第3話後編「月下の城」
・ダンピール
ヴァンピールの長所と短所が削れた特徴を持ち、総合的には雑種強勢に至る。
賎民と賎業を嫌うヴァンピールが手元で雑用をさせるために高度な錬金術で生み出した。
西帝国亡き後も文化を継承し、能力を活かして高貴を気取り続けている。
■■■
下水道から錆びて朽ちた扉を通り、侵入した先は大勢の囚人を収容しておくような雑魚寝の牢屋であった。シャハズが戦術にて打ち倒した呪い人と、共食いされた残骸と、新しく先陣を切ることになった首無し騎士の剣に断ち切られた呪い人が、這う下水溝に酷く冷やされた石の床に倒れている。
先にシャハズが目に矢を突き立て、ヴァシライエが首を撥ねたあの騎士である。骨の杖をエリクディスが使って立ち上がらせた。
骨の杖は死神の奇跡によって死者を動かせる魔法の杖だ。使用する対価は操った使者を手厚く葬るというもので、手法はともかく最低限の埋葬金として商神銀貨二枚が必要だ。その辺に転がっている行き倒れを動かすために商神銀貨二枚の支払いは高額であるが、訓練された武装騎士を動かす値段としては破格の安さである。
骨の杖を使う際、夜神へエリクディスが女神の領域内での使用の許可を願った。捧げるつもりだった硬貨が飛び跳ねて音を立てるだけに至った。無償で良いとのお優しい返事だったのである。
シャハズが早くも手馴れた様子に腐の精霊術で牢の扉を破り、首無し騎士を露払いに進ませる。
首無し騎士は右手に剣を持ち、左手に己の髪を掴んで首を下げて進む。頭が無ければ動けないという先入観はこの機会に捨て去られた。
首無し騎士には目立った弱点は無いように思われた。地下牢通路にうろつく呪い人を剣で切り伏せる腕前は素晴らしく、頭という弱点が無い以上は甲冑と鎖帷子に覆われた身体は狂人の徒手空拳など物ともしない。視界は落ちた頭で確保しているようだが、それは戦闘となったらシャハズが代わりに持つことで解決される。
またその頭、潰れた目が痛々しいのでシャハズが手巾で覆うように縛ってある。最初の内は杖を持つエリクディスに頭を差し出してきたものだが、それ以降はシャハズに手渡すようになった。
一般牢にはまだ囚われたままの呪い人達がいる。扉が開いている牢は数多く、何か事件か事故があって解放されたようだ。
現在、首無し騎士が剣一本でそれら解放された呪い人達を倒している。この程度の者達を相手に城のダンピールが逃げ出すというのは大袈裟な話だ。もっと危険な何かが潜んでいるだろう。
地下牢から本丸へ四人が進む。中は灯りも無く暗闇である。エリクディスがランプを持って周囲を見渡す。照明の蝋燭は全て融けている。
シャハズが目敏く? 壁掛けになっていた装飾の造花の花輪を見つけだし、首無し騎士の首へと鎖帷子に引っ掛かるようにしてかけた。
「これで大丈夫」
呪い人や妙なダニモドキがうろつく暗闇の本丸、首無し騎士など目前に現れようものなら敵と即座に判断するのが当たり前である。そこで花輪の一計というわけだ。
「君に似合うよ」
何となくヴァシライエの物真似風にシャハズが首無し騎士に声を掛けると、心なしか喜んでいるように見えた。
首無し騎士は言葉を発しない。代わりに動作で示し、本丸内から裏庭へ向かう方角へ剣先を向けた。
(行くぞ!)
