第4話後編「祈願の一枚」

・使徒

 神々には手足たる数多の強大な使徒が仕えている。

 使徒は役に応じて活動する。それが下々の者達の幸福となるか災厄となるかは考慮の外。


■■■


 シャハズが目指すのは港の防波堤の先にある灯台。港湾都市は海に面するよう、湾口から昇る太陽を受けるように崖沿いに作られている。海側から見れば都市の全貌が見渡せる。

『無理はするな。旅費は十分あるし、命をかける価値は無い。ヴァシライエ殿への義理はあるから手抜きはいけないが死力を尽くすに及ばない。商神の使徒義賊様相手に失敗したからと恥にはならない。成功するほうがむしろ稀有。謳われる英雄の所業に数えられるぐらいだ』

「ふーん、そうなんだ」

「ん? 何か言ったかい」

 シャハズの独り言にも聞こえる言葉を聞き損じかと聞き返した者の名はハンサリー。ゴブリンの元大道芸人、玉乗りをしていた片割れだ。

「音の精霊術で遠くにいる師匠と話してる」

「え、すげ」

 ハンサリーの首にはもう奴隷の首輪は無い。先の稼ぎで己の販売額を返済したから自由の身なのだ。

 灯台へ行くことを提案したのはこのゴブリンである。彼曰く”近くにいちゃ見えないものは離れて見る。俺等は絶対に客の傍には近寄らない。遠くから見てないと何が飛んでくるか分からない。遠くにいれば対応出来るもんさ”とのこと。

 風雨と波に角が削れ、小石が浮き出て粗いやすりになった混凝土の防波堤を渡る。羽休めの鴎が大量の乾いた糞の跡を残して飛び立つ。

 灯台も防波堤のように風と波に削られた跡はあるが、定期的に補修を受けていて新旧の煉瓦が混じっている。

 灯台とは重要な公共設備。船舶の座礁を防ぎ、暗がりでも入港の道標となる海の男達の命綱。悪戯防止のために扉には施錠がされている。良識的に考えて錠破りをするような緊急事態でもない。

 灯台の壁、煉瓦は補修が繰り返され、侵食されて表面は滑らかではない。身軽なシャハズはその滑らかではない壁面に指と爪先をかけて登攀。夜になれば巨大な篝火が焚かれる頂上に難なく到達する。

 海を背に、港湾から崖へ段々に広がって太陽に窓、玄関を向けた市街地が鱗のように見える。エルフの優れた視力で建物や旗の間を行き交う人と家畜の群れの中からあの目立つ白い義賊を探る。

 まずは義賊を追う群衆に目を付ける。そこから彼等の視線の先を追っていけば見つかった。屋根の上を変わらずに駆け抜けているから分かる。

 義賊は横に逃げるだけではなく、縦にも逃げる。港と同じ高さの街区から、崖沿いの一段高い街区、もう一段高い街区へと道路、階段も無視して跳ね上がり、平面に追うしか出来ない者達を置き去りにする。

 シャハズはまだ観測を続ける。義賊の逃走方針を見極めなければ今ここから追っても移動している間に見失う。

 下の方でハンサリーが登攀を試みて、壁面中腹で諦めて飛び降り「くそ」と悪態を吐く。

 義賊の動きを追うことしばらく、追っ手の群衆もあちこちに散らばる。シャハズとハンサリーのように遠くから広く視野を持ってと工夫する者もいるが、その意図に目が適っていない。そうなればただ素早く移動しても仕方が無くなる。義賊が崖上に広がる、煤けた下町に比べれば白亜に見える壁に囲まれた街区へ入るのが見えた。

