Ⅵ 逆襲の闘士(1)

「――うーん……やっぱりこの二冊はどうも魔導書の類じゃないね。『周易』の方は哲学書って感じだし、『抱朴子』は人間を神仙に変える薬とか、まるで賢者の石エリクシールのようだし、エーテルに似た〝気〟の概念とか、むしろ錬金術を扱った本みたいだ。ちょっと期待してたのと違ったな……」


 あれから一週間あまり……今日も鍛練の合間に〝赤い猫ル・シャ・フージュ〟の拳闘士控室で辰国書の講義を受けていたマルクは、だいたいの内容を理解すると溜息混じりにそう告げる。


「ソウカ。それハ残念だったネ……ン? 待テ。よくよく考えれバ、その方ガむしろ医術ニ役立つ内容ネ。ナゼ、残念がるネ?」


 その二冊の書籍を手に、そう言って相槌を打つ露華だったが、途中で彼の語っていたことの矛盾に気づくと、白い眼を向けてそこを突いてくる。


「……え? い、いやあ、なんというか……ま、まあ、人生いろいろさ。は、ハハ…ハハハ……」


 鋭い彼女のその指摘に、最早、言い訳も難しいマルクは苦笑いをして誤魔化すことしかできない。


「マ、今更ダシ、深くハ追及しないネ……」


「と、とにかく、そんなわけで、僕の求めているものとはちょっと違ったようなんで、そろそろ僕はここをお暇しようと思うんだ」


 無論、それで誤魔化すことはできず、白い眼を向けたままの露華に対して、マルクは誤魔化しついでにそんな話も切り出す。


「ソウネ……来ル者ハ拒まズ、去ル者ハ追わズネ。もうオマエニ教える事ハないネ。これからハ一人立ちシテやってゆくネ」


 この街の性格なのか? それとも家族を失って以来、独り残された異国の地で深く人との関わりを持ってこなかったからなのか? そのけっこうな大事な話にも露華の反応は意外に淡泊だった。


 彼女は別れを惜しむこともなく、この一週間、内弟子として共に過ごしたマルクに師匠風を吹かせてそんな言葉を贈る。


「老師、お世話になりました。師の教えをけして忘れず、これからも勉学に励んでいく所存であります」


 対してマルクの方も旅暮らしで別れには慣れているのか? やはり感情を動かすことなく、露華に合わせて大仰に弟子らしく演じてみせたりする。


「おおーい! 露華、いるか!? 今夜の対戦相手が決まったぞ!」


 とそんな時、どこか興奮した様子でジャンが部屋へ飛び込んで来た。


「ジャン、どうしたネ? そんなワザワザ急いデ言いニ来る事デモないネ」


 その声にマルクと同時にそちらを振り向いた露華は、いつにないジャンの様子に怪訝な表情を浮かべる。


「それが言いに来たくもなるようなことなんだよ! 今夜はあのサリュックの野郎のところのミカルがリベンジ・マッチを申し込んできやがったんだ! こいつは盛り上がるぞぉ~!」


 するとジャンは、やはり興奮を抑えきれない様子で、唾を飛ばしながらそのニュースを彼女に告げる。


「おまえを倒すための秘策を持ってきたとかで賭けも向こうの方に人気があるが、なあにただのハッタリだろう。そうなりゃおまえのレイトも上がって、こっちとしてはむしろ好都合だ。ここはおまえに全財産賭けて大儲けしてやるぜ! サリュックのアホ野郎、もう一度吠え面かかせてやるぜ! ワハハハ…!」


 一度完勝した相手。今度も勝利を確信しているジャンは、露華に賭けて大金を得られる上に、ライバル興行師のサリュックにもぎゃふんと言わせられる機会を得たことに喜んでいるらしい。彼にとってはまさに一石二鳥なのだ。


「てことで、今夜も頼むぜ、相棒! 試合が終われば俺は大金持ちだ。おまえの給金も二倍、いや三倍にしてやるぜ。ワーハハハハハハ…!」


 最後にもう一言、露華に檄を飛ばすと、ジャンは愉快そうに高笑いをあげながら、もうすでに勝利の美酒に酔った様子で控室からさっさと出て行ってしまう。


「アノ、オスクロ大陸から来タ男カ……一度やった相手ダシ、なんだかツマラナイネ……」


 一方、自分と同じ異邦人のミカルに思うところでもあるのか、いつも以上に不愛想な表情を浮かべると、露華は本当につまらなそうにぽつりとそう呟く。


「………………」


 そんな彼女の物憂げな横顔を、マルクは彼女に気づかれることなく、何か考え深げに傍から見つめていた――。


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