第3話前編「月下の城」

・神に逆らった旧五大帝国の都

 北:絶えぬ暴風雪に閉ざされた『水晶の城』

 東:砂漠を放浪して寄せ付けない『機動要塞』

 南:深海の底に沈められた『海洋宮』

 西:満月の夜だけ姿を現す囚われ人達の『満月の都』

 中:域内全ての生命を喰らって繁茂した密林の『世界樹』


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 暗くなり始めた夕暮れに照らし出されるのは花に葉が茂る並木、花壇、整えられた生垣、錬金術の街灯が暗い街並を照らして陰影を付け、映える赤煉瓦の壁や石畳の列を見せる。

 広場の噴水には磨いた真鍮の像が壮大に立ち並んで一つの物語を作っている。そこには貴賎問わず人々が集って歌や踊りに酒を楽しんでいる。

 都の中心部には尖塔林立する豪奢な城があり、一目でそこに権力が集中しているのが分かる。

 月に一度、満月の夜のみに真の姿を現すこの都の様相は一見して美しくて文化的である。

「大分おかしな事になっている」

 ダンピールの大商人、男女を見惚れさす月の如き麗人ヴァシライエが杖を持って、指しておかしな点を二人に教えてくれる。

「貴族達が城下に降りて来ている」

 余程のことが無い限り賎民等と交わることの無い始祖の血が濃いことが誇りの、豪華絢爛な衣装に宝飾だらけの貴族達が城下町で、いつも城でやっているような夜会を開いているのだ。

「城の灯りが消えている」

 夕方ともなれば暗くなる室内に明りが灯るのだが、窓は全て夕日に照らされる程度か闇に沈んでいる。

「橋が落ちている」

 城は幅の広い水掘に囲まれており、その正面に掛かる大橋が崩れ落ち、その脇の通用橋も落ちている。加えて橋の門は閉ざされ、木箱が詰まれて馬車が横倒しに置かれて封鎖。騎士達が厳重に見張っている。

「都の商人が取引に来ない」

 かつて神に逆らい滅ぼされた五大帝国の内、西を担った帝国の旧都は満月の夜にしか外部と交流できない。しかも内部の者は終日出ることが叶わず、ヴァシライエの隊商が運ぶ品々が唯一の生命線なのである。

「事態は不明だが城が落ちた」

 事の発端はまず、満月の都の輸出品である錬金術の薬品の質が落ちたこと。そして担当の錬金術師達との面会が謝絶されたことに始まる。

 ヴァシライエが外部との取引で大金を稼いでいるのはその薬品のお陰だ。その供給が止まることは抜け目無い商人としての破滅の訪れではないが、囚われの同胞達の生活を支える価値が無くなってしまうことを意味した。

 満月の都はかつて強力な種族ヴァンピールの帝国の中心であったが、神をも畏れぬ錬金術の発展により滅ぼされた。ヴァンピールは残らず滅ぼされ、人間との雑種であるダンピールが細々と生き残り、生き残った大半が満月の都へ夜神の力によって囚われている。

 異常事態から推測されたのは、再び彼等が禁忌の錬金術に手を染めようとしていること。神の怒りに触れた形跡は無いものの、二度目があってからでは遅いこと。完全な破滅から救い出した優しき夜神の庇い立ても二度目があるか分からないこと。

 満月の都の呪縛より自由なダンピール達の商会をまとめ上げるヴァシライエにとって、都の糞共のお遊びの巻き添えを受けて神に呪われるなど真っ平ご免であった。種族ごと呪う神の助命を期待するほど呑気ではない。

 皇帝の入滅以来、都を預かっているという体で城に君臨するダンピールの伯爵城主がその立場に見合わぬ粗末な椅子に座り、水の代わりに飲むような庶民の安ワインを飲んでいる。事態に焦りもせず、広場で優雅さを披露している。

 準男爵位を持つヴァシライエが立場相応の礼節を持って今日の異常を伯爵城主に尋ねても「こういう趣向もたまには良い」と言い張るだけであった。

 旧西帝国貴族は死ぬまで強がるのが美徳であった。絶対に失敗を認めず、優雅に見せることに傾注していた。捕虜になって拷問されて指を圧し折られても、着替えの時は人を寄越したまえ、と言い返す気位を皆が持っていた。