 シャハズは灯台頂上の縁から下り階段への一歩のように飛び降り、横へ跳ねないように一度壁面を蹴って勢いを途中で殺し、膝を曲げる程度の衝撃緩和で着地する。

「一番上の壁の中に入っていった」

 シャハズは音の精霊術でエリクディスに、そして直接ハンサリーへ義賊の行方を教える。

『うむ。富裕層街だな。向かおう』

「富裕層街だ。貧乏人っつーか、あそこは見た目が立派じゃないと、それか許可が無いと入れないぞ」

「ふーん。ジイ、入れる?」

『ヴァシライエ殿の名を出せば門衛も拒まんだろう』

「貧乏臭いのに?」

『うるさい』

 防波堤を走り、崖の上の富裕層街を目指す。

「軽業やればこの界隈で一番になれるよ」

「見られるの面白くない」

「見世物は、まあ、不向きあるよな」


■■■


 崖上の富裕層街は下町より隔絶されている。下町から繋がる道路は途中から意図して建物の無い空間になって貧民浮浪者が居つけないようにされている。

 そこを通り抜けると上下の身分を隔絶する壁と、門衛が守る門。

「入れた?」

『当然だ。今、ヴァシライエ殿の屋敷で手掛かりがないか話を聞いている』

 エリクディスは既に富裕層街の内にいる。門のところに居れば入場に手間が掛からないのだが年寄りは気が利かない。

 門衛は、何時もの状態は知らないが街区の隔絶程度の任務を帯びるにしては人数も多くて完全武装。尖り杭で組んだ馬防柵まで展開し、城壁の上には矢こそ番えていないが弩射手もいる状態で準戦時の様相。義賊騒ぎでここまで追っ手の群衆、暴徒同然の者達が乱入して来ないようにと警戒態勢を敷いているのだ。

「おじさん、入りたい」

「名前を聞いていいかな。許可がある者か確認したいんだ」

「うん。シャハズ」

「エリクディス殿が仰ってたエルフのシャハズさんだね。通っていいよ」

「うん」

 中年の門衛隊長に話は通っていた。著名な賢者エリクディスならばこの程度の配慮は当然だった。

 シャハズは通り、そしてハンサリーの前には門衛が矛槍を持って立ち塞がる。

「連れらしいが、悪いがゴブリンはいくらなんでも無理だ」

 ここで強気になって食って掛かれる程にゴブリンは人間社会で優遇されていない。ハンサリーは当然かと諦めに肩を落とす。

 これはシャハズの落ち度である。ハンサリーについてエリクディスへ報告していない。事前の根回しがあれば可能性はあった。

「ちっちゃいオークだよ」

「いやオークだろうとお断りなんだが」

 しかしエルフは諦めない。

「何かの呪いがかかったエルフでどう」

「とんちじゃないんだから」

「むー」

 穏当に対処する隊長に唸る世間知らずのシャハズは知らぬが、ゴブリンの悪評に対して問答無用で足蹴にしないだけでもここの門衛達は善良であった。

「俺は外でいいよ。壁の外で待ち伏せする」

「それ」

 良い考え、とシャハズは親指立てつつハンサリーを指差す。

「義賊が出たというあれか。夢のある話だが、無謀だし後が怖いね。エーテル貨なんて怖くて触れないよ」

「持ち主に返すだけ」

「そういうことなら、いいんじゃないかな」

「返すのか!?」

 食うや食わず、自分を奴隷として売って何とか糊口を凌ぐ身分のハンサリーにとって一攫千金で済まない神々が与えたもうた奇跡の機会を逃すなど信じられないことだ。田舎のエルフや上流の人間と違う。

「ヴァシライエのお姉さんに返せば何かお礼くれるよ」

「エーテル貨なんて金でどうとかなんてもんじゃないぞ」

「だって、盗られた物は持ち主に返すものでしょ」

 ハンサリーは田舎の純朴な善良さを解説されないと分からない。

「はっはっは、そうだぞ。悪いことはしないもんだ」

「……そうだな」

 ハンサリーは手を上げて、じゃあまた、と壁の外周を見回りに行った。


■■■


 富裕層街に入ったシャハズはエリクディスと合流し「旅装では目立つ」とヴァシライエから貰った乙女の服装に着替える。旧西帝国貴族の合同葬儀に出ても恥ずかしくない意匠なので、逆に洒落が過ぎるきらいはある。

「今、折悪くと言っては新郎新婦に申し訳ないが、この騒動にぶつかって結婚式が行われている。ここの住民は一つの屋敷に集って祝宴を開いている」

「うん」

「ヴァシライエ殿も参加しているが捕り物などせんから嬢は宴席で義賊様を探せ。わしはそれ以外だ」

「うん。でもジイ、貧乏臭いから目立つよ」

「うるさいわ。悪目立ちしないよう演技をするんだぞ。あの大道芸の寸劇を思い出せばこつは多少分かるだろう。詳しく教えている暇はない、あれだけ思い出して要領良く立ち回れ」

