Ⅳ 師弟の日常(1)

「――不好吃プゥハオチーネ! ナンダ! コノ苦過ぎる包子パオズ(※蒸しパン)ハ!」


「ご、ごめん! …じゃなかった、すみません、老師ラオシー! 体にいいと思って各種薬草を入れてみたんだけど……」


 粗末な木造家屋の密集地にも金色の朝日が差し込み、寝静まっていたモン・パルナッソーの街にも人々の声が響き始めた朝方、オンボロな木の机を囲み、濃緑の包子を食した露華が調理したマルクに声を荒げる。


「医者ダケニ、味ヨリ栄養ヲ重視するカラ良くナイネ。オマエ、料理ニハ向いてないネ」


「エヘヘ……船医してた時に料理作ることもあったけど、やっぱり仲間達にそう言われてたよ」


 渋い顔で文句をつける師匠の露華に、弟子マルクは照れ隠しの苦笑を浮かべてそう答える。


こうして翌日の朝早くから、露華のもとでのマルクの内弟子生活が始まった。


「食事ガ終わったら掃除ト洗濯ネ!」


「はい! 老師!」


 読めない『周易』と『抱朴子』の内容を教えてもらうため、嫌々ながらもやむなく内弟子となったマルクであったが、いざ始めてみるとなぜだか率先して弟子に徹している。


「――よいっしょ、よいっしょ……フ~……見習いとして、海賊船に乗り始めた頃を思い出すなあ……」


 壊れかけのバケツに水を汲み、ボロ切れで床を磨きながら、乗船の甲板磨きをしていた時のことをマルクは思わず懐かしむ……非力なので力仕事は苦手だが、そういった船で雑用をしていた経験があるために、意外と掃除洗濯は得意だったりする。


「医者なのニそんな事モしていたネ……テカ、今、海賊船言ったカ? オマエ、もしかして海賊ネ!?」


「……え? あ、ち、違うよ! 昔、乗ってたことがあるだけさ。ほ、ほら、新天地はエルドラニア人以外に冷たいから、そんな仕事ぐらいしかなくて…ハハ…ハハハハハハ……」


 その聞き捨てならない呟きを耳聡く拾い、問い詰める露華にマルクは慌てて弁明する……が、誤魔化し笑いをしているし、口調もしどろもどろだ。


「……魔導書ノ事トイイ、どうにも怪しいネ……ま、デモ、気ニシナイネ。ココ、モンパルナッソーハそういう街ネ」


 それでも、彼女自身、ここへ流れ着いた異邦人であるし、様々な国籍・人種・階層の人々が集まるこの街の性格が影響して、それ以上、マルクの過去について追及されることはなかった。


 ともかくも、そうして料理以外、卒なく家事をこなすマルクであるが、やはり年頃の女の子…しかも、文化基盤がまるで違う東方人と同居するということは、いろいろと問題も発生する。


 例えば、近所の井戸端に桶を持って行って洗濯をしていた時のこと。


「――ん? なんだ? このエプロンみたいなのは? にしては丈短いし、拳闘術の試合とかで着けるものあな?」


 ベージュ色の、六角形、あるいは菱形のような形をした布に結ぶための紐の付いた代物を、揉み洗いしていた桶の中から引っ張り出すと、マルクは興味深げに掲げて見つめる……が。


「ナニ、ヒトノ下着ヲマジマジト見つめてるネ! オマエ、海賊じゃナク変態ダッタカ!」


「うごはぁっ…!」


 突如、繰り出された露華のパンチを頬に思いっきり食らい、路地の行き止まりまでマルクは吹っ飛ばされた。


 それは、辰国の女性が身に着ける伝統的な肌着だったのだ。知らぬこととはいえ、乙女の下着を凝視していれば、まあ、当然そうなる。


「――うう…ひどいよ、突然殴るなんて……」


「何ガ酷いカ。自業自得ネ。サア、トットと歩くネ!」


 だいぶ往来の増えてきた正午近くの大通り、さっさと先を行く露華を追って、右頬の大きく腫れたマルクが重い鞄を下げて必死に追いかけている。


 家事だけでなく、拳闘士の仕事や鍛錬に行く際には付き人としてお供をしたりもするのだ。


「しかし、さすがは花の王都だな……」


 行き交う人の隙間を巧みに掻い潜り、ずんずん歩いてゆく露華の背中を追いかけながら、道の左右に広がるモンパルナッソーの街並みをマルクはきょろきょろ見回す。


 昨日は夜だったし、むしろカルチェ・レカンドラに近い隅っこの方だったのでぜんぜんわからなかったが、通りにはカフェやキャバレー、劇場など華やかなものが立ち並び、やはり振興の開発地区だけんことはある繁盛ぶりだ。


「ソコノ、ブロンジュリー(※パン屋)ヘ寄ってくネ!」


「……え? ま、待ってよ!」


 そんな大通りに面して建つ店の一つ、石造りの大きなパン屋の前まで来ると、露華は急に方向転換してそこへ入るので、マルクも慌ててその後を追う。


 入口のドアを潜る時、見上げると〝サン・マルコ〟という店の名が看板に書かれていた。


「なんだか親近感覚える名前だ……」


 そんな感想をマルクが抱く内にも、店内に並ぶパンを物色することもなく、露華はカウンターへ行って即行、注文をしている。


「ボンジュール、マドモアゼル。今日は何をお望みかな?」


「バゲットデ、厚切りハム、フォマージュ(※チーズ)、レタス挟んだソンドウィッチ・・・・・・・二つネ。ペッパー多めデお願いネ」


 いかにも女好きそうなイケメン・マッチョな青年店員が尋ねると、慣れた様子で露華は細かく望みの仕様を指示する。


了解ダッコール、プティット東方フィーユ♪」


「今日ノ昼食ネ。オマエの分モ注文しといた。師として弟子ニ奢ってやるネ。タダシ、代金ハオマエ持ちネ」


 イケメン店員がウインクをして奥に向かうと、追いついたマルクに露華は得意げに言う。


「ありがとうございます! ……てか、それ、僕の方が奢ってるじゃん。うっかりお礼言っちゃったよ」


「昨日ハ湯麵ご馳走したんダカラ、コレデトントンネ。ソレニタダデ居候モさせてあげてるしナ」


 思わず騙されつつも気づいて渋い顔をするマルクに、腰に手をやった露華はさも当然というように答える。


「別に好き好んで泊まらせてもらってるわけでもないんだけどね……はい、これ。さようならオヴォワー


ありがとうメルシー少年ギャルソン小さなお嬢さんプティットフィーユ♪」


 サンドウィッチの包みを受け取ると、さっさと露華は行ってしまうので、仕方なくマルクは渋々料金を店員に手渡し、愛想のよい彼の声に見送られながらそのパン屋を後にした。


「エウロパの料理は口に合わないのかと思ったら食べるんだね?」


 店を出て、再び通りの往来で露華に追いつくと、意外だった彼女のその行動についてマルクは尋ねる。


「ハムハ辰国ノ叉焼チャーシューニ似てるカラ好きネ。ソレニ、フランクルノ面包ミェンパオ(※パン)ハとっても好吃ハオチーネ……さ、ワタシガ拳闘士やってる倶楽部二着いたネ」


 それに答えて彼女が指さした方向を見ると、そこには一際、高級キャバレー感を醸し出す瀟洒な〝赤い猫ル・シャ・フージュ〟の建物がその栄華を誇るかのように建っていた。

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