を解決してきた老賢者も、会話にならぬ者達相手では分が悪い。

 あのフェアリー達が害虫のごとき姿なら滅殺するのに躊躇は無いが、あの愛くるしい上に客として歓迎してくれる姿を思い起こせば普通は手を下せない。

 この根の都の通過は大変な疲労を伴った。

 あまり魔法を乱発出来ぬエリクディスも火の精霊術を使ってドリアードを焼いた。

 チャルカンが強弓の火矢でドリアードを貫通、抜けた先の家を焼いてフェアリー達が大慌てで消火作業をした時はどう謝れば良いか分からなくなった。こちらへ火事に対して抗議なりなんなりしてくれればその機会もあるが、咎め立てにも来ない。たまにくれば草木編みの人型が席についているような場所へ、お茶を飲んでいかない? と誘ってくるぐらいだ。消火作業は勿論重労働で、フェアリー達がそこかしこで疲労して倒れこむ姿も見ていて辛い。次はあの炎に撒かれて落ちるのではと思うと見えない矢が一行を刺しまくる。

 どうにかして意思疎通が取れればいいが、都に残留している者達はチッカのように自由に動く精神を持たないらしい。

 ドリアード対策は色々と試される。精霊術で木や氷の壁を作って進行方向を塞げばと試せば、その壁を潜るようにして通り抜けてくる。ようにして、とは、壁にぶつかった部分はその場に残し、床の根だけが移動してまた上の部分を生やした行動がそのように見えたからだ。

「あ」

 天才シャハズが閃いた。次に出現したドリアードに『乾け』と水と気、そして熱の精霊術を使って干したのだ。見る見る内に水気を失ったドリアードは萎れ、豪肩チャルカンに手渡した氷塊を礫にぶつけさせたところ倒れたまま動かなくなった。何度か同じことを繰り返し、何度も成功。

 遂には都市区画を抜け、世界樹の幹にまで到着した。

 幹の外壁は苔に草木が繁茂して寄生植物もおり、蔦が垂れている。幹が折れたところまでは絶壁に高くて登攀は困難。木の肌が剥き出しのような状態なら、木の精霊術で足場を作れば登り易かったかもしれないが、試しに作った足場は不安定で脆く、崩れる。チャルカンが手を伸ばして表面を引っかくと、ボロボロと草の根が張った苔に、長年かけて側面に張りついた泥がこぼれた。滑落の危険性大である。一つ丁寧にシャハズが足場を拵え直してみたら上手くいったが、遥か高い場所まで魔法工事をする力は存在しない。

「どうやってヴァシライエ殿の使いはここを渡ったのだろうな。ダンピールとて限界があろうに」

 エリクディスが腕を組んで遥か天に届きそうな世界樹を見上げる。半ばで折れて東の大地へ橋に架かっているとはいえ、残っている部分だけでもそれなりの山の頂に匹敵する。

「お姉さんは本当のこと言わないでしょ」

「ああ、そうだったな」

 旧西帝国貴族の習い的に解釈すれば使いを送ったうんぬんは重要ではない、通って行けることが重要。その点で嘘は吐くまい。

 チッカは案内を続ける。

 世界樹の幹に生えたドリアードが下へ向かって、こちらの動きに合わせて歩いてくる姿は恐怖に値した。乾燥させ、頭の上に降ってこない位置まで移動したら氷の礫で破壊。中止した丁寧な足場建設は更に無謀と分かった。

 そのようにして幹沿いに進み、遂に世界樹内部、旧中央帝国宮殿に入る正門に辿り着いた。チッカはここだよ! と指を差す。

 正門は木製だが非常に重厚で、根や蔦が張って自然に封印されている。世界樹に建てられた門なのだからただの木の板というわけではなかろう。

「乾かすよ」

 シャハズが根や蔦を萎れさせ、脆くする。焼き討ちは管理者達を困らせる。

「やるぞガイセル」

「おうよ!」

 そして豪腕二人が山刀で根や蔦を切り払い、引っこ抜いて掃除する。

 老人は今役に立たないので周囲を見張る。

 掃除が終わり、豪腕二人が押したり引いたり、横に動かそうとして正門を開けようとするが開かない。持ち上げも試みる。

 シャハズも木の精霊術での変化を試みて、それに反応してかドリアードが湧いて出て来てその始末に追われる。始末後に変化した箇所を確認すると、確かに多少は捻じ曲げてこじ開ける兆しは確認されたが、内側から魔法が効いているのか元に戻った。

 チャルカンが鉄岩剣の一撃を叩き込んで傷をつけてみたが、これもまた元に戻った。この魔法の正門は生きている。万策尽きるとまではいかないが、他の手法が好ましい。

 そこで老賢者の出番となり、跪いて手を合わせて祈祷する。

「知と書庫と禁書庫、知識を司る知神よ。この正門を通過する知識をお授け下さい。そちらの望む知識を披露いたします。この老いた魔法使いエリクディスが祈ります」

 エリクディスの頭に(あなたの雷の杖に関する全てを教えなさい)と直接言葉が響いた。

「雷の薬とは硝石、硫黄、木炭を配合した薬品で、点火すると炸裂します。粒の大きさで炸裂の仕方が変わりますので、中でも緩やかに炸裂する配合をします。それを頑丈な金属の筒の中で炸裂させ、爆風の力を無駄なく鉛弾に伝えて発射することにより熟練の投石手のような射撃を非力でも可能とします」

 エリクディスに知神の書庫に蓄えられた知識が一部共有され、目前の障害の通過方法を理解した。知った敬虔なる老賢者、扉を前に見上げて立ち尽くす。

「分かったのジイ?」

「うむ……」

 はっきり返事をしない。

「ジジイ?」

「これは……」

 やや絶望感を孕む気配。進展危うしか?