「ふーん」

 富裕層街の屋敷は一件一件が大きい。庭と母屋別棟合わせて下町の広場程はある。その中に花で飾られ、優雅に音楽が奏でられて上品な笑い声が聞こえてくる屋敷がある。通り沿いに馬車が列を成し、御者が同業者達と雑談しながら主人を待っている。

 この街は門のところで既にやましい者を排除出来るようになっており、また乙女の服装のシャハズの見た目も合わされば特に用心棒に誰何されることもなく敷地内に入れる。

 着飾った男女が、装飾凝らした食事が置かれた飾り卓を囲んで飲食し、中央の開けた場所では曲に合わせて踊っている。主賓席には大量に酒を飲まされている新郎と、笑顔の絶えない新婦がいる。そして結婚を祝うため、家庭の幸福を祈るために飾った竃で竃の女神の祭壇が築かれている。実際に火が入っており、儀式を兼ねて食事も作られている。

「こちらへ」

 シャハズにまず声をかけたのは顔見知りのダンピールの青年。ヴァシライエの使用人だ。案内され、彼女がいる卓へ向かう。

「ここに逃げ込んだそうだね」

「うん。見た?」

「近くに」

 また何やら怪しげな手付きをしてくるのかと若干警戒しつつもヴァシライエの誘いに傍に寄れば、やはり手をなぞり触られてから引かれ、杖を一本手渡される。

「仕込みだ。捻って仕掛けを解いて抜けば短剣になっている」

 仕込み杖の造りは洗練されている。紳士ではなく乙女の服装の付属としてはやや違和感があるが、高級な意匠はこの場に恥じない。

「君に長い刃は勧めない。私は立場上長剣をぶら下げるのが格好悪いから代わりにしているだけだ。杖術と合わせるなら短剣程度の刃がいいだろう。一瞬で抜けるし、杖を振り回せない至近距離で使える。これが君に似合うよ」

 ヴァシライエは当然まだ離していない手を握ったまま、シャハズの胸に杖を軽く押し付けた。

「これを抜くような事態は避けるように」

「じゃあなんで?」

「抜かねばならない時があるかもしれない」

「ふーん。で、見た?」

 義賊を見たかどうかの質問にはまだ答えて貰っていない。

「ここは竃神の祝福が弱くともかかっている場だ。使徒といえど力を振るったり大立ち回りは出来ない。こちらも同じこと。慎重に、足ではなく頭と口で追い詰めろ」

「ここにいるの?」

「可能性はある。祝宴の席を意図せずとも騒がせたのだから挨拶くらいするのが使徒とて良識だ」

 やっと手を離して質問に答えて貰ったところでシャハズは、ゆっくり歩いて義賊を探す。死神の渡し守、知神の大辞典のような異形ではない義賊は人ごみに紛れると中々見つけ辛い。

 ところで会場に並べられた卓には舶来の素材をつかった料理がふんだんに並べられている。周囲の様子を見るからに自由につまんで良い。ただ招かれた客でもないし、手をつけて良いものかとシャハズは思案。妥協として食用というよりは飾りに添えられた野菜の切れ端を摘まんで食べた。

「あらあなた、どちらからいらしたの?」

 シャハズに声を掛けてきたのは老婦人である。歳と皺の割りには肌艶が良く、物腰柔らかである。

「泥棒を追っている」

 嘘を吐くような舌をシャハズは持たない。エーテル貨とか義賊とまで言い出すほどには世間知らずでもない。

「そんな方がこちらに?」

「片目に変な丸つけてる男」

「片眼鏡かしらね。まあまあ、それなら目立ちますわ」

 どうやら老婦人は捜索に協力してくれるようで、会場を見回し始めた。片眼鏡の男は目立つというが、流行とはいかずとも洒落に伊達の物を身につけている紳士もいるので決定要素にならない。