声無き声が三人には聞こえた。
死神の居眠りのような災害の時に死者に取り憑くのは冥府へ逝きそびれた彷徨う魂である。死後間もない者に骨の杖を使うと、持ち主の魂が抜けていない状態で動きだすのかもしれない。そう思える程に首無し騎士は、その体に馴染んで活性化している。
本丸内、程度の差はあるが荒れている。
召使い達が引っ繰り返したと思える掃除用具や食事、割れた食器に陶器が所々に散らかっている。避難時に余程慌てていたことが分かる。
また呪い人もわずかだがうろついている。地下牢程ではないのは、彼等にそこから脱出する理性も残っていなかった証拠になる。食堂の方では城の人間が食べかけにしていた食事を漁った痕跡があった。
広間に出れば明確に戦闘の痕跡が見られる。貴族、騎士、召使い、呪い人の死体があり、その一部は後頭部から出血している。ダニモドキに操られていたのは間違いないだろう。
エリクディスとヴァシライエが死体の一つ一つを検分していく。呪い人が食い漁った痕跡は見られるものの、無限に大喰いではないので分析可能。
全般的に耳や鼻、目などの脆弱なところから出血している者ばかりだ。恐怖だけとは思えないほどに涙や涎が垂れているようにも見える。
騎士など戦う者の大半は甲冑が曲がる程の強打を受けている。中には甲冑鎖帷子を貫通して内臓に到達する程の何かに穿たれた者すらいる。
少数だが腕や脚を噛み千切られている者がいる。大型肉食獣を連想するが、何れも捕食されておらず、千切れらた部位が打ち捨てられている。
騎士達が使った剣や槍だが、いずれも刃に血脂がついている。ダニモドキに操られた者達と戦った割りには剣で打ち合い甲冑を叩いたような刃毀れは見られない。肉ばかり斬り刺した様子で、獣らしき体毛も付着しており、大型肉食獣の可能性が示唆される。ただし、貴族達に限らず毛皮の衣服が高級で好まれているので断定出来ない。
ダニモドキであるが、その死骸が転がっており、生きている個体もあったが弱々しく、広く歩き回る様子もなかった。首無し騎士が全て潰して回った。
広間にある死体程、背を向けて倒れており、貴族や召使いが多い。騎士の死体を辿っていくと広間の奥へ、そして裏庭へと続いている。裏庭方向から広間まで撤退戦を演じ、何とか生き残りが逃げ出して橋を落としたという流れが推測出来る。呪い人の解放は囮作戦だったかもしれない。
それから奇妙な様子と言えば、硝子窓の類は全て割れているということだ。割って遊ぶにしても全て割るのには飽きがくる量がある。
広間にある時計を見れば時間が過ぎるのも早い。まだ外へ出るには余裕のある時刻だが、問題解決後に出る余裕は無いと見える。
エリクディスは広間にある机と敷布を組み合わせて祭壇にし、ヴァシライエから対価のミスリル貨を借りて供え、夜神に祈る用意を整える。
何を祈るか? 満月の夜を今宵は延長してほしい? いや一度だけ自由な時間に出られるように、だろうか?
「ジイ、やってみたい」
魔法の天才シャハズが精霊術以外の術を使いこなしてみたいと思うのは必然である。
「よいか嬢。奇跡は精霊術の才能とは異なる。むしろ相反するかもしれない。真に神に畏敬の念を抱いて祈らねばお怒りを買うこともある。言葉や儀式などは演技であり己が祈りに真摯になれるようにと自己催眠をかけるためにある。重要なのは心だ。奇跡の修行とはその心構えを作るところから始め、それに尽きるのだが、エルフには精霊に語りかける習慣はあっても神に祈る習慣はほぼ無いな?」
「うん、あんまりない」
シャハズは即答する。故郷の森の生活を思い返す必要も無く神に祈る習慣は無かった。陰陽十二行の精霊とは術を使うためではなく、雑談を交わすような付き合いはしていたが。