 ヴァシライエは旧知の者達に、期待せずに話しかけて回ったが全て優雅な梨の飛礫に終わる。誰が誰のために苦労を買おうとしているのか説明したいところであるが、下手な意地を張らせると障害にすらなることを考慮して衝突は理性で避けた。長年の商取引にて培った精神力の賜物である。

 オークのような知性に欠陥を有する種族でさえ知神の試練に合格させるという知恵者、老魔法使いエリクディスをヴァシライエは指名で依頼した。当初は探偵仕事の手伝い程度に考えていたが、こうなっては直接城へ乗り込み、原因を元から断つ心算である。本日は下見に都内観光でもと考えていたが予定が狂ってしまった。


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「すまないなシャハズ」

 ヴァシライエは、洒落た帽子に婦人服姿のシャハズの三角耳に赤い唇を寄せて「可愛い君の姿を見せびらかしたかったのに」と囁けば白いその三角耳が朱に染まる。田舎娘はその手口に慣れていない。

 ヴァシライエは背が高く凛々しい風貌でまつげの長い女だ。羽根帽子に貴種の軽騎兵外套姿が抜群に似合う。

 女二人の服装は合わせて映えるような色配りと装飾の具合である。本気で観光に連れ歩く気だったのだ。

「おほん。で、城を探索する依頼に変更は無いと思うが、橋以外の道はあるのかな?」

 わざとらしく咳払いをするのは洒落ていない、いつもの服装の野暮ったいエリクディス。洒落ているはずの魔法使いの三角帽が馴染んで普通に見えるくらい野暮。

 エリクディスは経験豊富だから既に察している。昔、錬金術の勉強で足を踏み入れたことのある城の探索仕事が、武力を伴うものに変更されていることを。

 エリクディスは以前、錬金術師としてこの城に直接入り、錬金術の塔と呼ばれる研究室施設にまで入り、研究に参加したことがある。依頼を自由契約で受ける冒険者であり、塔に出入りしたことがあるような人物といえばこの老魔法使いぐらいだろう。彼以外で出入りしたような錬金術師となれば純粋な学者達であり、わざわざこの地に道案内役で引っ張って来られるわけもない。

 ヴァシライエは貴族位を持つが都に囚われぬ外部の者であり、謁見の間にある皇帝玉座の傍らにある宰相席に座る伯爵城主へ謁見しに行く道しか知らない。知らないからこそ異常解決の前準備にと知恵者を雇ったのだが、準備をしている時間も無くなったようだ。

 はっきりとはしないが、神々がお怒りになられるまで間も無いと勘が告げる。

「道はあるが、汚い道だ。シャハズは着替えた方がいい」

「分かった」

「ああそう、その服は贈り物だ。君にあげるよ」

「返す」

「古着は扱っていない。君の物だよ」

「売る」

「それは自由にしたまえ。でも、またその姿を私に見せて欲しいな」

 シャハズは自分の荷物を積んである、道中は宿にもなった幌馬車にさっと乗り込んで着替え始める。ヴァシライエがたまには女の子らしい服装もどうだと着させた服は、彼女の圧しがあった上で満更でもなかった。エルフからしてみれば女も男も服装など関係無いのだが、それを超越させるのが魔性のダンピールである。弟子を取られそうな気がしてならない老人の心臓には悪い。

 ヴァシライエは工夫を凝らす。囚われの偏屈同胞達の力を借りる方法だ。

 まずは水掘にある桟橋で警備についている騎士に「友人達に船の上から夜景を見させたい」と言って遊覧船に乗る許可を得る。ここで何の工夫も無く、城で起きている問題解決に向かうから船を貸せ、等とは言ってはいけない。

 三人が乗った遊覧船の渡し守には「行く先は任せる」と言って手間賃を渡した。そうすると「お代は受け取れません」と言って返してくるのだが、渡した手間賃と一緒に何故か鍵が混じっているのだ。こうしたことを上から下まで何の示し合わせも無しにやり取りするのが旧西帝国であった。

