Ⅲ 孤独の異邦人(1)

「――ズズ……んん! うまい! なにこれ!? こんなの初めて食べたよ! 君、強いだけじゃなくて料理もプロ級の腕前なんだね!」


 学生の下宿や貧民層の家々が立ち並ぶ界隈で、ご多分に漏れずオンボロな木造家屋へ上がり込んだ自称・・医者の少年――マルクは、蝋燭の明かりだけが灯る薄暗い部屋の中、露華の作ってくれた珍しい料理に感嘆の声をあげていた。


 魚醤と鶏を煮込んだような透き通る茶色のスープに、細長いモチモチとしたパスタを入れたものだ。それにハムやポロネギを載せ、マルクの渡したコショウと唐辛子もよく効いている。


拉麺ラーミェンを鶏ガラの汁に入れた湯麺タンミェンネ。ま、オマエ達がいうスープパスタみたいなモノネ。丁度、胡椒ヤ辣椒ラージャオ(※唐辛子)欲かったカラ助かったヨ」


 粗末な木のテーブルに彼女と顔を合わせて腰を下ろし、夢中に麺をすするマルクに対して、特に喜ぶでも照れるでもなく、やはり淡々と露華はその料理について説明する。


「へ~辰国にはこういうパスタがあるんだね。こんなに料理上手ならお店開けばいいのに…ズズ~……もごもご……でも、なんではるばる東方からエウロパへ? やっぱり拳闘士になるため? いや、それも含めて武者修行の旅とか? 料理人になるためってわけでもなさそうだし…ズズ……」


「店開くハ考えたコトなかったネ。マ、そもそも開業資金モないしナ……料理ハ、この辺ニ辰国ノモノ出す店ナイカラ、仕方なく自分デ作ってるだけネ。もともとウチノ一族ハ交易ノタメ、大陸ノと東ト西ヲ結ぶ絹の街道リュ・ド・スワ通ってエウロパ来たネ。デモ、運悪く〝白死病〟ニ遭って、ワタシ以外、一族ノ者ハ全員死んだネ」


 なおも麺をすすりながら続けてマルクが尋ねると、一見、相変わらずの淡泊な口調のようではあるものの、露華はその声色を少しく暗くする。


「白死病で? ……そうか。それじゃ、前の大流行の時に……それは悪いこと訊いちゃったね……」


 やはり医者として思うところがあるのか、その病名を聞くとマルクも表情を暗くし、ホークを持った手を止めるとデリカシーのなかったことを謝罪する。


 白死病――それは、ネズミやノミなどが媒介する細菌によって健康な血が急激に減少し、全身に酸素を行き渡らせることができず、非常に高い確率で死に至る病である。その病名は、血の気が失せることで罹患者の皮膚が蒼白になることからそう呼ばれている。


 致死率ばかりかその感染率も凄まじく、何十年に一度かの間隔で大流行を見せると、各国の人口を半分以下にまで減少させるなど世界的に甚大な被害を与えていた。


 近くは五年ほど前にもやはり猛威を振るい、ここフランクル王国も相当やられたはずである。彼女の親族の命を奪ったのも、おそらくはその時の世界的大流行だろう……。


「気ニするナ。もう昔ノ話ネ……それより、さっき魔導書ハ医術ニ役立つト言ってたのハ本当ノ話ネ?」


 だが、暗い顔で謝るマルクに首を横に振ると、あまり感情の起伏の感じられない声で露華は彼に訊き返す。


「……え? ああ、うん。魔導書で呼び出した悪魔の中には医学や薬草に詳しく、それについて教えてくれるやつもいるからね。そればかりか、ダーマ人の伝説の王ソロモンが使役していたという悪魔の内の、地獄の大総裁マルバスや星辰総統ブエルなんかは、直に病を治してくれたりもするよ」


「白死病デモカ?」


 突然問われ、キョトンとした表情で説明するマルクに、露華は短い言葉で重ねて問う。


「ああ。それなりの知識と技術、それに好条件も揃ろえばだけど、基本的には白死病であっても可能だ」


 その短い言葉に彼女が何を言わんとしているかを悟ったマルクは、不意に眼差しを厳しくし、いたく真面目な口調でそう返した。


「じゃあ、ナンデこんなニ人ガ死んでるネ? 魔導書デ白死病ヲ治せるナラ、もっとたくさんノ者救えタはずネ! ワタシノ家族ダッテ死なないデすんだハズじゃナイのカ?」


 それを確かめると、さらに露華は核心を突くその質問を直接的な言葉でマルクにぶつけてくる。わずかに大きくなった彼女の声には、幾許かの怒気が含まれている。


「それは、教会や国が魔導書の自由な所持・使用を禁じているからさ。許可を得た者しかその力を使えないから、急激に増加してゆく感染者に対して、治療に当たれる者の数が圧倒的に足りないんだ。特に白死病のような、感染から死に至るまでが短い病の場合はね」


 対してマルクも包み隠さず、至極端的な言葉で真摯に彼女の疑問へ答えていく。


「だったら、何デ国ヤ教会ハ魔導書ヲ使うの禁じタネ!? 人ガたくさん死ねバ国ハ衰えるし、困るんじゃないのカ? 教会だって人ヲ救うのガ仕事ノハズネ! それなのにどうしてカ!?」


「魔導書の絶大な力を自分達だけで独占しておきたいからさ。確かに君の言う通り、そんなことをしても逆に国力を弱めるだけだし、多くの聖職者は本気で人々を救いたいと考えているよ。でもね、上に立つ支配者層は庶民が自由に魔導書の力を使うようになって、自分達を敬わなくなることを恐れているのさ。そうやって力を独占し、自分達を権威づけることが、現在のプロフェシア教会と、それを奉じるエウロパ諸国の支配体制の根幹だからね」


 段々と熱を帯びてゆく露華の声とは対照的に、今度はマルクの方が淡々と、まるで他人事のようにこの世界の真実を言い淀むことなく彼女に諭した。


「そんな……そんな事ノ為ニワタシノ家族ヤ仲間達ハ……」


「ああ、ほんとにくだらない理由さ。南のミッディラ海を渡った所にあるオスクロ大陸のアスラーマ教諸国や、君の生まれ故郷である東方の国々では禁書扱いされていないというのにね。かつてエウロパの南端に存在した僕の祖国、スファラーニャ王国でも自由に魔導書を利用でき、その研究もかなり進んでいた……その方が世の中を豊かにすることは証明されているんだ……」


 今、初めて知ったのであろう、自分から家族を奪った真の原因……怒りと悲壮、虚しさのない交ぜになった表情で唖然と呟く露華に、マルクはさらに残酷な事実を突きつける。


「何デネ……そんな国アル言うのニ、何デワタシハ異国ノ地ニ独り残されなきゃナラなかっタネ……」


 譫言のように呟く露華の脳裏には、当時見た凄惨な光景と、その時の感情が無意識にも蘇ってくる……。


 まだ幼い彼女の目の前で次々と病に倒れていく家族や一族の者達……子供だったために、当時滞在していた街の大人達の計らいで強制的に隔離され、運良く最後まで感染は免れたものの、帰ってみれば誰一人生きてはいなかったことを知った時のショック……感染拡大を防ぐため、すでに埋葬されていた親族の、棒切れ一本だけが標に立つ土饅頭が累々と連なる墓地の景色……知らない顔、知らない言葉を話す者達の中に、ただ独り取り残された時の淋しさと不安……それはつい昨日の出来事のようでもあり、また、現実味のない夢の中の幻影だったような気もする。

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