Ⅲ 孤独の異邦人(3)

「――さっきの話ダト、どうも魔導書ト違う気するケド、とりあえずコレネ」


 晩飯がすんだ後、形ばかり設けられた狭いクローゼットの中を漁ると、露華は二冊の珍しい本を出してきてマルクに見せた。


 何が珍しいって、その装丁からしてマルクは見たことのないものだ。革の表紙ではなく、紙を紐で綴じたような構造になっている。


「これが東方の書物かあ……これ、羊皮紙じゃないね? なんでできてるんだろ? パピルスみたいに植物の繊維かな?」


 露華よりその二冊を受け取り、蝋燭の明かりにかざして見ると、一枚一枚の紙の手触りも彼にとっては初めて感じるものだ。辰国の文字なのか? 表紙には何やら題名らしきものが白枠に囲われて書かれている。


「これ、本の名前だよね? なんて読むの?」


周易ジョウイィ抱朴子バオプゥズネ。どちらモ双極拳デ用いる〝気〟ノ理論ガ書かれてから、親持ってたネ」


 その文字について尋ねると、露華は見るまでもなく、そう辰国の言葉で答え、簡単に解説した。


「なるほど。つまり君の一族に伝わる拳闘術にとっての聖典ビーブルみたいなもんなわけだね……あ! この八角のって、もしかして魔法円!?」


 相槌を打ちながら『周易』と記された方をパラパラ見ていると、何やら八角形をした不思議な図像がマルクの目に留まる。


 真ん中に白と黒のオタマジャクシが合わさったような円があり、それを取り囲むように〝―〟と〝‐‐〟を三つ組み合わせたそれぞれに異なるパターンの記号が八種、各々八角形の一辺を成して記されているものだ。


「ンン? ……ああ、それは〝八卦〟ネ。この世界ハインヤン二つノ種類ニ分けられるガ、それぞれガまた隠・陽二分れて四象、さらニそれガ〝チエンドゥイリィジョンシュンカァンゴンクーン〟の八ツニ分れる事ヲ表した図ネ。その魔法円だかハ見た事ナイから同じカわからないネ」


「へえ……それじゃあ魔法円というより、錬金術の世界創造の秘密を示した図みたいなもんなのかな…………ダメだ。ぜんぜん読めない。なんて発音するのかすらわからないよ」


 背後から覗き込む露華の説明に推論を巡らしてみるマルクだが、如何せん、そこに記されている文字がまったく読めない。完全にチンプンカンプンだ。


 無論、辰国の文字などしっかり見るのは初めてであるが、ここまで理解不能なものとは思わなかった。一文字一文字がアルファベットのように簡略ではないし、どうやらその成り立ちや用法からして、自分達の知る文字とはまるっきり異なる存在のようだ。


「うーん、困ったな……拳闘術の聖典ってことは、君も読んだことあるんだよね?」


 唸り声をあげた後、マルクは振り返ると、すぐそこに顔のある露華に確認をとる。


「マア、一応ハ。難しくてよくわからナイ所モ多かったケドナ」


「でも、読めるだけ僕よりはぜんぜんマシだよ。ねえ、どんなことが書いてあるのか、掻い摘んで僕に教えてくれないかな?」


 そして、自分では読めない問題の解決策として、そんなことを今度は彼女に頼み込んだ。


「ハア? ナンデそんな面倒臭い事しなきゃイケナイネ! ゴメンこうむるネ」


「そんなこと言わないでさあ。ねえ、頼むよ。せっかく物が目の前にあるってのに、読めないなんてあんまりだ。薬あげるし、お金も…そんなにたくさんは無理だけど払うからさあ」


 当然、そんなおこがましい依頼は突っぱねる露華であるが、知識欲に火の付いたマルクはなおも食い下がる。


「体ハ至っテ健康ダシ、お金モあって損ハナイけど、質素ナ暮らししてるカラそんないらないネ。ソレヨリ、そんな面倒臭い事する方ガ億劫おっくうネ」


「そこをなんとか! 手伝いでもなんでもするから!」


「見タ目ニ反シテ意外トしつこい男ネ……デモ、手伝いカ……わかったネ。それじゃ、教える代わりニ今日カラ内弟子として家ニ住み込んデ、ワタシノ身ノ回りノ世話するネ」


 なかなか諦めの悪いマルクに、困り顔でなんとなく部屋の中を見回した露華は、ふと思いつくとそんな交換条件を口にし始めた。そういえば、仕事でほとんど家を留守しているため、なかなか掃除をする時間もないので床には埃が堪っている。


「ええ!? 泊まり込みで? もしかして、この狭い部屋に?」


「狭くて悪るかったナ。教えヲ乞う者ナラ、それくらいシテ当然ネ。通いヨリハその方ガ時間モ無駄ニならナイし、何カト便利ネ。オマエモ宿代浮いて一石二鳥じゃナイカ?」


 その提案に驚くマルクだが、露華はさも当然というように言葉を続ける。


「ま、まあ、ここらで安宿探すつもりだったからそりゃ助かるけど……いやでも、見た目は子供とはいえ、年頃の女の子の部屋に居候するってのはどうも……僕も一応、男だし……」


「大丈夫ネ。モシ変ナ事シタラ、間違いガ起こる前ニ再起不能ナルカラ心配いらナイネ」


 しかし、その至極もっともな心配をするマルクに対し、彼女は固めた右拳をパシン! と左の掌で受け止めると、そんな世の常識をも吹っ飛ばすような理屈でさらっとその問題を一蹴してみせた。


「いや、むしろ僕の方の身の危険を強く感じるんですが……」


 なんら問題はないと、不敵な笑みを浮かべる露華を苦笑とともに見返しながら、いくら勉強のためとはえ、こんなこと言いだすんじゃなかったとマルクは自分の行いを少なからず後悔していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る