 渡し守が漕ぐ遊覧船が進む。貴族が遊びに使う船で座席の座り心地は良好。敷物は羽毛入り、台は尻の形に丸みに削った木製。

 夕日が沈んで暗くなった街並が街灯や部屋の明りで点々と光る。燃料不足かいつもより暗い。

 シャハズが船縁から顔を出して水の臭いを嗅ぐ。

「生臭い」

「ここに魚は放していない。思ったより状況は悪そうだ」

 ヴァシライエは船縁に寄りかかり、長い脚を組んで物憂げな風に横目で船の外を見やる。そういう仕草が様になるのでそういう仕草をしているのだ。

 渡し守が強めに櫂を使って遊覧船を止める。止まった場所は城の基底部にある下水門の位置だ。

「何か引っかかったかもしれない」

 そういって渡し守は櫂を操るのを止めた。本来停船しない場所に到着という意味である。

「直ぐに動きだせそうかね?」

「様子を見ないと分からない」

 そう言った渡し守は水面下を覗き込む。見ていない内に下船しなくてはならない。ここは本来の下船場所ではないのだ。

 ヴァシライエが下水門の脇道の方へさっと船上から飛び乗る。シャハズも軽やかに飛び乗り、着地しようとしたらわざわざ抱きとめられた。

「一人で出来る」

「そうだったかな。濡れやしないかと心配だったんだ」

「降ろして」

「ああ、そうだったな」

 エリクディスはそのように軽やかではないので、えっちらおっちらと渡し板を据え付け、揺れる船と揺れない岸に置かれた板の挙動に「おっ? おっ! うぉ!?」と言いながら、解放されたシャハズに手を取って貰って脇道へ移った。そろそろ渡し守も頭を下げているのが苦しくなってくる頃合だろう。

 ヴァシライエは鍵で下水門脇道の通用門を開き、用の済んだ鍵を船に投げ入れる。三人は奥に進み、視界の外に出た頃合になって渡し守は遊覧船の引っかかりを直して進み出す。

 エリクディスがランプを掲げる。油は十分、後は火だ。

「やってみなさい」

『点けて』

 シャハズが火の精霊に語りかけ、ランプに火が問題なく灯った。

 精霊との会話に対して素質の薄い者は、ランプに、内側の、油の通った芯に、弱く、壊れないように、等々と精霊に誤解させない言葉選びが必要なのだが、天才シャハズには無用であった。

 既に嫉妬する程の寿命は無いエリクディスは満足げに「うむ」と唸る。

「君は素晴らしい魔法使いなんだね」

 魔法を褒めている気配がおよそしないヴァシライエはシャハズに言う。

「欲しくなってしまう」

 加えて三角の耳にまた口を寄せて囁いた。

「ううん! では行こう」

 唸ってからエリクディスはランプの灯りを頼りに進み出した。

 美貌と美声のダンピール達の口説き文句は礼儀作法のように繰り出され、喋る言葉は真に迫り、しかし本音を隠して明かさず、他種族はおろか同族すら同等に見ることはほぼ無く、飽きれば上辺の情など嘘のように消え去り、どのように扱われるにしろ泣かされた者は数知れず、傲慢と高慢を極めた旧西帝国貴族の末裔に違いはない。ましてやその中でも大成功を収めた大商人。欲しければ拾い、無用なら捨て、慈悲が浅いからこそ他人より儲けているのだ。だからエリクディスは気を強く持て、とシャハズには事前に言い含めており”ジイ、うるさい、説教長い、禿げ”と返されている。尻軽と侮るな、と気分を害したものだ。

 それでも弟子を誘惑しかねないヴァシライエの人となりを知って依頼を受けたのは金払いが大層にすこぶる良いからだ。錬金術師の大家への入学費、ジンのロクサールがいる地への旅費、多少の困難を避けていては永久に貯まらないほどに金が掛かるのだ。そして最悪、老体の口応えが間に合わぬ時はこの金の錬金術師に天才の後援をさせることも考えている。才能に価値を見出さぬような愚か者ではないし、その財産は二人の旅の目標金額を優に超える。それに有力な知人が多いに越したことはない。

 満月の都はその満月の夜の時以外は真の、廃墟の姿を晒す。その廃墟の時は誰にも邪魔されずにその内部構造を調べ上げることが出来る。崩落、風化をして完全ではないが。

 エリクディスは得意の見取り図作りでその廃都の城の構造を調べ上げ、満月の夜に過去実際に入って歩いた記憶を元に再現してある。その再現した城の見取り図を基に下水道の脇道を進む。

 道はしっかりとした煉瓦作りで綻びも無く、天井に壁からの水漏れも無い。流れる水は地下水で、多くはない城の人口の排水などたかが知れており、清掃も定期的にされているようで苔も生えておらず、害虫に鼠も繁殖しておらず思ったより汚くはない。

 シャハズの嗅ぎ取った生臭さは何だったのか?