「まずは精霊術に専念しなさい。祈りは形や言葉だけを覚えれば良いのではないのだ。おそらく嬢から見てわしの神々に対する態度がこう、卑屈に見えているのではないか?」
「変な感じ」
祭壇を作ったり、大仰に神の名を唱えたり、神経質なくらい畏れたりと、そこまでする必要があるのかと弟子は師匠を見て思うのである。
「変だと思っている内は止めておきなさい」
しかしシャハズは不満げである。年寄りばっかり神の奇跡を使ってずるいとすら、理屈ではないが感じている。それを見てヴァシライエはシャハズに助言をする。
「ダンピールも神々に祈ることはない。正直帝国崩壊の出来事を、代は下ったが心の底で恨んでいる。先祖の恨みはいかんとも忘れ難い。その上で祈ったら呪われかねないのだ。神々もヴァンピールの末裔如きが何様の心算だと機嫌を損ねる様子も想像に難くない。エルフのシャハズには参考にならないかな?」
「なった」
「それは良かった」
シャハズはあの口から口説き文句等ではない常なる助言の言葉を聞いて妙な安心感を覚えた。心を揺さぶってくる時との違いが明確だ。
「星月と暗闇、夜間を司る女神よ。我々は今満月の都にて事件の解決に邁進しておりますが、今日この満月の日の内に解決することは叶わないかもしれません。もしこの日が過ぎても滞在することをお許し下さい。また次の満月の日を前に、自由な時間に外へ出られるようにお取り計らいしては頂けないでしょうか?」
首無し騎士の時と同様、商神ミスリル貨は跳ねて鳴っただけだった。またもや無償である。
「ありがとうございます」
■■■
四人は未知なる強大な敵を警戒し、首無し騎士を先頭に裏庭に立ち入った。裏庭にも広間と同様に死体が幾つもあった。
裏庭からは後宮と、錬金術の塔へと道が繋がる。植物園とは直接道が繋がっていないので、あそこにいる化け物の相手を今はしなくて良さそうだ。
錬金術の塔へ入るにあたり、シャハズと首無し騎士が入り口で殿を務め、エリクディスとヴァシライエが中で調査する。
錬金術の塔は錬金術を研究する施設である。九階まであり、中央が八階まで吹き抜けになっていて、荷物の搬出用昇降機が備わっている。何故このような移動に苦労する造りなのかは誰も分からない。
塔の壁沿いにある階段を登りながら、壁沿いにある本棚、机の上にある雑用紙、手帳、実験器具類や薬品に材料を検分しながら一階、二階へと回っていく。構造的には一本道の螺旋状になっており、部屋を歩いて回る必要が無い。
ヴァシライエの商会が扱う薬品類の効能調整に関する研究が低階層では見られた。中階層になると新しい薬品の開発に関する研究が見られた。ここまではエリクディスが過去立ち入ることが出来た場所である。荒らされた、とまではいかないが、素人が引っ繰り返して回った跡が見られる。おそらくヴァシライエが扱う薬品の質の低下は、薬物知識の無い素人がこの辺りから適当に見繕った物を持ってきたことが原因のように思える。
そして高階層になると旧西帝国崩壊時に喪失された錬金術の研究が見られた。人造生物、ゾンビ、ゴーレム、不老長寿薬、万能薬、物質変性触媒、太陽金である。
人造生物は無生物から作るのではなく改造生物ではなかったかとの見解。
ゾンビは催眠術と薬物依存症の組み合わせと断定。ダニモドキの記述は一切無かった。
ゴーレムはおそろしく高度な機械技術との見解。
不老長寿薬は健康法、化粧法、美容整形技術の組み合わせの総称との見解。
万能薬は免疫機能強化の薬物で、民間療法の延長線との見解。
物質変性触媒とは、鉛を都合良く金に変化させるという物等の総称であり、馬鹿げていると。
