Ⅱ 路地裏の邂逅(2)

 さて、ちょうどその頃、この裏路地を通りかかった者がもう一人いた……。


「――ハァ……やっぱりサン・ソルボーンの図書館は部外者入れてくれなかったかぁ……」


 黒いフード付きのマントを纏い、頭にはまるで魔女のような黒い帽子、肩からはパンパンに膨らんだ鞄を下げた金髪オサゲに碧眼の少年は、深い溜息を吐きながら暗い裏路地をとぼとぼと歩いてゆく。


「忍び込むにも警備厳しそうだしなあ……当然、扉の鍵にも重層的に悪魔の力込めてあるだろうし、何より警護の人間とやり合う自信ないからなあ……さすがに禁書の書庫までたどりつくのは無理だな」


 さらに何やらブツブツと呟いているが、その小柄で童顔な見た目とは裏腹に、何やら物騒なことをさらっと口走っている。


「…………ん?」


 と、そんな彼の耳に、前方に広がる闇の中から男女のしゃべる声が聞こえてくる。


「なんだろ? この裏道なら誰もいないと思って選んだのにな……」


 少年は小首を傾げると、息をひそめてそちらへと近づいてゆく……黒尽くめの格好は、周囲の闇に紛れることができるのでこんな時好都合だ。


「……!」


 だが、月明かりでぼんやりとその声の主達が確認できる所まで来ると、彼は思わず息を飲んでしまう。


 なぜならば、まだ子供のように見える一人の少女を三人の男達が取り囲み、しかもその手にはギラギラと光る短剣が握られていたからだ。


 物取りなのか、人攫いなのか、あるいは悪戯目的のロリコンなのか……いずれにしろ、よからぬことをしようとしているのは明らかだ。


 ……ど、どうしよう……僕、腕っぷしの方はからっきしだからなあ……三人相手なんてとてもじゃないけど無理だ……魔術を使うにも時間がかかるしな……。


 建物の影に身を潜め、そののっぴきならない様子をじっと見守りながら、少年は心の中で逡巡する。


 助けたいのは山々なのだが、体格も筋力も格闘センスもまったくない彼は、反面、充分すぎるほど備えている論理的な思考力で、がむしゃらに突っ込んでも無駄に終わることがよくよくわかっているのだ。


 ……そ、それでも機先を制して暗闇に逃げ込めばなんとか……いけるのか? 逃げ足にも自信ないけど……。


 とはいえ、別に度胸がないわけではない。彼は腰に下げたカットラス(※船上などでの使用に向いたサーベル)の柄に手をかけると、飛び出すべきか飛び出さざるべきかをまたも思い悩む。


「――やめておけ…って言ってモやめそうニナイカラ、おとなしくここデぶちのめされるネ」


「んだとコラ! かまわねえ! ぶっ殺しちまえ!」


 と、悩む彼の耳にそんな少女と男達の声が聞こえ、躊躇している内にも悪漢達は手をあげようとする。


「ええい、もうヤケだ! 待て! その子に何をする気……だ……」


 幼い女の子の危機に、やむなく物陰から飛び出す少年であったが、そこで目にした光景に思わずその場で固まってしまう。


「うごっ…!」


「ぐはっ…!」


「げほっ…!」


 ドカ! バキ! ドフ…! と肉をハンマーで叩くような鈍い音がしたかと思うと、悪漢三人は一瞬にして吹っ飛ばされ、周囲の建物の壁に叩きつけられたり、勢いよく地面を転がって行ったり、道端に置かれていた樽に頭から突っ込んだりしている。


 強烈な突きや蹴りをまともに食らった男達は、そのまま倒れ伏してピクリとも動こうとはしない……。


「もう終わりカ? あまりニモ弱すぎるネ。差し向けるナラ差し向けるデも少し手応えのアル奴ニしてほしいネ……ん? もう一人いたカ」


 そうして悪漢三人を一撃でのした・・・少女――露華の暗闇に輝く猛禽が如きその瞳に、今度は腰のカットラスの柄に手をかけたまま、妙な格好で固まっている少年の姿が映り込む。


「ち、違います! ぼ、僕はただの通りすがりの医者です! その人達とはなんら、まったく、これっぽっちも関係はありません!」


 冷たい殺気を帯びた瞳にじっと見据えられ、咄嗟に両手を挙げた少年はプルプルと首を高速で横に振ると、むしろ疑惑を深めるような弁明を慌てて口にする。


「……確カニ。コイツらみたいニ凶悪ナ気配ハ感じられないネ。デモ、医者二シテハ若すぎるし、何ダカ妙な気ヲ纏ってるネ。オマエ、本当ハ何者ネ?」


 それでも、じっくり彼を観察した後、どう見てもチンピラとは違うその容姿に誤解は解けたようであるが、代わって白い眼を向けるとその正体を怪しむ。


「や、ヤダなあ。若輩者なのは否定しないけど、こう見えてほんとに医者なんだって。今日だってほら、サン・ソルボーン大学の図書館に希少な書物を見せてもらいに来た帰りなんだから……そういう君の方こそ、まだ子供なのにとんでもなく強いね。もしかして、魔術を使って体を強化してるとか?」


 重ねて疑念の眼差しを注がれた少年は、冷や汗をかきながら暗くて見えぬ大学の方面を指し示し、話題を逸らすように今度はこちらから訊き返す。


「子供じゃないネ。もう今年デ十三にナルし、プロの拳闘士だから強いのハ当然ネ。それに、ワタシの拳ハ辰国伝来ノ武術〝双極拳〟ネ。魔術じゃナク、万物ニ流れる〝気〟によって打撃ノ力ヲ自由自在二操るネ」