 下水道より、植物園へ出て直接地上に出るか、地下牢経由で本丸の中へ出る。そこから本丸裏庭へ行き、後宮か錬金術の塔を目指す。

 おそらくは錬金術の塔に問題の原因がある。ただ今は誰も住んでいない後宮も何か隠すために使えるのでそちらも候補に入れてある。

 錬金術の塔は、廃墟の姿では上部構造が崩落してしまっているのでエリクディスの記憶が頼りとなるのだが、高い階には立ち入っていないので未知が多い。後宮は廃墟の姿では基礎部分しか残っておらず、木造だったためか瓦礫から元の姿を空想することも叶わなかった。

 先導するエリクディスは植物園の方へと向かう。満月の都の特産品である様々な錬金術の手による薬品の植物原料の品種改良をしている場所だ。地下牢側は閉鎖されている可能性が大きい上に遠回りなので先に目指す理由は無い。

 分岐点から植物園側の下水道へ入る。こちらは湧き水の源泉がある方角で、地下牢や人の出入りの出来ない厨房や便所の穴が天井に無くて気分的にも楽だ。

 満月の都の鎮痛薬、元気薬、幸福薬と言えば高品質で高値で取引される。これらは富の源泉でありそれ相応に施設は管理がされているのが下水道からも分かる。

 エルフの感覚がエリクディスの肩を掴んで制す。

「いる」

 下水道にある、清掃具入れの陰からダンピールの騎士が立ち上がった。兜は被らず、彫金された全甲冑、金属板の隙を埋める鎖帷子姿で手には抜き身の剣を下げる。

 種族特有の美麗な顔立ちだが目は虚ろ、口は半開きで尖った牙が見え、何より後頭部が濡れそぼっている上に何か丸くて大きい物がくっついている。

 白兵戦に備えてシャハズは杖を構え、エリクディスの前に出る。老体に格闘戦は厳しい。

「止せ、引くぞ」

 エリクディスは後退りを始める。騎士というのは幼少の頃より最低でも剣術、槍術、徒手格闘術、甲冑戦術、騎馬戦術を叩き込まれてきた戦いの専門家であり、普通は腕に自信がある程度の冒険者など数に恃まなければ相手にもならない。今は何やらそのような腕前を披露しそうにないが、首をかけて確かめるのは愚かだ。

 シャハズも同じく後退りを始める。エリクディスの教えでは敵と出遭ったらまず逃げることから考えるのだ。決死に戦って勝ったとして得られるものは大概、命や怪我に見合わない。非暴力にてあらゆる物事を解決出来るのが魔法使いの冒険者の極意と考え、くどい程に教えている。この教えの時ばかりはシャハズもうるさい等としない。

「火の精霊?」

「騎士を止める炎など放ったらこっちが死ぬ」

「そっか」

 術の天才はまだ運用に関しては未熟。老魔法使いの面目は保たれている。

「任せたまえ」

 二人に代わって前に出るのはヴァシライエ。手には装飾された杖が一本。シャハズの持つような長旅に耐える棍棒のような杖ではなく、足が悪いわけでもない貴人が洒落に持つ杖だ。

「ヴァシライエ殿、杖術に心得が?」

「まあまあかな」

 まさか騎士の戦闘能力を知らぬ彼女ではないと思うエリクディスであるが、それに立ち向かうにはその武装は貧弱で不安が走る。上背は騎士よりあるので筋力は低くはないと見えるが。

「嬢、射撃支援」

「うん」

 立ち向かえそうな背中を盾に、シャハズは杖から弓に持ち替えて矢を番えて構える。まともな意識の残ってなさそうな騎士であるが、剣を手に持って緩やかにこちらへ接近する姿からは敵意しか感じない。

「お姉さん、矢を当てて怯んだら」

「ああ、それが良さそうだ」

 シャハズが垂直飛び、優にエリクディスの顔に靴の高さが上がる程、そして長身のヴァシライエの陰より肩越しに矢が予備動作を隠蔽して放たれ、騎士の右目に突き立った。衝撃に頭が揺れ、変わらず歩き続けようとしたが体勢が少し崩れて膝が抜けたようになる。