太陽金に関しては原材料も実態も不明。触ると暖かいという記録だけがあると。
それらの試作品と思われる物品も並んでいたが、どれもこれも怪しいものか、実用性が無いか、余りに浪漫が無さ過ぎるかの何れかであった。
「上の階に行くほど他人には見せたくない努力過程が見えるというわけだ」
ヴァシライエが評する。普通の人間ならこれらは恥とは思わないが、旧西帝国貴族の思想を受け継ぐ満月の囚人達の気性を考えると形になっていない研究というものは恥部同然なのであろう。
最上階に達する。錬金術の塔の、責任者の研究室兼居室。旧西帝国貴族の割りには慎ましやかな生活空間と、大袈裟とも思える実験器具類の山に薬品入りの試験管の列。木の葉のような覚書の群れ。
個人の秘密を暴くように中を検分すると、エリクディスには無視できない研究本が見つかった。
神の人造方法と永遠の命、である。神を造り出すなど、神々の怒りを買う不敬である。出来る出来ないではなく、発想自体が怒りの対象だ。また永遠の命というのは論理的に間違っているものだ。これは他人に見せられない。エリクディスは開いたその本を閉じた。
「神々よこの者は愚かなだけなのです。どうか許したまえ」
「どうかしたか?」
「少年の空想が書かれていた」
「ああ、まあそういうものだろう」
まだこの惨事を引き起こした研究に該当する何かは掴めていない。
無数の本や覚書きを見て回っても、多少の突飛さはあっても現実的な手法に留まる研究が大半を占める。満月の夜も更けて朝に近づいてきている。
そこでエリクディスは無限に時間を取られかねない無数の文字を追うよりも、より一層の恥部を探り当てることにした。そう、その手を差し入れたのは責任者の寝台、敷布団の下である。
「あったぞ!」
「流石は知恵者」
賢者とあだ名されるに相応しいエリクディスの電撃的な閃きが功をなした。
あえて題も何も書かれていない表紙の本を捲るとヴァンピールの古い言葉で書いてあった。そして専門用語、隠語、造語で内容が表現されており、挿絵や図面で何となく分かるのは、動き続ける心臓、と解釈出来そうな何かの記述。またそれと関連してか、上層で見られた各種の喪失された錬金術に関する事柄が、あまりまとまっていない形で書かれている。
「動き続ける心臓とは何かの比喩だろうか? 何か確信に迫った様子がうかがえるが」
「試作過程で何かおかしなものが出来たのではないかな」
「これが禁忌に近づいた何かか? 解読は時間が掛かる」
「一旦持ち帰ろう。時間も遅い、後宮を見て回れるようだったらざっと見て外へ行こう」
「そうしよう」
■■■
後宮には立ち入り制限がある。皇族か側室かダンピールの宦官か、その何れかである。
伝統墨守の貴族達の目があるなら立ち入りは憚られるが、今はそのような時ではない。
首無し騎士は頑として中には入ろうとしなかった。錬金術の塔と同じようにシャハズと共に入り口で殿を務めることになった。エリクディスとヴァシライエが中に入る。
後宮には窓が一切無く、照明台すらなく、壁も音が消え入る孔開き構造で、長らく人が入っていなくて壁紙も剥がれ、天井も崩れて劣化も激しく埃臭く、かび臭く、また別種の異様な圧力すら感じる臭いともつかぬ何かも感じられた。
部屋の中一つ一つは以前の生活がそのまま見て取れるように家具がそのまま置かれていた。所々におかしな灰の山もあり、衣服や装飾品が紛れている。神の怒りが触れた当初のまま保存されているのだ。