「お顔立ちやお召し物は特徴があるかしら?」

「胡散臭いくらいの白い服」

「白、彼かしら?」

 老婦人はシャハズに顔を寄せ、扇で二人の口元を隠して喋る。

「全員と顔見知りではないけれど、あちらの紳士は覚えがありませんわ」

 老婦人の視線の先には、帽子は被らず、目印の片眼鏡も無く、それに上着は無くて黒い下着に白いズボンの義賊がいた。新郎新婦に祝福の言葉を唱え、新郎に酒瓶を、新婦の花を手渡し、祭壇の竃に薪を入れて式に礼を示す。

「ありがと」

「どういたしまして、エルフのお嬢さん」

 顔は間違いない。喋る声も、張りは違うが広場で聞いた声と同質。

 義賊が新郎新婦の前、目立つところから去って人ごみに戻ったところでシャハズは近寄って声をかける。

「見つけた」

「おや、見つかってしまったか」

 この結婚式は良い巡り合わせの結果行われているということが見て分かる。新郎新婦は幸せそうに家族、友人に囲まれて笑っている。エルフだって結婚式はするし、その場で暴力沙汰を起こすのは非常識。結婚に関わる竃神の神官も、屋敷の中で作った子豚の丸焼きを大皿に乗せてやってきて歓声と共に迎えられている。騒ぎを起こせば常識以前に神の怒りを買う可能性もある。

「さあお嬢さんこちらへ」

 シャハズは義賊に嫌味無く手を取られ、生垣の物陰へ誘われる。

「返してあげて」

「では見事見つけた君にはこちらを差し上げよう」

 義賊に取られて手の平を上向きにされ、硬貨が一枚乗せられて握らされる。

「うん」

「ではさようなら」

 義賊が音も無く屋敷の壁を乗り越えて去った。

「ばいばい」

 義賊の背中にシャハズは手を振った。

 盗まれた硬貨を持ち主に返すべく、少々上機嫌にシャハズは小走り。ヴァシライエに「はい」と見せた硬貨は、輝きの鈍い黄金色と言うべきものであった。

「それは希少だが、その鈍い輝きはオリハルコン貨だな。エーテル貨の見た目は覚えてなかったか?」

「知らない」

 ヴァシライエは商神神殿で両替していた時にてっきり見ていたと思っていたが、シャハズはあの時奴隷市場の方を見ていたのだった。

「騙された?」

「そもそも捕まえたか? 義賊は捕まえた者にと言ったのだ。その通りにしなければならない」

「見つけて、返してって言った、だけ」

「では駄目だな。まあ、結果君は大儲けしたわけではあるが」

「凄いの?」

「ミスリル貨四枚の価値がある」

「ふーん」

「オリハルコンは見た目が地味で軽くて安っぽい。金じゃないなら黄銅、偽物と間違われることがあるから今一つ人気がない。出回らないから認知もあまりされていない」

「どうしよ?」

 義賊の告げた刻限、日没にはまだ早い。

「神税だから諦めるしかない。しつこく無闇に関わっても良いことはない」

「うん。神税?」

「神々やその使徒に財産を奪われることの比喩だよ。程度によるが」

「ふーん。ジイ?」

『うむ? どうした?』

「お姉さん諦めるって」

『そうか』

 こうなると予定も無くなる。シャハズはヴァシライエの向かいの席に座り、花壇を眺めたりする。

 ダンピールの使用人が気を利かせてシャハズへお菓子や飲み物などを見繕って運ぶ。その中に、細かく砕いた氷に果汁を掛けて刻んだ果物を入れた奇天烈な菓子があった。匙で食べると中々の珍味であった。

「ジイもおいで。変なお菓子いっぱいあるよ」

『歩き疲れた。公園で休んどるわ』

「年寄り」

『うるさい』


■■■


 南風に変わった。空気が湿り、嫌に温く、灰色の雲が北上してくる。高台より壁越しに見える風に強い湾内に白波が立ち、海鳥の類が荒天避けに陸へやってくる。

 祝宴も朝から行われ、立ちっ放しの疲労感もある。天候が崩れる前に屋外から屋内へ会場を移し、縁の浅い者はそろそろ帰宅かという頃合。

 縁の浅いシャハズも、師匠へのお土産を包んで貰いにご馳走の残りを物色し始めていた。優雅なるヴァシライエと言えば、流石に損失が大であるので祝福の雰囲気は崩さずとも、ここ最近の商い事情を知人と語り合う程度は行っている。