 金属音がかすかに鳴り、矢が突き立った騎士の首がずれて落ちた。首を守る鎖帷子の襟も裂かれ、細かな音を立てて床に散らばる。

 ヴァシライエの手には銀とは異なる輝きの、ミスリルの細刃剣が仕込みの杖より抜かれ握られていた。その刃に血糊も付かぬほどの剣速。不意打ちならば至高の剣士チャルカンも絶命に気付かぬのではないかと思わせる手捌き。

 落ちた頭から丸い物が離れ、その脳幹に突き刺していたであろう牙か触手か舌かわらわら生やしたダニのような姿を見せた。シャハズが二の矢を番え、放つ前にヴァシライエが踵で踏み潰した。キーと断末魔に鳴き、水気の多い内臓が散った。

「神の怒りを買った禁忌の錬金術の一つに、人を亡者のようにして操って奴隷にするゾンビの術があった。南方由来だがそれかもしれん。しかし洗練はされていないな。伝承では多少曖昧に見えるだけで農奴として使えたとある」

「畏れ多い! そんな研究をご城主はされていたのか」

 敬虔なエリクディスとしてはあの虫の気色悪さよりも神々の怒りの余波を食らわないかと思う方が気分が悪い。

「神のお怒りに巻き込まれれば惨事だ。ヴァシライエ殿、進退を判断すべきだ」

「進もう。未完成である内に」

「神々は甘くない」

 呪いは死よりも恐ろしい。死せずに永劫に苦しめるような神の呪いばかりであり、目せしめのためか周辺関係者が巻き添えにする事例は数多である。

「幸か不幸かここは夜神の領域、そうお優しい御柱様のな」

「夜神が他の神々より隠匿している間に片をつけろと?」

「結果、そうなる。目の前の、神々に関わる問題を放置するような者達に慈悲を下さるかな?」

 エリクディスは「ぬう」と唸った。これは後に引けない。


■■■


 探索の冒険が強行突破的なものに変わってしまった。三人は戦闘を前提に体制を整える。

 ヴァシライエを剣士として先頭に立てる。騎士の首を飛ばした剣捌き、あれに比肩する技術を持つのは彼女だけである。

 真ん中にはランプを持ったエリクディス。進行方向を指示しつつ、灯りで照らし、手には雷の杖を持つ。

 殿にシャハズ。後方を警戒しつつ進む。出入り口が複数個所あるようなダンジョンは当たり前だが一方通行、直線構造ではない。背後からの襲撃の危険性を常に孕む。

 そして何より、これから命のやり取りを行うという気構えをする。

「戦と戦場と猟場、闘争を司る戦神よ。我等を見守り下さい」

 具体的な願いをしない素朴な祈りをしてから進む。

 植物園の下、水が沸く場所は井戸を兼ねている。水汲みの階段があり、そこを昇れば地上に出られるのだが、その地上を目にする前にここは進めぬと判断した。

 階段には満月に照らし出されたダンピールの騎士のみならず召使いの男女の死体が折り重なっており、血が井戸に流れ込んで、溢れたそれが下水道に流れ出している。死体の上には先程のダニのような、容姿に統一性は無いが虫らしき生物が集って鳴いており、食べる風でもなく血肉を弄繰り回している。加えて階段上の地上からは植物を折って奇声を上げる何らかの動物が複数。

 死肉を漁るのならばまだ尋常の肉食動物、獣なのだが、死体を食わずに弄繰り回して騒ぐ生物とは尋常ではない。地上にて騒ぐ生物も同類と判断する。

「一匹ずつ相手にとはいかんな。道を変える」

 エリクディスはそう判断した。記憶や経験があてにならぬ敵との対決、それも集団戦など自殺行為だからだ。また記憶によれば植物園は鬱蒼とした間取りになっており、非常に不意打ちがされやすい。ランプと満月の明りだけを頼りに無傷で突破出来る保証は限りなく無い。またあれら尋常ではない異常の生物に毒が無いとは言い切れない。