「ヴァンピールには伝説がある。全てにおいて優れているという伝説。実態は夜視に優れたが、日中の行動に支障を来たす。嗅覚に優れたが、悪臭に弱い。聴力に優れたが、轟音に弱い。知性に優れたが、躁鬱傾向が強い。肉食で植物食品を食べると消化不良を起こした。身体能力が高く代謝に優れたおかげで頻繁に空腹になる。大量に肉を食べると消化不良を起こすので生き血を飲んだが、味覚に優れ、生臭い血を大量に飲むと吐き気がしたのでワインや香辛料でなんとか誤魔化した。神の怒りなぞ無くても滅びに向かう種族だったのだ」
ヴァシライエがこの滅びた種族の墓所の空気を和ますためかそんな解説をしながら、奥へと進む。劣化、風化が酷い。
一番の貴人がいた造りの寝室に到着する。見て分かる皇帝の部屋だ。
エリクディスがランプで照らす。家具の配置は人が生活していた時のまま。そして天蓋、幕付きの巨大に過ぎる寝台が目に入る。巨人の寝床とは言い過ぎだが、ここまでくると不便に思える。
「中を」
己の君主ではないが、おそらく中にあるだろうかつての皇帝の遺灰を暴くような行為にエリクディスは二の足を踏む。
「んふん」
一つ咳払いなどしてからランプを幕の中に入れ、顔も入れる。
「うお……!?」
エリクディスが呻いた。ヴァシライエはそのような無様な真似はしないが、渋面を作る。
灰ではない、ミイラと化した皇帝と思しき遺体がそこにはあった。しかも胸が大きく切り開かれており、まるで心臓でも抉りだしたかのようだ。
「皇帝陛下だろうか?」
さしものヴァシライエも自信以外の何かを無くして言う。
「ヴァンピールは灰になった。神の怒りは徹底する。ということはこれはダンピールということになる。見て分かるか?」
ヴァシライエは寝台に上がり、柔らかい布団を踏みしめてミイラを検分する。股間を探るに結論を出す。
「ダンピールの宦官だ。悪徳というか快楽は一通り済ませていたのがヴァンピールだ。そういうお役目もしていたんだろう」
「しかし、殉死したにしてもその死に様はおかしくはないか」
「腐り果てて染みと骨になっているのならともかくな。それに胸だ。間違いなく心臓が抉り取られている」
「動き続ける心臓」
寝台に隠してあった無題の本が連想される。
ヴァシライエが布団を捲り、杖で粉を掻き回した。中からは宝石の塊のような装飾品が姿を見せる。持ち帰ったのならば、高価過ぎて値がつかないのではないかという一品ばかりだ。
「こちらが皇帝陛下」
代も下って敬う気持ちは無くなっているのかもしれないが、権威を重んじるエリクディスにはその行為を見るのは辛かった。
「……心臓の行き先を探しましょう」
「そうだな」
後宮の捜索を続けた。廃城にて探索した後宮の基礎の構造を分析し、後宮の裏口へ向かうと正解に近づく。裏口の扉は破られ、人だけではなく大型の荷物、無数の動物の出入りが最近までされていた形跡が見つかる。そして分かりやすく地下室に繋がっている。
地下の扉は開けっ放しで、中をランプで照らせば実験器具と薬品とダンピールや無数の動物の死骸が暴風にかき回されたかのように散らばっていた。
「都にはこういった動物が?」
動物の死骸には馬や羊、豚や牛のような馴染み深い家畜から動物園か遠方の原野でしか見られないような肉食獣に爬虫類まで無数に切り刻まれて転がっていた。
「遊興、愛玩用に納品した記憶がある動物がいる」
ヴァシライエの指す杖先には、生前なら見事であったと思える白虎の巨体が無残な姿で倒れていた。
「この虎は軍艦並みに金が掛かったのだが、どうも見ないと思えば」
「人造生物の研究成果が暴れ出したということか」
ヴァシライエが、潰れて顔も定かではない貴族の髪を掴んで持ち上げる。
「こいつが塔の責任者だ。後宮には誰も近づかないからな。秘密の研究も進んだことだろう」