 富裕層街は良く整備されている。下水道が通り、下町を通って海へ排水を行う。この屋敷内には排水の溝が巡らされて格子蓋の下水口へ繋がる。

 風が下水道を逆流したのかもしれない。汚物か廃棄食材か、生臭い風が吹き上がった。

 片付けが始まった会場に、身形は旅装で貧乏臭くても立ち振る舞い口上は素晴らしいエリクディスがやってきた。

「まずい気配だ」

「ジイどうしたの?」

「この風は……」

 この場に相応しくない言葉なので噤んだが、顔と雰囲気で、不吉、とエリクディスは語る。知人と語らいながら、流し目に思える目線をヴァシライエはエリクディスに向け、察している。

 風、と言われてシャハズが気を向けたのは下水口。生臭さが吹き上がっている。音もしている。

 格子蓋が跳ね上がり、魚が人型になった化け物が這い上がる。明らかに招待された客ではない。魚鱗の裸体に貝殻装飾、骨の銛、無慈悲な魚眼、剥いた牙。シャハズは即座にその喉に仕込み杖を突き立て、仕込みの短剣を抜いて眼球から脳に刃を埋めた。

「サハギン!? 私掠党!」

 博学なエリクディスの言葉に会場の祝宴の気が散った。

 巨大な波、砕ける石、木の音、怪異の叫び。湾の海底からせり上って来た海産組みの烏賊脚のたうつ深海の私掠船が港へ係留船を押し退けながら強襲上陸。魚の武装する人型、サハギンの軍勢が地上へ侵略開始。

 即死するサハギンが下水道に落ち、その奥から別のサハギンの喚き声が響く。

 完全なる奇襲。未だ警鐘も鳴らず。

 新郎の父が「皆さん、屋敷へ避難を!」と指示を出す。ヴァシライエも、それぞれの主人たる紳士達も使用人を走らせて避難警戒を促す。

 港の方から喚き声に悲鳴、そして建物を崩す騒音。

 サハギンの軍勢、私掠党は津波の如きに根こそぎ奪う。船を沖に運び、人を攫い、物をぶん取り、家畜を連れ去り、建物まで崩して敷石まで剥がし、街路樹まで抜き取る始末。

 私掠党は海神に仕える使徒の軍勢。他の十一神の主神殿全てを合わせても凌駕する世界最大の主神殿、深海に沈められた旧南帝国の都である海洋宮を拡張するための奴隷、資材を無限に奪う使命を帯びている。

 神々には数多の使徒が仕えている。それら全てが祝福するような存在ではない。

「ヴァシライエ殿、これは丘を奇襲で取って、上と下から挟み撃ちにする戦術と思われる」

「であるな。さて、後は兵隊か、結界もいるか」

 賢人二人は慌てず騒がず、この危機を乗り切る算段をする。シャハズはエリクディスから荷物を受け取って、ヴァシライエが代わりに下水口の見張りをしたので乙女の服装から着替え、弓矢を用意。

 エリクディスは脂汗が止まらない。この事態、エーテル貨の争奪中に海神に祈ったことが誘引の一因と気が付いているのだ。私掠党が略奪をするのは常だが、わざわざ狙って来るのには理由が重なる。

 以前よりこの港湾都市は海神の加護有りと謳われてきたが、実際は商神の加護下にあった。それではと海神が己の街にしようと襲撃を仕掛けてくることは以前より神学界隈から危惧はされてきた。かの一枚の誘惑、エリクディスの祈りによる知覚、切っ掛けとしては十分に過ぎた。

「巨人の争いに関わって益体は無い。何か遂げても大体恨まれる。静観するか逃げるかしか賢い選択は無い」

 ヴァシライエは思案顔。また下水口から顔を覗かせたサハギンの脳天に杖の一突き、一撃死。この屋敷だけではなく、外でもサハギンが暴れ出して守備隊が応戦している。下町は恐ろしい勢いで略奪され、港湾部は瓦礫も残らず、街に覆い隠されて久しい岩盤、砂利に土が露呈して基礎すら穿り返されている。市場は荒れ果て、建物に露店が次々と崩れ落ちて持ち去られ、数を増して沿岸部を埋め尽くし、湾内にも触腕で網を張る海産組みの私掠船団に次々と積み込まれていく。陸の生物を拐かしてどうするとも思われるが、そこは神の御業が何とかする。