「これは仕方ないか」

 ヴァシライエも同意し、三人は道を引き返した。

 チャルカンとガイセル、あの二人がいたならば強行突破の自信は湧いたかもしれない。

 あの剣士二人と魔法使い二人は道を別れた。剣士は金と命が釣り合わない無分別なる決闘、辻斬り、傭兵の道にて戦いの技術をひたすら磨き上げる道へと進んだ。分別を持って無傷で金を稼いで学問に励む魔法使いとは相容れず、喧嘩別れとなる前に互いに目的を確認し合って別れた。

 下水道の分岐点に戻り、見取り図を確認して便所穴や厨房の汚水口ではない通路、地下牢に繋がる道へ進む。

 何故地下牢が脱出口に直結するような下水道に繋げて作られているかは設計者、運用者に聞かねば分からない。またヴァシライエも地下牢が使われたという話は歴史でしか知らない。神々の怒りを受けてからは閉じ込めるような人物も現れていないのだろう。

 地下牢への入り口は重厚な鉄の一枚扉で厳重に封鎖されていた。その下を排水口が通っていて人が通れる広さは無い。また扉には鍵穴を差し込むところも見当たらず、付近に開閉する機械類も見当たらない。そして扉に押し潰されて胴体を真っ二つにされた裸の男の死体がある。血腥いが腐敗臭はしない。

「ここから脱出した連中が扉を閉めて、それに潰された、か?」

 ヴァシライエが男の死体、上半身を杖で突いてあの騎士のように動き出したりしないか確かめてから爪先で蹴って引っ繰り返す。肉が薄く、肋骨が浮き、背中も同様だが古傷に生傷が無数にある。それと歯が異常に悪い。満月の都は閉鎖空間であるが飢餓が発生するような環境ではない。

「何かに追われた忙しさを感じる有様ではあるが、しかし死ぬ前から酷い様子だな。地下牢で拷問でも受けていたのか?」

 エリクディスは感想を言いながら扉と周辺に排水口をランプで照らして外から開ける仕掛けが隠されていないか見るが、やはり全く無い。

「これはおそらく、捨て堀にいる呪い人だな」

「捨て堀の呪い人?」

「城壁外周に近いところに昔の空掘があってな、そこに夜神の怒りを買って、大抵は都から外に出ようとした連中だが、それで発狂した物狂い達を突き落としているんだ。それから重罪人もだ。出入り口は無い。呪い人や罪人の家族が、ほとんど諦め半分だが突き落とした場所に定期的に食べ物を投げ入れている。時々恩赦があって、綱を下に垂らしてまだまともな奴が上ってきたら免罪になる。大抵は良い子になって戻ってくるよ」

「これは免罪された者か? しかし」

「いや、きっと錬金術の実験用に捨て堀から拾ってきたんだろう。免罪されれば普通は家族の元に帰るし、ここの世間は狭い。帰った後にまた攫われたとなれば問題になるだろう」

「なんと……」

 呪い人とはいえその哀れな末路が一層悲惨になっていると聞き、同情と明日は我が身という気分からエリクディスは言葉を失う。

 それからしばし無言で、仕掛けが無いかしぶとく探しても成果が上がらない。

「落とし扉となれば巻き上げ機械が……ふうむ、全く見当たらないということは内側から操作するわけだ」

「次の満月まで待つかね? また植物園に行って弓矢と投擲で少しずつ化け物共を狩るのも出来る話だが」

 シャハズは殿の役割を続け、来た道に神経を尖らせて警戒を続けながら提案する。

「ジイ、奇跡は?」

「試練の迷宮と同じだ。ここは夜神の領域、異なる神に奇跡を祈れば怒りを買う可能性がある」

「夜神に祈れば?」

「ふうむ、扉の開閉だからなぁ。願うにしてもなんと願えばいいか。あの化け物相手ならいくつか思い当たるが」

「精霊術」

「うむ、金の精霊術、試してみるか。ヴァシライエ殿、精霊憑きになりそうだったら殴ってでも止めてくれ」

「どの程度?」

「最悪、殺して構わん」

 さしものヴァシライエも本気か? と眉をひそめる。

 精霊術の行使は精霊に意識を乗っ取られる危険を冒して行う。分別ある魔法使いが行う無分別の術である。無分別者が扱えばほぼ精霊憑きとなって災害となり、討伐されるかいずこかへ消える。