「エリクディス、手がかりがあるならば、ごくわずかでも言うのだ。経験劣り、知識が浅いとは言え、我々は他に三つも考える頭があるぞ」

「そうだが……」

 おそらく二つだが、恐ろしいまでの困難が待ち受けている予感が漂う。

 チッカがエリクディスの目の前に滞空して首を傾げる。

「……脇に通用扉がある」

 そうなんだ! とチッカが笑ってくるりと回った。次回から一手間減らしてくれることだろう。


■■■


 気力が萎えかけた一行だが、正門前で一休みをしてから遂に、あっさりと開いた通用扉から世界樹内部へと入る。

 内部は巨大な空洞、洞となっている。見上げれば遥か上空に空が丸く見える。内壁は外壁のように苔や草が生えておらず、木の肌である。そしてかつてハイエルフ達が行き来したと思われる階段に足場がいくとも、寸断されながらも残っており、中心部に向かう橋も、半ばで折れながらも伸びている。

 その中心部にあるはずだった建物は今や存在しない。宮殿はその底へと落ちてしまっている。

 底を覗いても果てしない。空の出口への高さより深いのではないかと思わされる。シャハズが光の精霊を飛ばして下を照らさせたが、底からどのくらいの高さまで伸びているか想像も出来ない、陽光要らずの白い葉の森が茂っているだけだ。

 そこには何があるのか? 大沼の森が続いているだけなのか、それとも何かもっと不思議があるのか? 調べる術は無い。エリクディスは捧げるに値する知識を持たない。

「落ちぬように行こう」

 洞の内側を登る方法は、階段と足場跡を基準に、木の精霊を宿したマナランプを持つチッカが男三人に魔法で足場を提供しながらの歩行。壁を垂直に登るより、螺旋に階段を上がった方が楽で安全。

 シャハズは先行して、自分が使うに十分なだけの小さな木の足場を精霊に作らせながら駆けて跳び上がる。下から上まで見晴らしは良いが、まだ残っている橋や建物が死角を作る。また、洞は通用門以外にも朽ちて穴が開いている箇所があり、そこが外と通じていて危険がある。

 洞を降下する大きな姿、馬も掴んで去れそうな大鷲が現れる。

 シャハズは風の精霊が誘導する一撃必殺の魔法矢を放ち、命中させて撃墜する。容易に脅威を排除しているので難所の雰囲気は薄いが、それは弓射と魔法の天才がいるからである。

 森エルフの生活領域までは普通の生態なのだが、それより内側、世界樹側の森では異常続きだ。何を食べればあのようになる? という素朴な疑問も抱かせぬ、神が改造したのかと思わせる巨大生物ばかりである。

 洞登りは時間がかかった。またもやエリクディスはチャルカンの背中の世話になる。

 途中で残っている小屋で一泊。洞の中にドリアードは出現しないようだった。勿論見張りは交代で立てる。

 そして遂に一泊二日で洞の頂上、世界樹が半ばから圧し折れ、上に開いた洞の出口に到達する。折れた幹は東へ倒れ、遥か彼方へ続く橋と化している。

 世界最大の倒木の表面には背の低い高山植物で藪が出来ており、ところどころ朽ちて大穴が開き、中が階層構造のような森になっているのが遠目でも確認出来る。倒れた幹一本が立体的な大地と化しているのだ。

 既にここは高い。高い山のように寒く、空気が薄く、今は快晴だが山の天候のように予測が付かない。普段は表層を行き、天候が悪化するようなら中へと避難、風避けをするように行くのが賢いだろう。

 高いところから四方を眺めれば色々な物がぼんやりと見える。

 折角登った高いところ、一先ず一行は休んで景色を楽しむ。目の眩むような真下を見れば、根の都があり、深い森の天蓋が遠くまで続いて草原、砂漠に至って、海は遠すぎて見えない。

 この中で一番目の良いシャハズが遠くに何かを見つける。かすんだ地平線の向こう、それは遥か彼方で何かが踊っているようにも見える。とてつもなく巨大で遠過ぎて分からない。

「何か動いてる?」

 エリクディスが咄嗟にシャハズの目の前に手を翳して塞ぐ。

「怒りに大地を荒らす豊神様だろう。そのお姿は見えん方が良い。良いことは何もない。あの破壊の後にいずれ豊饒がもたらされるのだ。渦中に関わる理由は何もない」


■■■


・豊神

 農地と産室、豊饒を司る女神。

 農地にて植物を、産室にて動物を新たに代償を持って産み出す。

 普段は温厚で個人を呪わないが、何かの拍子で激怒に至れば殺戮破壊の大災害を引き起こす。

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