「今日は戻ろう。この惨状を最終的に引き起こした化け物を退治すると考えれば戦力が足りない」
「調査次第だが傭兵を集めることになるかな。それか、飢え死にするまで待つか。城の外に出ない保証は無いが」
二人は後宮を去り、シャハズと首無し騎士と合流する。深刻そうな年寄り二人の顔に比べれば首無し騎士の方がまだ愛嬌があった。
■■■
広間に戻り、四人は下水道を通って一旦帰る心算であった。
本丸内を隈なく捜索してみる手もあったが、時計の針はそろそろ朝の時刻に迫っている。
エリクディスとヴァシライエは疲れていた。激しく動き回ったわけではないが、後宮の有様に感性が蝕まれている。そしてその疲労からは遠かったシャハズが察知した。
「上!」
咄嗟に弓を構えて牽制の矢を放つ。広間から謁見の間へと繋がる階段の上で獣が唸った。
『四方を照らせ』
エリクディスの魔法でランプの火が散って、広間の四方に浮いて照らし出した。広い空間を照らすその分、火の精霊が騒ぐ声は大きく頭に響き、疲労もあり、その身をヴァシライエが咄嗟に支えて気付けに平手打ちをしなければ昏倒していた。
精霊術の灯りに大きく照らし出されたのは獅子、山羊、大蛇で、瞬時にそれが何か察知するのは困難だった。鳴声は下水道から聞こえた、植物園にいた化け物と推測される。
山羊の頭が口を天井に向けて鳴く。鳴き声が段々と大きくなって割れた硝子や陶器、金属器が震え出すに至り異常と分かる。音の精霊術だ。
『鳴らないで』
シャハズが音の精霊にその獣が発した術の取り消しを命令した。気付いた時には遅く、その脳内では行動を否定された音の精霊が荒れ狂って騒ぎ立てていた。師匠エリクディスは精霊術に対する対抗術を教える際にしつこく”精霊は強引に止められると反発するから危険だ”と言っていたのだ。
並の精霊術の行使程度なら平然と行える天才も、精霊の反発には死の恐怖に怯え、鉄槌で殴られたような頭痛に膝を突き、心臓が異常に動いて静脈が浮いて鼻から血を流す。冷や汗、悪寒、吐き気から嘔吐、失禁、嗚咽、過呼吸、とにかく最悪だ。
肉食の獣は群れを狩る時、常に一番弱い者から狙う。巨体に似合わず猫の俊敏さで足音も僅かに跳んだ獣が狙うのは死に掛けのシャハズ。矢を肩に突き立てられた恨みもあった。
首無し騎士が頭を捨て、両手に剣を持って獣へ全霊の突撃を敢行。剣は深く首に突き刺さり、獣の顎はシャハズに届かなかった。
大蛇が口を開いて首無し騎士に毒液を吹きかけた。死者に目潰し毒など意味も無いかに見えたが、毒液は水の精霊術によって加速してその甲冑を穿って吹き飛ばす威力に達した。
ヴァシライエは首無し騎士の突撃と時間差に、杖先を獅子の目に突き刺して脳髄に至る。必殺の一撃に思えたが、獣は嫌そうに唸って後ずさるも死なない。
獣の姿は異様であった。獅子の頭と体に、背中から山羊の頭が生え、尻尾が大蛇。そして音と水の精霊術を扱い、潰れたはずの目は瞬く間に元に戻った。首に刺さった剣も肉芽が盛り返すと同時に抜けた。そしてやおら体を震わせたかと思いきや尻からあのダニモドキを一匹産んだ。こんな化け物に奇襲されればダンピールの騎士達とて壊走するのも無理はない。
生者ではない首無し騎士は胸を砕かれても立ち上がり、近場にあった騎士の槍を手に取る。
獣は流石に先ほどの目潰しは痛かったらしく、ヴァシライエを警戒しながら距離を取っている。
エリクディスはシャハズの肩を掴む。音の精霊の声で頭が一杯になっている弟子に声を、ゆっくり落ち着いてかける。
「目を見ろ、落ち着け、まだ死んでいない。息をしろ、目を見ろ、まだ終わっていない」
弟子の小さい顎を掴んで、その焦点の合っていない目に己の目を合わせる。