 エリクディスは雷の杖を脇に抱え、鉄の扉に手を当てる。落とし扉、巻き上げ機で上げると思われる。推測から観測に入る。扉を叩いて揺らし、鎖の音がしないか聞き耳を立てる。老人の腕力では微動だにしなかった。

「鎖……ううむ」

「お姉さん、後ろ」

「妙案があるのか。シャハズは賢いな」

 容易く褒められつつシャハズはヴァシライエに、指先で長めになぞるように肩を撫でられ、後方警戒を任せて扉に耳を当てる。

『震えて』

 鉄の扉が銅鑼にでもなったかのように音を立て、シャハズが耳を痛そうに手を当てて後ずさる。

「大丈夫か?」

「うー、左右に鎖一本ずつ。かなり太い」

 術の天才は運用についても学んできている。己の特長を活かしている。

「よくやった。だが身を削るまではしなくていいんだぞ」

 自傷に繋がる行為は褒められはしない。無傷で成果を出してこそが魔法使いなのだ。

「大したことない」

「そうか、では……」

 エリクディスは金の精霊に、その二本の鎖を縮めるためにどんな言葉で語りかけようかと思案する。精霊の言葉に乱されやすい老いた頭でも可能な手段は?

 扉が鳴った。また鳴る、繰り返し鳴って叫び声が扉、壁、排水口越しに聞こえ始めた。無数に一○人以上? もっとだろう。狂ったように扉に壁を叩き続ける音だ。

「扉の向こうに呪い人共がいるな。あの発狂者達は捨て堀の中で生き残る為に学ぶことがある。それは共食いだ。自滅してくれれば楽だが、何故だか知らんがある程度の仲間を作って組むらしい。神の呪いとは恐ろしいな」

 後方警戒に目をやりながらヴァシライエが言う。ただ単純に開けるわけにはいかなくなった。

 痩せこけたとはいえダンピール。かつては人の血肉を生食するのを好んだというヴァンピールの末裔。その膂力は獣のように強く、同族の剣の達人ヴァシライエとて一○人以上の恐れを知らぬ発狂者相手に善戦出来るとは言い難い。無傷で潜り抜けたいし、そうでなければ諦めるか、体制を整えて装備を変え人員を増やすのがエリクディスのやり方だ。

「ううむ」

 エリクディスは唸った。扉を開けるだけでは駄目になった。策を捻り出さねば。


■■■


 満月の夜は一晩。日没から日出まで。暇を余せば長く、用事を済ませるには短い。

 満月の都に滞在することは可能だ。次の満月の夜まで外に出られず、出ようとすれば呪われるが。

 エリクディスはまず提案する。

「打開出来ないようであれば泊り込みで策を練り、実行したいが、ヴァシライエ殿、生活の保証は出来るかな?」

「出来る。商会の宿泊施設を提供しよう」

「よし。今も試行錯誤を諦めるわけではないが、日出前には何があろうが城下に戻る。城下で状況の変化があり、都を出ねばならないかもしれない」

「同意する。こちらも部下に指示を出さねばならん」

 それに疲労もある。今日の冒険は長距離を歩いたわけではないが、異形の生物と出くわし、尚且つ亡者のごときとはいえ人一人と殺し合いをしたのだ。精神は疲れている。

「まずはその方針でいく。質問や意見はあるか? 曖昧なことでも構わん。嬢も年功と遠慮するな」

 エリクディスは広く意見を聞く。例えそれが若輩、未熟者であっても思わぬ機転を利かすことがあるし、利かすまで行かなくても熟練者の発想の元になる。また頭を使う勉強にもなり、今は役に立たずとも後に役立つような人物に育つ可能性がある。

「ジイ、そもそもその扉、開く?」

「それだ。痩せた者とはいえ、閉じた勢いで胴体を両断する重い扉だ。生半可ではない。工夫も無しでは怪しい」

「推測が混じるが、その地下牢は始祖ヴァンピールを閉じ込めていたかもしれない牢の扉だ。相応に頑丈だろう。錆びていないし、鉄だけではない合金ではないかな」

 ヴァシライエの推測はもっともだった。神々に滅ぼされたとはいえ旧五大帝国の一つを作り上げた強力なヴァンピールの牢なのだ。素手で甲冑騎士を引き裂き、魔法で半神戦士達とも渡り合った者達を閉じ込めるのに十分な牢。