「まずはこの場を守りたいが、ヴァシライエ殿、わしからちょっと頼み辛い捧げ物が要る。適当なものとしては、えー……」

 エリクディスは喋り辛そうに続ける。

「新婚初夜の新婦の、その、血の付いた敷布を竃神に捧げて祈ればまずこの場は守られると……」

「なるほど、霊力としては十分。提案してこよう」

 ヴァシライエは屋敷へ、エリクディスは飾った竃を祭壇として前に跪く。

「わしはこれから、完全とはいかないが竃の女神に加護の数々を祈る。嬢は敵の迎撃だ」

「分かった」

「本来使徒に危害を加えるなど呪いの対象ですらあるが、私掠党のような危害を加え合うような存在に対しては多少抗っても問題はない。ただし、戦意喪失したサハギンへの追い討ち、死体への辱め、捕縛しての拷問など決闘の枠組みを外れるような行いは危険だ。無駄なく殺傷するんだ」

「うん」

 屋敷の外では守備隊が応戦しているが戦況は音からも芳しくない。屋敷外の住民は避難誘導が訓練通りといった風に行われている。

 また下町にあった商神神殿からは黄金に光り輝く軍団が飛び出しており、商神の加護有りの首輪付き奴隷達も黄金の武器を持たされ、私掠党への迎撃を始めている。しかし出遅れの感もあり、港湾部と同じ高さの街並はほぼ崩壊してしまっている。崖の中腹の街にも手が掛かる。

 雨が降り風が吹き、生温く常より生臭い潮風が崖へ街全体に吹きつける。太陽も陰り始めた。

 屋敷の下水口から侵入することは一時諦めたようだが、侵入の機会を窺う気配は続き、門の方からは別の下水口から昇ってきたサハギンが来襲する。シャハズの的確な弓射が喉笛を捉えて戦闘不能にする。森のエルフに魚人の内臓急所の知識は無いため、比較的当てやすく確実であろう箇所を狙った。

 下水道に下水口、決して広くはない。保守点検要員が入り込める程度である。富裕層街にやって来ているサハギンは小兵のみで得物も小さく盾も持たぬ姿を見かけるのみ。下町で暴れるサハギンは大物持ち、盾持ち、背丈が頭複数抜きん出て大柄な上に四本腕の異形の勇士すら見える。

 門からサハギンが来る。足元のサハギンは下水口より昇る機会を窺っていて、時折勇んで飛び出る。シャハズは正面と下水口を受け持つので現状手一杯。

 防壁ではない屋敷の壁を乗り越えて来るサハギンは富裕者達の従者や護衛が訓練された剣捌きで対応するが、傷を受けても痛覚があるか怪しい暴れ振りのサハギン相手では劣勢。ダンピールの青年も善戦するが多勢である。彼等を足止めに、後方よりシャハズが矢を射掛ければどれだけ戦いが楽になるだろうか。

 竃の女神に加護の数々を祈る老人と神官の成果は出ている。神官が料理を運んでは祭壇と化した竃に捧げ、エリクディスが祈祷。傷を負い、死んだと思われたが瀕死で済んでいた紳士、従者や護衛達が息を吹き返し、背中にいる守るべき者達のためにと奮起して立ち向かう。竃神の祝福の一つに護国の加護がある。

 捧げるに相応しい料理は手が込んでいて火が通っているものが好まれる。氷菓子のようなものは受け付けられず、神官が苛立って地面に投げつける。

『水、集って』

 天才シャハズはそれで閃いた。周囲に降り注ぐ雨水が地面を濡らさず、土に吸われず、石畳の目から低きに流れず下水口に集まる。下水口から繋がる下水道は水を排水するための設備であるが、言葉は流せではなく集れ。水は集り、流れず、蓋となる。