「精霊を否定するな。曲げるんだ。否定しないで言葉の追加で対処するんだ」
大蛇が咳き込むように鳴き、喉を鳴らして開いた口をヴァシライエに向ける。毒液の補充が終わった。
「見ろ、この年寄りが手本を見せるぞ」
エリクディスはシャハズに、見えているかも怪しい目を大蛇に向けさせる。
尻尾の大蛇が高く首を上げ、毒液を吐き下ろした。初めは唾吐き程度の速度でヴァシライエも避けるのに苦労しなかったが、水の精霊への語りかけが始まると達人の投石手が飛ばす弾丸の速度に至る。
『下に曲げろ』
エリクディスは獣が語りかけた水の精霊に追加の言葉を発した。弾丸の速度に至った毒液は前へ飛ばず、獣の背中を穿った。
対抗術は負担が少ない。老いたエリクディスでも若干の集中の乱れを伴うだけで済んだ。
「見たかシャハズ。ジイもやるものだろう」
高揚せずに、出来るだけ落ち着いた声でシャハズに語りかけ続ける。意識を保ち続けさせるためだ。
獣が怯んだ隙を逃さず首無し騎士が槍を突き立てる。ヴァシライエが再び目を杖で潰す。山羊の頭がまた天井を向いて鳴き始めた。
「やってみせろシャハズ。いいか、奴の音と逆の音を精霊に出させるんだ。お前ならやれる、やれるぞ」
精霊術によって瀕死のシャハズにエリクディスは、更なる精霊術の行使を促した。
首無し騎士が槍を山羊頭に突き立てようとするが大蛇が防ぐ。ヴァシライエが杖を目に刺したまま剣を抜き放ち、高速の剣で山羊首を切ろうとするが獣は飛び退く。
山羊の鳴声に音の精霊が合わせたかに思えたが、今回は物が震え出す間も無く無音と化した。半ば精霊憑きになりかけたシャハズが言葉も不要に音の精霊に逆の音を出させ、相殺したのだ。玩具のような音の錬金術の知識だけに留まらぬのが賢者だ。
槍術とはただ突くだけでない。首無し騎士は山羊の首に槍を投げて突き立て、床から別の槍を拾ってはまた投げて突き立てる。獣は何の魔法かまた体の傷が癒え始めるが、痛みは堪えるようで槍を嫌がる。
獣の戻った目から杖が落ち、ヴァシライエがすぐさまそれを、腰を曲げるのは卑賎とばかりに爪先で蹴り上げて拾いつつ獣の前脚の腱を剣で切り裂いて体勢を崩した。
シャハズは、一旦は頭の中を精霊に荒らされたが、一度順当に会話をし直すことによってその猛威を鎮めた。しかし集中は途切れ、弓を手にしようとするも手が震えて役に立たなかった。
峠を越したシャハズを見て、対処を終えたと判断したエリクディスは雷の杖と骨の杖を両手に持つ。
「冥府と地獄、魂を司る死神よ。骨の杖の力をお示し下さい」
貧乏性が祟って埋葬金のことが普段は頭に浮かぶエリクディスも遠慮はしていられなかった。広間に斃れ伏す貴族、騎士、召使い達が立ち上がり、手元の武器を握り締めた。呪い人は夜神の影響で動かない。
ヴァシライエは獣の前脚、後脚の剣を切っては崩れた体勢を持ち直させず、首無し騎士は壁掛けの斧を持って獅子の頭を滅多打ちにする。
動き出した死者達が武器を持って獣に迫り、囲んで滅多打ちにする。しかし獣は死なず、暴れ、死者達は吹き飛ばされる。自身の魂を宿しているが故か活性している首無し騎士はそれらを避けるも、他の死者達は鈍重であった。
骨の杖を支えに、エリクディスは雷の杖を獣に向ける。
『杖の筒の中をほんの少し燃やせ』
雷が炸裂した。便臭い煙が上がり、獅子の頭骨を割り穿った鉛弾が、脳内で衝撃に砕け散って掻き回す。火の精霊の声により一時立ち眩みをしたがエリクディスは持ち応える。
脳の大部分を一時的に破壊された獣は倒れた。山羊が再び口を天井に向けたが、その口内に首無し騎士が槍を突き入れ、抜けないように両手で押さえ続ける。大蛇が邪魔しようと噛み付くが、蛇の顎の力はたかが知れて甲冑には無力で、胸に開いた傷に噛み付くも神経を侵す毒は死者にあまり意味が無かった。骨と靭帯だけになっても動く死神の力で動く死者なのだ。