 床に城の、推測混じりの見取り図を広げ、改めて眺める。呪い人達も飽きたのか騒ぐのを止めていって、下水の流れる音だけになる。

 まず下水道からの侵入を諦めるとしたら落ちた橋からの侵入しかない。仮設橋を渡す作業とまではいかなくても、縄を渡す作業から始める必要がある。これは泊り込みの時に取る手段だ。後回しにする。

 下水道に他の入り口を作り出す。具体的には便所穴か厨房の汚水口をどうにかして破壊、拡げてよじ登ることだ。

 ただ問題としては破壊した場合、その音に反応した呪い人や異形の生物達が襲ってくる可能性があることだ。天井に穴を空けてよじ登る時はかなり無防備だし、下の者と上の者で戦力が分断される。非常に危険だ。

 もう一つの問題として便所と厨房から城の裏庭へ行く道は遠回りということ。回り道をすればするほど脅威に遭遇する確率は上がる。そういうものは正面から粉砕すればいいというのは武断派のすることで魔法使いがすることではない。

 別の見取り図も広げてみる。廃城の見取り図だ。こちらは判明しているところだけが完全、というわけではない。

 城は神々の怒りを受けた時から二つの存在に分かれている。分かれた後に改装された部分は廃城に反映されていないのだ。

 見比べれば尚更あてにならないこの二つの見取り図。推測の域を出ないところばかりだ。

「この扉は廃城にもあったな」

 探索に加わっていたヴァシライエが思い出す。

「あったか?」

 エリクディスには見当がつかなかった。呆けではない。

「錆の痕跡が確かあった。こう、石が茶色く変色したところがあった」

「うむ。一旦戻るか? ご城主様に援軍を取り付けなければどの道敵が多くて進むのも難しい」

「城を捨ててきた連中を?」

「それを言うなら我々三人で挑むこと事態が無謀。出来るだけ粘ってみるがどうにもならなければこの一件から手を引かせて……いや、夜神が見ておられるのか」

「言い訳がましいが、嵌める心算は無かったぞ」

「それは分かっているが突撃隊ではない」

「そうしろとは言っていない」

 年寄り二人がぐちぐちと喋っている間、若者のシャハズは扉に手を当てる。

『向こう側を見せて』

 エリクディスは目を剥いた。

 あの鉄か何かの合金か、重厚な扉の中央が赤錆に変色して屑を落とし始めたのだ。

 陽行の金ではない陰行の腐の精霊術! そんな術を扱えぬ非才エリクディスには無い発想だ。術と運用に才がある。

 赤錆の侵食が進み、屑が脆い土塊のようにこぼれ落ち、遂には扉に穴が開いた。

 穴が開き、扉の向こうから血と汚物臭、そして呪い人の気の狂った声と傷だらけの腕が出てきた。届きもしない腕を必死に伸ばし、常人を掴もうとする姿は狂人でしかない。

 シャハズがその腕を杖で容赦無く叩き折る。痛みを感じないのか折れたまま腕を突き出す。そして他の呪い人達も真似てか穴に腕を無理矢理捻じ込み始める。錆びたとはいえ金属の扉。全てが錆び切っておらず乱雑な鋸刃と化しており、無理に捻じ込まれた腕が引き裂かれる。骨が折れて皮肉が切れれば腕が落ちる。

 落ちる恐怖を知らぬ腕をまた杖で殴り、叩き折る。邪魔な腕が無くなれば弓矢で向こうから無防備に覗く顔の目を射り、鏃が脳に達して動きを止める。死神の呪いを受けた者達ではないので通常の手段で絶命出来るのだ。

 運用に才がある。この罠に呪い人を嵌めて一方的に無力化する機会を作り出したのだ。

「驕り、怠慢、不幸、これが無ければ大成するな」

「うむ!」

 エリクディスは鼻息荒く唸った。

 程なく、戦術を知らぬ呪い人達は全滅した。矢も無傷で回収されて損耗も無く、遠回りしない道が開いた。


■■■


・ヴァンピール

 魔性の美貌、突出して鋭敏な感覚と優れた身体能力、肉食の牙と偏食が特徴。

 血統主義で厳格な身分制度を敷き、滑稽とすら思えるほどの独自の貴族文化を築いた。

 高い知性で高度な錬金術を扱ったが、神々の怒りを受けて滅ぼされた。

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