『凍って』

 水の蓋が分厚い氷となる。下水口は塞がれた。下から氷を叩く音が鳴るが、人の背丈より分厚い氷は下から小突いてどうなるものではない。

 弟子の技に感心しつつもそれだけではないのが師匠である。

「嬢! 地面を滑らかに平らに凍らせ、雨に濡らすままにしろ。濡れた氷は滑る!」

『あっちの方、平らに凍らせて。融けても直って、がんばって』

 門の方から屋敷正面周囲の地面が凹凸無く氷畳と化す。屋敷に乗り込もうとするサハギンが滑って転び、立ち上がろうとして滑って転び、槍を突き立て支えに立とうとすれば隙だらけ。射殺したサハギンの死骸から悠々と矢を回収したシャハズの弓射が喉笛に矢を突き刺す。余裕が出れば壁を越えるサハギンへも射掛ける。「矢を持って来て」と紳士達に指示を出す余裕も出てくる。

 声には出さないがシャハズはエリクディスの錬金術の知識に感心する。

 屋敷の劣勢は免れた。

 そして遂には鮮血汗染みのついた白い敷布がヴァシライエの手で運ばれてくる。散々酒を飲んだ上にこの非常時でお役に立った新郎は賞賛されるべきであろう。

 敷布が祭壇の竃の上に畳んで供えられる。竃神の神官とエリクディスが祈る。

「家庭と孤児院、家を司る竈神よ。祭壇の竃に新婚を迎えた処女の血を捧げます。どうか我々をこの災厄よりお守り下さい」

 敷布が血を基点に燃え上がって灰となる。湿った空気の温さが払われ、心地良く乾いた温かさに包まれる。海神がもたらした湿った南風が屋敷全体を通れず、この周囲だけ雨が止んだ。壁を乗り越えようとしたサハギンが湯気と水気が焼ける音を上げて外側へ転げ落ちた。

 歓声、屋敷の中から女達が高い喜びの声を上げる。

「他所の避難民をここへ避難させる。続け」

 ヴァシライエが陣頭指揮を執って男達を連れ外へ。

『氷はご苦労さん、もういいよ』

 冷の精霊が作り上げた氷が一気に水へ。

 屋敷で戦った者達は、今度は富裕層街全体の助けへ移る。

 この局面だけならば希望的であったが、黄金軍団は後退に後退を重ね、遂には商神神殿すら略奪の憂き目に遭い、居所を失った商神の使徒達は次に神殿相当と見做した富裕層街にまで一挙に後退する。

 使徒義賊は逃げ惑う群衆に呪いを掛けて徴兵して足止めに突撃させる。その呪いの対象は、義賊が撒いた小銭を拾った浅ましき者達である。首輪の奴隷達と違い、商神神殿の力が無くなったせいか黄金の武器が貸与されず、悲鳴を上げて泣き叫びながら徒手空拳で挑む有様。骨の銛に叩かれ刺されて肉の壁としての活躍しか見られない。

 シャハズはオリハルコン貨を義賊から受け取っているが、あれは浅ましく拾ったのではなく商神使徒義賊に追っ手の手腕を賞賛された結果の報償であり意味が違う。

 直接対決は避けるにしろ、使徒を使って争うのも神々の一面。その際に人々への被害に対して心を痛めることはない。祝福するならば呪うのも自在なのだ。

 屋敷より広がる竃の女神の加護領域はゆっくりと広がっていく。竃の祭壇の上にて新郎新婦の協力もあって儀式性交に及び、その力は増す一方。エリクディスはそれを前に、とにかく竃の女神を称える祝詞を繰り返しながら竃の祭壇に薪や燃料になりそうな物をくべ続ける。竃神の神官は食料庫を漁ってはとにかく料理を作り、竃の祭壇に捧げる物を量産する。

 ヴァシライエ指揮する救助隊も家々を回り、新しく商神神殿となった分殿に篭る者達も助けて屋敷へ送り出す。

 シャハズは富裕層街を身軽に回り、とにかく目に付くサハギンを弓射し、城の多頭の怪物を真似て音で耳を打ち、水弾を飛ばした後に氷にして穿つ。矢が尽き、回収が間に合わなければ氷の矢を作って射る。長年溜め込んだ語彙の限りに手慣れた商売女も赤面しそうな程に女神を必死にちやほやしているエリクディスがその姿を見たらまたも”天才!”と感激していたに違いない。