獣はこの瞬間、無力化された。
ヴァシライエは剣を杖に収めてから鯉口の機械を回して調整、それから狙いを定めて肋骨の隙間を通して心臓に突き刺した。そして杖は突き刺したまま装飾に擬態した鐙に足を掛け、力を入れて剣を機械音と共に抜き放つと鯉口からは水樽に穴でも開けたように血が噴出し始めた。
仕込み杖の吸血仕掛けで止めどなく血が流れ出す。巨体の獣とはいえ血が尽きると思えるほどに流れても噴出が止らない。
血が流れると獣の傷が癒える力は弱まり始め、槍を刺され続けた山羊の頭が死んだように止り、死者達が鈍重に叩く体は傷が増える一方となり、大蛇は傷を負うまでもなく力を失った。
獣は死んだかのように思える。だが杖からの出血は広間を水浸しにする勢いで止まらない。
疲労で判断力こそ落ちているがエリクディスは諸々の異常を察し始めた。
血抜きもそこそこに済んだとばかりにヴァシライエは、短刀を取り出して獣の腹を捌き、両手を入れて心臓を抉り出した。
抉った心臓は普通ではない。獣の体格に比べて小さく、その血管が何かを求める口のように開閉をしながら伸びたり曲がったりして蠢いている。
出血は止まり、獣は動きを止めて異常な心臓が蠢き続ける。その不気味な物を手に、ヴァシライエは平静としている。
「夜神よ」
神に祈らぬダンピールが御名を唱えて心臓を掲げると暗闇にそれが消え失せた。夜神の力によって隠匿されたのだ。
そうすると獣の死体も、生み出されたばかりでその辺りをうろついていたダニモドキも大量の血液も暗闇に隠蔽され始め、役割を終えた死者達が動きを止めて倒れ始めた。
初めからこうしておけば良かったのに、と口から出そうになった言葉をエリクディスは飲み込む。
「ヴァシライエ殿」
その先は続けないが、察しているぞとだけは言いたかった。
「思わぬ冒険になってしまったな。危険手当は出そう。可愛いシャハズの治療費もだ。乙女の鼻血は高くつくかな」
涼しげに事もなく言うヴァシライエはダンピール。ヴァンピールの混血とはいえその末裔。旧西帝国貴族の美徳を前に真相を追究する試みは愚かである。
■■■
三人が城を出る頃には朝になっていた。都の朝は薄暗がりの朝焼け模様で、昼になっても空は暗く赤錆びている。
城の復旧作業は慌てずゆっくり行われ、貴族達は変わらず優雅に城下にて物品不足に不満を持つ気配も見せていない。
慌てず、であるが葬式だけは早めに執り行われた。さしもの貴族達も命を投げ打って退路を確保した者達を城に放置し、弔うことを後回しにすることは無かった。
城下中から優雅に徴発された品々を用いて荘厳な葬式が催される。城主伯爵が喪主となって死んだ者達に言葉を捧げる。勿論、何か謝罪をしたり本件の再発防止策などには言及しない。
シャハズはヴァシライエから貰った乙女の服装にて葬式に参列した。エリクディスは野暮な服装のせいで参列を拒否された。
必要経費にとヴァシライエから受け取った商神銀貨入りの袋を手に、シャハズは棺に二枚ずつ入れていく。骨の杖の代償には勿論不足は無い。
そして死に化粧に首が繋がった首無し騎士の棺にも二枚と、売り切れ寸前の花屋で買った生花で作った花輪を入れた。
■■■
・夜神
星月と暗闇、夜間を司る女神。
星月にて夜の暗さや潮汐に生物の精神を細やかに調節し、暗闇にて隠匿する。
怒りに触れれば発狂し、理性を失って獣の如きに凶暴化する。
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