 すると、そんな簡単に疑念が晴れるわけもないと思うが、意外にも素直に彼女は質問に答えてくれる。


「13って、やっぱり僕より二つも年下じゃないか。え、それで拳闘士なの!? っていうか、そのってのは何? 錬金術でいう〝エーテル〟みたいなもの?」


 露華の歳を聞き、改めて驚きを見せる少年であるが、それ以上に彼女の語る話には興味を覚えたらしく、不意に目を輝かせると異様な食いつきを見せ始める。


「オマエ、医者のクセに〝気〟モ知らないのカ? 〝気〟は医術にとってモ基本中ノ基本ネ。やっぱりオマエ、医者じゃないネ。とっても怪しいネ」


「いや、こっちじゃそんなの聞いたことなよ。そうか。東方の医学にはそんな考えがあるのか……でも、てことはやっぱり〝エーテル〟に近い概念なのかな? 辰といえば神秘に満ちた国だというし、これは魔術にも通じる所があるのかも……ねえ、君は今の話からして辰国人なんだよね? なら、そのというのについて書かれた辰国の本とか持ってない? 例えば、こっちでいう魔導書・・・のようなものとか?」


 再び疑念の眼を向ける露華だったがどうやら知的好奇心の方が勝る様子で、少年は何かブツブツと独り言を呟いた後に再度、彼女へ質問をぶつける……が、その問いかけが藪蛇となった。


「魔導書? ……見たコトないからヨク知らないガ、それって禁書ネ……ソウカ! オマエ、禁書ノ写本デモ作って裏ノ市場デ売ってるようナ輩ネ!」


 魔導書グリモリオ――それはこの世の森羅万象に宿る悪魔デーモン(※精霊)を召喚し、彼らを使役することで様々な事象を自らの想い通りに操るための方法が記された魔術の書である。


 エウロパ世界の霊的権威〝プロフェシア教会(預言教)〟と、このフランクルをはじめ、それを国教として奉じる多くの国々は、その悪魔の力を秘めた危険な書物を禁書に定め、自由な所持と利用を厳しく取り締まっているのだ。


 もっとも、教会や国の許可を受けた者ならばその範疇ではなかったし、いくら禁止してもルールの破られるのは世の常。それが持つ強大な力ともたらされる多大な利益から、もぐりで使用する者もいれば、非合法に裏の市場マーケットで写本が取引されていたりもするのであるが……。


「なっ! ……ご、誤解だよ。あくまで医学の勉強のためさ。か、カタギの医者の僕がそんな違法行為するわけないじゃないか。そ、そう! 魔導書に書かれていることは医術にも役立ったりするんだよ? 悪魔に病気の治し方教えてもらったりとか…あ、いや、僕は別に教えてもらったりとかしてないけどね」


 ますます怪しんだ露華がそんな推論を口にすると、少年は一変、目に見えて動揺している様子でしどろもどろに言い訳をする。


「病気ノ治し方カ……」


 ところが、彼の発したその一言に今度は露華の方が顔色を曇らせ、何やら意味深に淋しげな眼をして、その言葉をぼそりと呟く。


「と、とにかく、もしそんな本持ってたら見せてくれないかな? 君自身じゃなく、家族や辰国人仲間で持っている人いたら紹介してもらうんでも。もちろんお礼はするよ? そうだ! 拳闘士なら生傷も絶えないだろう? 打ち身や切り傷に効くいい薬があるからそれをあげよう。それでどうかな?」


 それでも、その反応の変化に気づかなかったのか、それとも気にしていないのか、少年はなおも食い下がって露華に説得を試みる。


「家族……ワタシにハ家族モ仲間モいないネ……デモ、一族ノ持ってた本ナラ家にアルネ……」


「ほんと! それはいい! ぜひ見せてよ! ご要り用とあれば、惚れ薬とかも付けちゃうよ?」


 やはり、どこか暗い声で何か他のことを考えている様子で答える露華とは対照的に、少年の方はパッと顔色を明るくすると声を弾ませてさらに頼み込む。


「そんな薬ハ要らないネ……あ、オマエ、医者なら香辛料ハ持ってるネ?」


「え? 香辛料? ああ、コショウとかチリペッパーなら気付け薬用に多少はあるけど……」


 すると、またもつまらなそうに言葉を返した後、ふと思い出したように露華は少年に尋ねる。


ハオネ。それじゃ、お代ハその香辛料デ負けといてやるネ。ついでに晩飯モ食わせてやるカラついて来るネ」


「え、ほんと! やった! あ、ちょっと待ってよ!」


 そして、首を縦に振る少年を見るとなぜだかあっさりと彼の望みを聞き入れ、悪漢達も放ったらかしにさっさと暗い裏路地を再び歩き始める。


「そいえバ、マダ名前ヲ聞いてなかったネ。ワタシハ陳露華チェンルゥファ。露華デイイネ」


 また黙々と家路を急ぎながら、慌ててその後を追いかけ始める少年の方をわずかに振り向き、露華は名乗るとともに彼の名も問い質す。


「あ、申し遅れたけど、僕はマルク。マルク・デ・スファラニアだ。さっきも言った通り旅の医者さ」


 そんな彼女に速足でついてゆきながら、少年――マルクは、勝気な笑みを湛えてそう答えた。

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