 黄金軍団は数を減らしている。金の甲冑に槍と盾を持つ重装歩兵のほとんどは金屑に変えられて略奪された。

 金の衣服に金塊を投げる投石兵はまだ数が残っているが戦線を維持する能力は比較的低い。

 黄金の武器を持つ首輪の奴隷達はほとんど生き残りがおらず、義賊に呪いの尖兵とされた者達には無事な姿はなく、死んだか攫われた。

 富裕層街の門に、下水道を通ってきた小兵など雑魚とする四本腕のサハギンの勇士達が迫る。その腕が振るう石鎚は黄金の防具もひしゃげる。

 シャハズは防壁の足場に上がり、矢玉尽きたる弩兵へ氷の矢を配りながら、自らも氷の矢を放って迎撃射撃を続ける。

 商神使徒の中でも敵を良く倒すのが義賊。商神硬貨を指で弾くだけでサハギンの勇士の頭蓋を砕く。このように気軽に敵を打ち砕いているにも拘わらず劣勢である。私掠党の軍勢は数万か数十万か数え切れず、戦っているものより港湾都市を解体して持ち去っている者の方が多い。サハギンは尖兵のようで他にも奇々怪々な海棲の異形が跋扈している。既に都市の原型は失われており、人が住み着く前の姿を取り戻しつつある。

 下町の住人でも足の早い者、目先が利く者達は商神使徒を殿に富裕層街へ逃げ込んで来ている。かつての人口の数十分の一であろうか。

 その最中、この争いの時になんたることか。浅ましきはゴブリン。

 あの短剣投げのゴブリンが義賊の不意を突いて棒を投げ、その両脚に絡めて転ばせた。そして咄嗟に使徒に抱き被さったのはハンサリー。

「まだ日は沈んでない!」

「では受け取れ」

 確かに天候は悪いが日没前である。厚い雲で分かり辛いが夕方。

 こんな時でも約束は約束と守る使徒の滑稽さ。エーテル貨を手にしたハンサリーがそれを掲げ、倒れる。あの短剣投げのゴブリンが短剣にて相棒であったはずのハンサリーの脇腹を体当たりに刺したのだ。そして欲に眩んだ目が愉悦に変わる前に、商神の怒りを受けて一枚の商神金貨になって地を転がった。この非常時に行われた下賤、それに上塗りされた蛮行。呪いを受けて当然であった。

 内臓を強か傷つけられたハンサリーが仰向けになり、握って離さなかったエーテル貨を掲げて叫んだ。

 誰もがこの状況の打開を期待した。シャハズも、短かったがあの友情に期待した。

「俺はもう誰にも見下されたくない!」

 ハンサリーが多色に、宝石の砂利に揉まれたかのように輝いた。そして怪我も無く立ち上がった者は、ゴブリンのようなオークのようなエルフのような人間のような何とも見分けのつかない、背丈は高く引き絞られた筋骨の裸体も神々しい、ミスリルの輝きの長髪に黒曜石のような肌を持つ商神に祝福されし姿だった。

 至上の宝石の塊のような何かにハンサリーは変化した。サハギンも守備隊も血戦の奮いも忘れてその姿に釘付けになって身動きが取れなくなる程。祝福というには強烈。

「あれは見るものじゃない。あれも呪い人だ。身の丈に合わぬ力を持った者には関わるな」

 冷たく鼻で嗤うヴァシライエの外套で覆われたシャハズは守られた。神秘に美しいハンサリーが向ける呪いの視線はその外套を貫けない。

 朝日を湾口から浴びるこの港湾都市は断崖を背にしている。断崖に夕日が隠れるのは早く、夜は常より早く訪れる。

「夜神よ」

 シャハズは生まれて初めて真の闇に沈んだ。優しき夜神の懐は恐れとは縁が無かった。


■■■


・商神

 造幣局と両替所、商売を司る男神。

 造幣局にて商神硬貨を発行し、両替所にてあらゆる物を商神硬貨に替える。商神硬貨同士でも可。

 怒りに触れれば換金され、その身と魂は等価の商神硬貨となり両替されるまで囚われる。

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